まず失った優位。
※2018/1/8 現在追記
読者様の意見により発覚したことですが、87話にて主人公が『暴露する脳髄』という二つ名の名前を知っていたとのことでしたが実際には『迷う腹』フェイビュスハスのことでした。
主人公の捕獲手段を考えていた所、脳髄から腹に部位を変更した際に修正を入れるのを忘れたまま使用していたことをここに謝罪させていただきます。
該当部分は修正させていただきました。
執務室にてラグドー卿と共に有事に備える。
紫の魔王が滞在している区画に突如現れた黒い立方体、その壁は夥しい悪魔の集合体であることまで判明している。
当然ながらその物体を放置することなどできるわけも無く、騎士達による近隣住民への避難勧告を行っている。
幸いにもすぐ近くに関しては事前に避難を済ませているので何かが起きた際に即座に被害が出るということは避けられるだろう。
しかし黒狼族の村へ続く山を占拠していた悪魔の全てがこの国に現れたということはそう軽視していい問題ではない。
事の顛末によってはその悪魔達が国民へと襲い掛かる可能性もあるからだ。
彼を焚きつけた立場からすれば現状の意味は理解できている。彼が今紫の魔王と勝負しているのだろう。
本来ならばもう少し先の勝負、それをこんな夜更けに行うということは一気に決着を付けるつもりなのだろう。
国を危険に晒す行為には違いない。だが彼は彼が思う最善の行動を取っている。
ならば友として信じて待つほか無い。
「メジスの方も流石に勘付いて周囲の包囲に加勢しているようです」
「多少は国内にも人手を残していたようだな。既に捜索隊が国外に出ている以上全部隊とは言えないだろうが」
「待つだけと言うのももどかしい話です」
「ミクスからの連絡も途絶えた、彼に合流しているのだろう。こちらから送れる精鋭は手配済みだ。多少は加勢できたのだからそれで諦める他ない。我々はその後の事態に備えできることをするだけだ」
騎士達の報告からラッツェル卿の不在も確認が取れている。
彼と接触したラッツェル卿ならば迷わず彼の助けになるだろう、ラクラ司祭や金の魔王も同様だ。
ラッツェル卿と言えば、思い出すのは彼女の最近の動向だ。
「ラグドー卿、ラッツェル卿の錬度はどんな按配だ?」
「率直に答えるのならば、私は技の使い方を教えたまでです」
ラグドー卿の鍛錬の厳しさは自分も良く知っている。
彼に鍛え上げられれば並大抵の相手には負けないだろう。
「一月にも満たない期間ではあまり期待は持てんか」
「……陛下はウルフェという彼の下にいる少女をご存知でしょう」
「ああ、あの才能の塊だろう?」
無論知らないわけが無い、彼の傍で良く見る黒狼族でありながら白い異質な少女だ。
感じられる魔力の規模が常人のそれではない。
ラグドー隊の騎士相手に訓練を積み、非常に異質なペースで成長していた。
今ではラグドー卿と互角であった『拳聖』グラドナの指南を受けている。
「ええ、あの少女が才能の塊ならばラッツェル卿は練磨の塊です。私が大成したのは三十を過ぎてから。たゆまぬ努力と多くの経験により心技体の全てが揃いました。ラッツェル卿は幼い頃より己を磨いてきました。体だけならば数年前から私の全盛期を抜いております」
「あれほどの怪力無双だ、察してはいるさ」
ラッツェル卿より心技の優れた騎士は数多くいた。
しかし以前開いた剣術大会でラッツェル卿は他を圧倒して見せた。
剣を叩き落された後に素手で相手を捻じ伏せたほどだ。
これは何も笑い話ではない、技の通じぬ相手を力で捻じ伏せる実力を持っていたのだ。
その後ラグドー卿から叱責を受け、ラッツェル卿は力を抑え技で戦うようになっていた。
「今のラッツェル卿は自分の力を最大限に振るえる技を身に付けました」
「それは恐ろしいな」
「ええ、彼女の父親すら超えているでしょう」
先代のラッツェル卿、彼女の父親との面識は少ないが知らぬわけではない。
若くしてラグドー隊の副隊長に上り詰めた男。
魔物の襲撃により命を落としたがその男の実力は今も生きていればラグドー卿すら超えていたかもしれないと言われていた。
その才能を濃く受け継ぎ、常軌を逸した鍛錬にて開花したのがラッツェル卿と言うわけだ。
「心技体のうち二つが形に成ったわけか」
「いえ、心ならば彼が鍛え上げてくれたでしょう」
「なるほど、確かにな」
一人前の騎士は心技体の全てが秀でていなくてはならない。
若い騎士であったラッツェル卿には心と技が足りていなかった。
それでもなお他の騎士に匹敵する実力を持っていた。
それ故に他の騎士達からの確執は避けられなかった。
だが友の存在がラッツェル卿に大きな変化を与えた。
父親の幻影を追いかけるだけの半人前はもういない。
「ターイズ騎士の先人達が編み出した技の粋を引き継いだ彼女は、紛うことなくターイズの騎士です」
------------------------------------
『轟く右脚』ザシュペンフォッセ、『駆ける左脚』テネスアスパリグン。
この対となる大悪魔の特異部位の物理的利点は非常に優れていた。
ザシュペンフォッセの右脚の破壊力は遠方まで響き渡るほどの衝撃を生み出す。
テネスアスパリグンの左脚は音すら踏みつけ駆けるとされた。
しかしその両者がその実力を発揮することは無かった。
いや、テネスアスパリグンは初手の攻撃に対してその左脚を使った回避行動を選択していた。
だが回避できなかったのだ。
目の前にいる女騎士、イリアス=ラッツェルの振るった剣から放たれた膨大な魔力の奔流は前方にいた私とテネスアスパリグンを一瞬で飲み込んだ。
それが攻撃だと認識した時には既に遅く、テネスアスパリグンは半端な回避行動のまま直撃を受けた。
私は回避不可と悟った時点で障壁を纏い防御に専念したが多重の障壁の大半が溶けた。
当然ながら直撃を受けたテネスアスパリグンは遥か後方で肉片となって散っている。
「存外硬いのだな、だがそうでなくては」
あれほどの一撃を惜しみなく振るってなお涼しい顔をしている、伊達に最後の一人として出てきた訳ではないわけだ。
「ある程度の情報は調べていたのだが、随分と話と違うようだな」
「今までの私の情報ならば捨てた方がやりやすいぞ」
そういって体を深く沈みこませ、一歩を踏み込む。
速い、先ほどの亜人の動きにも劣らぬ突進。
障壁を展開し、反撃――いや、回避だ。
直感が働き横に飛ぶのと同時に張っていた障壁が全て切り払われる。
剣速をまるで落とせていない、そんなことがありえるのか。
バラグウェリンがラクラ=サルフの結界を破壊した時でさえ僅かな遅れは存在していた。
こちらが張っている障壁は一枚一枚の強度は下でも枚数によって累計の強度は上回っている筈だ。
「一体どういう仕組みだ」
「仕組みなどない、純粋な魔力強化だ」
回避後のこちらの反撃に備えてか素早く距離を取られる。そしてこちらの追撃がないと見るやこちらの言葉に返答をしてきた。
「魔力強化だけでその攻撃力だと?」
「そうだ、ターイズの騎士は皆魔力強化に特化している。私もそれに倣っていたつもりだったのだがな、まともな指南を受けて初めて落第点だと知った。魔力を込めて固めれば良いと思っていたのだが、そんなことは無かった」
そういって全身に魔力を練り上げ魔力強化をしてみせる。
練磨された魔力がぎっしりと全身に行き渡っている。
「今まではこれでやっていたのだが、これは初歩段階。この後初めて強化の段階に入るとのことだ。今までの私も、他の者達もこの状態でしっかり強化されていたものだから疑問にすら思っていなかったのだ。人付き合いをサボっていたツケがまさか鍛錬にまで回っていたとは思っても見なかった」
全身の魔力が突如消えた、いやこれは体内に完全に隠れたのか。
全身の皮膚、肉、骨に浸透しきっている。
これほどの密な魔力強化は見たことが無い。
「ギリスタに力負けした時、私の力の限界はこの程度かとさえ思ったのだがな。ラグドー卿曰く、雑に鍛え過ぎたせいでその力をほとんど活かせていなかったらしい」
「貴様、本当に人か?」
「失礼な奴だな、紛うことなく騎士だとも!」
同時に斬り掛かって来る、障壁での防御は無意味。
現状奴の攻撃力はこちらの首に届く、だがそれがどうした。
本来ならば人間相手にこの力を使うつもりは無かったが出し惜しみを許される状況ではない。
主様の為、その全てを振るおう。
目視できぬ速度の剣を回避する。
同時に左腕を構え、穿つ。
「――ッ!」
奴は素早くその左腕を剣で受けるがその衝撃を殺しきれず遥か後方まで吹き飛ばされる。
即座に体勢を整えているがその表情は僅かながらに曇っている。
追撃――、いやこの場所は不味い。
後方に飛ぶのと同時に今までいた場所に結界の境界が生み出され、同時に結界が張られる。
後方にいたラクラ=サルフの攻撃か。
「見えているんですね、結界の線が」
「其方が先に仕留めやすいテネスアスパリグンを狙ったように私も真似をさせてもらおうか」
左脚で踏み込み、一足でラクラ=サルフの目前に飛び込む。
辛うじて反応され、距離を取られるが逃がすつもりも無い。
右腕の骨子を増設、及び射出。
奴の影に突き立て、動きを封じる。
「これは――」
「理解は必要ない、これで終わりだ」
右脚を頭部目掛けて振りぬく。
結界を張ろうとしているのを察知するが問題ない、そのまま砕けるだろう。
しかしラクラ=サルフは突如後方に動き、代わりに前に飛び出したイリアス=ラッツェルの振るった剣が私の右脚とぶつかる。
その衝撃が空間に轟く、力が互角、否、こちらが上だ。
発生した衝撃で正面にいた両名が吹き飛ばされる。
確かに右腕で繋いだ筈だが――なるほど飛び込む際の踏み込みで骨子を踏み砕いたか。
「ありがとうございます、イリアスさん」
「ああ、だが今のは――」
「ええ、話に聞いていた他の大悪魔の力ですね」
「その通り、『駒の仮面』はただ主様の魔力を受け取るだけの道具ではない。死した大悪魔の特異性を仮面を通して引き継ぐことが可能なのだ。ご丁寧にも貴様等は私以外の大悪魔全てを屠ってくれた、即ち今の私はその全ての力を得ている」
不出来で忠誠を誓わぬ者達への枷でもあった『駒の仮面』をつけていたのは主様の魔力を受け取る為だけではない。
この力を経て主様は最も忠誠心の高い私をより高みへ、他の魔王への切り札として鍛え上げたのだ。
『穿つ左腕』ググゲグデレスタフ、
『空目する背中』フォークドゥレクラ、
『繋ぐ右腕』ハッシャリュクデヒト、
『迷う腹』フェイビュスハス、
『焦がす角』ファフィルムゼクショ、
『削る尻尾』ツェルカンリテッサ、
『轟く右脚』ザシュペンフォッセ、
『駆ける左脚』テネスアスパリグン、
『嗅ぎ取る鼻』ラミュグレスカ、
『聡き耳』バラグウェリン、
結果としてこれら十の特異性を私は引き継いだ。
主様、紫の魔王の側近として相応しい力をここに完成させたのだ。
「無論、私自身の力も忘れてもらっては困るがな……【潰れろ】」
言葉と同時に目前の二人は重力魔法の影響を受けたかのような衝撃を受ける。
『頤使す舌』、他者に言葉による命令を強制させる我が特異性。
主様の『籠絡』の力からすれば遥かに劣化した力ではあるが、それを想起させる最も誇らしい我が象徴。
両者はすぐに復帰する。
そう、この力に絶対的な拘束力は無い。
完全に油断している相手ならば長時間の拘束が可能だが、身構え内在する魔力を高めている相手には一瞬の行動阻害が限度だ。
他にも相手が私の言葉を正確に聞き取れるタイミングでしか使用ができないなど制約は多い。
しかし、一瞬でも行動を封じられるのならばそれで十分。
角を肥大化させ、周囲一面に雷撃魔法を放つ。
「無駄だっ!」
イリアス=ラッツェルの剣の一振りが雷撃魔法を霧散させる。
奴の剣には魔封石が仕込んであるようだ、だがそれでこの角の価値が失われたわけではない。
無力化されれど生み出された光は残る、一瞬の行動阻害に視界を奪う光。
互いに相手の姿を見失う状態ならば鼻と耳の機能の特化した私の方が素早く対応が可能だ。
ツェルカンリテッサの尻尾を生やし、薙ぎ払いを仕掛ける。
先にぶつかったのはイリアス=ラッツェル、視界を奪われてなお反応を間に合わせている。
だが高速の尻尾を剣で受け止めた以上、その両腕は塞がっている。
右腕の骨子を飛ばし影と繋ぐ。
同時に万力を込めた左腕を穿つ。
咄嗟の防御こそ間に合えどさっきよりも踏ん張ることができずに直撃を受ける。
地面に触れることなく壁まで叩きつけることに成功した。
とは言えあれほどの魔力強化、致命傷には程遠いだろう。
ならばこの一瞬のうちに目の前に残っているラクラ=サルフを仕留める。
左脚に力を入れる瞬間、鼻が危険を感じ取る。
尻尾の先を地面に突き立て、そこを軸として体を宙に飛ばす。
同時に足場が夥しい数のブロックに分断される。
地中に魔力を浸透させ、こちらが踏み込む瞬間に地面を切断、体勢を崩させようとしていたか。
仲間が攻撃を受けている間にも淡々と反撃の用意を済ませていた、こちらも油断できる相手ではない。
しかし過度な魔力強化もなく、身体能力も微妙、防御は結界頼りという脆弱性ならば勝負は一瞬で決まる。
角に魔力を集約させ雷撃魔法を空から叩きつけるが無力化される、あの一瞬で魔封石の受け渡しをしていたか。
雷撃の光でこちらの姿を見失った隙に、尻尾への力を込め高速で地面へと向かう。
だがその道中で尻尾が切断された。
こちらの移動手段を悟って妨害に来たか、鼻が軌道先に危険を察知する。
既に結界を張って死地を用意していたようだが無意味だ。
左脚に力を込め、空中で跳ね軌道修正。
地面へと突っ込み、切断された尻尾を再生しつつバネにして衝撃を吸収。
蓄積された勢いと左脚の踏み込みを組み合わせ二重の加速を経て突撃を仕掛け――
耳が不穏な音を感知、鼻の警戒した方向へ右脚を振るう。
右脚は飛び込んできたイリアス=ラッツェルの剣と衝突する。
こちらが地面に降り立つ前までは壁側にいたというのに、こちらの速度にも負けず劣らずと言ったところか。
しかし飛び込んだ勢いがあろうともこちらの右脚ならば人間一人を蹴り飛ばすなど容易い。
今度は壁ではなく天井に叩きつけるも受身を取られた、さっきよりも早く戻ってくるだろう。
そうこうしているうちに周囲に結界の気配、一度下がり距離を取る。
案の定即座にイリアス=ラッツェルが飛び込んで戻ってくる。
強引に突っ込んでいれば結界に足を狙われ一撃を貰っていただろう。
結界の破壊は容易だが発生時の切れ味までは防げない。
なかなかに攻めにくい布陣だ。
「イリアスさん、さっきからポンポン吹き飛び過ぎじゃありませんかっ!?」
「そうは言うがな、踏ん張れない姿勢であんな攻撃を受けたら私の体重じゃ飛ばされるのが道理だ。ラクラならどうにかなるのか?」
「スタイルは私の方が良くても筋肉の差でイリアスさんの方が重いですよ絶対!」
「ぬ、そういわれると白黒付けたくなるな」
軽口を叩いている限り、まだ余裕はあるようだ。
「うーん、結界の発生前から展開先を見切られていますね」
「こちらも死角から飛び込んだりしているのだが、嗅覚が尋常ではないな。ラクラを守りながらの戦いは辛いものがある」
そう、ラクラ=サルフの戦闘技術は油断できないが戦う者としての能力は低い。
結界の防御を張られたところで私ならばその結界ごと一撃で奴を仕留めることができる。
あの男は二対一の状態を生み出し、優位に戦いを進めようとしていたようだが却ってイリアス=ラッツェルの動きを阻害している。
「えっ、要りませんよ別に」
「いや、だがさっき影を――」
「対処できましたよ、イリアスさんが飛び込むのが分かっていたので何もしませんでしたけど」
「……なら良いんだな?」
「はい、余所見せずに全力でお願いします。私の方が支援役なのですから」
防御を捨てるというのか、ならば好都合だ。
「――ならば、その慢心が身を滅ぼすと知れ!」
左脚で飛び込む、同時に角で雷撃魔法の目眩ましを行う。
鼻がイリアス=ラッツェルの方を警戒させるが問題ない、尻尾を盾にしてラクラ=サルフの方へと突撃する。
尻尾が切断される感触が伝わるが問題は無い。
尻尾の下から右腕の骨子を飛ばしている、これで再び動きを封じた。
左腕を構え、ラクラ=サルフのいた方向へと向ける。
鼻が前方に結界の気配を嗅ぎ分けるが問題ない。
そのまま左腕を伸ばし、穿つ。
「――?」
左腕に感触がない、伸ばした距離からして既に貫いていなければおかしい位置だ。
回避されたか、奴の身体能力を考えれば穿たれる前に回避行動をしていたことになる。
即ちこちらが狙うことを雷撃魔法を打った時点で察していたか。
あれほど間の抜けた会話をしておきながら微塵も集中力が途切れていないようだ。
いや、待て、鼻が警戒心を強めたままだこれは――
「やっと私に最後まで攻撃してくれましたね」
左腕に痛みが走る、穿った直後では縮小は間に合わない。
奴の結界によって左腕が切断されていた。
そうか、今まで奴が防御のために張っていたと思われた結界は全て反撃の為だったか。
「最初から結界での防御は捨てていたのか」
左腕を再生させる、しかし部位の完全切断ともなれば修復には多くの魔力が浪費される。
尻尾の修復もあわせ、手痛い反撃を受けたことになる。
「先ほどの方に簡単に破られましたので、最初から防御は諦めていますよ」
「一撃でも当たれば肉塊だと言うのに、勇敢なものだ」
「目は良いので。うーん、でもそうやってすぐ再生されると不毛な感じはしますね。イリアスさんが追撃してくれないと埒が明きませんよ」
「ラクラへの攻撃に合わせての反撃に合わせて追撃って無茶を言ってくれるな」
「では私が仕掛けますから、イリアスさん追撃お願いして良いですか?」
「しれっと言ってくれるな、だが任せるぞ」
敵の目前で作戦を練られるとは、豪胆にも程がある。
しかし奴からは虚勢を張っている気配は感じられない。
油断はしない、鼻に神経を集中させる。
ラミュグレスカの鼻の精度は驚嘆の域に達する特異性だ。
自らの知覚の限界を超えて反応することが可能となっている。
身体能力で負けていない以上、反応速度で優れている限り負けることはない。
鼻が危険性を感じている、奴の周囲に結界が張られているが、それ以外に何かを行おうとしている。
何があっても即座に反応できるように左脚と尻尾にも神経を張り巡らせる。
さあ、どうく――
「――ッ!?」
本能が最大限に危険を察知する。しかし鼻も、他の感覚を以てしても何も知覚できていない。
本能だけが伝えている、この体勢は不味い、死ぬと。
咄嗟にしゃがむ、頭部を最高速度で避難させ――同時に両足、右腕が切断される。
下げ遅れた尻尾も切断された、これは結界の攻撃――いやだが鼻は感知していない!?
視界を向けると既にイリアス=ラッツェルがこちらに斬り掛かっている。
いやそれよりも、その先にいるラクラ=サルフの方に目線が釘付けになる。
そんなことがありうるのか、どういった原理だ、だってあれは奴の――
「ベグラギュドの『盲ふ眼』だとっ!?」
理解が追いつく前に、イリアス=ラッツェルの渾身の一撃が振り下ろされた。
エクドイクは泣いていい。