そして名乗る。
俺は『蒼』の窮地に間に合うべく、限界の速度で空を移動していた。しかし村に残った俺と避難する村人の周囲を護衛する『蒼』の間はかなりの距離がある。『蒼』個人の戦闘能力は戦った俺自身もはっきりと分かるが、通常のユニーククラス相手でも苦戦するだろう。その中で緋の魔王の精鋭であり、超越たる『闘争』の力を受けた存在ともなれば勝機は薄い。ダルアゲスティアの護衛もそう長くは持たないだろう。
「もっとだ、もっと早く――ッ!」
突如空気を振動させる巨大な咆哮と、強大な魔力の動きを感知した。これは敵ではない。『蒼』の支配下にいる魔物のものだ。遥か先の戦場だというのに、肉眼で見える存在が現れている。その姿は間違いなくダルアゲスティア、しかしその大きさは捕獲した時に比べ遥かに巨大だ。
「まさか、あの時に話していたことを成功させたのか……?」
捕獲したユニーククラスの中で、最も戦闘能力が高かったのがダルアゲスティアだ。『蒼』はそのダルアゲスティアをデュヴレオリのように強力な個体にしようと試そうとしていた。しかし長い年月を生き続け自らも膨大な魔力を得ていたデュヴレオリに対し、ダルアゲスティアはユニーククラスに進化してからそう時間は経っていなかった。ダルアゲスティアでは『蒼』の魔力を十分に受け止めきれなかったのだ。結果妥協策としてダルアゲスティアを休ませる場所にスケルトン達の残骸などを運び、大気中の魔力を豊富にさせておくことで成長を促すことになった。死ねば塵へと還るスケルトン達の亡骸に魔法を施し、運ぶなどの手間はあるが過度な戦闘を避けつつ成長させることができるというメリットがある。気の遠くなるような時間が掛かるにせよ、俺達に与えられた時間は久遠。長い目で見ていけばいいと思っていた。しかし――
『それって外から魔力を一気に流し込められないのか?』
この同胞の一言で新たな模索を行うことになる。理論上では『殲滅』の力、死霊術の応用に近い形で周囲の魔力を集め、対象に付与することができるかもしれないと『蒼』は言った。だが今度はダルアゲスティアに与える魔力をどう供給するのかという問題が生まれてきた。魔物が成長するには同じ魔界で生まれた魔物の魔力を集める必要がある。試しに抱えている分のスケルトンの残骸を使用してみたが、ダルアゲスティアの成長はさほどと言った感じだった。『蒼』が算出したダルアゲスティアに必要な魔力の量は現在の『蒼』の持つスケルトン兵の半数以上だった。そこで『蒼』や同胞と相談した結果、今回の緋の魔王との戦いでスケルトン兵を余すことなく使い、残骸を増やしていこうという話となったのだ。
「ダルアゲスティアの進化は確実と見て良い。だがそうなると『蒼』の周りの兵は……っ!」
ダルアゲスティアが進化したということはその場にいる『蒼』がまだ無事だということ、そして周囲にいるはずのスケルトン兵は壊滅状態にあるということだ。あれほどの存在なら余程の相手には負けないだろうが、それでも急がねば。道中にいるはずの敵兵の数が随分と少ない。村での足止めが成功したのもあるが、恐らくは既に敵の主戦力と交戦中と見るべきだろう。
ダルアゲスティアは咆哮を上げ、地面へと攻撃を行った。その余波は空中を飛んでいる俺にまでやってくる。あれほどの大きさの魔物がユニーククラスの枠組みを超えると、これほどまでになるのか。これならばうまく連携さえ取れれば窮地は十分に――
「あ、エクドイク!遅かったじゃない!?早くこっち!こっち!」
遠くで叫ぶ声が聞こえてくる。いや、これでも限界速度で来たのだが……。ようやく『蒼』を視認できる位置まで辿り着き、即座に戦闘に入ろうと思った矢先。周囲の敵兵はほとんどが瀕死、または死んでいた。先ほどのダルアゲスティアの一撃はそれほどまでに強大だったようだ。これは……下手をすると俺でも勝てるかどうか……。遠くで早くこっちにこいと叫ぶ『蒼』の方へと寄る。彼女の両腕には一人の人間、俺の母親が抱きかかえられていた。
「これは……どういう状況だ?」
「ナトラさんが私を助けてくれたのよ。エクドイクと同じ『盲ふ眼』を使ってね」
「なんだと!?」
これまでの流れを『蒼』から聞かされる。このベグラギュドより受け継いだ力、血を分けた兄妹であるラクラが使えたのであれば母親にも同様の影響があるとは同胞から聞いていたが……。ただその容態がおかしい。眼から血を流していることについては眼球付近への魔力強化が未熟だったのだろうが、それだけではなさそうだ。
「どうも悪魔の魔力に浸食されているようなの。ある程度は吸いとったんだけど、これ以上吸っちゃうとナトラさん自身の魔力も枯渇しかねないの」
「なるほど。魔法の鍛錬をしている俺やラクラと違い、普通の人間が使えばこれほどの副作用が出てくるというわけか……」
「なに冷静に分析したことを喋ってるのよ!どうにか治療できないの!?」
「率直に言えば俺には無理だ。悪魔の魔力を完全にコントロールするにはガーネ側にいる紫の魔王の協力が必要だろう。だがこの容態では間違いなくもたない」
「あっさりと言わないでよ!?貴方の母親でしょ!?諦めるって言うの!?」
「別に諦めるつもりはない、『蒼』の治療の仕方は十分に効果がある。もう少し続ければガーネに運ぶまでの間の延命措置は可能だろう」
「だからこれ以上はナトラさん自身の魔力がなくなるって――」
「足りなくなるのであれば足せばいい。同胞の世界では輸血と言って失った血液を他人から分ける治療法があると聞いている。その要領で魔力を付与すれば悪魔の魔力を吸い取るだけの余裕も生まれるだろう」
同胞は回復魔法の恩恵を得られない。だからこそ自分が負傷した時のために周りの者に様々な医学知識を説明していた。この世界ではまだ技術的に不可能なことを成し得る文明の進んだ世界の叡智、それがこんな局面の打開策として思い浮かべられるのは同胞のおかげだろう。
「そ、それじゃあ早速――」
「待て、魔王の魔力を流しこんでどうする。悪魔以上に不味いことになるぞ」
「あ、危なっ!?じゃ、じゃあ貴方がやりなさいよ!」
「俺も魔族だ。落ち着け『蒼』。避難していた村人たちはこの先にいるのだろう?」
「え、ええ」
「なら彼らを護衛している聖騎士もいるはずだ。聖騎士ならば魔力もそれなりにあるだろうし、同じメジスの大地で生きている人間同士ということで拒否反応も起きにくいだろう。速度の出る俺が連れて行こう」
母親を『蒼』から受け取り、望遠の魔法で村人達のいる方を確認する。聖騎士らしい装備の者が数名いる。この数なら十分に治療ができるだろう。
「わ、私はどうすれば良いの?」
「治療を優先させる場合、村人達の避難を遅らせることになる。既にこの辺の勝負は決しているようだが、確実に敵を殲滅しておいてくれ。村の方にもまだ敵の兵力は残っているだろう。ラクラやギリスタ、ハークドックとの合流も忘れないように。このダルアゲスティアなら心配もいらないだろう」
「ロロオォン!」
「私の時と違って随分と甘えた声を出すわね、この子。ま、いいわ。それじゃあ行くわよ、ダルアゲスティア!」
ダルアゲスティアは咆哮と共に村の方へと進んでいく。動き自体はゆっくりだが、その巨体ゆえにかなりの速度がある。うっかり道中にいるハークドック達が踏まれないように連絡を入れておくか。鎖を介してラクラ達への状況報告を行いつつ村人達のいる場所へと到着すると、俺が抱えている母親のことを知っている村人や聖騎士が駆け寄ってきた。
「ナ、ナトラさん!?ああ、あんなところに一人で走って行くから……」
「聖騎士達を集めて貰えないか?今彼女の中には悪魔の魔力が侵食していて危険な状態だ。それを抜き取る治療のために協力して欲しい」
「治療って……この場でやるんですか!?」
「近くまで迫っていた敵なら既に遠くに見えるスケルトンドラゴンが蹴散らしている。余程のことがない限りここまで魔物が来ることはないだろう。仮に撃ち漏らしたとしても、あのスケルトンドラゴンの猛攻を潜り抜けられるのは数えられる程度だろう。それならば俺が片手間でも十分に戦える」
母親の容態は依然危険ではあるが、この場で処置ができるのであればまず問題はない。『蒼』を助けてもらった借りはどうにか返せそうだ。
「……無理だ。避難を止めることはできない」
「何故だ?アレだけの力を持つ魔物が味方にいるのだぞ、何を心配して――」
「どうして移動を止めるんだ!早く!早く逃げなきゃ!死んでしまうぞ!」
「もう嫌!あんな化物どもの近くになんていられない!早く聖地へ逃げましょう!」
「そうだそうだ!俺達を守ってくれていた魔物も皆突然死んじまったじゃないか!」
これは……村人達の表情を確認すると、誰もが余裕を失っている。失念していた、実戦経験はおろか戦闘訓練すら受けていない素人だ。そんな人間達が『闘争』の力で強化された魔物達の脅威に晒されれば、その精神的負荷は尋常ではないだろう。不利な状況を打開するためとは言え、『蒼』は村人達の警護に回していたスケルトン兵達をも自害させてしまった。残る聖騎士だけの護衛では不安が残るのも頷ける。ここで聖騎士達が無理に引き留めようとすれば、村人達は勝手に逃げ出し収集が付けられなくなってしまうだろう。
「この女性には真っ当な人間の魔力を付与し続ける必要がある。もしここで治療をしなければ恐らく助からない。見捨てるというのか?」
「我々とて、メジスの民の命は大事だ。しかし、ここで村人達がパニックを起こせばはぐれる村人達も大勢出てくるだろう。満足な物資もない状態で集団から離れれば命の保証もできない……」
どうする。村人を説得するか?いや、俺に彼らを説き伏せるだけの話術はない。いっそ力づくで……それでは今後『蒼』と人間との関係に致命的な溝が生まれてしまう。だが、避難先まで母親の体力が持つかと言われれば……無理だろう。一か八か、俺一人で治療をするか?しかし魔界の魔力は人間には毒となる。いくら血が繋がってるとはいえ、魔族の魔力では無事に済む可能性はほぼ……。こうなれば――
「私が、私が残って手伝います!」
こちらの悩みを断ち切るかのように聖騎士の一人が手を挙げた。兜から覗く顔はまだ若く、実戦慣れもしていないような感じの騎士だ。他の聖騎士の年齢を考えても最年少の人物だろう。
「メリーア、しかしだな」
「聖騎士としての風格のある先輩達が抜ければ村人達の不安も増すでしょうが、私は新米です!新米一人が残る程度なら先輩達の負担にもならないかと!」
「……だ、そうだ。こいつ一人でどうにかなるのか?」
「できれば数人は欲しいが……少し魔力の量を確認させてくれ」
メリーアという名の聖騎士の魔力を測定してみる。聖騎士になりたてとはいえ、十分に保有する魔力も多い。鍛錬をきちんと積んでいるのだろう。これならばギリギリでなんとかなるかもしれない。
「あ、あの。どうですか?」
「どうにかなるかもしれない。ただ、ギリギリまで魔力を貰うことになる。お前一人だと相当な負担になるぞ」
「問題ありません!聖騎士の役割は民を守る剣となること!そのために磨り減ることを厭うはずがありません!」
「わかった、早速準備に取り掛かる。他の聖騎士達は引き続き村人の避難を頼む」
この場を離れて行く村人達から視線を戻す。土魔法を使用し、簡易的なベッドを二台用意して片方に母親を寝かせる。もう片方にはメリーアに横になるように指示を出す。メリーアはこちらの指示に従い、装備していた鎧を急いで取り外していく。兜を脱ぐとメジス地方に多く見られる暗い紫色の長髪がその両肩に掛かる。
「……女だったのか」
「え、女性だと不味かったりしますか!?」
「いや……そんなことはない。俺の周りにいる女性は皆男よりも元気だからな」
あの女と比べればかなり真面目そうな印象を受けるが、鎧の下の軽装とその髪の色からつい過去のことが頭によぎる。頭を軽く振り、雑念を払う。並んで横になっている母親とメリーアの腕に鎖を撒きつけ、母親の眼の部分に手を当てる。鎖を介して魔力を吸収する魔法を使用し、メリーアの魔力をゆっくりと吸い上げ母親へと移動させていく。母親の体に十分に魔力が溜まり始めたことを確認し、手を使い母親の眼の周りの魔力をこちら側へと吸い取っていく。
「魔力を吸い取る魔法を二箇所、与える魔法を一箇所に……凄く器用ですね……」
「厳密に言えば二人の魔力量を随時確認し、母親の方の体に回っている悪魔の魔力を眼の方へと誘導する作業も同時に行っている。ついでに眼の付近に宿っている力を抑え込む封印魔法も構築中だ」
「……ひ、一人でそんなことができるんですか?」
「十や二十程度の同時発動なら問題ない。そろそろ体がきつくなるころだが、大丈夫か?」
「は、はい!これくらい鍛錬後と比べれば……あれ……力が入らない……」
自ら消費することと、奪われるのでは体が起こす反応に違いが発生する。後者では外敵からの攻撃であると体が過剰に反応してしまうことになるからだ。順調ではあるが、やはり一人分だけだと限界があるか。
「ここら辺が限度か。これだけ処置ができればきちんとした治療を行えるガーネまで運搬する時間をどうにか稼げるだろう」
「ま、待ってください!私はまだ大丈夫です!少しでも助かる可能性があるのであれば、続けてください!」
「既に並の人間なら衰弱死するほどに吸い上げている。人間には個体差がある、これ以上はお前の命も危険に晒されることになる」
「大丈夫です!気合で耐えます!」
「いや、気合とかでどうにかなる話じゃ――」
「気合で!耐えます!」
「……わかった」
覚悟を持った人間はこれまでに何人も見てきている。この若い聖騎士の覚悟もそう言った連中に引けを取らないものだ。ならば迷う必要はない。より母親を無事にガーネまで届けられる状態になるまで治療を進めていく。
「あっ……くっ……」
「体が危険を知らせるための痙攣が始まったな。奥歯を噛みしめろ。目も力一杯に閉じた方が良い」
「い、いえ……目を閉じるより……助けたい人を見ていた方が……やりきれ……ます!」
メリーアは首を傾け、母親の方を見続ける。ここまでくれば体が死を理解し始める。その感覚に呑まれればそのまま意識が落ち、一気に衰弱死してしまうだろう。メリーアの眼に視線を向けつつ、治療を進める。寒気を紛らわせるために彼女の体の周りを魔法で温め、意識が飛ばないように軽く痛覚を刺激していく。
「少し痛いだろうが、気つけだ。痛みに集中しろ」
「は……い……。もっと……強く……お願いしま……す」
「……わかった」
「――ぎっ!?」
メリーアの体が痛みで跳ねる。痛覚を感じる部分は皮膚や肉などに守られている。それを直接刺激されれば痛いのは当然だ。今メリーアが受けている痛みは並の拷問を遥かに凌駕するものだろう。それでも彼女は歯を食いしばり、耐えている。寒気を感じているはずの全身から多くの汗が流れ、体が不自然な痙攣を繰り返している。それでも目に宿る覚悟は揺らいでいない。
「……よし。十分だ」
メリーアのおかげで母親の体の中に浸食していた悪魔の魔力をほとんど吸い取れた。眼の周囲には力を押さえつける封印魔法を施しているのでこれ以上の浸食もない。体の中に残っている魔力も健康状態に近く、これならば命の危険性はなくなったと見て良いだろう。
「お……終わりました……か?」
「ああ。命に別状はなくなった。これならリスクのある治療を避け、安全に治療することができるだろう」
「よ……良かっ……た」
安堵するメリーアの方が母親以上に危険な状態だ。だがこの様子ならば数日ほど昏睡状態になる程度で済むだろう。ただ念のため避難先で他者の魔力を分けてもらうとしよう。
「感謝するメリーア。一人の村人のためにここまでできるお前は騎士として立派だと思う」
「ありがとう……ございます……。でも……それだけじゃ……ありません……。この人……貴方の母親……なんですよね……?」
「……ああ、そうだ」
「貴方は……母親と……村人達を天秤に掛け……母親を諦めようと……していた……。それって……あんまりじゃ……ないですか……。私達のために……戦ってくれているのに……そんな人にばかり……酷な思いを……させるなんて……」
メリーアが意地になって痛みに耐え続けた理由、それは俺が母親のことを口にしてしまったからか。国のために戦う部外者が、どうにか助けようとしている命を見捨てられずに一人で名乗りを挙げ、それがその部外者の肉親だと知ったからと言って拷問にも勝る苦痛を甘んじて受けたというのか。
「その心遣い、感謝する。このあとは二人を安全な場所に運ぶ。数日は目を覚ませられないだろうが、きちんと面倒を見れる人間を探しておくから安心して眠っているといい」
「はい……。そう言えば……お名前……」
「ああ、名乗っていなかったな。俺の名はエクドイク、エクドイク=サルフだ」
「私は……メリーア……メリーア=ペンテスです……」
Q:エクドイクの心情は如何なるものか。
27日予定の更新は風邪のため一日遅らせていただきます。