次に教えるのは。
※ややエグイ行動あり。
『地球人』の様子見は十分に行った。
王様から話を聞かされた後に奴が取った行動は研究所を調べること。
そして次にあのガキに事情を細かく質問していた。
奴なら俺の仕込みにゃ気づいたと思うべきだが、まあそれが狙いなんだがな。
そこまでの行動はなかなかに見ごたえもあったのだがその後の行動が少し拍子抜け、なんとガキと別れた後に奴は料理を作り始めていた。
見た感じ菓子だがガキの気を慰めるために料理て、お前は主婦かよ。
その後油で揚げた菓子をいくつかのバスケットに分けて収納、再び王様の所に向かった。
『なんだいそれ?』
『ノラがほとんど食事をしていないようでね、少し食欲が湧きそうな物を用意した。マリトの分もあるから軽食がてら食べると良い』
『確かに良い匂いがするけど……執務室に匂いが残りそうだね』
『ああ、そこは少し配慮が足りなかった。悪いね』
さて、今が頃合いか。
部屋にいるのは『地球人』と王様、護衛の女騎士とユグラの子孫。
ユグラの子孫は俺が王様に手を出さねぇ限り動かないだろうし、逆に王様が手を出さないようにするだろうな。
女騎士の方は特に問題ねぇ、人としては規格外だろうがそれだけだ。
部屋にある空いたソファーの上へ転移、まだ姿は見せない。
傍に置かれたバスケットの一つを手に取り中身を確認。
良い匂いのする焼き菓子、油で揚げてあるのかその強い匂いだけで腹が鳴りそうになる。
念入りに魔法でチェック……毒といった仕込みもなし。
せっかくだから頂くとしよう、バスケットの中に手を突っ込み焼き菓子を手に取って頬張る。
そして同時に奴等に俺の存在を知覚できるようにしてやる。
「お、うめぇなこれ!」
「……ッ!?」
咄嗟に反応したのは女騎士、男二人は『やはり来たか』と言いたげな表情。
でもこれ本当に美味い、バスケット一つ全部イケるわ。
「君の分を作った記憶はないのだけれどね」
「かてーこと言うなよ『地球人』、来客はもてなすのが礼儀だろ?」
「よくもぬけぬけと――」
「イリアス、君が怒るのは構わない。だがこの件は『私』が対応すると言ったはずだ」
女騎士が抜剣しようとしたが『地球人』がそれを制止する。
ふぅん、『私』ねぇ?
この男は一人称を時折使い分けて立ち回りを行っている。
男の過去等を照らし合わせた結果、普段は一人称を使わないようにしており感情的な時は『俺』と口にするようだ。
そして『私』と口にするとき、それは危険な相手を対処する時。
感情に流されず、冷徹に事を進める奴の最も黒い部分。
いいねぇ、いいねぇ、そう来なくちゃ。
どうやら奴さん本気で俺を相手にしてくれているようだ。
そうでなくちゃつまらねぇ、悪役を買って出た意味がねぇ。
バスケットから次の焼き菓子を取り出し、頬張りつつ話を始める。
「んぐ、対応するつっても何か用事でもあんのか?」
「もちろんあるとも、昨日のルコの件さ」
「何か問題でもあるのか? あのガキは禁忌に触れた、だから殺そうとした。そしたら嬢ちゃんが邪魔したからああした。殺さないだけ良かったと感謝される覚えはあるが恨まれる筋合いはねぇよな?」
「ノラが自力で禁忌に触れただけならね。だけどそれは君が仕組んだことだ」
来たか、やっぱ勘は良いなコイツ。
「はて、何のことやら? 俺が何かしたって言いたいのか?」
「ああ、ノラに確認したところノラは棚にあった『私』の作った資料を見て今回の禁忌の構築理論を思い付いたと言っていた。該当する資料も確認させてもらったよ」
「そのようだな、『地球人』の資料が切っ掛けとはいえ末恐ろしい才能だよなぁ?」
「だが本来ならばその資料をノラが読むことになるのはもう少し先の話だった。それはまだノラに見せる予定のなかった資料だったからね」
「興味本位で勝手に見ただけだろう?」
「いいや、ノラが研究室で行う作業はいつも決まっている。棚を開け手前に置いてある現状の研究資料を手に取り作業を開始し、終わったらそれを棚に戻す。これだけの単調な作業だからね。あの子は目先の研究に意識が向いている時は他に手を出すことはない。それこそ偶然興味を引く資料が目に付かない限りはね」
「じゃあ目に付いたんだろう?」
「目に付かせたんだよ、君がね。ノラの独自に行っていた研究を知った君はそこから禁忌へと派生できるような資料を抜き出しノラの視野に入るように並べ替えた。ノラが資料を取り出す時、直す時に気付けるようにね」
ご明察、これは些細な罠だ。
あのガキは『地球』の知識という切っ掛けから禁忌へと至る道筋ができていた。
ならば更なる切っ掛けを与えればと仕込んでおいたのさ。
遅かれ早かれ気づくだろうと長い目で見ていたが思ったよりも早く事が起きてくれた。
だがここで認めるほど優しくはないぜ?
「それを俺がやったと?」
「原則として研究室はルコの持っている鍵でしか出入りができない。ノラが例外として壁を抜けていたがその箇所に異変があればノラが気づいている。そんな場所に誰にも気づかれずに忍び込み『日本語』で書かれた禁忌に関する資料を抜き出せる人物に心当たりがあるなら聞きたいけどね?」
「その条件じゃ思いつかねぇな、復活待ちのユグラは別として。だがあの嬢ちゃんが偶然並べ替えた可能性だって――」
「外部の人間の犯行でしかないよ。ルコはとても几帳面でね、資料はいつもしっかりと直すんだ。逆にノラは背が低いから棚の高い箇所に直す時はどうしても雑になる」
「しっかり直すのと雑に直すの二択じゃねーか、だったら可能性はあるだろう?」
「しっかり直すというのは言葉通りの意味しっかりだよ。ルコは後日使わない資料を全て順番通りに直す」
「順番?」
「『私』の作った資料には全て裏側に番号が記載されている。確認したところ幾つかの資料が順番を無視して手前側に置かれていた。禁忌に手を出させようとして切っ掛けを用意し過ぎたね」
うわマジかよ、なるべく元通りに戻してはいたがそうなりゃ不自然だわな。
『日本語』で書かれていた禁忌への切っ掛けが前に出されている、そりゃあダメだわ。
俺以外に犯人らしい奴がいねぇ、見ず知らずの誰かさんをでっち上げてもボロがでるわな。
「……いやぁ、参った参った! 目ざとい奴だな『地球人』」
「自白は取れたとして、理由を話してもらいたいところだね」
ああ、そうだ。
俺がやったことと分かればこいつは必ず理由を聞く、それを待っていた。
「この世界の人間が切っ掛けだけで禁忌に届くか試してみたかったからだな。いやあ知識さえありゃユグラみたいな奴じゃなくても禁忌に届くってのはなかなかに面白い結果だった」
「自分で仕組んでおきながらノラを殺そうとしたのかい?」
「そりゃあ俺のせいで禁忌が生まれるってんなら後片付けしなくちゃダメだろう? それだけの理由だが何か問題があったか?」
「貴様……」
奥にいる女騎士が低い声で唸る。
王様も冷静なフリをしているが怒気と殺気がいい感じに漏れてやがる。
綺麗好きなこいつらは仲間を傷つけられることをとことん嫌う、その理由が自分勝手であればあるほどに。
自分が大切にしている者達がくだらない理由で危険に晒されりゃ憤慨するよなぁ?
さあ『地球人』も怒れ、その余裕の表情を崩してくれよな?
知っているんだぜ、お前さんがこっそりと俺への報復手段を用意していたのは。
余裕を見せながらバスケットの焼き菓子を空っぽにする。
次のバスケットに手を付けますかね、いや結構腹いっぱいになったしなぁ?
一つはお土産に貰っていくとするかね、ご馳走様。
「だから最初に言っただろう、ルコの件で問題があるとね?」
温和な表情を変えずに『地球人』が木の剣を女騎士に預け、こちら側に歩み寄って来る。
そうそう、論破したいことがあるならどんどん言ってちょーだい。
俺はそれを煽り返して敵意を生みだせりゃそれで良い。
「ふぅん、てことはガキの件はどうでも良いのか?」
「君は禁忌の番人の範疇で行動を行っている。背景はどうあれノラに行ったことも禁忌の番人として誤魔化しが利く範囲で行動していると見れる。そこは譲ってあげても良いさ」
「おやおや、寛大なご処置なこって」
「だけどね、ルコを巻き込み彼女を脅したのは君の範疇外だ」
「それは嬢ちゃんが邪魔をしたって言っただろ?」
「君にとってルコの邪魔が何の意味がある? ルコがどう動こうと君はノラだけを迅速に殺せる力を持っている。禁忌の番人としてそれを執行できる位置にあった、だけど君は敢えてルコを巻き込んだ」
ふむ、確かにそうだな。
あの嬢ちゃんを無視してガキを殺すことは余裕だった。
俺の仕事は禁忌に触れた奴をぶっ殺すこと、それだけささっとやっちまえばいい。
俺にはそれができた、だがわざわざ回りくどい真似をしたことになる。
なるほど本業としても筋が通らねぇな、お見事。
んじゃあ煽らせてもらおう。
「それは俺の趣味嗜好だからなぁ、女子供をビビらせるのも楽しいからよ?」
「それはあまり好ましい趣味じゃないね」
一歩、また一歩と歩み寄り『地球人』はすぐ俺の目の前へと到着した。
ここならワンモーションで手が届く距離、もちろん何も怖くねぇ。
「悪くなかったぜ? ガキが漏らすのはなかなかに愉快だったしなぁ」
「何度も言うけどノラの件に関してはとやかく言うつもりはないよ。『私』が不服に思っているのはルコを巻き込んだことだ。君が相対する必要のない『私』達の身内に手を出したことだよ」
「ふぅん、それで何がしたいんだ?」
「然るべき報復さ」
来た、『地球人』は少ない動作で袖に隠してあった物を取り出しこちらに突き出す。
それはナイフ、ガキの居た王様の妹の部屋にあったナイフの一本を懐に隠していたのを俺はしっかりと観察していた。
常人なら虚を突かれるかも知れねーけどさ、お前みたいな雑魚の奇襲なんてなんともねーんだわ。
ナイフの種類は……ぱっと見普通のナイフだな。
表面に毒を塗られている形跡はなし、魔力の反応もねぇ。
狙いはこちらの口か、そのムカつく口を黙らせようって魂胆かね?
体内の魔力強化が難しいってのもあるだろうが、それにしてもおざなり過ぎねぇか?
女騎士に預けた木剣なら可能性はあっただろうが魔力強化なしのナイフじゃ喉の奥を突き刺されたところで肉一つ傷つかねぇんだよな。
でもそれじゃ弱ぇ、回避なんて危険を感じる行動も論外、ならこうするだけだ。
ナイフは真っ直ぐ俺の口に向かっている、俺はその刃を歯で挟み込み受け止める。
「……」
「はんねんはっはな、ほんなほん――」
っておいおい、受け止めたってのにぐいぐい押し込んできやがる。
首の力だけで体は動かねぇし、顎の力で刃が滑ることもねぇ。
それでもこいつは表情変えずに……ああうぜぇっ!
顎に力を入れナイフをかみ砕く、それを見てか奴は僅かに離れた。
こんな安物のナイフじゃ痛くも痒くも――
「うごぁッ!?」
口の中に広がる不快感、全身に走る震え。
咄嗟に口に含んでいたナイフの破片を吐き出す。
地面に吐き出されたナイフの破片に混じって青い液体のような物が見えた。
一体どうやって、いやそれよりもこれは何だ!?
舌に絡みついた感触が消えねぇ、食道と胃がバクバクと痙攣しやがる。
毒か、いや俺に毒なんて通じねぇ!
……あ、無理だ。
「お、ご、えぇぇっ!」
さっき食っていた焼き菓子を吐き出す、それでも吐き気は止まらず胃の中が空っぽになるまで何度も……何度も……。
これはアレだ、ただひたすらに不味い。
苦くて酸っぱくて、怖気が走るレベルで不味い。
今なら犬の小便が混じった泥水を啜ってもマシだと思える、それほどに不味い液体を口の中にぶち込みやがった。
「人がせっかく作った料理だ、戻さないでもらいたいところだね」
「て、てめぇ……何を……」
「今君が嚙み砕いたナイフは君が見ていた通りミクスの部屋から失敬した仕込みナイフでね。刃を取ると中が空洞で色々と仕込めるんだ。ミクスは魔石を入れて爆破させ、魔封石を入れて相手の傍の魔法を無力化するといった手段を取っているが、今回仕込んだのはこれだよ」
そういって『地球人』はポケットに手を入れソレを取り出した。
それは鮮やかと言うよりも禍々しい色合いをした虫の死骸、芋虫の類だ。
「これはイトエラ蝶の幼虫、イトエラ蝶自体は特に目立った品種ではないのだけれど幼虫の姿はなかなかに特徴的だろう? こういった派手な色合いの虫に共通するのは毒を持つか非常に苦いということ。鳥などが一度食べれば二度と食べないようにするためにワザと目立つようにしているわけだね」
「なんで……そんなもん……」
「この幼虫は薬に使われていてね。乾燥させ粉末状に砕き他の薬にほんの少量だけ混ぜると薬の効果が早く体に回るようになるのさ。薬自体が非常に苦くなるといった欠点もあるけどね。ナイフにはこの幼虫を細かくした物を仕込んでいた、薬草集めのついでに回収しておいたのが役立ったよ」
ナイフに仕込んだっていつ……いや、機会はあった。
それは奴が料理している時だ、それなら何かをまな板で切っていても不自然じゃねぇ。
いやいや、だからと言ってそんなこと狙ってできるわけがねぇ!
「ああ、君が普段から『私』の行動を監視しているのは知っていたよ。いや、そうしているだろうと理解していた。だけど君の性格ならば単調作業を延々と凝視することはしないだろう? だから少しばかり多めに焼き菓子を用意したのさ。ついでに言えばナイフを口に向かって突き立てれば歯で止めることも、さらに押し込めば嚙み砕くことも、全部織り込み済みだよ。ついでに言えば何度も吐くことになる焼き菓子を美味しそうに腹にため込むこともね」
こいつ、そのためだけにここまで回りくどい真似を、俺に苦虫を噛み潰させて吐かせるためだけに!?
なんつー底意地の悪い奴だ、用意周到にも程度があんだろ!?
……いや、だがこれで俺の目的は果たせた。
奴は敵意を持って俺に接触した、奴は俺を敵と見なした。
思った以上に苦々しい思いをさせられたがこの勝負は俺の勝ちだ!
これで俺は人間と第三陣営の敵として動くことができる!
「はぁ……はぁ……、こんなことして、タダで済むと思ってんのかっ! ああっ!?」
「無色の魔王、後学のため君に一つ教えておこう」
「はあっ!? 何が後学だ――」
奴は手にしていた虫をひょいと自らの口に放る。
そして顎を一回、二回と動かし口の中の物を噛み潰した。
何度も、何度も、咀嚼するように。
その穏やかな表情を崩すことなく、同じものを口に含み吐いた俺の目の前で。
しばらくして『地球人』は口に含んでいた物を吐いて捨てる。
俺の吐瀉物の上にソレは広がった。
間違いなくさっきの幼虫を噛み潰したものだ。
それを見るだけで再び吐き気が込み上げてくる。
奴は軽く口を拭うと俺と目線を合わし、嗤った。
「君は自分には悪が似合っていると思っているようだけどね。本当の悪党と言うのは自らの感情を隠す強かな者だ。それこそ苦虫を嚙み潰す屈辱を味わったとしても、不敵に嗤わなきゃただの三流の小悪党なのさ」
「……」
ありえねぇ、あんなもん口に含んで表情一つ崩さねぇとか……。
胃袋が空っぽになった俺でさえ再び吐き出しそうだってのに!
「無色の魔王、君は『私』に敵意を持って欲しいようだね」
「――ッ!?」
「ほら、ダメじゃないか感情を顔に出しちゃ。君が普段から挑発的な態度を取っているのは素の性格からだけじゃない、自ら敵を作ろうとしているからだね? どうしてそこまでの手間を行っているのか、それは君が白の魔王の魔族として命令を受けているからだろう? 大方『君はこれから世界の均衡を護る守護者として公平な立場でいてもらおう。君から誰かの敵になることは禁止だ』とかかな?」
「なんっ――」
鳥肌なんていつ以来だよ、おい。
何でこいつ一字一句同じセリフ吐いてんだよ!?
俺だけじゃねぇ、まさかユグラのことまで……。
「また顔に出ているよ、ダメじゃないか。最初に出会った時君は強力な力を使い大悪魔を容易く殺して見せた。でも事態をかき乱したがっている様子が見られるのに君はほとんど目立った動きを取らなかった。これは誰かにとって敵になる行動が取れないからだよね? 君に行えるのは中立者の範囲で公平に情報を与えることだけ、それに挑発行動を混ぜて印象を操作している。ワザと嫌われるように、敵意を持たれるように言葉を選んで使っているわけだ。ああでも口が悪いのは素だったね、ごめんごめん。個性を否定するのは酷だったね」
……理解した、こいつはヤバい。
ユグラと同格、いやその判断基準は正しくない。
あいつは私欲で世界をかき乱したヤバい奴だったがこいつは別の意味で異常だ。
黒姉と似ていると思っていた、それは正しくも間違えている。
一人称が『俺』の時、こいつは黒姉に近い存在だと実感できていた。
その時は感情を力に駆け抜ける強さが滲んでいた。
だが今のこいつには黒姉の片鱗なんて微塵もねぇ。
人にここまでの報復をしておきながら何の感情も滲んでいねぇ。
「君が『私』にとっての敵となるのなら『私』は喜んでそれを受けよう。ただ『私』にとっての悪となるのなら……及第点を取れるくらいには面の皮を厚くしてもらえるかな?」
全く別の類の化物、そう別なのだ。
こいつは性格や人格を切り替えているわけじゃねぇ、完全に別物になっちまっている。
……この化物が。
◇
無色の魔王は捨て台詞を残すこともなく去って行った。
それを見届けた後、イリアスの方へ向き直りクトウを返してもらう。
「クトウ、水筒を」
「ヘイ、ドウゾ!」
革でできた水筒の中身を口に含み口内を濯ぎ、無色の魔王の吐瀉物の上に吐き出す。
室内でやるにはマナーが悪いことなのだけれど、どうせ掃除するのだから許して欲しいものだ。
「それは?」
「家にあった酒の中で一番度数の高い物だよ。口に含み続けると口が麻痺する代物だ」
「……ひょっとして事前に含んでいたのかい?」
「酒臭くなるから布に染み込ませ舌に巻いておいた程度だけどね。それでも酒の臭いは多少するだろうから焼き菓子の匂いを部屋に充満させたのさ」
「なるほどね、でもそれでも苦くなかったかい?」
「かなり苦いね、食事を抜いていなけりゃ吐いていたかもしれない」
「無色の魔王は腹いっぱいに食べていたからね、人の部屋に酷い奴だ」
「でも良い光景だっただろう?」
「それを認めると王としての品格がなぁ……でも個人としてはスッとしたよ」
話しながらも再び酒を口に含み口内を濯ぐ。
口の感覚は既になくなっているがそれでも口に不快感が残っている。
無色の魔王の狙いは緋の魔王の味方をすること、そのために人間側と第三陣営の『私』に敵として認知される必要があった。
敵として認知されるだけならば回りくどい真似をせず片っ端から人間を殺せば良い。
それができない時点で何かしらの制約があるのは透けていた。
そんな凝った制約を与えられるのは白の魔王である湯倉成也以外にいない。
当人の支離滅裂な行動パターンや『金』達から聞いた口調、無色の魔王を相手に意識した言葉を使ったがそれなりに一致していたようだね。
「それで今後無色の魔王の立場はどうなるのだ?」
「アレは禁忌にさえ触れなければ敵になれない奴さ。緋の魔王に情報を流す可能性はあるがそれと同時に見返りとしてこちらに対等な情報を提供せざるを得ない。それも敵対しない範囲でね」
「つまりは……」
「敵味方なんて考えず無視で良い。禁忌についてはノラとルコに詳細を説明すれば事足りる」
無色の魔王はこちら側から禁忌に近寄らなければほとんどアクションを行えない。
情報を引き出すことは可能だけれどそれを行えば緋の魔王を始めとする人間に敵対する相手に同価値の情報が流れることになる。
その辺を適度に見極めれば何の問題もないシステムでしかない。
後はノラ達のフォローを行うとしよう。
「マリト、ノラは『私』……いや『俺』の方で話を付けておくよ。ルコを頼めるかな?」
「ああ、分かったよ」
「それじゃあイリアス、顔を貸してくれるかな?」
「言葉通りの意味になると――むが」
イリアスの頭を両手で挟み込みその眼を見つめる。
……いつ見ても真っ直ぐとした良い眼だ、羨ましい。
人は自らが持てぬ物を持つ相手に羨望を抱く。
『私』がこの世界の純真な者達の在り方を羨ましいと思うのと同時に『私』の在り方に惹かれる者もいるのだろう。
両方を理解できる身としてはこんな立ち位置なんて逃避の延長上でしかないのだけれどね。
「……一つ聞くが私の顔を揉んだり引っ張ったりする理由はなんだ?」
「変な顔の方が『私』の真剣さが抜けやすいからさ」
「よし、後で覚えていろ」
「しまった、口が滑ったな。……まあお手柔らかに頼む」
精神は戻ったが……口の中が非常に気持ち悪いことになっている。
こりゃ今日の晩飯は食わない方が良いな、そして歯磨こう。
「戻ったか。そこまで変わり方が激しいとまるで別の人間が一つの体に入っているかと思えてくるな」
「それは俺も思うね、どうなんだい?」
「『俺』も『私』も同じ一個人だ、切り替わっている時には少しばかりその認識が揺らぐけどな」
ただ感情で動く『俺』とそうでない『私』、どちらの見解が正しいかは正直分からない。
いや、どちらも正しいのだろう。
答えは一つではないのだ、無理に拘る必要もない。
今の『俺』は『私』も同じだと思っている、それだけで良い。
◇
「ぐが、あ!」
水で口内を何度も濯いでも不快感が消えやしねぇ、堪らず手を口に突っ込んで口の中を焼く。
生半可な方法で解消できねぇなら極端にやりゃあ良い。
痛みなら問題ねぇ、その辺は鍛えてある。
口の中の感覚が無くなるまで焼き尽くした後に魔法で治療を行う。
痛覚ばかりに耐性を付けていたがまさか味覚を責められるとはな、治療のためとはいえ俺が傷つくことになるとは恐れ入った。
再生は完了したが脳内に刻み込まれた感覚が邪魔をして不快感が僅かに残っている。
苦い思い出だけじゃねぇ、奴の眼を見た時に感じた怖気まで残ってやがる。
くそったれ、『地球』出身にゃ問題児しかいねぇのかよ。
敵に回れないことがバレた以上緋獣の助けにゃ加われねぇ。
接触を続ければ可能性はあるが接触し過ぎれば隠し持っている他の情報まで吸いつくされかねん。
仕方ない、緋獣にはそのまま頑張ってもらうとしましょ。
「どうしたもんかねぇ、ありゃなかなかに難題だ」
『鏡』を出現させ確認をするがやはり俺の立ち位置は依然中立のままか。
奴を黒姉の代わりにするためにはもっと『俺』状態の奴に怒りを覚えさせる必要がある。
しかし奴の内側には別の化物がいる。
『私』状態の奴は感情面を揺さぶろうとすると現れ、化物じみた洞察力でこちらの行動を阻害してくる。
まさか別人格で主人格を護るような行動をする奴がいるとは、『地球』ってのはロクな場所じゃねーんだろうな『地球人』共ご愁傷様。
今後どうするか……『落とし子』は今事を荒立てるのは流石に不味い。
禁忌に触れようとする輩もターイズにはもう湧かねぇだろうしな。
中立としてじゃまともな行動はできねぇ、『地球人』に干渉してぇのにできねぇもどかしさはなかなかに辛い。
残ったプランを水面下で気取られねぇように進めつつ機を狙うしかねぇな。
「本能的に格差を感じるように刻み込まれちゃあ俺に価値はないよな『地球人』。だからお前は別の奴に負けてもらうぜ?」
俺が敵になれないのなら代わりを用意してやりゃぁ良い。
当面は緋獣が適任だろうがもう一つ二つ敵を用意してやりてぇところだな。
あーくそ、もっかい口焼くか。