そして闘争する。
「さて、こっちもそろそろ備えなきゃなんだが……」
軽食を口にしつつ、双眼鏡で戦場を眺める。ほんとターイズの騎士だけ別格だよなぁ。魔物の軍勢が紙のように蹴散らされている。チラっとだけ先陣を駆け抜けるカラ爺が見えたが、頼もしいの一言だった。
だがガーネの兵士も統率力はしっかりとしている。長槍と弓を主体として直接的な戦闘は避け、ターイズの騎士の邪魔をしないよう立ち回り、突出してきた敵を迎え撃つ。
弓と長槍を超えてきた魔物を複数人のチームで囲み、一人が陽動し、一人が態勢を崩し、残った者で丁寧に仕留めている。個々の実力が弱いことを理解し、連携で戦うことをきちんと実践している。
それに比べ魔物達の軍勢は勢いこそあるが、個々の連携は甘く、武器の練度もあまり高くは感じない。今の状況なら間違いなく圧勝することができる。だが……。
「ご友人、兄様とはなんと?」
「恐らくそろそろ動きがある。何かしらの術を使ってくるつもりだろう」
今一緒にいるのはイリアスとウルフェ、そしてミクスの四人。『紫』とデュヴレオリは少し離れた場所でこちらの指示に備えている。エクドイクと『蒼』、ラクラ、ハークドック、ギリスタの面子はメジスで頑張っているころだ。
「現状発見されている部隊、その全てとの交戦が始まるであろうタイミングを狙っている。でしたな」
「『金』の力を知っておきながら、兵を散開させ、同時にぶつける。これはもう戦略と言うより別の何かがあると見るべきだ。『闘争』の力とやらを使ってくる可能性が高いと見るが……」
戦局としては人間側がとても有利な状況、これを小手技だけで覆すことは難しい。『紫』には駒の仮面と言った特殊な装備もあったが、緋の魔王にそういった特殊なアーティファクトが用意できるのかという意見に首を縦に振った魔王はいなかった。
ともなれば使用されるのは『蒼』の時と同じく、湯倉成也に与えられた超越した力と見るべきだろう。
「ご友人、顔色があまりよろしくないですね」
「そりゃあ戦争なんて見るのは初めてだからな。山賊達の討伐とはまた違う意味で色々とくるものがある」
山賊討伐の時、騎士達にはまだ余裕が感じられた。だが今回は完全に殺し合う関係、敵も味方も死に物狂いで戦っているのだ。
集団パニックの心理に近いとも言えるのかもしれないが、大分感化されてしまっている自分がいる。脈も熱も、少しばかり高い。顔色を心配されたということはそういう顔になっているのだろう。
「食事が喉を通るなら大丈夫だろう。それよりも動きがあるとして、私達はどう動く?」
「様子見のままだ。カラ爺達が圧されるようなら出番があるかもしれないがな」
「そうか……目の前で仲間達が戦っているというのに、見守るだけというのはなかなかにもどかしいものだな」
「イリアス、イリアスの今の役目はししょーの護衛!」
「そうだなウルフェ。何を優先すべきかはきちんと弁えているさ」
イリアスとウルフェの二人を傍に置き待機させておくのは、戦力としてのリソースとして勿体ない。どちらか片方でも戦線で活躍させてやりたいのが正直な感想だ。
だがオデュッセの助言もあるのでウルフェを遠ざけるのは避けたい。かといってイリアスを送りだすのもマリトの意向にそぐわない行動をさせることになる。敵将の首を取っても、後からマリトに小言を言われるのはねぇ?
「イリアスもウルフェも、場合によっちゃ動くことになる。その場合こっちと離れるわけにはいかないからな。つまるところは『俺』と一緒に危険地帯に突っ込むことになる。出番が来る時には本当に気を張ってもらうから期待しておけ」
「それはご友人を死に物狂いで守れと言うことですな?」
「その通り。弓矢一本でも五割以上で死亡確定だからな」
「清々しいまでの貧弱っぷりですな。やはり鎖帷子だけでも……」
「結界の維持だけで頼む」
中高生時代に体育で経験した剣道の授業で着た防具。竹刀から身を守る防具ですらあの重さだ。鉄製の防具の重さなんて装備できるはずがない。
それでも着けるべきだとミクスやイリアスは譲らなかったので『金』の仮想世界にてこちらと同じ体で装備を装着してもらった。結果、動ける方がマシだという結論になった。人が装備の重さで潰れて動けなくなるという経験は新鮮でしたね。
マリトの裁定として、常時身を護るターイズ式の結界を誰かに展開してもらうこととなった。今はミクスがその任を担っている。
体を覆うタイプの結界はラクラの使っている結界よりも脆い。ただある程度の衝撃は吸収できる。この状態なら地球のごろつきに囲まれても無傷で済むだろう。異世界の脅威に関しては申し訳程度、どちらかと言えば毒霧などに効果的な面が重視される。
欠点として結界の維持に使用される魔力の都合上、ミクスには通常人並の休息が必要となる。三日三晩結界を張り続けるといった芸当は無理らしい。これに関してはこちらが普通に休める時には休みたいので問題はない。
問題があるとすればもう一つの欠点、ミクスが数メートル以内に常にいないといけないという点か。野営地にはトイレや風呂がない。安全な地点でのトイレ休憩を怠るとなかなか精神的に辛いことになりかねない。
「――後衛の方から合図が上がったぞ」
イリアスの声に反応し、後衛の方に視線を向ける。黄色の狼煙とそれを照らす魔法の光源がセットで打ちあがっている。あれは決められた合図の一つ『敵に動きあり、追撃、撤退双方に備えよ』。平たく言えば攻め過ぎずに逃げられるようにも立ち回れってとこだ。
「マリトの指示だな。カラ爺はちゃんと気づいているかな」
「カラ爺だけではない。他の騎士達も信号に気を配っている。攻勢は変わらないが深入りを自重し始めている」
「この距離から分かるってのが凄いな。それじゃあ行くか」
広げていた地図を片付け、荷物をまとめる。持とうとするとミクスがさっとそれを横から奪った。
「ご友人は少しでも体力を温存してくだされ。まだ開戦して間もないのにその顔色では後々かなり辛くなるでしょうからな」
「――そうだな。悪い、助かる」
軽い荷物なのだから問題ないと言いたいところではあるが、正直この場にいるだけでも緊張感で疲弊する。好意には素直に甘えておくとしよう。
こんな序盤でへばっている余裕などない。『金』の力を知っている緋の魔王がこうやって動いているということは、この状況を覆すことなど造作もないことに違いないのだ。
戦略はマリトに任せれば良い。だがマリトに勝たせるために動くのが俺の仕事だ。気合を入れて行かねば。
◇
「メルサシュティウェル、状況を」
ガーネ魔界に位置する山岳地帯、広大な魔界とその奥に繋がるガーネの領土を見降ろせる位置で魔王様は私へと言葉を投げかけた。瞳を閉じたまま、その耳で遥か遠くに聞こえる戦いの音を聞いているのだろう。
遥か上空に展開させ、戦況を観察しているハーピー達からの情報をまとめる。魔王様は全ての魔物に対し、一度に命令を下すことができる。だがそれぞれの魔物からの情報を受け取ることを行うことはない。全ての魔物の声を聞くことは可能でも、知能の足りない下級、中級の魔物からの雑音すら拾っていては耳障りなだけだからだ。故に、各地の戦況は私のハーピー部隊を経由し私がまとめている。
「ほぼ全ての部隊が交戦に入っていますが、まだ二つほど行軍中の隊があります」
「先に戦闘を開始した隊はどうだ」
「芳しくはありません。どの隊も奇襲といった策を受け、不利な状況での開戦を余儀なくされています。特に最も戦闘開始の早かったコガギョッスの隊の消耗が四割を上回りそうです」
どいつもこいつも無様、と思えていたのは最初だけ。全ての隊が進軍先にて罠や奇襲を受けている。魔王様と比べ軍略には長けていない私だが、この異常さに気づかないわけではない。
明らかにこちらの行動を読まれているのだ。魔王様は各隊の隊長格に判断を任せている。つまりはそれぞれの将の考えが全て……。
「流石は『統治の黄』だな。ここまで思考を散らしても容易く読み取るか。いや、ここまでとなると優れた者が人間にもいると見るべきか」
「どうされますか?いつでも命令は可能です。魔王様の指揮ならばこの程度の苦戦――」
「不要だ。この戦いは知能を競い合うものではない。人と人ならざる者の殺し合いに過ぎん。やり方は各々に任せたままで良い。故に我が振るうは言葉ではなく声、獣の血の中に眠る『闘争』への意志を、覚醒へと導く咆哮である」
「では……お使いになられるのですね」
未だ交戦していない部隊を監視しているハーピーに向け命令を飛ばす。急ぎ戦闘に入れ、これより足並みを揃えること叶わず。これより我らが従えるは兵ではなく獣となると。
魔王様はその腕に握られた斧を天高く掲げ、泰然とした姿のまま世界に向けて語り掛ける。
「――我が魔力より生まれし獣達よ。時は来た。その体の奥底に眠る本能を呼び起こす時が。無駄な知恵を噛み砕け。不要な理性を食い破れ。自らの命を惜しむな。敵の命を求めよ。さあ、我が『闘争』の力を以てその全てを解放せよ!」
◇
「――今のは」
突如、魔力の波が伝播してきた。本来ならば目に見えぬ筈のソレはどういうわけか深紅のような色をしていると認知できた。
いつでも撤退できるように立ち回れという陛下の合図、この魔力の波はその予兆とみて間違いあるまい。
年寄りの鈍った直感でもはっきりと分かる。これは何か良くないことが起こると。ターイズを襲った魔族の時のような、危険が背後に迫る感覚。仲間達もその気配を感じ取った。炎の中で戦う騎士達もそれぞれが深入りせず、撤退の準備を整えている。全員が年寄りだからという理由でもないじゃろう。
「グオォッ!」
迫りくる魔物の攻撃を回避し、槌を顔に叩き込む。少々入り方が浅いが頭蓋は砕けた。ならばもう意識はあるまい。
「――ッ!?」
反撃の剣を下がって回避する。反撃してきたのは頭蓋を砕いたはずのコボルト。醜くひしゃげ、血に塗れた顔から見える眼には獣のような獰猛さが覗いている。
浅かっただけか、それとも根性があるのか。どの道しっかりと仕留めない限りは脅威となることには違いあるまい。
槌を振う。頭部への狙いは読まれている。ならばとがら空きとなった胴体へ一撃を加え、敵陣の方へと吹き飛ばす。
「また浅い……いや、浅くさせられたか」
こちらの一撃に問題はなかった。敵の動きが変わったのだ。どちらの攻撃も当たる直前に体を前に出され衝撃を殺されていた。
直撃すれば即死するやもしれん攻撃を、助かる可能性に掛けて打点をずらしにいく。並大抵の神経では真似できん技……いや、技とは呼べんか。
様子が変なのはその一匹だけではない。他の魔物、全ての目つきが変わっておる。
「見事な戦いだったぞ、ボルベラクティアン。だが貴様らの躍進はここまでだ」
一匹だけ、変化がない者もおったか。隊長格と見当をつけた魔物だけは従来のまま、勝ち誇った顔をしているのは変化には入らんな。
「先ほどの魔力かの。御主以外随分と気合が入ったようじゃな」
「これが魔王様のお力よ!もはや下級の魔物は下級にあらず。中級の魔物は中級にあらず。上級の魔物は上級にあらず。貴様らが優位と感じていた質も全て覆る!」
頭の悪そうな魔物じゃからな。虚言ということでもないじゃろ。実際今仕留めそこなったのは中級のコボルト。しかしその動きは上級と言っても過言ではなかった。……頭が悪そうなついでに探ってみるかの。
「信じられんな。仕組みも分からずにいきなり魔物達の格が上がるなどと言われてものぅ?」
「魔王様のお力は我らがガーネ魔界より生まれし魔物の闘争本能を呼び覚ます。獣としての力を、限界を超えて引き出すことができるのだ!」
「お前さんは変わらぬように見えるがの」
「俺は別格だからな。隊長格の中でも種族の中心となるユニーククラスの魔物は最初から魔王様のお力を受けている。本来ならば力を解放してしまいたいところではあるがな。生憎とこいつらを敵にぶつける役割があるのでな」
うーむ。敵にペラペラと……傲慢さは本能で打ち消せぬようじゃな。助かったから言わないでおくがの。
しかし話が本当だとするとちと不味い。下級の魔物はほとんどが火で炙られて朽ちておったが中級上級は耐えておった。その中級も炎の中では体力を奪えておったがこの様子ではあまり効果がないと見える。
上級も更に強化されたのではこちらがただ不利なだけ、うむ。引くに十分な理由じゃな。
「ふむ、ならば……撤収!」
号令と共に騎兵達が魔物を飛び越え炎の中へと消えてゆく。実に見事な引き際じゃ。馬のないわしがおいてけぼりなのを除けばの。誰一人見向きもせんかったわ、覚えておれ。
「逃がすか!追え!追うのだ!」
理性を失った魔物達が騎兵を追いかけ炎の中へと駆け出す。魔物としての格が上がったところで騎兵に追いつけるとは思えんがの。
さて、ここで指輪を使い魔物による足止めを行っても良いが……村から脱出した騎兵が外で囲んでいるガーネ兵に撤退を伝え、引き終わるまでに時間を稼げるかと言われると……どうじゃろうな。どれ、ここはわしがもう少し時間を稼ぐとするかの。
「この村に住んでいた者には詫びを入れねば……いや、そもそもガーネ王の判断で燃やしておったわ。なら気兼ねはいらんかの」
わしに向かって迫る魔物を槌の一撃でまとめて払い、敵との間に十分な距離を作る。魔法を使用し、周囲に吸える空気を生成。大きく息を吸い、腹に力を溜め込む。そして自らが使える魔力強化を最大限に展開。込められる魔力を込められるだけ、我が槌へと注ぎ込む。
もう何十年ぶりになるか、魔物の侵攻を防ぐために山を一つ砕いた全身全霊を放つのは。
「――ッ!奴が何かをするつもりだ!止めろ!」
「遅いわ。止めるならお前さんが止めにこんか!」
槌を地面に叩きつけると同時に、爆発する魔力で強引に魔法を発動させる。一瞬の内にできる構築などたかが知れる。しかしそれで十分。雑で結構。
込めに込めた魔力は砕いた地面の奥に一気に潜り込み、より広範囲にいき渡る。そして荒々しい魔法を発動し、その事象を発現させる。
周囲の大地が出鱈目に隆起する。右も左も、上も下も関係ない。そしてぶつかり合った大地は衝突し、爆ぜ、その勢いを次々と伝えていく。そして最後には最も逃げやすい場所、地上へと向かう。
視界を隆起した土壌が覆う。耳に聞こえるのは空へと飛翔する大地の咆哮と、空に吹き飛ばされる魔物達の悲鳴。そして続くは空から降り注ぐ土砂と瓦礫の雨音。
「さて……わしも逃げるかの」
音が止み、落下物が止まったのを確認し駆ける。多くの魔物は地面の中に埋まったが、ただ吹き飛ばし土で埋めただけに過ぎん。中級の魔物が上級クラスにまで成長したのであれば、死んだのはごく一部。被害としては微々たるもの。
そのうち地面の底から湧いて出てくるじゃろう。実際あちこちから唸り声と地面から湧きだす腕が見えるしの。
頭が見えた魔物を走るついでに槌で叩き潰し、村とは呼べなくなった荒野を駆け抜けた。
ボル爺の技について簡単に。
地面を肉体強化全開での槌の一撃で大きく破壊、同時に割れた箇所に魔力を流し込み、即『土を隆起させる魔法』を発動。地面を一気に空中に巻き上げるといったものです。
純粋な破壊力は控えめですが、広範囲の敵を巻き込み回避も難しい大技です。