そして共に歩む。
※R-15作品なので表現はマイルドに抑えてありますが、大よそ予想通りの展開です。
「この野菜は皮を剥いた後、中の種を取り除くのよ。じゃないと煮た時に苦味が出るわ」
レイシアからは人間社会について多くのことを学び、そしてその合間に料理の指導も受けた。
当時の俺としては目に見えない人間社会のことを知るよりも、変化を体感できる料理の方がより学びがいがあった。
指摘された点を改善し、食事を提供する。その後は座学を行い、色々なことを学んだ。
世界の歴史、ユグラ教のこと、人々の暮らし、騎士のこと、冒険者のこと。
「エクドイク、貴方は冒険者になるのが良いかもね。騎士らしくない私が言うのもなんだけど、そういうお堅い役職は無理そうだし」
「俺は復讐者だ。それ以外の何かになるつもりはない」
「復讐者は仕事じゃないわよ? 無職のまま人の住む土地を渡り歩けるとでも思っているの?」
「……問題ない」
「目に付く人達を片っ端から襲うようなら、ただの狂人として処理されるわ。人間達は個々の力は弱くても、互いに身を守る術を身につけているの。それとも貴方は自分の力さえあれば誰にでも負けないと豪語できるの? 貴方の育ての親であるベグラギュドだって、そんな力があればこんな場所にいつまでもいないでしょ? それこそ魔王のように人間達の住む世界へ侵攻を考えるわ」
レイシアの実力はそこまで高いと言うほどではなかった。それでも小隊のリーダーを任されるだけの器量と度胸があった。
ここに連れてこられたのはクアマ魔界の探索を行っていた際、悪魔の群れと接触したことが原因だ。
その中には父直属の上級悪魔も複数おり、戦況が不利と判断したレイシアは仲間を逃がすために囮となったのだ。
他に始末されたり捕獲されたりと言った人間はいなかったことから、その囮は正しく機能したのだろう。
「私としては及第点ね。欲を言えば悪魔達を倒したかったけど、剣の才能はちょっとね。あ、でも凄く才能のある子だっているのよ? あの子は頭が硬いけどきっと近い未来、聖騎士団を率いる存在になれるわね!」
「よくもそれだけ楽しそうに喋ることができるな。お前が生きて帰れる望みはほぼないというのに」
父の性格からしてレイシアから学べることを学びきれば、きっと彼女は処分される。それは俺にも分かっているし、レイシアとて理解していただろう。
「――そうね。私にできるのは貴方に知識を与え、最期の時を少しでも長引かせることだけ。でも良いのよ。私はあの時に死を覚悟して戦い、そして敗れた。だからもう私は死んでいるのと一緒。今際の時にこうして最後にできることがある。それだけでも凄い幸運だと思わない?」
「お前が俺に与えた知識は、俺が人を殺す際に役立てられるだけだ。それでもか」
「それはどうかしら? 貴方は確かに知識を得て、より危険な存在になるかもしれない。だけど変わる可能性だってあるかもしれない。リスクはあるかもしれないけど、悪い賭けじゃないと思っているわ」
「理解できないな」
「一朝一夕でできるとは思っていないわ。でももしかしたら私が今の貴方を変えることができるかもしれない。私がダメでも他の誰かが未来の貴方を変えることができるかもしれない。その切っ掛けを私が与えられるのなら、十分に価値のあることなのよ」
「――やはり理解できないな」
レイシアは俺を変えようとしていた。だがその時の俺は彼女の言葉に真摯に耳を傾けるつもりはなかった。
囚われただけの弱者、そんな者の言葉など自分が助かりたいだけの方便かもしれないと思っていたからだ。
「可愛くないわね。あ、でも料理はしっかり覚えなさいよ! 今日の料理が最後の晩餐ってのはちょっと不服なんだからね!?」
「指示通りに作っているだろうに。まだ文句があるのか」
「もうちょっと肉を食べたいわね! あ、ネズミとかじゃないわよ? もっと大きな奴ね!」
「大型の獣は魔界の周辺には住まない。俺達の食料は魔界の外をうろつく悪魔が気まぐれに集めてくるだけだ。あってもウサギくらいなものだろう」
「ウサギかぁ……美味しいんだけど、ちょっと可愛いもの好きな私には辛いわね……」
「獣を愛でる感性は到底理解できんな」
「貴方も野生の悪魔に育てられたんだし、獣のようなものじゃない」
「一緒にするな」
ある日、食材置き場を見ると肉が置いてあった。
それなりに大きな肉が幾つか、既に毛や皮は剥ぎ取られており、無造作に置かれていた。
ある程度の加工がされている肉があることはそう不思議なことではなかった。
悪魔が動物を襲う時、その鳴き声を楽しもうといたぶる習性があるからだ。
だから今までにも獣の肉がある時には部位の欠落が見られることも多々あった。ただ今回の徹底さを見る限り、捕獲した悪魔が相当念入りにいたぶったのだろう。
「だが手間が省けたな。これならあいつも文句を言わないだろう」
肉を洗い、切り分け、焼いていく。最初は強く、その後に弱く、レイシアから教わった手順を頭の中で繰り返しながら調理を進める。
レイシアの好みである香辛料を使い、味をつけていく。味見を忘れずに、失敗しないように。
「――よし、悪くない味だ」
完成した料理を器に盛りつける。最近ではレイシアが盛り付けにも文句を言いだしていたことを思い出し、申し訳程度にバランスを整える。
今までの中では一番マシな出来だ。これならばレイシアも少しは静かになるだろうと考えながら料理を運ぶ。
「レイシア、食事の時間だ。――?」
レイシアの囚われていた場所には誰もいなかった。残されていたのは地面に広がる夥しい血痕。そして彼女を繋いでいた筈の鎖が無傷のままで血の上に転がっていた。
最初俺は彼女が逃げたのではと考えた。腕を切断すれば鎖から抜けることは不可能ではない。
レイシアからは多くのことを学んだ。そしてそろそろ学ぶことも減ってきたとも感じていた。
最期が近いと悟ったレイシアは、父が不要と判断する前に自ら逃げる賭けに出たのだと。
俺が逃がしたわけではないが、だがその責任の一端は背負わされるかもしれない。
食事を置き、捜索を行おうとした時、背後に気配を感じた。
「どうしたエクドイク。何かあったか?」
それは父、大悪魔ベグラギュドであった。そのことに僅かながら俺は驚いていた。
普段は玉座から動かぬ父が、わざわざこの場所を訪れることが目新し過ぎたからだ。
「――いえ、その、あの人間が逃亡したようなので追いかけようと……」
「あの人間がか? そんなはずはない」
「しかし現に――」
「その人間ならば、既に処分された。我の目の前でな」
「――え?」
父ベグラギュドは呆ける俺を見て嗤う。
「貴様は十分に人間のことを学んだはずだ。なればあの人間もそう遠くない内にこの場所を逃げ出す準備をするだろうと判断し、少し早めに処分することにした」
「――そう、ですか」
俺は安堵した。ならば憂いはないと。だがその時、僅かながらに何か、心に残るものがあった。
父ベグラギュドは周囲を一瞥し、俺の作った料理を見つける。
「なんだ、早速使っているではないか」
「使って――?」
「その肉だ。たまには貴様にも褒美を与えようと思ってな。今朝仕留めたばかりの新鮮な肉だ。悪くなかったであろう? よもや仕留めた場所で食べようとは、良い具合に成長しているではないか」
その言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。だが俺の頭は理解を拒めるほどに悪くはなかった。
肉に触れた触感、切り分けた感触、そしてその味が頭の中でハッキリと思い出された。
人間とて生物、他の動物と同じ肉であることには変わりない。だが、それでも俺の体は、心はそのことを忌避してしまった。
口を抑え、その場に蹲り、嘔吐した。
「――人間は体だけではない。心も強く大きく成長する。だがそれ故に大きく揺れ動く。どうだエクドイク、心だけを責められた苦痛の程は? 感想を聞かせて貰おうか?」
「……何故、このような……」
「何故? 我は貴様を強くするため、様々な苦痛や試練を与えてきた。今回のもその一環に過ぎん。貴様は人間であるが故に心が弱い。僅かな間面倒を見た人間の死一つでその体たらくだ」
最初から父ベグラギュドの目的はこれだった。肉体的に強くなった俺に対し、心への責め苦を与え、さらなる成長を促そうとしていたのだ。
「肉体を一切傷つけることなく、敵を追い詰める術を人間達は編み出していた。人間とは実に興味深い。互いに傷つけあう術の数は我ですら把握しきれぬほどだ。特にこういったものは、こうして試すことで初めてその威力を知ることができる。エクドイク、貴様が将来敵にする人間とはこういった攻撃をすることもある。よく留意せよ」
俺はその時、父の顔を見ることはなかった。だが恐らくは嗤っていたのだろう。
俺がさらに成長すること、自らの好奇心を満たしたこと、いずれの思いが優先されたのか、今ではもう推し量る術はない。
その後俺は食糧庫の壺に放り込まれていた残りのレイシアを見つけ、再び吐いた。
悪魔が死ぬ時、その体は塵となる。しかし人間が死んだ後は、こうも醜く、悍ましい姿になるのかと学ばされた。
その中身を全て埋め、墓とも言えない山なりの土の目の前で俺は強くならねばと決意し直すことになった。
◇
「それ以来、俺は肉を食べることを避けるようになった。肉を食べることであの時の記憶が鮮明に蘇り、味どころではないからな。唯一の救いがあるとすれば、父がその責め苦を多用することがなかったことか。食事ができなくなるようでは生き残ることすら難しかっただろうからな」
一通りの流れを話し終え、『蒼』の顔を見る。彼女の表情は……どうやら怒っている。
何か気に障るような話をしたか。いや、冷静に考えると『蒼』はまだ食事をしていない。
この話をしてしまえば『蒼』の食事もまた味気のないものになってしまうかもしれない。
「貴方ね……」
「すまない。食事前にする話ではなかったな。それ、食べられるか?」
「食べられるわけないでしょ!? あーもう! 後でジェスタッフにでも投げつけてくるわ」
そう言いながら『蒼』はバスケットを魔法で冷やしていく。やはり言葉で聞かされるだけでもそれなりに悪影響を及ぼすようだ。
「肉を食べられないことは同胞達には共有していたのだが、伝えるのが遅くなってしまったな」
「大事なことでしょ!?」
「いや、その……まさか魔王に食事を作ってもらうことになるとは思いもしなかったからな……」
「『紫』だってあの男に作ってるじゃない!」
「あれは紫の魔王が同胞に心を奪われているからであって、『蒼』は別に俺に心を奪われているとかそういうことは――」
「エクドイク=サルフ、地面に這いつくばりなさい!」
「おわっ!?」
またしても気分を損ねてしまったようだ。『蒼』はこちらの顔を見ようともしてくれない。なかなか上手くいかないものだ。
「――よくそんな目に遭わされて、ベグラギュドの名誉のために戦おうだなんて思ったわね?」
「……それは俺の心が弱いままだったからだろうな。父ベグラギュドに苦痛を与えられ俺は強くなった。その存在だけが絶対であり、信じる道だと思い込まなければ生きていけなかった……」
それ故に、ラクラが容易く父を滅したことは俺に強い動揺を与えた。まともな実感を得ることもできず、今までにしてきたこと全ての価値が崩れ、喪失感に襲われた。
弱い心、それすらも失いそうになり、それを拒もうと……。
「……その時は良いとしても、今もまだ貴方はベグラギュドに肩入れしているじゃない」
「確かに父の行ってきたことは、今の俺ならば許される行為ではないと理解できる。だがそれらがあったおかげで今の俺があることには違いない。完全に否定し、忘却することはただの現実逃避だと思っている」
「そう……。でもその騎士も残念だったわね。右も左も分からないような貴方を説得できていれば、逃げ出す機会もあったでしょうに」
「――そうだな」
俺を正そうとした同胞とレイシアには明確な違いがある。
レイシアにとっては目的であり、同胞にとっては手段。俺は目的を拒み、手段は受け入れてしまった。
その真心を問えば、レイシアの方が俺のことを思っていたのは間違いないだろう。だが願いを向けたレイシアと、願いへと誘う同胞とでは感じる魅力に差があった。
もしも彼女が逃げることを前提とし、俺を諭すことを手段と取っていれば、俺を上手いこと利用できていたのかもしれない。
レイシアは俺を利用する悪意を持てなかった。だから彼女は死んだ。だが彼女は立派な聖騎士だったと認めざるを得ない。
レイシアとの出会いもまた、今の俺を形作る切っ掛けの一つであることは間違いないのだから。
「エクドイク、貴方のことをもっと色々聞かせなさい」
「色々と言われてもな……俺の過去はほとんど変わりのない日々ばかりなんだが……」
「なんかあるでしょ!? ほら、鎖を使い始めた理由とか!」
「それなら簡単だ。悪魔の巣窟にいた最初の頃の俺は泣き叫んでばかりで、いつ逃げ出してもおかしくなかった。だから鎖で常に繋がれた状態だった。寝ても覚めても傍にあるのは鎖だけ。暇を潰すのも、何かをするのも、鎖を使うことしかなかった。腕に繋がれた鎖だけが唯一の俺の物だった」
「もっと明るい話はないの!?」
「明るいか……灯りを付けると悪魔達が嫌がっていたからな。本を読む時は日中、外で読むようにしていた」
「気分が良くなる話よ!?」
気分が良くなる話……さて、自分自身の成長については喜ばしく思えるが、何かが違う気がする。
ラクラやウルフェの成長なども喜ばしいことではあるが、同胞から女性の話題を『蒼』にするのは控えた方が良いと言われている。
……今思えばレイシアも女だったな。なるほど、こうなるのか。
ゴッズやバンといった者達との出会いは……俺の成長に関わることだし何とも……。
「……過去の話となるとほとんどないな」
「私が言うのもなんだけど、ロクな人生じゃないわね。よくそれで私にあんなことを言えたわね」
「そうだな。だがお互いロクな人生を歩んでいない者同士、これからはずっと一緒なんだ。二人で探せば見つけるのが下手な俺達でも何かしら見つけられるだろう」
「……ほんっと、この男は……!」
「む、何か気に障ったか? すまない」
「理由も分からずに謝るんじゃないわよ! ほら、行くわよ!」
顔は向けてもらえないが、『蒼』が手を差し伸べてくる。俺はその手を取る。
そう、今の俺は一人じゃない。俺のことを理解してくれる同胞がいる。俺のことを認めてくれる仲間がいる。
そして、俺と共に生きようとしてくれる『蒼』がいる。
レイシアから学んだことは多い。だがそれを活かしきれてはいない。かつて受け取らなかった彼女の思いを無碍にしないためにも、これからより多くのことを経験していこう。
「――ところで、起き上がる許可を貰えないと立ち上がれないのだが」
「……行くわよ!」
「いや、立ち上がれないのだが……ちょっと待て、そのまま引っ張られると引きずられて痛い。待ってくれ、聞いているのか? おい――」
この後一時間ほど引きずられることとなった。
まずは『蒼』の機嫌を損ねないことから始めねばならないだろう。幸運なのは彼女が俺のせいで何度も気分を害しているにも関わらず、俺を見捨てようとはしない我慢強い人物ということだ。
しかしどの様な思いを伝えれば喜ぶのか、本当に分からない。困った。
異世界でも無難に生きたい症候群、第一巻がいよいよ本日から販売です。
Twitter等を見る限りでは昨日から書店に並んでいたようですが……6/15はサーガフォレスト三周年フェアでもあります。
詳細はサーガフォレスト公式ページからご確認ください。
先着特典、フェア特典としてそれぞれに違った書き下ろしSSが含まれた小冊子がついております。
書籍とWeb掲載の内容は同じとなっておりますが、やはり見所はイラストレーターひたきゆうさんの描かれる挿絵です。
イリアスやウルフェを始めとする女性陣も素敵ですが、男性陣も負けておりません。
ひたきゆうさんはTwitterでも活動されていますので興味が湧きましたら是非覗いてみてください。