そして選ぶ。
「それでハークドック、上手くいったのか?」
「おう、会いたいって気持ちを変えることはできなくても、素人じゃ会える相手じゃねぇってのはしっかり認識させてやったぜ?」
ハークドックの様子からして、段取り通りに事が済んだようだな。綿密に話し合った甲斐があったというものだ。
「そうか、助かった」
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
ハークドックのために部屋の奥に隠れている『蒼』の声が響く。直視さえしなければ会話ができるのは非常にありがたい。
「ああ心配すんな。でもナトラさんな、ラクラの方と接触しようとしていたぞ?」
「そうきますか……それでどう対処したのですか?」
「俺としちゃあモルガナにツテはねぇからな。いやまあお前がいるけど。ユグラ教の連中ってのはそこそこ冒険者登録してるからな、適当にモルガナに登録している奴を見つけて会ってやって欲しいって丸投げしておいた」
「そうですか。そもそも私、モルガナとしての仕事は全くしてないのですけどね」
ラクラやウルフェがギルドに加入したのは、ラーハイト達に協力していたジェスタッフ達の素性を調べ上げるためだ。二人の実力ならそれ相当の依頼を受けることも可能だが、今のところ冒険者として生計を立てるつもりもないだろう。
「そう言えばラクラぁー。貴方の知り合いが顔を見せたいって言ってたわよぉー」
「はて、誰ですか?」
「ええとぉー、忘れちゃったわぁー」
「忘れちゃダメじゃないですか!?」
「メジスから手配されてる立場だからって睨まれたのよぉー。ただ旦那さんとも面識のある人ねぇー?」
「はて、尚書様と縁のある人……結構限られると思いますけど……ウッカ様でしょうか?」
メジス出身のラクラならばこのメジスで顔はある程度知れ渡っていることだろう。だが同胞とも関りがあるとなるとその可能性は高い。エウパロ法王や聖騎士団長のヨクスならばギリスタが名前を忘れるということはないだろう。
と、その時丁度扉をノックする音が響く。同時に女性の声が聞こえた。
「ラクラ、いるかしら?」
「おや?聞き覚えのある声が……ああ、あの人ですね。はーい、いますよー今開けますー」
「ん?なんか聞き覚えのある声が……あれ?でもそれって……あ、ちょっと待――」
ラクラが扉を開ける。そこにはユグラ教司祭の服を着た女と一人の村人の女性らしき……いや、この顔立ちは……。ラクラ、ハークドックが見事に固まっている。
「マセッタさんに――お母さん」
「ラクラ……よね?」
鈍い音が後方から響いた。恐らくは『蒼』の出した音だろう。まるで自ら壁の柱に頭突きでもしたかのような、それでいて角でも刺さったかのような音だ。
「……はい。そうです」
「それに……そっちにいるのはひょっとして……エクドイク?」
流石にこのタイミングで姿を消すのは無理がある。当然俺も視界に捉えられている。
大よその展開は理解できた。恐らく目の前にいる司祭、マセッタがラクラの知り合いで、ギリスタと接触した女なのだろう。そしてハークドックが適当に見繕った相手と……。
ハークドックに視線を向けると、こっそりと奥の部屋に逃げようとしている。なるほど、奴も全てを理解したようだ。だがその移動途中で伸びてきた『蒼』の手に掴まれ、悲しい声と共にぐったりと部屋の奥へと引きずられていった。
さて、嘘で誤魔化すことを試すこともできるが、恐らくあの顔は確信している目だ。理由は何となくではあるが察することができる。
「――そうだ」
「ああ、なんてこと……本当に、本当に生きていてくれたなんて……」
母親の目尻には僅かに涙が溜まっている。人の嬉し涙というのは初めて見るが……何とも言えない気持ちにさせられる。しかしこの中で最初に動いたのはラクラだった。マセッタと母親を無視し、外へと出ていこうとする。
「それでは私はちょっと出かけてきます」
「ちょ、ちょっとラクラ!?貴方の母親が訪ねてきたんでしょ!?話くらい――」
「そう言われましても。特に話したいこともありませんし」
「待って、私は貴方と話がしたいの!」
「謝られたくないので。それでは」
ラクラは表情を変えることなく、この場を離れていった。有無を言わせず、これ見よがしな無視に近い。普段のラクラが取るような行動ではなく、マセッタもその異質さに何かを感じ取ったのか止めようとすらできなかったようだ。恐らく説得は難しいだろう。こうなった以上は俺がどうにかしなくてはならないな。
「……母よ。こういうわけだ。ラクラも俺も母がいると聞かされたが、二人で会わないようにしようと決めていた。だからハークドックや『蒼』にはそのために誤魔化させてもらっていた。その点に関しては謝罪する」
「エクドイク……」
「だがこうなった以上は仕方ない。俺だけでも話くらいは聞こう」
母親を居間へと招き、座らせる。マセッタはラクラを探しに行くと言い、この場を離れた。ギリスタも気づいたら姿を消していた。残ったのは俺と母親、そして気まずそうな顔をした『蒼』の三人。ハークドックは恐らくどこかの部屋に転がっているのだろう。
沈黙が重いと感じることは時折あるが、自分がその中心となるのは初めての感覚だ。とりあえず俺からでも話を振るとしよう。
「俺が息子だと気づけたのは、俺に父親の面影でもあったか」
「ええ、特に目元がお父さんそっくりよ」
「父は生きているのか?」
「……貴方を連れ去られた日に、悪魔に殺されたわ」
「……そうか」
そんな予感はしていた。もしも産みの父が生きているのであれば、多少過酷な状況でも協力することができる。ラクラを孤児院に預けようとは思わなかっただろう。
育ての親であるベグラギュドを殺された時と比べ、これといって何も感じることができない。薄情……いや、ベグラギュドから植え付けられた人間への憎悪を考えれば、喜びの感情を持たないだけマシなのかもしれない。
「今は冒険者をやっているのね?」
「そうだ、と言いたいが今は同胞と共に行動をしている」
「同胞?」
「今はメジスにはいない。ガーネの方で緋の魔王の軍勢に対抗する手段を模索している」
「そうなの……危ない仕事なのよね?」
「どうだろうな。今も前線で敵を牽制している兵士に比べれば敵との遭遇率は低い。いざという時は戦うがな」
実力だけで言えば俺達を前線に送り、戦わせた方がより多くの敵を倒せることは言うまでもないだろう。だが同胞は俺達を消耗品のように扱う真似は絶対にしない。
「その……悪魔に連れ去られて、悪魔に育てられたって聞いたわ……」
「ああ、村を襲った悪魔達を統べる大悪魔、ベグラギュドによって育てられた。我が身可愛さに生贄として差し出された供物、故に人間を恨み、殺す道具として。エクドイクと言う名前もベグラギュドによって付けられたと信じていた」
「それは違うわ!貴方の名前は父さんが付けてくれたのよ!」
「嘘を吹き込まれたことは既に知っている。だが少し前までそう思い込まされていたのは事実だ。だがそのベグラギュドは倒され、俺は人間界に潜り込んだ」
同胞の元につくまでの経緯を簡単に説明する。既にマーヤから大よその話は聞かされていたのだろう。驚く様子はほとんどなかった。ただラクラと殺し合った点だけは驚いていた。
「ああ……兄妹で殺し合うなんて……酷い」
「当時ラクラには俺を殺す気はなかったからな。俺が一方的に殺意を抱いていただけだ。だが負けたおかげでラクラも俺もこうして生きている」
「ラクラも……そんなに強くなったのね……でも二人には危険な戦いはして欲しくないわ」
「悪いがそれは叶えられない。例え俺の人生が残酷で惨めなものだとしても、俺はそれまで生きてきた。力を育んできた。今俺にできることをしなければ俺は今までの人生全ての価値を失うことになる。それには耐えられない」
同胞が同じことを言ったとしても、俺は戦いを受け入れる道を歩くことになるだろう。今までに磨いてきた技術、経験があってこその自分だ。更なる高みを目指すのであればその土台を捨てることはできない。
「強く……育ったのね」
「いや、少し前までの俺は自らの価値を失わないようにと強迫観念に追われていた。それを同胞が導いてくれたおかげで今の俺がある。俺はその恩に応えたい。そしてその先に進みたいと思っている」
「……もしその恩を返して貴方が満足したのであれば、その時は……戻って来てくれないかしら?」
そうくるか。心なしか『蒼』が震えた気がした。しかし俺としてはその提案に乗るわけにはいかない。
「それは約束できない。俺もラクラももう大人だ。それぞれの生活がある」
「そうよね……本当に……悪魔が憎いわ……魔王も……」
今度は間違いなく『蒼』の動揺を肌で感じることができた。顔色も悪い。だが母の怒りも理解できないわけではない。悪魔に夫の命と息子を奪われ、村を追われたせいでラクラをも失うことになったのだから。大切な子、そして夫を奪った悪魔、それを生み出した魔王への憎しみが物悲しい表情の下から湧いて出てくるのを感じる。
「魔王も元は人間だ。肉体は変われども、人の心は持っている」
「そんなこと、信じられないわ!魔王は化物よ!?」
この反応は予想できていた。悪魔に育てられた俺ですら魔王は人ではないと思っていたのだから。だがこれで良かった。踏ん切りも付いた。
「そうか。ならなおさら母と共に暮らすことはできない」
「……どうして?」
「俺は今同胞と共に戦っている。その同胞は魔王ですら仲間として認めているからだ。メジスが以前公表しただろう。ユグラの生まれた星の民が魔王を抑え、中立状態にしたと。同胞がその男だ」
「……え?」
「その中には紫の魔王、メジス魔界を生み出し悪魔を生み出した者もいる。俺は紫の魔王とも共闘している」
魔王復活の事実は広まっていても、今回の戦争で俺達がどのような存在なのかまでは詳しく広まっていなかったのだろう。無暗に広めれば私怨に塗れた者が妨害をしに現れる可能性もあるわけだからな。
夫を殺し、息子を奪い、娘を手放さざるをえなくした悪魔、それを生み出した者。母に紫の魔王を許せとは言えない。故に相容れぬ関係であることは避けられない。
「そんな……ダメよ!エクドイク!貴方はそんなところにいちゃ――」
「俺だからこそいられるんだ。そして俺ももう人間ではない」
「それはどういう――」
俺は『蒼』の肩を抱き寄せ、母を見据える。男と比べ小さく細い体。僅かに震えているのも肌で感じることができる。
「俺は魔族になった。この蒼の魔王の魔族にな」
「蒼の……魔王……!?」
「俺はこいつと共に生きると誓った。共に生き、人生に価値を求めるために。これは俺が自分で考え、自分で選び、自分で進んだ道だ。母よ、貴方に魔王を許せと言うつもりはない。憎んで然るべきだろう。だがだからこそ母とは共に生きていくことはできない。俺は最期の時までこの魔王の傍にあり、味方でいるのだから」
その後、母は何も言わずにこの家を去った。その表情には怒りや憎しみなどはなく、ただ茫然としただけの虚ろなものだった。
傍にいる『蒼』を見る。震えは止まっているようだが、何と言葉を掛けるべきか……。
「その……なんだ。結局全て明かしてしまったな」
「……の」
「……なんだ?」
「……この、馬鹿っ!」
突然の頭突き、いや、どちらかと言えば額の角を上から叩きつけられたと言うべきか。衝撃はなかなかのものだが、そこまで痛いというわけではない。顔色は悪いままだが、明らかに怒っているのは理解できる。
「いや、しかしだな。生半可に隠し続けるよりも――」
「貴方はどうしてそうなのよ!?自分の人生も、本当の家族も、躊躇なく切り捨てるような真似をして!それでいて何で平然としているのよ!?」
「……それなら簡単だ。俺はお前と共に歩む人生を選んだ。それが俺にとって最も優先すべき、守るべきことだからだ」
「私にそんな価値があると思っているの!?自暴自棄になって、人を止めて、世界を滅茶苦茶にして、多くの人間を殺して、その魂すら辱めて、貴方のお母さんの言う通り化物なのよ!?」
「――それを言えば俺も既に立派な化物だ。人を殺すためだけに生き、人であることでさえ自分の欲のために捨てた。だが後悔はない。少なくともそれだけの価値がお前にあると信じている」
「そんなのあるわけが――」
「なければ生み出せばいい。いや、生み出して欲しい。今すぐには無理でも、俺達には時間はいくらでもある」
もしも『蒼』と出会うことがなければ、俺は人間として母と再会し、母を受け入れていたのかもしれない。だが俺はあの時、『蒼』に死を望んで欲しくないと心の底から思った。だから今の結果には満足している。
「ほんっとうっ、どうしようもなく見境がないのね!」
「……そうだな、すまない。もしも改善して欲しいと言うのであれば、時間をくれ。善処する」
「そんな性格が直るわけがないでしょ!一生そのままでいなさい!」
そう言って『蒼』は奥の部屋へと歩いて行った。やはり隠そうと約束したのに、それを破ってしまったのがいけなかったのだろうか。約束を破ったのだ、怒るのは当然のことだろう。
母のことも多少気がかりだが、『蒼』を怒らせたことも今後上手くフォローしていかなければ……流石に同胞に相談するか。
「先ずは何より、この戦争に勝たなければな」
ハークドックは現在悪夢にうなされております。