とりあえず、いや必ず。
少し胸糞注意。
ここ最近は筋肉痛で目覚める日々だったが、今回は頭の痛みで目覚めた。
「オババはもう呼んだのか?」
「ああ、間もなく来るだろう」
視界がおぼつかない。周りが騒がしい。
なんというか獣臭い。
「おい、目覚めたぞ。聞こえるか?」
誰かが近づく、誰だ?
記憶を遡る。バンさんと共に希少な森を発見して……それから……。
「聞こえているのかと言っている!」
「う……静かにしてくれ、頭が痛いん――だっ!?」
って、何だこいつら!?
その姿に驚き、意識がハッキリとする。
周囲を複数の人間に囲まれている。
だが今目の前にいる者達は人間のようで、人間らしからぬ容姿をしていた。
この世界では初めて見る黒い髪、赤い瞳、そして獣のような毛に覆われた耳にふさふさの尻尾。
尻尾……?
そういえばイリアスが言っていた気がする、この世界にはエルフと言った亜人もいるのだと。
言うならば彼らは犬、または狼が混ざった獣人なのか?
それ以前に両腕を後ろで縛られ、転がされていることを先に問題視すべきだろうか。
うーん、これはあれだ。
拉致という奴ですね。
「悪いが、現状を説明してもらえないだろうか」
「なんだこいつ、何を言っているんだ?」
「さぁ、何か喋っているようだが……」
おや?
なんだか奇妙な反応だ、これはひょっとして。
「言っていることが分からないのか? 害意はない。拘束を解いてもらえないだろうか」
「何かを訴えているようだが……」
「さっぱりわからん」
言葉が通じていない模様。ひょっとして憑依術が切れたのか?
捕まった時点では憑依術を使用されて六日目、気絶していた時間が一日近ければその可能性も高い。
いや、待て。こちらの言葉は通じないがこちらは向こうの言葉が分かっているじゃないか。
日本語というわけではない、それならこちらの言葉も通じるはずだ。
ええと、マーヤさんは憑依術について何と言っていたか……。
『名前はない術なんだけどね。精霊を一時的に憑依させ対象の意識を組み込み共通語に翻訳して発する。また受け取るときは相手の意識にあわせて伝わるようにする憑依術だよ』
とか、そんなところ。
ははぁ、なるほど。
こちらの言葉は共通語に翻訳されているが、受け取る立場では向こうの言葉をこちらが理解できるように翻訳がされているのか。
この憑依術は英語を話せるようになり、英語を聞き取れるようになるものではなく。
英語を話せるようになり、あらゆる言語を聞き取れるようになるものなのか。
思った以上に便利だけど、半端に使えないタイミングがあるのがなんとも言えないね!
「我らと同じ黒髪、だが一族の者ではない。よもや魔族か!?」
首を横に振っておく。
一人の男がそれに気付く。
「今、こいつ首を振ったぞ。言葉が分かるのか?」
頷く、周りも気付く。
「お前は何者だ、答えろ」
「言葉は話せない」
「何を言っているんだ? 我々の言葉が分かるならそれを話せ」
首を横に振る。
「ひょっとして喋れないのか?」
「そんなわけがあるか、言葉が分かるなら話せるはずだ」
首を横に振る。
「言葉が分かるのに話せないと言いたげだ」
頷く。
「うーむ、どういうことだ……嘘を吐いているようには見えんが……仕方無い、オババに任せるとしよう」
さっきも聞こえたがおばばとやらがこの村での長老のようなものなのだろうか。
幸いにも食人族のような有無を言わさぬ蛮族というわけではなさそうだ。
上手いこと意思疎通が取れれば、交渉の場に持ち込める可能性はある。
しばらくするとごてごてした装飾を身に纏ったご老人が姿を現す。
髪の色が幾分か失われているが、白髪というよりも灰色の髪色をしている。
「その子かえ、まだ子供じゃないかえ」
「狩りに出ていた者が見つけ捕らえたそうです。近くにもう一人いたらしいのですが気付いたときには姿を消していました」
状況説明ありがとうございます。
となるとバンさんはこちらが襲われた際に、上手く隠れられた可能性がある。
助けに来てくれる可能性は――まあ半分。残りは一度戻って応援を呼んでからの救援だろう。
バンさんの性格から考えればカラ爺辺りに助けを請う可能性は大いにある。
「それと、どうも我々の言葉が分かるようなのですが、知らない言葉でしか話をしようとしません」
「ふむ、妙な話だね、どれ見てみるとしよう」
通称オババはこちらの額に手を当てる。
この光景どっかで見た覚えがあるな、マーヤさんの時か。
「ほほう、この子は精霊を憑依されておる……なるほどならばこうして……」
オババの手が光り輝き、熱のようなものが頭の中に流れ込んでいく。
「どうかね、坊や」
「……憑依術に何か細工をしたのか?」
「喋った、喋ったぞ!」
どうやら意思疎通が可能になった模様。
「面白い魔法を作った者もおるようじゃな。しかし外に思いを吐き出す為の方法がわしらとは違うものであったからのぅ。わしの魔力を精霊に染み込ませたのじゃ」
「……副作用とかも弄れたりしないか?」
「そういえば妙に歪になっておった場所があったの。すまんがわしが弄れたのはそこだけじゃ。その魔法を掛けた者はとても優秀じゃ」
マーヤさん、そんなに凄いなら筋肉痛どうにかする方法を早くお願いします。
魔力を込めたと言う事は、もうしばらくは会話ができるということだろうか。その点では助かった。
「言葉が通じるなら話は早い。こちらは貴方達に害をなすつもりはない。聞きたい事があるなら答えられるならば答えるつもりだ」
そして彼らとのコミュニケーションが始まった。
彼らは『黒狼族』と呼ばれる一族であり、人間とは少し異なるらしい。
遥か昔に世界を恐怖と破壊で埋め尽くそうとした魔王から逃れる為、この隠れ森へ移住しその道を塞ぎ、今の今まで密やかに生きてきた。
というのが彼らのルーツだ。
こちらもそれなりの数の質問を受けた。
外からどうやってこの場所へ辿りついたのか。
もう一人の仲間はどこに行ったのか。
外の世界は今もなお滅んでいないのか。
知っている範囲で全てを答えた。
「もう魔王がいない……そんな馬鹿な」
「確証があるわけじゃない。だが遥か昔に姿を消してからは新たな魔王は見られず、今この大陸は人間達が国を作って生活をしている」
「あの黒魔王が……滅んだというのか」
その黒魔王、スライムに殺されたそうですよ。
とは言わないでおこう。
基本聞かれたことには正直に答えた。
バンさんのことも同様、まだ近くに隠れているのか、一度戻ったのか不明だから話しても問題はない。
「ただ仲間を見捨てるような人ではない。武勇に優れた人ではないので、人を集めて戻ってくる可能性は高い」
「なんと……それでは戦いになるというのか!?」
ざわめく若者達。
「いや、それは防げる。幸いにもこうして生きているなら助けに来た仲間を説得すれば穏便に済む話だ。こちらも勝手に森に入った落ち度がある」
「今すぐ解放しろとは言わないのかい?」
「それではそちらに不安が残る。安心できるようそちらの前で説得を行うつもりだ。そんなわけだからしばらく村に滞在させてもらうが構わないか?」
「――良かろう。だがついでの頼みごとを聞いてはもらえぬだろうか」
「内容次第だ。聞かせて欲しい」
「わしらはこの森に生きて長いこと外の世界との関わりを絶ってきた。じゃが一族は徐々に衰退する道を辿っておる……やはり狭いこの森で永久に生きていくことは難しいと感じておる」
「外の人間達との交流を希望したいわけか」
「然り。坊やは我らの言葉も、外の者の言葉も理解できる。その橋渡しを頼めないじゃろうか」
「それは構わない。元よりこの森の植物は貴重な物も多い。現地で動けるものがいるのならば支援する者も多いだろう」
先住民に対しての貿易は格差を感じるものがある。
しかしターイズ国、その商人であるバンさんを見る限りではそう悪いようにはしないだろう。
「ただし、全てを丸投げされるのは困る。橋渡しはするが交渉はそちらの代表に行わせてもらおう」
「うむ、では成立じゃな」
「オババ、本当によろしいので?」
「この者は何一つ嘘を述べなかった。信じても大丈夫じゃよ」
この人も嘘見抜けるタイプなんですか、何か技法とかあるんですかね?
こちとら騙されても良い様に立ち回るだけで精一杯だというのに、羨ましい。
「そういえばどれだけ気絶していたんだ?」
「僅かな時間だ。まだ日は暮れていない。その、すまなかったな」
どうやらこの男が襲った犯人の模様。
「いや、仮に話しかけられても意思疎通は難しかった。もう一人の相方のことを考えればそのまま二人で逃げ帰り、後日人を集めていた可能性がある。そうなった場合交渉がややこしくなる可能性もあった。そういう意味では悪いことばかりじゃない」
「そ、そうなのか」
「代わりといってはなんだが、この村の生活などを見せてくれ。こちら側の理解を深める為にも必要なことだ」
そして村の中を案内してもらうことになる。
やや時代遅れを感じさせる家々が並んでいる。
少し離れた場所には畑もあるようだ。
中央の広場のような場所には人が集まっており、今日収穫した果物や獣などを分け合っているようだ。
「囲まれた森だと言うのに獣は狩れるんだな」
「獣は山を越えられる。時折降りてきては家畜を襲うこともあるから毎日森の探索は怠らない」
なるほどな。
と、木製の道具がぶつかり合う様な音が聞こえる。
広場の傍で男達が木の棒を手に訓練をしている。
その動きは山賊よりも遥かに速い。
騎士と比べると――柔軟さはあるが技巧面では劣っているように感じる。
「獣相手ならそこまで訓練する必要もない気もするが」
「いつ魔王の軍勢がやってくるかも分からない。だから俺達は日々戦士としての鍛錬も忘れない」
そういえばそういう村だった。
隔絶された村だが、人口は百よりも多そうだ。
時折こちらを興味深そうに見つめる者達がいるが、その眼は恐怖心や不安というよりも好奇心に満ちた目が多い。
「その割には外から来た人間に対して寛容なんだな」
「それは既に村に事情が伝わっているからだ」
全員がご近所付き合いレベルというわけか……。
人口が増えれば増えるほど、人間は他者と積極的に関わろうとしなくなる。
当然ながら全ての人間が自分の人生に関わるわけではないのだ。
しかしこの規模の村になれば出会う人間の数は有限、数えられるほどに落ち着く。
だからこそ互いのコミュニケーションは必須となり、一蓮托生の一族として生きていける。
これはこれでありなのだろう。
人付き合いが苦手な身としては耳の痛い話になりそうではあるが。
その後、案内役に連れられ村の中を転々と見回り、大まかな情報を得ることができた。
そして村の入り口を最後に案内してもらった。
既に空は真っ赤、外を案内してもらうことはできないだろうし、逃げられる心配をさせるのも酷な事だ。
さほど興味を示さないようにして大雑把に見て回る。
「……ん?」
ふと、入り口傍に子供達の姿が見える。
騒いでいるやんちゃ坊主達は石や木の枝を拾い集め、入り口の外にある何かに投げ入れて遊んでいる。
ゴミ置き場か何かなのだろうか、それにしては人が入れそうな形をしている。
小屋と呼ぶにはあまりにも歪で、木々や藁を適当に組み合わせただけの瓦礫のような感じだ。
「あそこは?」
「ああ、あそこには近づかない方が良い。呪われてしまうかもしれねぇからな」
「呪われるって、なにか危険な物でもあるのか?」
「ああ、あそこは『忌み子』の巣だ」
忌み子?
そう思ったとき、何者かがその中から姿を現した。
最初は浮浪者や海外で見る貧困に苦しむ人を連想する姿に、嫌悪を覚えそうになる。
しかしその全貌を見た時、その姿に美しさを感じ、思わず息を飲んでしまった。
整えられておらず、ぼさぼさに伸び放題でありながらも、透き通るかのような純白の髪。
服とも呼べないボロを身に纏い、全身は泥で汚れていると言うのにそこから覗く白い肌。
形こそ黒狼族の者達と変わりが無いが、黒に染まらぬ白さを持った少女がそこにいた。
「あれが……」
忌み子と呼ばれた少女は恐る恐る子供達の方を見る。
すると子供達は大声で叫び、石や棒を投げつける。
少女は慌てて瓦礫の中へと引っ込んでいった。
そして聞こえる子供達の笑い声。
それだけではない。周囲にいた大人達も笑顔で子供達を見守っている。
なんだ、これは。
視界がぐらつく。
村人の笑顔が、気持ち悪い。
この感覚を知らないわけではない。
ああ、これは日本でも味わったことがある……。
「さあ、もう戻りましょう。日も暮れます。」
「――なんであの少女はあんな場所にいるんだ」
「なんでって、忌み子だからですよ。あの姿を見たでしょう?」
案内役の男は不思議そうに顔を傾ける。
眼を閉じ、息を吐く。
こいつは何も理解していないだけだ。
ならば話を聞くべきはこの男ではない。
もう一度視線を瓦礫へと向け、オババの元へ向かった。
「村の様子は見て回れたかえ?」
「ああ、それで一つ聞きたい。忌み子と呼ばれている少女のことだ。何故あの子は忌み子とされている」
「あれは呪われた子じゃ。あの特異な姿を見たであろう。老いたものは髪の色に白が混ざる。だがわしのような年寄りでもこの程度。あれの髪は死を連想させる不気味さを持っておる」
反論したい気持ちを抑え、その先を促す。
「黒狼族の親を持ちながら突如あれは生まれた。あれが生まれたとき、母親は命を落とした。育てようとした父親も数日と経たぬうちに獣に不覚を取り、帰らぬ者となった。不気味に思い、森に置き去りにした次の日には周囲の草木は枯れ果て、捨て置くこともできなかった。戦士がその命を絶てば、その者に呪いが降りかかるやも知れぬと命を奪うこともできなかった。それゆえに村の外にて生かし、この村に入り込む災厄を引きうける宿命を与えたまでのこと」
「不吉だから厄除けに使おうってことか」
「それ以外に使い道はないのでな」
気に食わない。だがその気持ちを吐き出して良い場所じゃない。
立ち上がり、家を出ようとする。
「あれに関わりなさるな。坊やにも災厄が降り注ぐであろう。それにもう夜は遅い、村の外の安全は保障できぬ」
「この村から離れるつもりは無いから安心しろ。そしてこの眼で確かめさせてもらう」
「好きにするが良い。その眼で見れば分かるであろう」
返してもらった松明を片手に村の入り口までたどり着く。
流石にこれを持ったまま入れば火災になりかねないので消火する。
この月明かりならそう困ることも無いだろう。
瓦礫の入り口らしき場所へ進む。
臭う。生ものが腐ったようなゴミ溜めのような臭いに鼻が曲がりそうになる。
足元には動物の内臓や、汚れた果実が転がっている。
夕方に分配したであろう食事の残りをここに置いていったのだろう。
それでも足を止める理由にはならない。
瓦礫の中を覗き込む。
そこに少女はいた。
敷かれた藁の上、穴の空いた場所から月を眺めている。
月明かりも少女を照らし、その白い髪と肌は発光しているかのような輝きを放っていた。
その姿は初めてこの世界に来て感じた幻想的な光景にも劣らないものだ。
「おい」
「――ッ!」
と声を掛ける、その瞬間少女はこちらに気付き叫び声を上げた。
言葉にならない声をあげ、首を左右に振りながら瓦礫の奥へと後退さる。
怯えた眼には、涙が溜まっている。
「大丈夫だ。何もしたりしない」
声を掛けるが少女は言葉にならない声を出し続け、こちらから離れようとしている。
いや、違う。
オババは何と言っていたか、この少女の両親はこの子が生まれてすぐにどちらも死んでいるのだ。
そして今まで交流を避けられて生きていた。
怯えて話せないのではない。言葉を知らないのだ。
この子も黒狼族なのだから、言葉が通じると思っていたのが浅はかだった。
ここに来て憑依術の欠点が浮き彫りになった。
この魔法は家畜に対して使い、『言葉を理解させ』『意思を言葉にする』効果がある。
だが言葉を知らない者が相手ではそもそも理解するものが無い。
こちらの意思を言葉にしようともその言葉を知らないのだ。
この少女に憑依術を使えば意思疎通はできただろう。だが使われている立場では応用は利かない。
なんてもどかしい。これでは意思疎通なんて……。
「そうか……」
そこまで考えて少女の震える理由が分かった。
この少女は生まれてからずっと、このもどかしさを味わっていたのだ。
わかるのは村の連中が自分を嫌っていること。
何かを言われても、それが何を意味しているかなんて知らない。
ただその後に迫害を受け続ける。
何故こんな扱いを受けるのか、何故生かされているのか、そんな事を知る術も無く。
ただ怯えて生きていた。
だから声を掛けられるだけで、震えるほどの――
少女は距離を取るが逃げない。逃げられないのだ。
足には鎖が付けられており、その先にある巨大な杭へと繋がっている。
擦れただけなのか、それとも何度も逃げようとしたのか、足には夥しい血の跡が滲んでいる。
人として扱われていない。家畜ですらない。
眼が熱くなる。視界が滲む。
この少女が味わった苦しみの全てを理解なんて、できやしないだろう。
それでも少女の凄惨な過去が浮かび上がるかのように、伝わって来るのだ。
涙が、止まらない。
堪えきれず、距離を取ろうとする少女を抱きしめる。
硬直し、喚きながらもがく少女の体は冷え切っている。
「寂しかっただろう、辛かっただろう、怖かっただろう、ふざけるなよ……誰にだってお前をこんな生き方に追い遣る資格なんて無いんだ。訴えたかっただろう、もどかしかっただろう、助けすら求められないこの世界で、たった一人で……くそったれが!」
子供のように泣かなくなったのはいつ頃だったのか。
世界が乾燥しているように感じた頃には、もう泣く事の労力すら惜しむようになっていた。
世の中には叶わない事もある。叶ったかもしれない事もある。
もしかすれば自分にしか叶えられなかった事もあったのだろう。
それを、そういうこともあるよなと割り切ったフリをして、済ませたつもりになっていた。
自分にできる範囲で強くなれば良い、無難に生きられたならばそれで良いと。
そんな無意識のうちに作っていた壁をこの少女が打ち砕いた。
心の奥底で蓋をして、抑制していた行き場の無い怒りや悲しみが溢れ出す。
少しでもこの少女の代わりに涙を流してやりたい。
辛かったのだと世界に訴えてやりたい。
それに意味が無くとも、偽善だと言われようとも。
「うあ、ああ、あああああ!」
少女を抱きしめ嗚咽する。
少女は恐怖しながらもその様子を見て、反応を変え始めた。
こちらが泣いていることを、叫んでいることを理解したのだろう。
そのことだけは少女も知っている事だ。
だからそれにつられて少女も声を上げる。
涙を流し、共に泣いた。
◇
「亜人に坊主が捕まったじゃと!?」
バンは彼が拉致された際に救助を試みたがその数、実力差を見積もった後、急ぎターイズへ帰国した。
一人二人ならば無理をしてでも助け出すつもりはあったが、あまりにも数が多すぎた。
すぐに処刑されるような気配は無いと判断し、救援を呼ぶ選択をしたのだ。
そしてその相手は彼のことを知っており、バンとも交友の深いカラギュグジェスタ=ドミトルコフコンその人だ。
経緯を説明するや否や、カラギュグジェスタはすぐさま飛び出し、ラグドー隊に声を掛ける。
即座に集まれたのは十名、だが十分な数である。
村の人口はおよそ百、その中でまともに戦えそうな者は半数といったところだろう。
通常の騎士団なら心配もあるがラグドー隊ならばその欠片もない。
「よし、いくぞい!」
「そういえばラグドー卿への報告は――」
「そんなもん後でええ! 坊主の命が最優先じゃ!」
別に上司に止められるのが怖いわけではない。
ラグドー卿ならば間違いなく救援の部隊を編制しろと言うだろう。
むしろ悠長に報告などすれば叱咤されるに違いない。
城門を飛び出し、馬に乗って駆け抜ける騎士達とそれに続くバン。
「こんな時にイリアスが非番で捕まらんとは……!」
「一応私の部下にイリアス様を捜索し、事情の説明をするよう手配しています」
「なら良い。イリアスなら自分の足で馬より早く来るじゃろうて!」
カラギュグジェスタはユグラ教に属しているが、普段からの信仰は薄い。
だが今ばかりは祈らざるを得なかった。
彼は機転が利く。だがその弱さは一級品だ。
「坊主、無事でいるんじゃぞ……!」
◇
ひとしきり泣いた後、少女を抱きしめっぱなしだったことに気付き解放する。
「あー、無様な姿を見せた。悪い」
言葉が通じなくとも、意思を向けることに意味はあるはずだと言い聞かせ少女に語りかける。
すると少女は首を振った。
首を振ったのだ。
「……今、首を振ったのか?」
今度は頷いた。
「言葉が分かるのか?」
頷いた。
そして言葉にならない声であうあうと、呻く。
――理由を考える。
この少女は言葉を知らないはずだ。
だが突如こちらの言葉を理解できるようになった。
同じ症例を過去の記憶から探る。
少女を観察する。
そして少女の髪に手を伸ばす。
少女はもう怯えた様子は無く、その様子を静かに見つめている。
手に触れた少女の髪は長いこと洗っていないのだろう。
ごわつき、皮脂で汚れ、ふけだらけだ。
だが、それでも月夜に照らされている髪は発光しているように――
いや、発光しているのだ、脚色抜きに。
今までの記憶と経験から頭の中に一つの推測が浮かんだ。
確証はないが、それであっているのだろう。
少女はこちらを興味深そうに見つめている。
それもそのはずだ。言葉もしらない少女に突如意思を伝えられる相手が現れたのだ。
幸運だったのは、この少女は首を振るというアクションを知っていると言うこと。
恐らくは村人達の様子を観察し、その意味合いを学習していたのだろう。
この場所に入ったときも首を振っていたのを思い出した。
何も教わらなかった少女が、必死になって覚えたのがこれだ。
唯一の自衛の方法として。
少女の肩を掴む、驚いた表情を見せる少女に続けて言う。
「この村から出たいか?」
その問いに少女は暫し固まったが、やがて頷いた。
無論、少女の返答など聞かずともここから救い出すつもりはあった。
だが今の少女はこれまでの人生によって、拭いきれないトラウマを抱え込んでいる。
強引にここから救い出すだけでは、きっと残りの人生にもその傷跡が付いて回る。
それを払拭する為には、この子の手でトラウマに打ち勝つ必要がある。
ここに来るまでの間、その方法は浮かばなかった。
意思疎通ができないと知ったときは強引でも良いと思った。
しかし、今この少女は意思を示せている。
何か良い方法は無いものか、かすかな望みは見えないわけではないが確実性が欲しい。
「静かに」
と、突如背中から声が聞こえた。
心臓が口から飛び出るかと思うほどに動揺してしまう。
誰が、一体いつからいたのか、さっきの言葉を聞かれてしまっていたのか!?
……いや、この声は。
「脅かさないでくださいよ、バンさん」
振り返るとそこにはバンさ――誰!?
いや、良く見ればバンさんだった。
バンさんの格好はファンタジー世界でよく見る盗賊の格好である。
山賊達に比べ、いくらか高級感のある服装だ。
「助けに参りました。これから潜伏しようと思った矢先にここからその……男泣きの音が聞こえまして」
聞かれてたあああああ!?
年甲斐も無く泣き叫んでしまったのが知人にばれてしまった!
こ、これは消すしかない、いや落ち着けせっかく助けに来てくれた人を亡き者にするのは――
「な、内密にお願いします」
「それはそうと、既に森の外にはカラギュグジェスタ様たちラグドー隊が控えておられます」
「流石、早いですね。イリアスも来ているので?」
「それがイリアス様は急遽非番となり、足取りが追えず……きっと今頃は部下が伝えてくれていると思われますが……」
それはそれで良かったかもしれない。
イリアスなら正面から乗り込んで、今頃大騒ぎな気がする。
「それでは脱出しましょう」
「いや、待ってください」
と、バンさんを呼び止め、黒狼族との話を伝える。
「なるほど、既に向こうは和平と交易に応じるつもりだと……それなら明日にお迎えにあがった方がよろしそうですね」
「ええ、カラ爺達には夜の間待ってもらうことになりますが……」
「わかりました。洞窟にて待機しておくようお願いしてまいります」
本来ならば心配して来てくれたカラ爺達を安心させる為にも、早くこの村を出るべきなのだが、バンさんとしてはその先の事も見据えたいと思っている。
故にこの提案はすんなり通った。
「それと、皆さんにお願いしたいことがあります」
「何でしょうか?」
「この少女の事で……おーい、怖くないよー」
そういえば突如現れたバンさんに意識が向かっていて、少女のことをすっかり忘れていた。
少女はバンさんに怯えて部屋の隅で震えている。
「盗賊スタイルは受けが悪いのでしょうか?」
「いえ、実はですね」
少女の経緯を話し、この少女をこの村から独立させたいという話をする。
「お、おおおおん!」
バンさんも泣いた。
良い人だ。
「そうだったのですか、なるほど良く分かりました。恐らくカラギュグジェスタ様にも説明すればきっと協力してくださることでしょう!」
「はい、それでバンさんにはまず確認して頂きたい事が――」
バンさんが現れたことで、頭の中で保留にしていた案が現実味を帯びてきた。
そしてバンさんの太鼓判によりその計画は明日実行されることになる。
そろそろ戻る必要がある。少女に抱きついていたせいで服もかなり汚れ、臭いも酷い。
たしか水場があったからあそこで綺麗にするか。
去ろうとすると少女がこちらを見つめている。
不安を訴えるその目をまっすぐ見据えて笑う。
「大丈夫だ、必ずお前を自由にしてやる」
無難に生きることが癖になってからと言うもの、どこか一歩引いた位置を好むようになっていた。
目立つことを避け、動くにしても誰かを前に押し出すようなスタンスをとっていた。
きっとカラ爺やバンさんでもこの少女を救うことはできるのだろう。
むしろ確実性を取るならこの二人に任せるのも手だ。
だけど思ってしまったのだ。
決意してしまったのだ。
この少女を助けたい、他ならぬ自分の手で、と。
無難に生きるという道からは外れるのかもしれない。
いや、そうでもないか。
自分にとって後悔のしない道を選ぶことも、心の安定を保つ無難な選択肢なのだ。
だから今回ばかりは普段から避けていたこの言葉を言おう。
「『俺』がお前に自由を与えてやる」
一人称を言葉に込めて、少女に誓ったのだ。