次に成るは。
遥か昔、世界は荒れていた。
確かに人間と亜人との間に確執はあったが人間は人間同士で、亜人は亜人同士で争うことも珍しくなかった。
種族の人口が増えれば食料が、領土が必要となる。
だからこそ何かしら敵対する理由を求めていた。
人間は部位の一部が獣のソレと近いという理由だけで亜人を嫌悪していた。
亜人は亜人で自らの一族と違う部位を持つ者達を卑下し、嫌悪した。
そんな中で一角族と呼ばれた一族がいた。
少なくとも私は自分がいかなる獣の姿を模しているのかを知らない、見たことも無かった。
誰も知らないからこそ、一族の名前に獣の名が入らなかったに違いない。
山羊や鹿のような角を持つ一族も過去にはいたが亜人の中でも角持ちは非常に少なく、少数派は排他される対象としてうってつけだった。
ただでさえ希少な角持ちの亜人の中で珍しい一本だけの角を持った一角族の周囲が敵だらけになることは想像に容易い。
だから先祖達は辺境の土地へ逃げ密やかに生きる道を選んだ。
部族の人数が増え過ぎないよう生殖の管理を徹底し、人間や他の亜人に発見されぬよう細心の注意を払うようにと子孫に教育を施した。
しかし時の流れはあらゆるものを劣化させた。
私が生まれた時には人間や亜人達への脅威も薄れ、一族の数も先祖達が規制した数よりも随分と増えていた。
私達の一族は村を大きくし、狩りの拠点を広くした。
私はお転婆でいつも母を心配させていたが、父は将来優秀な相棒ができると笑って喜んでいた。
ある日、遠出していた私はある男と出会ってしまうことになる。
その男の名前はグレスト、人間の王国に仕えるしがない騎士だった。
初めて出会った時、グレストは瀕死の重傷だった。
近場での戦争で手傷を負い、辛うじて敵から逃れたものの森で迷ってしまった。
野生の獣に襲われ、撃退こそするも返り血を浴びたグレストを獣達が嗅ぎ付けないことは無かった。
眠れぬ日々を森で彷徨い、衰弱しきっていた。
初めて見る人間を前にして私は思った、私達とほぼ何も変わらないと。
確かに角や尾を持ってはいなかったが一族には獣に襲われそれらを失った者だっている。
だから私はグレストを助けた、父と共に村まで連れて行き介抱した。
村の者達も最初は驚いたがすぐに瀕死のグレストの為に食料を集め、夜通しで看病し、面倒を見ていた。
その甲斐もありグレストは瞬く間に回復していき、自らの足で歩けるまでになった。
グレストは深く感謝し、何度も礼を繰り返して村を去って行った。
言葉は通じなかったけれど、私達の想いは確かに伝わっていた。
あの時のグレストの感謝は本物だった、村の者達の優しさに流した涙に嘘はなかった。
だがその数週間後、村は焼き払われた。
村を焼き払ったのはタヴェスと言う男だった。
グレストの帰還の事情を知った騎士団団長であったタヴェスはそのことを王であるワフロイに説明した。
ワフロイは力ある王国の王として自らの力を誇示していた。
その中で非常に稀有な亜人の話を聞き、こう言ったそうだ。
『一本角の亜人、いかなる獣の姿にもあらぬその一族は我等人間に良からぬ災厄を呼び込む鬼である。力ある者の責務としてその血を絶やさねばならない』
知り合いを、友人を、家族を殺された。
皆は怪我の浅かった私を逃がす為に人間達の前に出て行った。
きっと生き残った者達で村を再建できる筈だと、未来を託したと言いながら。
私は必死に逃げた、しかし一人の追手と出くわしてしまった。
追手の顔を見てすぐに分かった、それはグレストだった。
グレストの顔はすっかりと憔悴していた、その顔を見ただけで私の心は幾分か救われたかのように錯覚してしまった。
きっとグレストは無理やり村へと案内させられただけ、その心はきっと私達にも劣らぬほどに傷付いてしまっているに違いないと。
後方からは更なる追手が迫っていた、逃げ切れないと悟った私はグレストに言った。
『私を殺してください、貴方にとっては辛いことかもしれません。ですが私は野蛮な者達に嬉々として殺されたくないのです』
言葉は理解してもらえなくても、きっとその想いは通じるだろうと。
グレストは少しだけ悩んだ後、剣を振り下ろした。
しかしその剣は私の命を奪わず、代わりに私の角を根元から綺麗に叩き折った。
そして自らの兜とマントを与え、私の角の跡と尾を隠し人として保護したのだ。
苦肉の策ではあったが、それで私は救われた。
追手達は私に角が無いことを確認するや、興味を無くしていたのだ。
追手をやり過ごした後、グレストは私を逃がしてくれた。
ほとぼりが冷めた後、私は村に戻ってみたが生きている者は誰もいなかった。
死体は皆首から上を切り取られていた。
人間達は一角族の角のある頭部を戦利品として持ち去っていたのだ。
だから角のない私を見て、戦利品としての価値がないと判断し追及しなかったのだろう。
村人の名前は全員覚えていた、だからきっとそのうち知っている相手と会えるかもしれないと待ち続けた。
だが待てども待てども誰も戻っては来なかった。
人手もない状況で食料も満足に確保できない、体力の限界を感じた私は村の跡地を離れた。
これから先どうする、そう悩み続けたがこんな経験をしたことがない私に考えられるのは知り合いを頼る事だけだった。
生きていると分かっている知り合い、グレストを。
折れた角の跡を石で削り、丁寧に隠した。
尾も見つかればきっと問題になるだろうと縄を噛みしめながら切断した。
頭には包帯を巻き、湖に映る自分の姿を確認した。
誰がどう見ても人間だ、あの私達を惨殺したあの人間と同じだと乾いた笑いが出た。
その後、私はワフロイの王国を訪れた。
街には驚く程多くの人間がいた。
人間の言葉を知らない私は声が出ないフリをして乞食としてうろついていた。
それでも多くの人間に親切にされた。
食事を恵んでもらい、寒い日には毛布を与えられた時もあった。
私達と何も変わらない、本当に私達はこの人間に殺されたのだろうかとさえ困惑した。
簡単な言葉を覚え、私はようやくグレストの住む家を見つけた。
彼には妻子がおり、幸せな家庭を持っていた。
突如押しかけてはきっと良からぬ不安を家族に持たれるだろう、少しだけ様子を見て彼が一人の時に声を掛けよう、そう思い私は窓の外からグレストの様子を窺っていた。
そこでグレストの幼い子供が何かを持っていることに気づいた。
家に飾ってあった物を子供が悪戯心で手に取った、それを見て笑顔で窘めるグレストの姿。
微笑ましい筈の光景、だけど私の心は急速に冷え切っていった。
それは頭蓋骨だった、一角族の、それも母の。
あの角に入っていた傷跡、見間違うはずもない。
持ち去られた頭部は功績の多かったものへ記念として贈られていたのだ。
グレストは私の母親の頭だとは知らなかったのかもしれない。
だが私と似た顔立ちの頭を前にして何も思わなかったのだろうか。
今もなお自らの手で滅ぼしてしまった一族の亡骸を笑いながら見ているのは何故なのか。
人間と亜人は違う、私はこの時完全に悟った。
私は失意に沈み、森の中で佇んでいた。
この世界に求めるものなんて何もない、そんな世界で生き続ける理由なんて何もない。
生きるために必要な行為をしようとする気力が湧いてこなかった。
だから程なくして私は衰弱し、死の手前へと至った。
周囲には動かない私を襲おうとしている獣がいる。
獣ならばきっと骨も食べてくれる、あのように亡骸を辱められることもないだろう。
私は死を望んで受け入れた。
『やあやあ、死に掛けの鬼っ子ちゃん。運良く生き残ったね、いや君からすれば運悪くかな?』
次に気づいた時、私はベッドで寝かされていて傍にはユグラがいた。
延命措置だけはされていたが体の衰弱は変わらない。
このままならばそう遠くない内に死ぬだろうとユグラは断言した。
私はこのまま死にたいと願った、だがそんな私にユグラは甘い言葉を囁いた。
『君は人生に絶望したんだね、それでもう死んでも良いと。だけど死ぬだけが絶望を終わらせる方法じゃない。生きながらでもそれはできるんだよ? どうせ人生に未練がないなら僕の提案に乗ってみるってのはどうだい、どうせもう君には失うものなんて何もないのだろう?』
私には失うものはもう何もない、確かにそうだと思ってしまった。
だから私はユグラの誘いを受けて魔王となってしまった。
ユグラは『君には必要だから』と私に『殲滅』の力を与えた。
他にも言葉を学び、魔法を学び、知識を与えられた。
だがそれらの力を得たところで私は私だった。
世界への絶望は何一つ変わっていなかった。
他の魔王達は多少の諍いこそあっても慣れ合おうと言う意思を見せるわけでもない。
その後私はユグラから解放された、変わらぬまま。
私は最後にユグラに質問を投げかけた、どうすれば絶望を終わらせられるのかと。
『そんなこと、自分に素直になれば良いだけのことだよ。あーでも素直過ぎるのも問題だったりするんだけどね。切っ掛けが欲しいならもう一度君が歩んだ道をなぞってごらん』
ユグラはまともに答えなかった。
だが私はその助言に従い村の跡地へと向かった。
何もない焼き払われた集落の跡地、以前訪れた時と何も変わらない。
変化があるとすれば私が魔王になったことだけだ。
だから特に考えることもなくその力を使った。
既に獣によってバラバラになっていた村の者達の亡骸を死霊術で再生し、アンデッドを生み出した。
僅かに驚いたのは奪われた筈の頭部まで土や石で歪に再現されていたことだ。
魂が自らの形を朧気ながらに覚えていたのだろう。
だが彼等は元に戻ることはない、死者が蘇る奇跡は簡単には行えない。
それは蘇生魔法を身に受けた自分だからこそ分かっていた。
周りにいる者達は既に一度死んだ者達、その魂を強引に死体に戻し操ったとしてそれは人間達が頭部を辱める行為と大差ない。
そう思い、解除しようとした時、ふいに口から言葉が漏れた。
『貴方達はこのままで良いの?』
ユグラや『黒』あたりに触発されてしまったのか、自分で口にした言葉に驚いた。
アンデッドは答えない、だがこのまま終わりなどあって良いのだろうか。
私にはその力を与えられた、死した彼等をこの世界に残らせ機会を与える力を。
私は一角族の亡骸全てをアンデッドとし、ワフロイの王国へと向かった。
人間達の反応は実に顕著だった。
全ての人間が恐怖するか敵意を向けるかの単純な反応。
倒しても何度でも再生するアンデッドを初めて前にした人間達は次々と死に絶え、新たなアンデッドを生み出していった。
村を焼き払い滅ぼしたタヴェスは騎士達のアンデッドに囲まれ、生きたまま貪られた。
一角族を鬼と呼び、根絶やしにする命令を下したワフロイは家族と逃亡を計ろうとしていたところを一角族のアンデッドに囲まれ根絶やしにされた。
残った王国の人間達も次々とアンデッドによって蹂躙されていく最中、私は三度目の再会を果たした。
それはアンデッドから妻子を護ろうとしていたグレストだった。
グレストは私を見つけ、この現状の元凶が私だと理解するや剣を捨てて懇願してきた。
『私の命は差し出す、だから妻と子供だけは見逃してくれ。君の一族にしたことを思えば許されることではないかもしれない。だが私はあの時君を助けた、だから君の分だけで良い、僅かな命を助けてくれ』
私はグレスト達の周りにいたアンデッドを下がらせた。
そしてグレストの投げ捨てた剣を再度グレストに渡して言った。
『貴方は私を亜人では無くして助けた。なら私は貴方を人間では無くして助けましょう。その後生きられるかは貴方次第です』
彼は周囲のアンデッドを見つめ、奥歯を震わせながら、残った妻子に『きっと大丈夫だ』と告げ自害した。
私は少しだけ悩んだ、グレストは確かに罪を犯したが誠意は見せた。
直接の原因は既に死んでいる、ならばもう、そう思ってその場を去ろうとした。
だがグレストの妻の呟いた言葉で迷いは消えた。
『あの時死んでいれば良かったのに、この――化物』
結局私は約束通りグレストをアンデッドにし他のアンデッドには襲わないように命じさせた。
その後グレストは妻子を食い殺し、ワフロイの王国は滅んだ。
一族のアンデッドは村へと戻し、解放することにした。
『残りたい者は残っても良いのよ』
そう命じたが全てのアンデッドが死霊術からの解放を求めた、父と母のアンデッドでさえも私に対し何かしらの意思疎通を見せることはなかった。
私は彼等の恨みを晴らす手伝いをした気になっていたが、死霊術で呼び戻される苦悩はきっとそれ以上に恨めしいものだったのだろう。
それでも復讐は果たした。
だが何も残っていない、何も変わっていない、何も生まれていない。
何も、何も。
私は再び死のうと思った。
こんな力を持っていても絶望を終わらせることなんてできないのだと。
『おや、結局死ぬのかい?』
そんな時、ユグラが再び現れた。
ユグラ曰く、偶然通りかかったと言っていたが恐らくは私の起こした騒動を眺めていたのだろう。
ユグラは笑いながら言った。
『でも残念だね、蘇生魔法は今も君の魂に掛けられたままだ。今死んだところでまた復活するよ?』
失う物など何もない、そう思っていたことを後悔した。
ユグラは私から死を、終わりを奪ったのだ。
私はユグラに殺して欲しいと懇願した。
『本来生を失った者を生き返らせることができないのと一緒さ、死を失った者に死を与えることはできないよ。まあ蘇生魔法と言うイレギュラーで生を取り戻してはいるのだけど? ごめんねー、全く研究してないからできる気しないや』
ユグラも、『黒』も、他の魔王達も、魔王となった私を完全に殺す術は持っていなかった。
私はこの絶望した世界に永久に生き続けなければならなくなった。
どうにか死ぬ手段をと探し回るも何も得られない、蘇生魔法を生み出したユグラですらできないことを他の者達が容易に持ち得る筈もない。
それでも死にたくて、死にたくて、だけど死ねなくて。
自暴自棄になった私はもうあらゆる事を放棄することにした。
望むのは死ぬことだけ。
そんな時『紫』が言った、人間にとって脅威になれば貴方を滅してくれる相手が現れるかもしれないと。
死を願う私を利用したいという見え透いた意図だったが私は躊躇うことなく人間への侵攻を開始した。
人間達の残虐さならば、僅かながらにその可能性もあるかもしれないと思ったからだ。
ユグラのような者に恨まれれば、私を滅ぼす手段を生み出してくれるのではと。
その頃には私の周囲には同じアンデッドが三体並ぶようになっていた。
救われた者、グレスト。
滅ぼした者、タヴェス。
命じた者、ワフロイ。
私だけが生き続けるのが許せなかった。
だから私の人生を絶望に変えた象徴の三体は私が死ぬまでの間、残すことにした。
『死にたいところ悪いけど、ちょっと邪魔だから後にしてね』
結局人間の脅威としては『黒』や『紫』に劣るまま、私の侵攻はユグラに阻止されることになった。
復活後の世界に於いても私を死なせる手段は無かった。
『緋』の誘いに応じて以前の真似事を再開することになったのだが……。
嗚呼、こんなことでは私は死ねない。
誰か、お願いです。
私を死なせてください。
◇
蒼の魔王が憎々しそうにこちらを睨んでいる。
過去の話題を持ち出したことでその時の光景が脳裏に浮かんでいるのだろうか。
「私の過去を知って、それが何だと言うの? 私に同情でもした? なら私を死なせてよ!」
「――同情はしていない。話を聞かされても俺にはお前の味わった絶望や苦しみを理解してやる力はない」
死を望んでもそれが得られないまま長い年月を生き続けた蒼の魔王、その心に抱えた闇を安直に理解できるなどと言える筈もない。
同胞ならば、いや同胞とて心理状況を理解できるにせよその重さを完全に理解できるとは思えない。
同胞は蒼の魔王を死なせる方法を俺に教えた、そして名前までも俺に託したのだ。
つまりそれは『蒼の魔王を殺せ』と言っていることと同じだ。
だが、それでもだ。
「だったら――」
「俺はお前を殺したくない」
蒼の魔王を殺して終わらせる、それだけの事が俺にはできない、したくないのだ。
「……何よ、哀れな私を殺したくないって、結局は同情じゃない」
「違う、これは何だろうな。あまり抱いた事のない気持ちだから何とも表現ができない。だが説明する義務はあるんだろうな」
この場所に来るまでは蒼の魔王を捕らえ、侵攻を止める事だけを優先していた。
だからいざその時となると何と言えば良いのか……。
俺は同胞とは違う、言葉巧みに相手を揺さぶるなんて真似はできない。
だが蒼の魔王の気持ちは多少なりとも理解できる。
「俺は幼いころ悪魔に攫われ、人間に敵対する力として育てられた。俺にとってはその育ての悪魔が唯一の道標で俺は愚直に生きてきた。だがある日その悪魔は死んだ、あっけなく。俺は自分の生きている価値を見失った。それでもと今までの自分の生き方に価値を見つけようと躍起になっていた。その時の俺は……多少なりともお前と似ている」
父、ベグラギュドがラクラに滅ぼされた時に俺は今までの人生に価値を見出せなくなっていた。
それでも無価値だと決めつけてしまえば全てが終わる気がしてがむしゃらに価値を取り戻そうとしていた。
「ある日を境にその思惑は望んだ以上の結果を残した。復讐したい相手への復讐も済んだと言えば済んだ。俺の生きてきた価値を残すことに成功した」
「何よそれ、自慢じゃない……!」
「だがその先の事は何も考えていなかった。だから俺はもう十分だと思った、死に掛けた時もそれを受け入れようとしていた」
「……」
「だが些細な事でそれは覆された。それが何かわかるか?」
「わからないわよ!」
「――それは欲だ、俺は自分の価値を証明して満足していた。だがその先に、生きた先にさらに自らの価値を高めることができるのではと思った。誰かに負けたくない、まだもう少しいける、そんな欲が死を受け入れることを拒否したんだ」
「お生憎様、私はそんな欲を持ったことはないわ」
「ああ、だからだ。だから俺はお前を殺したくないんだ。人生に欲を持ったこともないくせに、勝手に世界に絶望し死を望むような奴を俺は殺してやりたくない」
死を願うことは欲ではない、全てを諦めて終わらせたいだけの逃避だ。
希望を奪われ、人生に絶望し、死を選ぶ行為が完全に間違いだとは言わない。
死を選択した方が救われる心もあるのだろう、だが蒼の魔王にはそれはまだ早い。
生きた時間だけならば俺よりも遥かに長い、だが生きたいと願った時間は俺よりも短いはずだ。
「魔王となったお前は絶望を終わらせようとした、だがやったことは復讐と惨劇を生んだだけだ。希望を掴もうとしていないだろう」
「こんな世界に何の希望があるって言うのよ!? こんな絶望だらけで――」
「少なくとも俺は希望を抱いている。自分の人生に先があると信じている。だから目の前で希望全てを否定するような奴に、絶望しか知らないままで死んで欲しくない」
そう、これは憤りだ。
俺は同胞を始めとした多くの者達と出会い、様々な経験をした。
そして生きる目標を新たに見出すことができた。
悪魔に育てられまともな人間として生きられなかった俺にできたことを、できるはずも無いと諦められ、その可能性を潰されるのが嫌なのだ。
「そんなことわからないわよ!」
「だから探して欲しい、お前の欲を、希望を。その時間をお前自身に与えてくれないか? 死を願い求める時間を、死を願わない方法を求める時間にして。お前には絶望だけを抱いて死んで欲しくない。これは俺のエゴだ、俺個人がお前の死に方を許せないだけの話だ」
「貴方を満足させるためだけに私に生きろって言うの? ふざけないで!」
「ふざけてなどいない、これは俺の生き方を護るための話でもある。俺のような男にも希望があると信じるための戦いだ。だから俺は全力でお前に協力する。それでもお前が希望を見出せられないのなら……名前を返そう」
「私は数百年この世界の絶望を相手に苦しみ続けた、貴方が協力しても数十年そこらで何が得られると言うの!? そもそも私が貴方を信じられるとでも!?」
「信じる方法なら簡単だ」
「なら聞かせなさいよ!」
「俺をお前の魔族にしろ」
「――ッ!?」
「他の魔王からも聞いている。魔王は自らの魔界で生まれた魔物に指示や命令を与えることができる。そして自らが生み出した魔族にはそれ以上に強力な命令を下すことができると」
自然発生から成長したユニーククラスの魔物になれば紫の魔王の時の様に反逆することも可能だ。
だが魔族は互いの了承があって初めて生み出せる、そこには契約の力が影響することとなる。
それ故に魔王は魔族に対し絶対の命令権を行使することが可能なのだ。
『一生仕える事を認めた上での魔族化なのだから、それを使う機会はないと思うけどね?』と紫の魔王が言っていたがこういうことになら使えるだろう。
「正気なの?」
「正気だ、お前はただ命令すればいい、『私を裏切るな』と。侵攻を止めるための取引材料として、俺をお前にくれてやる」
「……やっぱり正気じゃないわ、私が命令で名前を教えろと言えばそれで終わる話よ?」
「最終的にはその命令も使ってくれて構わない、だが先にお前に俺を信じさせて欲しい」
蒼の魔王はこちらを見つめたまま沈黙する。
そろそろ時間が危うい、初手に打ち込んだ雷魔法で同胞への合図は済ませてある。
合図が見えていたのならばそろそろ到着してもおかしくない。
そうなればこの交渉の主導権は同胞が握ることになる、そうなったら……。
「……良いわ、貴方が他に何か企んでいるとしても魔族にして命令すれば全て明るみになるわ。蘇生魔法の因果も重なる以上、小細工はできないわよ」
「そんな真似はしない、むしろお前が失敗しないかどうかが気がかりだ」
「言ってくれるわね」
ひとまず交渉を受けるつもりになったのだろう。
蒼の魔王の拘束を解く、僅かにふらつくが即座に何かをする様子はない。
しばらくしてこちらに歩み寄って来る。
右手の手袋を外し、掌を上に向けこちらに差し出す。
「貴方も右手を出しなさい」
「……」
言われるままに同じように右手を差し出す。
蒼の魔王は僅かに苛立ったかのように右手を掴み、掌を下に向けさせる。
「貴方はこっちに向けるの! そして手を握る!」
「あ、ああ」
言われるままに右手同士の握手、手首の向きだけが少し違う。
蒼の魔王は左に氷魔法で細い針を作り出し、俺の顔を見ながら言う。
「刺すわよ」
「どこにだ」
「手に決まってるでしょ!」
そういって握手したままの手に針を垂直に振り下ろす。
針は互いの手を貫通する。
痛みはあるがそこまでではない。
蒼の魔王が針を抜くと互いの右手から血が流れる。
蒼の魔王の血は僅かに温度が低く感じる、だが紛れもなく人の温度だ。
互いの血が混ざっていると言うのは不思議な感覚だ。
右手を眺めていると蒼の魔王の右手が蒼く発光を始めた。
「汝に告げる、『蒼』の魔王の血を受け入れその身を永久の従属とすることを受け入れるか」
「――ああ」
「ならば汝の名を告げよ、そして忠誠の言葉を主に捧げよ」
「我が名はエクドイク=サルフ。蒼の魔王よ、お前に俺の時を預けよう」
宣言した瞬間、蒼の魔王の右手から膨大な魔力が俺の右手に流れ込んでくる。
魔界の魔力と同じ物、蒼の魔王が持つ特有の魔力が俺の体を巡っている。
体が熱い、全身の皮膚が、肉が、骨が、血肉全てが熱を持っているかのようだ。
「っ、ぐっ、がぁっ!」
体を溶かされ、今無理やりに作り直されている。
そんな処置をされたらこんな感じなのだろう、いや実際にそうなっている。
体の底からドロドロの液体のような魔力が溢れんばかりに生み出されて行くのを感じる。
並大抵の人間ならばこの時点で気絶しかねない全身の痛み、だがそれはある時点を境に収まっていく。
「はぁっ、はぁっ、……終わったのか」
「体の変異はこれからよ、でも魂への干渉は終了したわ」
鏡を見てみない事には詳しい外見の変化は分からない、精々皮膚の色が僅かに浅黒くなったくらいだ。
内面は……こちらも良く分からない。
だが全身が非常に重い、一度睡眠を取ってしまえば長く寝入ってしまいそうだ。
「これでもうお前は俺に命令ができるのか?」
「……ええ、そのはずよ」
「なら、お前の望む命令を言ってくれ」
これで安心と言うわけではない。
先程蒼の魔王が自分でも言っていたように名前を命令で聞き出せばそれで全ては水の泡だ。
蒼の魔王はその名前で蘇生魔法を解呪するだろうし、更なる命令で俺を同胞達にぶつけるかもしれない。
だがその時はその時だ、蒼の魔王に機会を与えられなかったことは残念だとしても同胞達ならば俺一人が裏切った所で対処は可能だろう。
この位置を特定する際にもラクラには容易く後れを取った、アイツなら魔族になった俺が相手ならば嬉々として俺に引導を渡してくれるだろう。
蒼の魔王はこちらの顔を見つめたままゆっくりと口を開いた。
「……エクドイク=サルフ、私の名を――」
……ダメか、やはり俺には無理だったか。
すまないな、同胞。
「――口にする日が来ないよう、尽力しなさい」
「……」
「返事は?」
「……もう少し強い言葉でも良いんだぞ?」
命令を使われたのだろうか、こちらの体には何も反応がない。
反射的に体が動き、強引に精神に働きかけると言った作用を想定していたのだが。
「何で口答えするのよ!?」
「いや、尽力するのは当然だしな……それに命令してくれと言っただろう」
「してるわよ!?」
「だが何も強制力が働きかけてこないのだが」
「……もういいわよ!」
蒼の魔王は手を放しそっぽを向く。
いや、良くはない。
約束は約束だ、きちんと手順は踏むべきだろう。
「中途半端は良くない、きちんと命令してくれないか」
「だからしてるって言ってるでしょ! 貴方が本心から尽力しようと思っているから命令の強制力が働いていないの! だからもういいって言ってるの!」
つまりどういうことだ。
俺が本心から尽力したいと言う気持ちは伝わったと言う事だよな。
それで充分と言う事は……。
「なるほど、信じてもらうに値する行動だったと言う事か」
「エクドイク=サルフ、地面に這いつくばりなさい!」
「おわっ!?」
突如体が地面に吸い寄せられる、全身が地面にめり込む程の圧力が掛かっている。
まるで身動きができない、これが魔王の命令の力か……。
しかし何故急に、ああ、強制力を証明するために実際に予期しない命令を出して見せてくれたのか。
「なるほど強力だ、もう解いてくれて良いぞ」
「しばらくそうしてなさい!」
何か怒らせたのだろうか、やはり人の心は難しい。
◇
一体どう言うことだ、あの変調は間違いなく魔族化の儀式。
エクドイクが蒼の魔王の魔族となったというのか?
見逃す代わりの交渉材料か、いや蒼の魔王の命令に逆らえなくなるといった危険を冒す必要性がどこにある。
エクドイクの魔力操作の高さは知っているが魔族化する際の契約魔法に干渉できる程の知識があるとも思えない。
いや、あのユグラの星の民から知識を得ればあるいは可能なのか?
だがそのすぐあとエクドイクは地面に叩き伏せられた。
間違いなくあれは魔王による魔族への命令行使だろう……交渉が失敗したのか?
どうする、戻るべきか、いやしかし状況を詳しく知る必要がある。
追手が到着すればその一部がこちらに襲い掛かるだろうと考慮し、望遠の魔法でぎりぎりに直視できる位置まで離れているのが裏目に出た。
音が聞こえる距離にまで接近してしまえばエクドイクに再び察知される恐れがある、やはりもうしばらく様子を――
「ぐっ!?」
右脚に激痛、視線を向けると脹脛に一本のナイフが突き刺さっている。
どこにでも売っているような投擲向けのナイフ、攻撃を受けた!?
周囲に警戒、いや既に捕捉されているのならばこの体を捨て――
「う、あ、あ?」
体が痺れる、ろれつが回らない。
これは……しまった、毒か。
体が小さい分毒の回りが早い、体は瞬く間にその機能を奪われ地面に倒れこむ。
比較的無事なのは思考能力と聴力、嗅覚だ、触覚は……多少はあるか。
魔法を構築できない、麻痺毒の類か。
筋肉が弛緩しているせいで呼吸すら満足にできない。
「いやはや、ご友人の言った通りでしたな!」
視界に一人の女の姿が現れる、これは暗部達が使用している姿隠しの魔法か。
どこかの国の暗部か、いやそれにしては風貌が冒険者寄りだ。
それに装備しているナイフの装飾、あれはターイズ王家の……。
「窮地になると体を躊躇なく捨てるそうですからな、毒で麻痺させてもらいましたぞ!」
もう少し価値のあるナイフならば何かしらの効果があると警戒したのだが、子供の小遣いで買えるようなナイフに油断してしまった。
ウッカ大司教の時もそうだったが、この品の低い物を見ると慢心する癖は治すべきだろう。
女は歩み寄り、動けないこちらの体を仰向けにし無理やり口を開かせてきた。
「確か右の奥歯でしたかな、おお、ありました! しかしどうやって取り出したものか……まあ歯ごと引き抜けば良いでしょう!」
そういって女は躊躇うことなくこちらの口内に手をねじ込ませ、魂の転移用の魔石を奥歯ごと引き抜いた。
毒により痛覚の大半が麻痺していて幸いだったとは言えるが、なかなかにくるものがある。
「他の歯には……なさそうですな、ただそれだけだぼだぼしている服ならばいくらでも隠していそうですな? ご安心を、私も暗器使いの端くれ、持ち物検査は得意ですから!」
そういって鼻歌まじりにこちらの衣服を調べ、次々と所持品を奪っていく。
この女、物取りが天職なのではと思うほど隅々まで調べてくれている。
衣服を上から縫い合わせて隠しておいた緊急用の魔石までしっかりと回収された。
「うーむ、多すぎますな。これはもう全裸にしてしまった方が早いのでは」
「それには賛成だけどね、『私』の目の前でやるのは勘弁してもらえないかな?」
新たな男の声、この声には聞き覚えがある。
首が動かないがどうにか目だけはゆっくりと動かせた。
視線の先にはターイズで会った男、ユグラの星の民がそこにいた。
男は作り笑いだとハッキリわかる表情でこちらに語り掛ける。
「やぁラーハイト、『私』との再会は嬉しいかい?」
その眼は以前と出会った時よりも遥かに澱んでおり、まるでこちらの心を見透かすような得体の知れない狂気を孕んでいた。