そして振るわれる。
緋の魔王から距離を取り、彼の様子を確認する。最寄りの壁に寄りかかったまま立ち上がる素振りはなく、クトウを前方に展開し続けている。足の骨が折れているのは間違いなく、彼の痛みに耐える表情から他にも複数のダメージが見て取れる。クトウの張れる結界には限度がある。クトウに命じれば彼自身が何をせずともある程度の速度で逃げることは可能だが、自前で魔力強化ができない彼の体に相当な負担が掛かることになる。それに今までの会話からして、緋の魔王の目的には彼自身も含まれているようだ。下手に逃げればクトウを無力化させに動き、その余波で彼が更なる負傷を受けるだろう。
「雑念が見て取れるな。攻め込む気配を微塵も出さぬ相手ではそれだけの余裕があるというわけか。ならばこちらからも打ち込むとしよう」
緋の魔王はそう言うと、構えすら取らずにこちらへと歩み寄ってくる。余裕の表れか、そもそも構えが存在しないのか。二度斬りかかって分かることは、この相手には決して主導権を握られてはならないということ。
「それにはおよばん!」
初動に魔力強化を集中させ、緋の魔王の正面へと飛び込む。首を狙った一撃を振るおうとした段階で、その軌跡を遮るかのように斧が位置取っている。反応が速いだけではない、こちらの動きから繰り出される攻撃を予測しているのだろう。個の能力にものを言わせるだけの魔物とは違い、この男は戦闘技術に秀でているのは確実だ。ならばと踏み込み直し、足を軸に回転し、反対側から奴の足を狙う。
「良い動きだ」
「―ッ!?」
防御されるのであれば斧の柄を利用したもの、重心のある刃で受けないのであれば防ぎきれぬようにと斬りかかった剣を、緋の魔王は容易く踏みつけて止めた。回転している剣の軌跡を読むには私の背後から現れる瞬間を見極めねばならない。だが奴は既に膝を上げ、狙いが足だと完全に見切っている。即座に下がり、距離を作る。
「砕くつもりではあったが、なかなかに頑丈な剣だ。武器の質も悪くないようだな」
「自惚れの強い魔王のように感じていたが、思った以上に人間を褒めるのだな」
「事実を述べたまでのこと。我が駆け抜けてきた戦場において、これほどまでに魔力強化を使いこなし、丈夫な武器を振るう人間を見たことはなかったのでな」
「当然だ。人間は新たな魔王の登場に備え、戦う術を蓄え磨き上げてきた。魔界という爪痕が残されている以上、その努力を怠ることはない。貴様こそ、ユグラに敗れた後に磨いた力があるのだろう。出し惜しみをしないことだな」
「――生憎と、そんなものはない」
「……なに?」
「我が『闘争』の力により強化された肉体は、遥か昔に成長の終わりを迎えている。我が力量はユグラに敗れた頃となんら変わりない」
「他の魔王とて進歩しているだろうに、怠慢だな!」
まずは相手の動きを見極めることが優先。手数で攻め、相手の癖を少しでも多く引き出す。深く斬り込まずに上下左右から剣を振るう。一撃、二撃と立て続けに防がれるが、相手がどの攻撃に対し、どのように防ぐのか。その動きが徐々に見えてくる。このまま更に斬り――
「なっ!?」
剣が止められる。攻撃を防がれたわけではない。緋の魔王は防御すらせず、その生身の肉体でこちらの剣を受け止めて見せた。いくらこちらが速さを重視し剣に力を込めていない一撃とはいえ、魔力強化の乗った速度から繰り出される剣を皮膚で受け止めるなど。大雑把に振るわれた斧を剣で受け止める。しかしその衝撃はあまりにも強く、大地に根を下ろすように踏ん張っていた体を容易く浮かせてくる。今の攻撃には魔力強化の痕跡は一切なかった。いや、そもそもこの魔王は何かが違う。
「一つ勘違いを訂正しておこう。我が力は鍛えようと思って鍛えられるものではない。我が肉体は既に完成している。『闘争』の力の本来の姿とは、その者が持つ力を限界まで引き上げるもの。故に戦闘中に発動し、強化する必要もない。魔力強化を施さずとも、その肉体の動きは常に最高であり続けられる」
「魔力強化を必要としないだと……?」
「然り。そのような弱者が強者に打ち勝つために編み出したような技など、使う必要すらない」
魔王の更なる追撃、先ほどとは比べ物にならないほどの速さ。ラグドー卿の飛び込みと同等かそれ以上、しかしそこに加わる力は遥かに強い。だが防ぎきれぬ攻撃ではない。
「ユグラに敗れた貴様が強者を語るか!」
「アレは超越者だ。この世界の理を知り、そしてそれを犯した。自ら理を超えた者とその者に理の外へと導かれた者では差が出るのも仕方のないこと。敗れたことに納得しこそすれど、劣等感を抱くようなことはない」
クアマで見た『勇者の指標』で体感したユグラの実力、陛下を護る暗部の持つ力。確かにあれは競い合うような力の次元を超えていた。だがもしもその話が本当ならば、この緋の魔王もまた世界の理を超えた力を持つということになる。
「緋の魔王、確かに貴様は強い。だがとても理を超えた力を持つようには感じないがな!」
「当然だ。未だ見せていないのだからな。だがこれほどの相手ならば出し惜しみする必要もあるまい。『闘争』の力の真髄、その身で体感して見ると良い」
再び緋の魔王が斧を振るう。その速度は先程と変わらない。回避することは難しくとも、受けることは可能。受けた体が浮くことを前提に姿勢を崩されないように受け止める。その衝撃は確かに尋常ではないが、防ぎ切った。このまま反撃を――
「――あ」
体が重い。思うように力が入らない。反撃を狙っていたはずの体が、まるで闘うことを忘れてしまったかのように緩んでしまっている。目前には緋の魔王が佇んでいる。反撃を、いや駄目だ、もう斧が迫っている。緋の魔王の攻撃の間に剣を滑り込ませることはどうにか間に合ったが、まともに受け止めることができないまま体が吹き飛ばされる。瓦礫へと叩きつけられ、全身に強い痛みが奔る。
「大丈夫かっ、イリアスッ!?」
「即死は避けたか。見事なものだ」
「何……を……」
「我が肉体は『闘争』の力そのもの。力を以て振るえば、それを受けた者はその力の影響を受けることとなる。先の一撃で貴様は我が『闘争』の力に呑まれ、肉体そのものが闘う力を奮えなくなった。それだけのことだ」
そうか。『闘争』の力を受けた魔物達の咆哮により、多くの兵士が戦意を失っていた。奴の一撃にはそれと同じ、いやそれ以上の効果を付与することができるということか。攻撃を行った対象を強制的に無力化する力……技や魔法ではない、奴だけの力。剣を杖に体を起き上がらせる。ダメージはかなりのものだが、肉体的な破壊は受けていない。呼吸を整え、全身の魔力の流れに集中する。大丈夫だ、まだ動く。一定時間が経てばその効果は徐々に失われていくようだ。
「体の自由は奪えても……闘争心そのものは奪えないようだな」
「それは貴様が強者だからだ。並の者ならば死を免れたとしても心が折れるのだがな」
確かに厄介な力だ。効果が薄れていくとはいえ、体が震えている。戦う相手に震えたことなどいつ以来だろうか。過去の弱かった頃の自分を思い出すようで嫌になる。
「例え何度攻撃を受けようとも、私の騎士としての覚悟は揺らぐことはない!」
「ならばそれを証明してみせることだな」
緋の魔王が攻勢へと転じる。攻撃を受け止めることは避けなくてはならない。一撃でも受ければほぼ無防備な状態となり、次こそ確実に仕留められてしまうだろう。反撃の用意を捨て、回避に専念する。これならばどうにか攻撃を受けずに……!?空を切った斧の風圧が肌に触れると同時に、先程と同じような感覚が襲ってくる。肉薄するだけでも効果があるのか!?
「くっ!」
一気に距離を取り、続く攻撃をどうにか回避する。攻撃を受け止めることに比べればその症状は弱いが、あのまま至近距離で回避を続けていては間違いなく捕まる。攻撃を行わせては駄目だ。こちらから仕掛け、反撃をされる前に距離を取る。それしか手段が思いつかない。
「良い眼だ。その眼に宿る光、何時まで輝きを保てるか見せてみろ」
「このっ!」
緋の魔王の攻撃を大きく回避し、その硬直を狙って剣を振るう。しかしこちらの攻撃は完全に読まれており、斧で受けめられる。距離を作りながらの攻撃ではより簡単に防がれてしまう。いや、それだけではない。またしても力が入らない。
「防御されても――っ!?」
「無論だ」
緋の魔王が斧を振るう。不味い、回避が間に合わない。このままでは――
「たあぁっ!」
目の前にいたはずの緋の魔王が真横へと弾かれる。同時に全身に慣れ親しんだ魔力が浸透してくるのを感じた。この魔力、間違いない。
「ウルフェ!」
「イリアス、大丈夫!?」
応援に駆け付けたウルフェが迷うことなく緋の魔王へと殴り掛かっていた。突然の奇襲のおかげで緋の魔王は攻撃を止め、防御の姿勢を取った。しかし魔力を放出して繰り出されるウルフェの拳は不十分な防御の姿勢だった緋の魔王の体を動かしていたのだ。
「ああ、大丈夫だ。助かった」
「ししょーは!?あ、いた!ししょー!大丈夫ですか!?」
「大丈夫とは言えないが、まあ生きてはいる」
「彼は負傷しているが、今のところは命に別状はない。ただこの場から逃げられるほど、相手が甘くない」
ウルフェの攻撃を受けてもなお、緋の魔王の表情は崩れていない。だが僅かに防御に使用した斧を確認している素振りが見られる。
「この魔力量……。そうか、貴様がユグラと『碧』が作り出したという落とし子か」
「お前が……ししょーを……っ!」
「待てウルフェ!奴に不用意な攻撃をするのは危険だ!……いや、無事なのか?」
「……どういうこと?」
緋の魔王に殴り掛かったはずのウルフェには『闘争』の力の影響が見られない。いや、それだけではない。ウルフェの放出する魔力に触れた私の体も先ほどよりも随分と回復が早い。これはどういうことだ?考えを巡らせていると彼が声を上げた。
「イリアス、魔力放出だ!」
「――そうか!ウルフェ、試したいことがある。私が先に斬りかかる。もしも私の動きが鈍るようならフォローを頼む!」
「よくわからないけど……わかった!」
先程と同じように緋の魔王へと斬りかかる。造作もなく受け止められるが、その瞬間に剣の周囲の魔力を一気に放出し、距離を取る。体に異常は見られない、やはりそうか。奴の力は相手の魔力に干渉し、効果を発現させるもの。剣に帯びさせていた魔力を即座に放出してしまえば、奴の力が私の体に届くことはない。魔力の消費量が馬鹿にならないが、これなら十分に戦える。ウルフェの魔力で体調が回復したのはウルフェの魔力の性質故だろう。ウルフェの魔力は通常よりも他者に浸透しやすい。私の体の外側に浸食していた緋の魔王の魔力よりも奥に浸透したことでその影響を緩和してくれたのだろう。ウルフェの魔力が周囲に溢れることになれば、万が一にこちらの魔力放出が間に合わなくてもある程度の緩衝材となる。
「対策をされたことが一度もなかった故に、考えたこともなかったが……なるほど。そのような手があったか」
「ウルフェ、奴に触れられた場合即座にその周囲の魔力を外に放出しろ。あとはいつも通りに戦えば良い!」
「わかったっ!でもししょー、あんまり大きな声を出さないでください!ししょーの体が痛みます!」
「大丈夫だ!見栄で耐える!」
「それは大丈夫って言いません!」
ウルフェだけではない。彼もまた一緒に戦っている。満足に動けない体だというのに、少しでも私達が有利に戦えるようにと緋の魔王の力を分析してくれているのだ。そのかいもあって、兆しは見えた。
「三対一だが卑怯とは言うまいな、緋の魔王」
「ユグラの星の民を数に入れるか。頭は回るようだが一には程遠い」
「彼の知恵があれば私達は一以上の力を出せる。三でも足りないくらいにな!」
ウルフェと連携し、緋の魔王へと斬りかかる。互いに動きを理解しているので合図を待たなくても、自分の手足のように合わせることができる。緋の魔王の護りは堅いがそれでも先程よりも戦いやすくなっている。軽い攻撃では回避すらされなかったが、私がしっかりと踏み込んだ攻撃は防御をしていた。ウルフェの攻撃にも緋の魔王はしっかりと防御を行っている。これはつまり、私達の攻撃は命中さえすれば確実にダメージを与えられるということだ。魔王は魔物と違い人としての構造を持ち合わせている。急所に攻撃さえ入れば、一撃でも十分に勝機はある!
「はあぁっ!」
今まで以上に力を込めて剣を振るう。反撃の危険性が生まれる攻撃だが、その隙をウルフェが間髪入れず割り込むため緋の魔王の反撃はこない。ウルフェの攻撃も一撃一撃が魔力放出によって尋常ではない威力を持っている。下手に反撃を行えば先に直撃を受けるのは緋の魔王となるからだ。
「随分と思い切りの良い攻撃だが、その勢いは長くはもつまい」
「生憎と私もウルフェも魔力量は豊富な方だ。魔力切れを待つのは愚策だぞ!」
元々魔力を大量に放出しながら戦うウルフェは『闘争』の力が体に及ぶことはなく、その魔力量も豊富。私の魔力はウルフェに比べれば少ないが、剣に帯びさせた部分だけを放出することを意識すればその消費はそこまでではない。とは言えこのまま時間が経過すれば緋の魔王がウルフェの動きに慣れてしまうだろう。グラドナの師事を受けたことでウルフェの戦い方は読みにくい変則的なものとなっているが、対人経験の浅いウルフェはそれなりに癖などが見えてしまう。緋の魔王が見に回っている間にどうにか隙を突く必要がある。
「――ここだっ!」
ウルフェの攻撃が防がれた瞬間を狙い、魔力強化を限界まで引き上げる。今までの中で最も速く、強い一撃を正面から緋の魔王へと繰り出す。緋の魔王からすれば見えている一撃。しかしこれまで以上の威力が込められていることを理解しているのならば、当然防御せざるを得ない。剣と斧が激しくぶつかり合う。同時に魔力放出も最大に行い、魔力の圧力で緋の魔王の動きを止める。それはほんの一瞬に過ぎないが、その一瞬の動きを止められれば十分。
魔力放出を行い、空中で軌道を変え背後に回り込んだウルフェの拳が緋の魔王へと突き出される。緋の魔王は未だ私の剣を抑え込んでいる状態。もしもウルフェの攻撃を防御しようとすれば、その時はこの剣を一気に振りぬく!
「たああぁっ!」
激しい衝突音、緋の魔王の斧は動かないまま。これで倒れるとは思わないがまずは一撃――
「……惜しむべきは、魔王を前にした貴様らが未熟だったということだな」
「――ッ!?」
驚愕しているのは私とウルフェ。緋の魔王の姿勢は私の剣を受け止めたまま。背後から放たれたウルフェの拳には一切体を回す余裕はない。だがウルフェの拳は届いていなかった。ウルフェの拳は緋の魔王の頭部の少し手前で止まっている。
「――結界っ!?」
緋の魔王の後頭部周辺に見えたのはウルフェの拳を防ぐ結界。それも一層だけではなく、幾重にも重なった。
「騎士の女。貴様の剣に装飾されている魔封石の大きさは、剣の少し先までの魔法を打ち消す程度の範囲を持つ。剣を盾にすれば魔法を防ぐことができるぎりぎりの範囲だろう。それ以上の大きさになれば腰に剣を仕舞っている状態ですら魔法が使えなくなるのだからな。それに対し亜人の女の武器には魔封石の装飾はない。ならば貴様の剣は斧で防ぎ、後方から来る攻撃には結界を使用すれば良いだけのこと。無論一層程度ならば撃ち抜ける威力があることは理解している。故に十層の結界を使用させてもらった」
「後頭部周辺にのみ展開し、その狭い範囲だけを集中して守ったというわけか……!」
「貴様は亜人の女の動きが見切られる前に決着を付けようと思ったのだろうが、目測を誤ったな。亜人特有の動き、戦闘における癖、そんなものは魔王となる前から熟知している」
「ッ!ウルフェ、離れろっ!」
彼が叫び終わるよりも速く、緋の魔王が剣を抑え込む斧への力を込めたまま、宙にいるウルフェへの腹部へと蹴りを放つ。満足な受け身も取れず、ウルフェは近くの壁へと叩きつけられた。
「ウルフェッ!?」
斧に込められた力が急激に増し、圧していたはずの私の体が空中へと投げ飛ばされる。体勢を立て直し着地し、ウルフェの方へと視線を向ける。辛うじて動いてはいるが、明らかに立てそうな気配ではない。ウルフェは膨大な魔力量持ち、それにより高い機動性を持って強力な一撃を放てる。だがウルフェは相手の攻撃を回避する戦い方が主体、衝撃から肉体を護る術が未熟なのだ。『闘争』の力の影響を受けにくいとはいえ、私よりも遥かに力を持つ緋の魔王の一撃をまともに受けては……。
「貴様もそうだ。純粋な力や速さについては見事だと言ったが、所詮は戦乱の時代と比べ平穏に生きた者でしかない。どちらの攻撃にも重さが足りぬ。あわよくば斬れれば良いとしか思わぬ剣など、我が動きを止める一端にもならぬと理解しろ」
緋の魔王の斧に魔力が集中していくのが分かる。私自身が似た技を持っているから直ぐに分かる。次に繰り出される攻撃、それは間違いなく斧から大量の魔力を放出させる範囲攻撃。ガーネの門を破壊した一撃と同じものだろう。全身への攻撃ともなれば間違いなく防御しきれる範囲ではない。奴が斧を振るうのと同時に跳躍し、直撃を避けなければ。
「回避したくば、するが良い。だがその背後にいる者は無事では済まないだろうがな」
「――しまっ!?」
私が着地した位置の後方。そこには動けないままの彼がいる。この位置からでは彼と一緒に回避することはできない。私だけ回避をしようものなら彼は間違いなく死ぬ。対策を考えようにも、緋の魔王は既に斧を振るっていた。