とりあえず休ませて。
「この不味さはなんとかしないとな」
この世界の料理は数度食べている。
出店での食事だって同じだ。
そしてこの世界の味に拒否反応を示すことはなかった。
だがゴッズの料理は正直にいって不味い。イギリス料理を思い出す。
生野菜のサラダがあるのは良い。オリーブオイルの様な油を掛けてあるのも良い。
だがあまりにも油臭い。バージンオリーブオイルというより、お徳用サラダ油をぶっ掛けたサラダと言えば伝わるのだろうか。
次に肉、硬い。ガッツリ焼いて筋も残っているステーキは噛み切れず、草履でも噛んでいるかのようだ。無論塩味もなく、申し訳程度のスパイスも噛み切っている間に味が無くなり、後は顎のトレーニングだ。
他の料理も栄養さえ取れれば問題ないだろうと言いたげな主張をし、味の良さを伝えようとしない。
「サイラが作った方が良い気がする」
「店長給仕できないのー。それに私も細々とした節約料理くらいしか自炊しないし……」
ほろりと涙が出そうになる。
しかしこれで潰れずに給料も出せると言うことは、酒だけで持たせているのだろう。
ざっと酒の在庫を見せてもらう。
うん、これは良い。
厨房の底に酒蔵が作られており、ひんやり涼しい中に多くの酒が陳列している。
鼻腔をくすぐる酒の匂いは確かに喉に飲酒欲求を求めてくる。
「料理を良くしようとは思わなかったのか?」
「そりゃ思うときもあるさ、だが習う相手もいなくてなぁ」
「主婦にでも頭下げろよ。それだけで売り上げ伸びるぞこれ」
「うーむ、この顔だとなぁ」
「新米騎士にしょっ引かれたこと多々あるもんねー」
なるほど、この図体と強面が影響しているのか。
「よし、昼は店を閉じよう、どうせ客来ないだろ」
「た、たまには来るんだぞ!」
「どうせふらっと立ち寄った新規客だけだろ、リピーターなんか付くか!」
「お兄さん、鋭い!」
「分からん方が鈍い」
夜の仕込みは既に済んでいるらしく、店をクローズさせ二人を連れて教会へ向かう。
「なあ兄ちゃん、なんで教会なんだ?」
「そりゃここに美味い飯を作れる人がいるからだ」
マーヤさんを訪ねるとマーヤさんは昼食後のお茶タイム中、こちらの分も用意して迎えてくれた。
「早速知り合いが増えたのね坊や」
「『犬の骨』の店長のゴッズ、こっちは給仕のサイラ。実は折り入って頼みがありまして」
そして大よその事情を説明、そして一品だけでもいいので簡単な料理のレシピを教えてもらえないかと。
それにしても二人はガッチガチに固まっている。
あーこのパターンはあれだ、あれだよな。
「ひょっとしてマーヤさんって昔有名だったり?」
「そうねぇ、昔は悪霊払いとしてぶいぶい言わせていたわ」
「ぶいぶいて、そうなのかゴッズ?」
「ああああ当たり前だ! マーヤ様はこのターイズ国が認める信仰で最も数の多いユグラ教、そのターイズ支部の最高責任者だぞ!?」
「マジかよ」
「マジなのよ」
なんでこいつら揃いも揃って後出しで有名人設定ついてくるの?
色々頼みごと投げちゃってる身としてはどんどん立つ瀬無くなっちゃうんだけどさ。
「それじゃあ忙しくて頼んでる場合じゃないか……」
「良いわよ、暇だし」
「暇なのか」
「厳密に言えば本部への報告が終わって対応待ち。他の執務は若い子がやってくれてるわ。久々に肉体労働したから皆優しいのよねぇ」
老体に鞭打ってという年には見えないのだが、国内の最高責任者が前線で戦った分、他の者達が立場を取り戻す為に奮闘しているのだろうか。
それともイリアスのように全員がビビるような戦い方をして、恐怖を刻み込んだのか。
詮索は置いておこう。
「それじゃあ頼みます」
「兄ちゃん、俺の意思は」
「無いよ。マーヤさん相手ならその強面も問題ないだろう」
「俺が萎縮しているんだが」
「だらしないねぇ。坊やなんて私を脅すくらいには度胸あるってのに」
「何やってんだ兄ちゃん!?」
憑依術の件は仕方あるまいて。
「それは置いておくとして」
「置いていいものなのか?」
「マーヤさん。この国って塩は売っていないんですか?」
「あら、随分希少な物を知ってるのね」
「日本、元いた場所では有り触れた物なんです」
「そうなのね。知っていると思うけど、ターイズは森と山に囲まれた国。自国での生産は無いわ」
「と言うことは商人が持ち込んでいると?」
「そうね。いくつもの国を経由しているからその分高価な品ね。一部の貴族の嗜好品として取引されているわ」
「森山な分香辛料は豊富でも塩はそんな感じか、塩胡椒とか売れるんだろうなあ」
相場を聞くと確かに高い。
一キロ当たり金貨一枚、日本円で言えば一万円。
江戸時代の三陸地方でもそんなにしなかっただろうに。
海が無ければ直接の製法はほぼ絶望的、塩湖も期待できないだろう。
残る方法は岩塩の採掘だ、海外ではむしろこちらの方が多い。
だがこの様子だとそういった手法は使われていないようだ。
世界の歴史において塩は古代から金と同等に扱われる縁の深い物だ。
それがこれほどの文明が発達してなお普及が少ない。
狩猟時代では動物の内臓や骨から塩分を摂取していた。
それが穀物や野菜を多用するようになり、塩の需要は増したのだ。
塩を給料にする時代もあれば塩の為に戦争が起こったこともある。
塩と言う存在があるのであれば、この世界もそれは同じ歴史を辿っていても不思議はない。だがこの塩の普及体制の低さはなんだ?
「向こうの国では塩は必要な栄養源として様々な方法で精製されています。ここではそうではないのですか?」
地球での塩の歴史について知っている範囲でマーヤさんに話す。
ふむ、とマーヤさんは思案顔を見せ話す。
「考えられるのは魔力の有無かしら。自然の多い土地で取れる野菜や穀物にはそれなりの魔力が含まれているの。良い土地で作られた物ほど健康に良いって風習はあるわ」
なるほど、ミネラルを魔力で……ありなのかそれ。
ああ、でも少し納得した。
自分の体に含まれる魔力量が子供並、下手すればそれ以下な理由。
この世界の人々は日常から魔力を含んだ食事を摂取しているのだ。
魔力も立派な栄養源、多分人間の生存に必要な栄養素の代わりをする機能があるのだろう。
つまりは摂取すべき食材という物が無く、その土地で作りやすい食べ物をきちんと生産すれば良いのだ。
塩は必然性を失い、嗜好品としての立場から動かないというわけか。
と、言うことはだ。大陸であるこのターイズではこの付近の山中に岩塩が眠っている可能性もあるのか。
だからと言って今からピッケルかついでどうこうするわけにもいかない
「塩があれば料理の質は格段に上がるんだがなぁ」
「そんなに欲しいなら商館に口利きしても良いわよ? 少しは割引してもらえると思うわ」
「それはありがたいんですが、今回安く仕入れたとしても供給が安定しないことには……いや、待てよ? マーヤさん、商人の形態について教えてもらえます?」
暫しの講義の後、子犬のような目をして不安がるゴッズを教会に残し、サイラと共に商館へと向かうことになった。
そして商館に到着、マーヤさんに貰った紹介状を見せると奥の部屋に案内された。
来賓の客を迎える部屋のようで、この世界に来てから見た最も豪華な部屋である。
しばらく座っていると朗らかな笑顔の壮年男性が姿を現した。
綺麗な身なりに整えられたオールバック。
その表情は自信に満ちており、熟練の商人であることはひしひしと感じられた。
「初めまして、この商館の主、バンと申します」
「さ、サイラと申します」
再び緊張しているサイラ、今回は仕方あるまい。
将来服屋を経営するなら商人とのやり取りは必須、その将来の取引相手でも上位の立場にいる相手との対談の場に連れて来られたのだから。
こちらも軽く自己紹介を行う。
「マーヤ様からの紹介状を読ませていただきました。塩をご希望のようですね、もちろんございます。マーヤ様からの頼みとあればこちらも価格を色々勉強させてもらうつもりです」
「いえ、今回欲しい分に関しては相場通りで構いません。提供していただくだけで十分ですので」
「おや、そうですか。では他にどのような?」
「この国での塩の相場を下げたいと思っています」
「――詳しいお話を伺ってもよろしいですかな?」
「塩の需要量を増やしたいのです。そして供給数を増やし、仕入れ値を下げていきたい」
「そうですね、需要さえ増えればこの国に入る塩の量も増えるでしょう。そうすればこちらも安く仕入れることができる。ですがそう簡単にはいきません。相場は日々変化しますがその変化は緩やかなもの。急激な変動があると言うのは戦争や飢饉でも起きなければ難しいでしょう」
「この国が戦争を始める気配はないし、飢饉の心配も薄い。さらに言えば塩はそれらに該当しない」
地球の世界ならば塩は必需品なので該当するのだが、魔力で塩分供給が必須ではないこの世界では限定地域でしか取れず嗜好品扱いとなっている塩はそういった影響を受けない。
「ええ、ですがその提案をするということは何か案があるのでしょう?」
「今度国民が利用する店で塩を使った料理を提供し、その価値を認めさせようと画策しています」
「ふむ、確かに味が良くなり売り上げも伸びれば真似する店は増えるでしょう。ですが塩の扱いを心得ている者は少ない。扱いきれますかな?」
「ええ、実は故郷の国が塩の産地で塩は家庭でありふれた物でして」
「なんと、海岸傍の出身でおられましたか。道理で塩への思い入れが強いはずだ」
「バンさんにはこちらで増えた分の需要に合わせて、塩を都度入手できるようにしてもらえれば十分と思っています。最初はさほど増えないと思います。ただ在庫が切れない程度に手配を続けてもらえないでしょうか?」
「ええ、その程度でしたら構いません。その分は買い取っていただけるでしょうし、上手くいかないようであっても塩は日持ちするので腐る心配もないでしょう」
これで品切れになる危険性は無くなる。
生産コストが増えるが極端な値上げはできない。食事での儲けはむしろ減る可能性があるが、客が増えれば酒が出る。
少量だけしか使わない塩ならば、その分のマイナスは十二分に取り戻せるだろう。
将来的にはそのコストも下がるだろう。
後は残ったアイディアを伝えるとしよう。
「ひとまずは高級品のままで良いと思っています。その範囲で需要を増やし、緩やかに下げて行きたい。最終的な目的は嗜好品を大衆化の潤滑油にしていきたいなと」
「ほほう、それは大きい目標ですな」
「ですが良い機会だと思っています、今回の山賊討伐成功を切っ掛けにターイズに足を運ぶ商人も増えるでしょう。商人が増えると言うことは様々な品物がやってくると言うことです。この国の王は臣下からの評価も高い優れた王と聞きます。国が豊かになれば民達も様々な物への購入欲を持ち始めるでしょう。既に酒という嗜好品が前例にありますしね」
「ふむふむ、その点は大いに同意です。今回の山賊討伐の流れを機に嗜好品を広めて市場の拡大、私も考えておりました」
「その中で最も自分にとって価値を理解している塩を流行させようと思っています」
「わかりました。軌道に乗るようなら是非私にも協力させてください。ツテならば多数心当たりがありますので」
「ありがとうございます」
これでこの国の食文化は進むことになるだろう。
そしてそれに一枚噛む事ができれば多少なりとも利益を得られる可能性も……!
「それと、これは与太話程度に聞いて欲しいことなのですが……バンさんは岩塩をご存知ですか?」
「ええ、本来海で取れる塩ですが時折山脈からも塩を含む鉱石が取れると言う物ですね? ですがターイズで使用されている鉱山で岩塩が取れたと言う話はまだ聞いたことがありません」
「はい、ですが最近新たな洞窟が発見されています。未開の地が多いこのターイズの山々を調べればひょっとすればと言う可能性もあります。今後これを調査していこうと思っています」
「ふむ、上手くいけば国にとって有益な資源となりそうですな」
「木が生えている山だと可能性は低いですけどね。どちらかと言えば山塩が取れないかと言う方が本命です」
「山塩? そちらは初耳ですが」
「山塩と言うのは塩を含んだ温泉水を煮詰めて取る塩です。岩塩ほどの供給はありませんが、海と縁のない山でも取れる塩としては場所によっては重宝されています」
「ほほう、そのような物があるのですか」
「洞窟が多々見られ、川が流れる豊かな山ならば栄養価の高い地下水などが眠っている可能性は十分あります。その中に塩が含まれていれば取れるでしょう」
この国で塩が取れる、それはこの国発祥の流行を生み出せると言うことだ。
他の国から流れてくる流行ならば手軽に流行らせることもできる。
だが自国から発祥した流行は外に流れると言う副次効果がある。
経済を回す手段は多い方が良い。
「ふむふむ、なかなか興味深い話ですな」
「ですがこれは見つかれば今後扱いの際にご協力をお願いしたい程度ですので、話半分として期待はしないでください」
「いえいえ、面白い話を聞かせてもらいました。なんでしたら投資しても良い程ですな」
「それは助かりますが、不発に終わる可能性もありますよ?」
「塩に限った話で言えばそうです。むしろ成果が上がらない可能性の方が高いでしょう。ですが私として着目しているのは未開の地を調査すると言うことです」
バンさんの表情は未知の冒険を前にした少年のように輝いている。
合理主義を突き詰めた商人というわけではない。冒険心を忘れない勝負師の面も持ち合わせている。
確かに未開の地を調査すれば新たに有益な鉱山が見つかる可能性もあるだろう。
そうなればバンさんにとっては新たなビジネスチャンスとなる。
「この国にまだ眠っている財宝があるやもしれない。その発見の可能性を探る。そういった話は商人としてワクワクしますからな!」
「とはいえ、大損するような危険は冒せませんからね。可能性が見えるまでは道楽程度に留めましょう」
「ええ、しかし良い話を聞かせていただきました。よもや貴方のような若者に年甲斐も無く興奮させられるとは思ってもみなかった。マーヤ様が紹介するだけのことはある」
「そこはただの運ですよ、偶然知り合ったからその縁を活用できただけのことです」
「運も実力の内、是非今後もご贔屓に」
こうして塩を購入。相場としては一キロ程で金貨一枚であったが銀貨八枚で購入することができた。
今後バンさんのところを贔屓にしてもらうと言う約束はさせられたが。
しかし懐がどんどん寒くなっていく。
だが成功すると決まったわけではないのだから、ゴッズに塩代を請求するのは酷だ。
上手くいかないようなら今後自分ひとりで利用するとして、悪くない買い物だと割り切ろう。
「ねぇねぇ、お兄さん。私必要だったの?」
「ああ、バンさんから見てサイラの姿は『勉強の為に連れて来た子』として映っていた。今回の場合はこちらが商売熱心な人間に見えただろう。だからバンさんのような立場の人でも若造相手に丁寧に対応してくれたと見ている」
「ほぇー、そんなことまで考えていたんだ」
「ただバンさんが純粋に良い人だったという可能性もある。そこはただの幸運だ」
個人的には投資の話をもらうその手前までいければ十分だと思っていた。
調査する際にどのようにすればいいのかなどのノウハウが聞ければ個人で調査し、説得材料が見つかれば交渉というプランだったのだが……嗅覚が鋭いのだろう。
こちらとて山塩だけを考えていたわけではない。
ドコラの所持していた地図には未使用の洞窟などの情報もあった。
拠点としては向かない為に使用されていなかったのだろうが、目印の情報としては記載されていた。
彼らが未開の土地を事前に探索してくれた上、その地図を残してくれていたと言うわけだ。
何かに使えない物かとこっそり写しを一枚手元に残しておいたのは内緒だよ?
「さて、目的の塩は手に入った。早いところゴッズの所にいくとしよう。できれば一品二品は塩を使った料理を考えておきたい」
「りょーかい!」
そして夜が来る。
『犬の骨』には酒目当ての客がぽつぽつ集まり始める。
一日の労働を終え、肉体への感謝と自分への褒美として美味い酒を飲む。
その風習は世界が変われど同じである。
さあ、リニューアルしたゴッズの料理のお披露目だ!
と言いたいのだが、当然ながら問題はある。
不味いと分かっているゴッズの料理を頼む者などいないのだ。
酒の肴として、出店で売っていた焼き鳥を持ち込む奴もちらほら見かける。
飲食店に食べ物を持ち込むのは本来好ましいものではない。
だがこの店の料理の不味さを知っていれば持って来るのも頷けるし、ゴッズもそれをよく理解している。もちろんそれを考えていないわけではない。
「はい、お酒おまちー!」
「おう、ありがとうなサイラちゃん! って何だコリャ? こんなもん頼んでねぇぞ?」
「実はですねーこれ『犬の骨』の新メニューなんですよー! 試食と言うことで無料でお出ししているんですー」
少量ではあるが試食させる為、お通しとして提供する。
頼まないのならタダで食わせれば良いのだ。
「へぇー、つってもゴッズの料理だろ? 食う気が失せるなぁ」
「でもよ、結構良い匂いじゃねーか?」
「そういやそうだな、まあ不味けりゃ酒で流し込めば……お、こいつは!」
最初は訝しげな態度で口にしていた客達が目の色を変えて二口目、三口目と手を伸ばす。
「おい、こいつ美味いぞ! 酒が進む!」
「本当だ! ゴッズ死んだのか!? 別の奴が料理を作ったのか!?」
「勝手に殺すな!」
厨房からゴッズの怒声が響く。
最初に用意した物、それは芋系の野菜を薄くスライスし油で揚げ塩を振りかけたもの。
後は細長くカットしたものを同様の手順で調理したもの。
要するにポテトチップスにポテトフライだ。
ジャンクフードの定番であるが塩だけで味付けができ、塩の良さを理解するのに効果的でお手軽な食べ物と言えばこれだろう。
浅漬けなども考えたが塩の消費を考えると流石にコストが洒落にならない。
今回用意したレシピは少量の塩で作れるものがメインだ。
「サイラちゃん、これ追加で注文いいか!?」
「はーい、了解ですー」
「他に新メニューはあるのか? あるなら食ってみてぇ!」
「いくつかありますよー! じゃあ持ってきますねー!」
塩だけではサラダの改良は難しかったので今回はパス。オリーブオイルと塩というのも悪くないのだがこの場にいるのは男ばかり、口に合うかは微妙なラインだ。
ステーキはマーヤさんに下準備を学んだ事で焼き過ぎず、柔らかく仕上げることができるようになっていた。それに塩と辛めの香辛料にニンニクのような薬味が加われば上できだ。
骨付き肉と野菜を煮込んだスープも、それだけでしっかりと味わえる程度になったが塩の一振りでさらに味がぐっと引き締まっている。
今まで塩と遠い生活をしていた者達にとってこのメリハリのある味は新鮮だろう。
とは言え今まで塩分控えめの味に慣れていたのだから、急に塩辛い味付けになるのはよろしくない。個人としてはもう少し欲しい所で留めている。
「この焼き鳥うめぇ! 持って来た奴の比じゃねぇな!」
「なんだよこのスープ、ゴッズは俺のお袋だったのか……」
「肉も美味い! 酒もお代わりだ!」
「ちょ、ちょっと待ってー!」
サイラが慌しく店内を駆け回る。
こちらも厨房で野菜のカットや洗い物に追われている。
ゴッズとしてはいきなり新しい料理を作っている為、どうしても作業速度が落ちる。
故に臨時の手伝いとして頑張る所存だ。
肉体労働のつけが怖いなぁ……。
食べ終わった客が帰る際に口コミで広めたのだろう。来客も次々とやってきて閉店時間ぎりぎりまで大忙しで一日を終える事となった。
「うおお、明後日の分まで仕入れておいた食材が尽きちまったぞ」
「はふー、疲れたぁ!」
最後の客が出て行った後、崩れる二人。
なお、助っ人は既に倒れています。もう無理。
初日でここまで忙しくなることは想定外だった。
従業員不足は何とかしなければ、この二人ではやっていくことは難しいだろう。
「下準備ができて、夜は給仕に回れる人材をもう一人か二人雇っても良さそうだな。今日は下準備に時間を回せなかったから特に大変だったが、上手い事効率化すれば楽になるはずだ」
「そうだな、それまで我慢してくれよサイラ。給料割り増しすっからさ」
「嬉しいけど嬉しくないー」
売り上げも好調、塩の消費も激しいが採算は十分に取れている。
明日にも追加で仕入れないと足りるか不安な所はある。
ふらふらになって帰っていったサイラを後にして、ゴッズと塩の仕入れについての相談を済ませ、明日以降の食材調達のプランを立てる。
気づけば深夜、筋肉痛は悪化する一方で歩く気力も無くなった現代っ子は店のスペースにて眠ることになったのであった。
◇
時間は遡り、その日の夕方。
イリアスは自宅の前にいた。
彼を家に招いた後、放置したまま一日以上が経過していた。
城に泊まる程の激務は久しいが、鍛え抜かれた精神と肉体の前には一日二日程度なんの支障も無い。
気がかりと言えば家に残して来た彼の事だ。
思えば街の案内もろくにしていなかった。
彼なら上手く立ち回っているだろうが、気になるものは気になる。
「そういえば人のいる家に帰るのは何年ぶりだろうか……」
両親が存命の頃は彼らが迎えてくれていた。仕事でいない時も執事達が迎えてくれていたのだ。
両親が亡くなり、屋敷を維持する必要もないと判断し引き払ってからは、誰もいない静かな家に帰る日々。
そう思うと、誰かが待っている家に帰る事に対し、少なからず楽しみを抱いている自分がいた。
そういえば彼には取っておいた父の服を、自由に使って良いとも言った。
体格は似ているからきっと服も合っているだろう。
そうだ、ラグドー卿から彼も式典に参加するよう言われたことを伝えねば。
驚くだろうか、だが彼の功績を考えれば当然のことだ。
それに明日は休みだ、じっくり街の案内をしてやるとしよう。
執務以外の時間帯のことを考えたのはいつ以来だろうか。
浮き足立っている自分を省みて、小さく笑う。
「――今帰った、長く放置してすまないな」
しかし反応はない。
一階を見渡すが彼は見えない。
二階にいるのだろうと周囲を見渡す。
掃除の跡が見られる、この感覚も久しぶりだ。
二階に上がり、彼の部屋をノックする。
反応はない、念のため開けてみるが彼はいなかった。
「出かけているのか。それにしてもしっかりと掃除しているな。感心感心」
他の部屋も確認したが、自室以外掃除されている。
武具の手入れだけはされていないようだが、置いてあった場所は綺麗にされている。
「マメなんだな……」
これは彼が帰ってきたら礼を言わねばなるまいな。
ひとまず着替えておくとしよう。
「……遅いな」
日は沈むが彼は帰ってこない。
一緒に食事でもと思ったがこの様子では外で食事を済ませてくるだろうか。
仕方ない、先に食事を取るとしよう。
とはいえ食材は日持ちのいい乾物ばかり、調理するも味気ない食事となった。
「……」
食事の片付けが終わっても彼は帰ってこない。
もしや出て行ったのではと不安になり、彼の部屋を見たが彼の服が洗濯され、丁寧に畳まれているのをみるに留守にしていただけだろう。
流石に明日になれば帰ってくるさ、今日はもう寝るとしよう。
溜息を吐きながら寝室へと向かうのであった。