とりあえずやばそう。
今日も筋肉痛は治りません。
もう痛いのが当たり前になっており、随分と慣れてしまった気がしないでもない。
へんな癖がつかなければ良いのだが……。
一昨日が山下りの時、昨日がギドウとかいう山賊討伐時の物。
なら今日は尋問していた時期の痛みか。
あの時はこれと言った運動はしていなかったから、明日までは悪化することは無いだろう。
問題は明後日に全拠点への攻撃した際に、森を探索した分が襲い掛かると言う点か……。
そしてその後に控える大掃除、『犬の骨』での労働分……。
今日もまた重労働が控えていると思うと気が重くなる。従業員探しも頑張らねば。
「おう兄ちゃん、起きたか。……ひでぇ顔だな」
「肉体労働は苦手でな……」
「兄ちゃんは従業員じゃねぇんだ。無理しなくて良いんだぜ?」
「そうか。じゃあ買い出しは頼んで良いか? 籠は新調したばかりだから問題ないだろう。こっちはバンさんの所に塩を追加で購入しに行って来る」
「お、おう、……いや、休んで良いんだぞ?」
「大した重量でもないからな。問題ない」
「そ、そうか。つーかやらんでも良いんだぞ?」
「そうすると新たな従業員を見つけでもしないと二人じゃ体力持たないぞ。無茶を言うな」
よっこいしょーのどっこいしょ、と我ながら若さを感じない掛け声で立ち上がり店を後にする。
「……いや、そういう意味じゃ、うーむ」
ゴッズが何かを言っていたが大した事でもなさそうなのでスルー。
さて、まだ早朝だがバンさんはもう仕事を始めているだろうか。
商館に到着し、受付にアポイントを取ると前日と同じように来賓室に案内される。
そして程なくしてバンさんがやってくる。
「朝早くにすみません。実は思った以上に塩の消費が早くて……昨日の倍って在庫ありますか?」
「なんと、それほどの早さで!? ええ、在庫はもう少し余裕はありますな。用意させましょう」
「助かります、節約したつもりなのですがそれでも飲食店となると消費が予想以上でしたよ」
「ふむ、そのお店の名前は?」
「『犬の骨』っていう元々飯が酷く不味い居酒屋です」
「ああ、存じていますとも。酒のセンスは有能ですが料理は壊滅的だと」
偉い商人にも伝わる飯マズレベルだった。
「簡単な料理はマー……上手な女性にお願いして教えてもらい、後は塩を使ったシンプルな料理を新メニューとして追加しています。その範囲でしたら良い料理を出すようになりましたよ」
「そうですか、一度伺ってみるとしましょう」
「ええ、そうしてください。給仕の子は可愛いですよ」
「ほほう……」
と、来賓室の扉をノックする音が響く。
受付の人が申し訳なさそうに顔を出す。
「お話し中申し訳ありません、ドミトルコフコン卿がいらっしゃいました」
「おお、カラギュグジェスタ様が来ましたか」
うーん、この名前を噛む奴はいないのか?
昨日練習したけど五回中四回噛んで一回忘れてしまったぞ。
「って、カラ爺さんってバンさんと知り合いだったんですか」
「おや、その呼称で呼んでいると言うことは、そちらもお知り合いですか。なら問題はありませんね、お通ししてください」
そしてまもなくカラ爺さんが入ってきた。
以前見た全身フルアーマーではなく、なかなか粋なファッションセンスの私服だ。
「おお、坊主ではないか。イリアスに連れて行かれてから見とらんかったがこんなとこにおったか」
「先日はお世話になりました、カラ爺さん」
「ふぉふぉっ、カラ爺は渾名なんじゃからさんはいらんぞ」
「あー。ではカラ爺も元気そうでなによりです」
「良いものですね。こちらはたまに噛みそうになりますよ」
やっぱり難しいんだな、安堵した。
そうか、年齢は似たり寄ったりだからカラ『爺』という言い方は難しいのか。
それ以上にカラ爺様はさんづけと同じか。
「なに、わしも噛むからの。ふぉっふぉっふぉっ!」
アンタは噛んだらダメだろう。
「カラギュグジェスタ様。頼まれていた品ならもう包んでご用意してあります。帰りに受付で受け取ってください」
「おう、いつもすまんの。して、坊主はここに何用じゃ? 安い買い物ができる場所ではないぞ?」
「実は――」
『犬の骨』でのでき事を話し、そして今に至る。
「あそこか、酒は美味いが飯は自分への罰として注文する騎士もおるぞ」
騎士達にも有名だったわ、騎士マニアも本望だろう。
「ふむ、成る程のう。しかし坊主もお人好しじゃな。別にそやつらに恩義があると言うわけでもない、そこまで困っていると言うわけでもないと言うに」
「それはそうですけどね。イリアスの事を良く言っていたからつい親近感が湧いたと言うか」
「ふぉっふぉっ、それならばその気持ちも分かるわい。わしに手伝える事があれば手を貸すぞい?」
流石にカラ爺に給仕や料理を任せるのは無理だ、騎士の仕事もあるし何よりあの二人が仕事どころじゃなくなる。
カラ爺に頼めそうな事か……ああ、そうだ。
「昨日の段階で結構な集客があって、人員が足りていないんです。料理と給仕ができて暇がある人とかって紹介してもらえませんか?」
「そういえば二人しかおらんと言っておったの」
おお、と手を叩くカラ爺。
「ではわしの妻を紹介しよう」
それはどうなんですかね。
「それはどうなんですかね」
「娘が嫁いでから家にはわしと妻だけでな。わしは家を留守にする事も多い。一人で寂しく家に残しておくのも申し訳なくての」
ああ、なるほど。
カラ爺の年齢を考えれば既に老後の人生を配偶者とじっくり過ごしていても不思議じゃない。
だがカラ爺は騎士であり、まだまだ現役だ。
そうなるとカラ爺の奥さんは子供もいなくなり寂しくなった家で、一人旦那の帰りを待ち続けているわけか。
「――わかりました。事情を話し相談してもらって良いですか? でも強要はしないでくださいね」
「無論じゃ。むしろ怖くてできんわい」
あのカラ爺をして恐怖させる奥さんってどんなだよ。
少し想像しようと思ったがイリアスと言うゴリラのせいで、怪力なお婆ちゃんのイメージしか湧かなかった。
「わかります。その気持ち」
バンさんも恐妻家らしい。苦労してるんだな。
「ああ、そうだ。今後は『犬の骨』の人が塩を買い付けに来ると思います」
「ええ、受付には話を通しておきますのでご安心を。それ以外でもいつでもいらっしゃってください」
カラ爺と共に包みを受け取り商館を後にする。
「そういえばカラ爺は今日は非番なんです?」
「うむ、昨日ようやっと大まかな雑務が終わっての。妻に頼まれてお使いというわけじゃ」
非番の早朝にお使いか……。だがそのおかげで従業員問題も解決しそうなのだから感謝せねばならない。でも冷静に考えるとそんな奥さんが調理や給仕を引き受けてくれるのだろうか?
「良いわよ」
即答だった。
カラ爺の家に付いて行き、カラ爺が事情を説明。
そして悩む様子も無く快諾。
老年の女性だがしゃきっとしており、とても気が強そうな印象を受ける。
カラ爺の奥さんはこちらに歩み寄る。
「いつ帰ってくるかもわからない亭主の飯を作るより、すぐに美味いと言ってくれる人達の飯を作った方がずっと作り甲斐があるわ。帰って来たと思えば『もう食ってきた』なんて生意気な事も言わないでしょうしね」
と、よく聞こえるように大声で言う。
あーカラ爺が小さくなってる、可哀想に。
ドミトルコフコン夫人……カラ爺の奥さんは愉快そうに笑い、そして小声で囁く。
「あの人が、私が寂しくないように気を使ってくれた。それだけで私は満足なのさ」
こりゃカラ爺の頭が上がらないわけだ。
その後早速支度を済ませ『犬の骨』へ案内し紹介する。
冷静に考えると、カラ爺の奥さんってのもなかなか恐れ多いのではないかと思い立つ。
名前を伏せるか偽名でも使おうと考えたが、隣にカラ爺はいるわ開口一番に名乗られたわで小細工を使うことはできなかった。
結果ゴッズは軍人さながらの敬礼をしながら、店長と言う立場を忘れることになった。
カラ爺の奥さんの手際は良く、ゴッズへの料理指導だけでなくサイラへの給仕指導も次々こなしていく。この様子なら当面の忙しさにも対応できそうだ。
とは言え、将来的にはもう少し人員を増やす必要も出てくるかもしれない。
「まあなんじゃ、妻に任せておけば大丈夫じゃよ」
邪魔だと言われて店の隅っこで小さくなっているカラ爺はしみじみと語った。
「あんた、いつまで店にいるつもりだい? 客じゃないならさっさと帰りな!」
ああ、追い出されてしまった。
哀れに思っていた矢先、
「坊やもその状態で客商売ができると思ってるのかい? うちの人の散歩にでも付き合ってきな!」
筋肉痛でまともに動けない男にも戦力外通告が下され、二人で仲良く街を歩く事になった。
「ああ、いい天気じゃのう」
「そうですね……っと、そうだ」
懐から地図を取り出す。
ドコラの持っていた地図の写しだ。
「実はドコラがいずれかの拠点に何かを隠していると言っていたんですよ」
「ふむ、あの時わしは遠くにおったから聞こえんかったの」
「そういえばアンデッドが湧いたり、イリアスが木を軒並み吹き飛ばしていましたけど、良く無事でしたね」
「木に登っておってな、イリアスが吹き飛ばした後一緒に着地したんじゃよ」
あの鎧に槍を持って木登りとか、本当に老人とは思えないなこの人。
「一番見つけにくい拠点と言われたらやっぱりここですかね」
地図に記載されていた情報を読み、目印になるポイントから最も離れている拠点を指差す。
山賊が吐いた情報には載っておらず、あの時ドコラ達が向かっていた方角とも違う場所にある。
恐らくは彼だけが知る拠点なのだろう。
「本物の地図は今どうなっています?」
「イリアスからラグドー卿へと渡っておる。その後はマリト王に渡ると思うの」
「と言う事はまだ各拠点の調査は済んでいないわけですね」
「そうじゃな。恐らく明日明後日には部隊が組まれ向かうと思うぞい」
うーむ、ドコラが残した餞別とやらは、ひょっとすると彼が持つ地球の情報の可能性もある。
騎士達が明日か明後日にはそれを回収してしまう可能性もある。
そうなった場合見る事はできるのだろうか……。
重要な機密事項だった場合、それは難しいかもしれない。
ドコラは他でもない、この地球出身の男に情報を託したのだ。
そう思うと心の奥底から自分の物だと主張したくなる気持ちが湧き上がる。
だからといって出し抜いて取りにいくのも……そもそも一人じゃ道に迷いかねない。
「ふむ、なら今から取りに行くかの?」
「……え?」
「ドコラの残した物がなんであれ気になるのじゃろう? 坊主だけの物にすることは難しいが、お主には知る権利がある」
「本当に良いんですか?」
「ダメとはまだ言われていないからの。言われる前に行くとしよう」
ニッ、と悪い顔で笑うカラ爺につられて口元が上がる。
「はい、お願いします」
「うむ、まだ広場の椅子に腰掛けて黄昏れた休日を過ごすにゃ早いわい」
「それは同意します」
しかし溜息をこぼす二人であった。
カラ爺の駆る馬に乗り公道を進み近場まで移動する。
馬を降りた後森の中へ進んでいく。
「馬を放置して大丈夫なんですか?」
「あの馬は賢いからの。悪人や獣に襲われようものなら勝手に蹴り殺すわい」
馬も強いのかこの国は。
「馬を保護しようとする通行人や商人を襲わないですよね?」
「……ダイジョウブジャロ」
やばい、早く目的の物を見つけて戻らないと犠牲者が生まれかねない。
とは言え先導しているのはカラ爺だ。邪魔な草木を槍で払いながらサクサク進んでいく。
それに必死についていくのだが、ああ、これは筋肉痛延長コースかなぁ。
「そういえば兜を投げてワイバーンを撃ち落したって話を聞いたんですが、本当なんです?」
「えらい昔の話を持ってきたの。懐かしい思い出じゃわい」
「何故に兜を投げたんですか? 槍じゃなくて」
「そりゃ飛んでいる奴にわしの槍を投げたら、槍がそのままどっかに飛んでいくからの」
言われて見れば、全盛期のカラ爺なら投げた槍が大気圏を抜けても驚かない気がしてきた。
「わしとて長年付き添ったこいつを無下にするのは気が引けるからのう」
いや、今草木とか蜘蛛の巣払ってますけど、それは良いの?
と言った感じで雑談で盛り上がりつつ、ついに目的の拠点に辿り付いた。
拠点と言うにはほとんど手の入っていない洞窟なのだが……。
進もうとするとカラ爺が槍を前に出して、こちらの動きを制止させる。
「入り口のところ、色が違うのは分かるかの?」
言われて見ると確かに微妙に色が違う部分がある。
入り口に線引きでもしたかのような痕跡だ。
「毒じゃな。獣が入らぬように塗っておる。踏んだら靴を棄てる事になるぞい」
そう言って毒の塗られたラインを跨いで進んでいく。
それを真似しつつ中に入る。
洞窟の中は当然ながら暗い。カラ爺の付けた松明の灯りを頼りに内部を調べる。
確認できたのは一人が寝れそうな藁が敷かれている簡易な寝床。
そして小さな木箱や樽が転々と置かれている。
樽の中には乾物の野菜や干し肉が入っている。
木箱の中には……色々入っている。
ナイフや魔封石、宝石のような物も多々見られる。
「へそくりじゃな。ねこばばしても良いぞ」
「どうせ売るときに足が付きますよ。女の子へのプレゼントにしか使えませんよ」
「イリアスにでもどうじゃ?」
「うっかりで砕きそうで……」
「そうじゃな……」
すげぇよなイリアスは、容易に想像できちまうんだからよ。
サイラは……宝石を持つより質にいれて資金源にしかねない。
そうなると盗品だとばれ迷惑をかけるだけだろう。
他に知り合いの女性と言えばマーヤさんとカラ爺の奥さんだが……教会の偉い人や騎士の奥さんに盗品をプレゼントはいかんでしょ。
「他に何か……ん、これは……」
一冊のそれなりの厚みがある古びた本を見つけた。
マーヤさんからこの世界の本を借りたが、それと比べると市販の本と言う感じではない。
どちらかと言えば手記のような物だろう。
ドコラの日記だろうか? こういうのって見るのは気が引けるんだけどなぁ……。
と表紙を見るとなにやらタイトルらしき文字が手書きで書かれている。
暗くてよく見えないので松明を持っているカラ爺の方へ近寄り、文字を照らす。
その文字が目に入り、動きが止まった。
「どうした坊主」
明らかな動揺を感じ取ったカラ爺がこちらに気づく。
「……これです、ドコラの言っていた餞別は」
「ふむ、何の本じゃ?」
「いえ、まだ読んでいません。だけど確信できました。明るい場所で読みたいので外に出ましょう」
明るい外へ出る。
もう一度表紙に書かれている文字を見つめる。
横からカラ爺が覗き込み、奇妙な顔をした。
「なんじゃ、まったく読めんぞ」
「でしょうね、これは……日本語です」
「ニホン語? 坊主の国の言葉か?」
「はい、そして表紙にはこう書かれています」
そこには最も慣れ親しんだ言語、日本語でこう書かれていた。
「――サンプル四号『蒼魔王』調査記録」