次に呆けるは。
ジェスタッフ=ヘリオドーラの書斎、どの家具も年季の入った物ではあるが手入れは入念にされている。
飾り気のない部屋ではあるが静寂を好む者にとっては理想的な環境とも言える空間となっていた。
ジェスタッフは奥に置かれている机の上にある本を掴み本棚へと戻していく。
「先の若者、私の存在に気づいていたようだな」
男とも女とも特定のできない合成音声のような声が書斎に響く。
ジェスタッフはその声が姿隠しの魔法と同じく素性を隠すために使われる魔法だと知っているがその音に不快さを示すかのように亜人の象徴ともいえる耳を僅かに動かした。
空間が揺らぎ、書斎に新たな人物が姿を見せた。
その人物は全身を白いローブで覆い覗き穴すらない平坦な仮面を装着している。
「儂の右腕だ、頭の回らねぇ奴だが頼れる所は誰よりも頼れる。その仮面の下の面を見抜かれたくなきゃ迂闊に接触しようと思わないことだな」
「そのようだがその右腕には話を聞かせるつもりはないのか」
「隠し事が得意な奴じゃねえからな。不必要な情報を与えて足手まといにするのは宝の持ち腐れだ」
「あのジェスタッフ=ヘリオドーラが随分と一個人を可愛がるのだな。良い拾い物をしたようだな」
「お前さんこそ随分とあいつに興味を持っているようじゃねぇか」
「その辺は事が済んでからで良いだろう。本題に移ろう」
ジェスタッフの表情がひときわ険しくなる。
彼にとってこの企ては先祖から続く悲願、そして自らの人生における最大の苦難でもある。
「蒼の魔王を抑えた者がゼノッタ王と協力しギルド内を探っているそうじゃねぇか」
「そのようだな」
「既に儂やロービト、チェニヤスの存在にまで勘付いているようだった。何故儂らにそのことを伝えなかった?」
「そこまで辿り着いていたか。なるほど、ラーハイトを二度も追い込んだのは偶然ではなかったというわけか」
「質問に答えねぇかっ!」
ジェスタッフは机を強く叩く、だがその怒声で怯む者などこの書斎にはいない。
「伝えたところで意味があるのか? この計画はお前の一族にとっての悲願、もとより細心の注意を払って行動していたはずだ」
「少なくともハッサにはその場を引かせていた、てめぇの不手際で人手が一人減っちまっただろうが」
「ラーハイトが上手く抜け出せる可能性を考慮すれば必要な犠牲だろう」
「減らず口を……どうするんだ、このままいけば十中八九計画がバレたままで事を迎えることになるぞ?」
「臆したのか? お前が降りると言うのならば別の者を立役者として用意するだけだ」
「誰が降りると言った」
「そうだろうな、モルガナイズ家やゴシュナイト家と比べヘリオドーラ家の業は深い。何せ亜人最後の王族の血筋だ」
魔王達が出現した際、いがみ合っていた人間と亜人は手を組んだ。
しかしその際に多くの亜人達は逃げる選択肢を取っていた。
獣の血が混ざる亜人は本能が鋭く、勝ち目のないことを人間達よりも早く察知していたのだ。
事実魔王達の侵攻をまともに防ぐことは人間にも亜人にも不可能だった。
だが唯一の例外が現れた、勇者ユグラである。
ユグラは単身で魔王全てを滅ぼす規格外の強さを見せ、たちまちに世界に平和をもたらしてしまった。
ヘリオドーラ家は唯一逃げなかった亜人の王族だったが当時の人間達からの亜人への評価は著しく下がっていた。
ユグラ教が登場したことで戦乱の時代と比べれば迫害こそなかったが冷遇されることは避けられなかった。
ユグラは残って戦った者達に大陸の統治権を与え、各国の力を盤石のものとした。
そしてその中にヘリオドーラ家の名が連なることはなかった。
それでもヘリオドーラ家は歴史の陰に埋もれないように尽力した。
ギルドを発足し、国とは違った形で権力を残そうとしたのだがそれも上手くいかなかった。
他のギルドとの派閥争いが始まり、今に至るまでリオドが覇権を握ることは叶わなかったのだ。
それどころか時代の流れによりギルドの在り方すら変わるようになる。
実力主義の風潮が顕著となりより優れた者がギルドを担うようになってギルドの創設者の一族は相談役という立場に追いやられた。
あと数世代もすれば今の地位すらも失われることになるだろう。
父が、祖父が、先祖が残した悲願、ジェスタッフは生まれた時よりその無念を受け継ぎ生きてきたのだ。
「儂は王族だなんて柄じゃねぇ、いやヘリオドーラ家が柄じゃなくなっちまった。だからこそいい加減この因果を終わらせなきゃならねぇ」
亜人の王族の血筋としてこの無念は後世に残す必要がある、だがそれで自らの子孫が苦しむことは避けねばならない。
魔王の復活は千載一遇の好機、国が乱れた時こそかつての栄光を取り戻す機会なのだ。
人々は歴史を経て力を得た、今ならば魔王を相手にしたとしても各国が協力すれば善戦できるだろう。
だが無傷では済まない、余力を残すことも難しいだろう。
その隙を狙う。
「その様子ならば一番手に脱落するような無様はなさそうだな。ゼノッタ王は現状こちらに手を出すことができない」
「何故そう言い切れる?」
「確固たる証拠もなしにギルドの相談役を突如抑えるような真似を行えば世間がゼノッタ王に不信を抱く。それにこちらへの介入を行うにはまず魔王復活の事実を世間に公開しておく必要があるだろう」
「不穏分子を排除するだけなら暗殺でも問題ねぇと思うがな」
「あの王はそれができる器ではない。だがもしもゼノッタ王――いや各国が魔王復活の事実を公表するようになったのであればこちらとしても次の段階に移るべきだろうな」
「ああ、そうだな」
「ただユグラ教の動きには注意を払え、ゼノッタ王はさておきセラエス大司教は油断できる相手ではない。まあその大司教はユグラの星の民に目線が向いている、こちらに火の粉が降りかかる可能性は低いだろうがな」
「結局行動方針は現状維持か」
「そうだ、お前達は堂々と力を蓄えていろ。転覆の手筈は我々が用意する」
「いかにも裏切りそうな誘い文句だな」
「お前達が相手ならば見限ることはあっても裏切る必要はない。そもそも我々の目的は人探しなのだからな」
「国を転覆させるってのにいつ聞いてもふざけた理由だな」
ジェスタッフ達に国を奪わせる手筈を用意する対価として目の前の者が要求したのは各国の領土に存在する人間や亜人の生息する地域の大々的な捜索活動。
だが現段階ではあらゆる詳細を明かされていない。
どの様な人物を探すのか、その数は、探す理由は。
「ふざけてなどいない。我々にとって、いや人類の未来にとって必要なことだ」
「その発言に嘘がねぇってんだからますます気味が悪い。人を探すだけだってんなら普通に各国の王と交渉すれば良いだけじゃねぇのか」
「以前にも言ったが現在の国々にはユグラ教の手が回っている。ユグラを妄信する連中を受け入れるような国では信用ができない案件だ」
「お前さん達は伝説の勇者を随分と嫌っているようだな」
「ユグラの罪の話ならばある程度お前達にも話したはずだがな」
「魔王を生み出したのがユグラ張本人って話か」
「そうだ、それは紛れもない事実。ユグラ教の立場を守る国々は魔王復活の事実こそ公表してもその裏に隠されたユグラの罪までは決して表に出すことはないだろう」
「まあ言えるわけねぇよな。そうなりゃユグラ教自体がお終いなわけだからな」
ユグラ教の地位が落ちればユグラ教を広く受け入れている各大国への信用も落ちることになる。
秘め事を孕んだままジェスタッフ達を強引に処理しようものならばそれらの事実が明るみになる覚悟をしなくてはならない。
そうなった場合ジェスタッフ達を抑えることができても新たな勢力が再び国を転覆させることとなるだろう。
「奴らは受け身にならざるをえない。あとは巻き返せぬ一手で事を運べば良い。余計な手は出さないことだ」
「既に監視されている可能性もあるからな、今動けと頼まれたら断らせてもらうつもりだったさ」
「あまり目に付くようならば我々で処理する。連絡手段も新たに準備する。話は以上だ」
そう言って目の前の者は再び姿隠しの魔法で姿を消す。
書斎の扉が開き、閉まる。
それを見届けたジェスタッフは葉巻に火を付け一服する。
「――そういうわけだ、分かったなハークドック」
◇
『――そういうわけだ、分かったなハークドック』
地下室を掃除中、突如兄貴と謎の声が地下室に響いてきた。
最初は何の冗談かと思っていたがどうやら書斎に居る兄貴とさっきの奴との会話のようだった。
『未だにピンと来てねぇだろうから説明しておくが儂の屋敷には幾つかの仕掛けがある。その一つが机に置いてある本を本棚に戻すことで作動するコレだ。本来は敵の侵入時に様子を探るための仕掛けだがな』
あー、兄貴の書斎には『絶対に本の位置を動かすな』ってルールがあったけどそういうことだったのか。
地下室も普段は誰の出入りも許されていなかった。
それもこれも全部この仕組みのためか……すげぇな、全然仕組みがわからねぇ。
「いやあ、流石は兄貴ですね!」
『ちなみに声は一方通行だ、くそ馬鹿でかい声を出さねぇ限りはこっちには届かねぇ』
「あ、はい、そうですか」
俺のことなんてお見通しですよね、流石兄貴。
でもなんでまた急にこんなことをしたんだ?
『理由が知りてぇって顔をしているだろうから教えてやる。お前の危機察知能力は優れているが危機処理能力はゴミみてぇなもんだ。だがいざという時に真っ先に動けるのは間違いなくお前だ。その時に対処するには少しでも多くの情報を知っておく必要がある。状況も分からず適当に動いたところでお前にできることなんざたかが知れている。一歩下がった位置から広く情報を受け止めろ、そうすりゃお前の本能もお前を正解の道に逃がしやすくなる』
兄貴は俺のためにこうしてくれたってわけか。
そうだよな、何も知らねぇまま本能様に頼った所であの男と出くわした時のように悲惨な目に遭うだけだ。
俺の今後は本能様に委ねりゃ良い、だが頼りっきりじゃダメだと兄貴は言っているんだ。
本能様が俺を導きやすいようにその手助けを必死にやれと。
「わかりました! 俺、頑張ります!」
『言っておくが掃除もやっておけよ。当面はここに客が来る度にお前の定位置になるからな』
その言葉を聞いてぐるりと地下室を見渡す。
蝋燭の灯りしかない薄暗い部屋、埃まみれで片付けられていない荷物、蜘蛛の巣やネズミの糞、つかゴミだらけ。
なんで誰もここ掃除してねぇんだよ!?
『地下を開かずの間にしたのは仕掛けを知られるためじゃねぇ、汚過ぎて掃除する気にならなかったからだ。まあ頑張れや』
「補足どうもです……なぁに、地道に掃除すりゃあそのうち俺の部屋より住み心地良くなるぜ!」
地下室暮らしなんてなかなかにワクワクするじゃねーか! いやまあ住む気はまったくねぇけど。
部屋が汚くて話が頭に入りませんでしたとか言い訳としちゃあ三流以下だ。
腕まくりをして気合を入れる、さあて、がんばってやりますか!
まずはこの汚れた布とか敷布に良さそうだしこれを洗うとしますかね、ぐいぐいっと。
「あ、なんか本能様が反応して――」
崩れた荷物の雪崩が俺を襲った。
◇
ゼノッタ王が非常に面白い顔をしている。
取り敢えずそろそろ経過報告でもしておこうと思いクアマ城に訪れ、ギルドの相談役達が国家転覆に向けて暗躍していると説明を済ませたところだ。
「なかなか由々しき事態ではないか……迂闊に手が出せん」
「今のところ派閥の勢力拡大を行っている程度ですからね。具体的証拠もなしに動くことはできないでしょうね」
『俺』達第三陣営からの情報を証拠にすることはできない。
魔王を三人も抱え込んでいる陣営の協力を得ていますとか公表したらゼノッタ王の評判がだだ下がりになる。
最悪『魔王に与する王を許すな!』とか立ち上がる連中も出てくるだろう。
「……どうしよう?」
「素直に頼ってくれるのは嬉しいですけどターイズ王はもう少し考えますよ?」
「賢王と比べられても困る。そもそも他国の王は他国の王だ、違いなどあって当然だろう」
わりと良い性格してるよなゼノッタ王も。
「セラエス大司教とは相談しなかったのですか?」
「彼は今別の件で行動をしている。緋の魔王の侵攻に備えた聖職者のチームの編制などでな。ユグラ教が属するのはメジスが主体となるが各国に聖職者がいた方が良いだろうからな」
ヒーラーはどのパーティにも必要ですもんね。
いや待てよ、今のところユグラ教の連中でヒーラーな奴いたか?
どいつもこいつもアタッカー過ぎるよな。
「結局緋の魔王が動くまで彼らも動かないでしょうからね。このままだと相手が選り取り見取りの先手を打ってくるでしょう」
「国の護りを固めれば……」
「緋の魔王に近隣が蹂躙されるでしょうね。蒼の魔王の軍と同等と考えても余力は残せないでしょうし」
「魔王同士をぶつけてもらうわけにはいかないのか?」
「蒼の魔王は非人道的な死霊術を封じてもらっているので戦力がガタ落ち、紫の魔王もちょっと前に主力が壊滅したばかりです。金の魔王はガーネが主力で私兵は皆無です」
『紫』の悪魔達ならば未だにそれなりの数は残っているが下位や中級の魔物だけで緋の魔王の軍勢を正面から押し止めることは無理だろう。
「魔王個人の実力はどうなのだ?」
「三人ともそこにいるイリアスとタイマンで負けます」
コクリと頷くイリアス、微妙に誇らしげである。
「人類も強くなったものだなぁ……」
「そこ、黄昏ない」
「こちらからは手を出せず、後手に回れば面倒なことになる。何か良案はないのか?」
「そうですね、ゼノッタ王がその腰につけた立派な剣で迫りくる冒険者達を返り討ちにしてくれれば万事解決です」
「それは非常に絵になるのだが我が剣は飾りだ、見栄が良いから腰に下げているがそのせいでこの前ぎっくり腰になってな」
「よくそれでこちらを包囲しに来ましたね」
「それはまあ……終わった後だと思ったからだし?」
この人『金』と仲良くなれそうな気がする、いやなれる。
だが結託されると面倒さが絶対に増す、なるべく会わせないようにすべきだろう。
「まずは緋の魔王の復活、侵攻の情報を公表すべきですね。遅かれ早かれターイズ、メジス、ガーネの三国は公表しますので」
「そうだな、蒼の魔王の侵攻があったという時点で民はかなり不安になっている。憶測が飛び交う前にある程度の情報は流しておくべきだろう」
「後は第三陣営のことも一緒にお願いします」
「……良いのか?」
「『俺』個人の情報は控えて欲しいですが三人の魔王が既に中立状態であると分かれば少しは気が晴れるでしょうからね」
無論それを鵜呑みにして安心しきれるほど一般人達は愚かではない。
それでも現在攻め込もうとしているのが緋の魔王だけだと伝わることは混乱を招くリスクを少しでも減らすことができるだろう。
「うむ、わかった。公表日に関しては他国の王と連絡を取って日取りを決めるとしよう。それで具体的に何か手はないのか?」
「ありますよ妙案ですけど」
「妙案か、聞かせてもらえるか」
そんなわけでゼノッタ王に現在考えている作戦を説明。
傍に立っていたイリアスもしっかり聞いている。
話が終わると見事に二人とも良い顔で歪んでいる。
「……えげつないな。ユグラの星の民とはそんなことばかり考えているのか?」
「否定はできませんね。湯倉成也も大概ですし」
「しかし……だが確かに効果的では……いやいや……」
「大丈夫ですよゼノッタ王」
「まるで大丈夫な感じがしないのだが」
「いえ、手段はこちらに一任してもらうことになっているのでゼノッタ王が悩む必要がないという意味です」
「……よし、何も聞かなかったことにする。私は真面目に仕事をしなければな!」
このおっさん、ある意味ではマリトより政治家向きだよな。
リアル都合で数回分の更新速度が遅くなると思われます、ご了承をば。