まずは一撃。
勝利したウルフェが凄い良い顔で駆け寄ってくる、大量の返り血を浴びつつ。
なかなかに猟奇的な光景だ、可愛いけども。
「やりました!」
「本当にやっちまうとはな。ミクス、ウルフェの返り血を流してやれ」
現段階で驚愕しているのは『俺』とミクスだけだ。
エクドイクとイリアスについては良くやったと言わんばかりの顔だ。
なおラクラは平常運転。
ミクスが水魔法、風魔法を駆使してウルフェを洗っている間にイリアスの方へと向かう。
「イリアス、知っていたのか? ウルフェがここまで強くなっていたことを」
「日に日に体内の魔力が研ぎ澄まされているのを感じていたからな、その進歩は肌で感じていたぞ」
「予想外すぎてこっちの計画が結構狂ったぞ、再調整しっぱなしだ」
「私達を見くびり過ぎだ、私達とて君のために本気で戦っているのだからな」
我が事のように誇らしげに語るイリアスだが、ふとラクラが人差し指を口に当て首を傾げる。
「でもこれでイリアスさんの出番、無くなりましたよね?」
ドヤ顔のまま固まるイリアス、そうなのである。
紫の魔王の残る駒は『左脚』『舌』、そして本人の駒だけなのだ。
現段階で相手の駒の配置は全て読み取れている、次は戦闘を行うことなく勝利することもできる。
あれだけ頼れと豪語していたイリアスが最終兵器のまま勝負が終わる可能性があるのだ。
「い、いや、まだ君が外すことも――」
「今の『俺』が外すかよ」
「……少し目を見せてみろ」
イリアスが顔を近づけ瞳を覗き込む、今『俺』がどこまで行っているのか確認したいのだろう。
「だいぶ濁っているが……まだ大丈夫そうだな」
「まだやることが残っているからな、時間をかけてじっくりやらせてもらっている」
「一回だけとは許可したが、長時間の使用と言うのは……いや、約束は守っているのだからとやかくは言わないでおこう」
「とやかく言う用意があったら、次の戦いの用意をしておいてくれ。次はお前の番だからな」
「む? 私に出番があるのか?」
「間も無く仕上げだ、思い切り戦わせてやるから覚悟決めとけよ」
手をひらひらさせて紫の魔王の元へと向かう。
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背筋に気持ちの悪い汗が流れているのを感じる。
あのバラグウェリンが圧倒された、デュヴレオリに続く切り札の一枚があっさりと。
あの亜人の娘は一体何だというのだ、保有する魔力の量もそうだが、あらゆるものが規格外だ。
まるでユグラと対峙したかのような強さ、不条理の体現。
いや、デュヴレオリとて負けていないはずだ。
コレには私が復活してから編み出したあらゆる魔物の強化手法を組み込んでいる。
それこそ戦闘向けの魔王を相手にしても互角以上に戦えるだろうというスペックに仕上げたはずだ。
――違う、そうじゃない。
今私が本当に焦っているのはそこではない、彼との勝負についてだ。
残る駒は三つ、私の敗北条件の駒をいよいよ盤上に出さねばならなくなってしまった。
次も私の駒の配置を読まれたのならばデュヴレオリが戦うことも無く私は敗北する。
私は彼を手に入れることができなくなる、身も、心も。
「顔色が悪いな」
彼が歩み寄ってくる、その黒い瞳は私を無感情に見つめてくる。
ああ、なんて目をしているのだろうか、ただ冷酷に、冷淡に、私の心を見透かしてくるような視線だ。
ユグラに殺された時でさえ、ほとんど感じなかった感情が体を支配する。
これが戦慄、恐怖、なんて素敵で恐ろしい。
だが負けるわけにはいかない、彼を欲しいと思った私の願いは本気なのだ。
私にとって初めて見出した価値ある存在、それを手に入れる。
しかしその可能性はどうだ、もう間も無く潰えるかもしれない。
どうしてこんなことに、有利だと思っていた勝負が蓋を開けてみればこの様。
彼個人の実力だけではない、彼が連れてきた者達の強さが私の用意した手駒を遥かに超えていたのだ。
「今度は不満か、確かにウルフェの強さはこちらも想像以上だったがな」
「……どこまでは本当のことなのかしらね?」
「全部本当さ、あそこにいるラクラはメジスの聖職者なんだが嘘を見抜くことができる。そういう相手がいると知っている以上、この世界では嘘をつく意味が薄いからな」
――確かに私も似た芸当はできる。
相手の魔力の揺らぎから言葉の真意を探る術を学んだ事がある。
だから彼の言葉に嘘がないことを知っている。
「とは言え多少の誤差に過ぎないさ。本当は金の魔王とエクドイクだけでこの場所に来る予定だったしな」
「その状態でこの勝負に勝つ自信があったとでも?」
彼は答えず私の顔を見る。
ああ、言われなくても分かる。
ベグラギュドの育てたあの男の強さならばバラグウェリンやラミュグレスカ以外の大悪魔に十分通用する。
そして実際にラミュグレスカを倒して見せたのだ。
そこに金の魔王を加えれば今の状況に近い結果を用意することは可能だ。
今は過剰な戦力で私を圧し潰しているだけに過ぎない。
「……一つ尋ねたいのだけれど、私がワザと負けて貴方の物になることを受け入れるかもしれないとは思ったりしないのかしら?」
「そんなこと自分の胸中に尋ねてみれば良いだろうに。お前は掴まれるより掴む方が好きな女だ、だから勝機がある以上は貪欲に進むさ。だから今もこうやって、どうにかしようと考えている」
その通りだ、彼の物になることに対しては悪い気を持っていない。
だが私は欲している、勝ち取ることを、掴み取ることを。
彼が用意してくれたその機会を諦めきれない。
彼の物になるだけでは物足りない、私の物にしたい、全てが欲しいのだ。
彼は静かに視線を逸らし、デュヴレオリと向き合う。
「デュヴレオリ、今から駒の配置を行う前にお前個人と少し話をしたい」
「……」
デュヴレオリは口を開かない、私の様子を窺っているのだろう。
散々余計な口を開くなと念押ししたせいだ。
「口を開いて良いわ」
「はっ、……それで何用だ」
「次の配置の結果によっては紫の魔王は敗北する、それは薄々感じているだろう」
「……まだ勝負は終わっていない」
「そうだ、終わっていないが不利なのはそっちだ。だから一つ追加の提案をお前個人に持ちかける」
「私にだと?」
「提案するのはこれからこちらの駒の全てをお前の駒と向き合わせる。もちろん『俺』の駒は除くがな」
今、彼はなんと言った。
彼の駒は未だ一つも欠けていない、戦える駒は六つ残っている。
これからその全てと向き合わせると?
それは今から六連続で私の駒の配置を読むと宣言することと同意だ。
「――それで、対価はなんだ」
「その願いを叶えたなら勝敗関係無しに『俺』の下に付け。それがこちらの提示する条件だ」
「……ふざけているのか?」
「ふざけてなんかいないさ。別にそこまで悪い話じゃないだろ、この勝負どちらが勝ってもお前は紫の魔王の下にはいられるんだ」
「それは――」
「受け入れないなら構わない、このまま『俺』が勝ってお前は自由の身になるだけだ。だが『俺』には世間的な目的の一つに紫の魔王の無力化があるからな、下に付かない奴を傍に置くつもりはない。その後好きなように暴れて滅んでくれ」
「……」
デュヴレオリの視線が私に向けられている、私に意見を求めている。
私はどう答えればいいのか、後六度のチャンスを与えられるのであればそれを受けるべきなのだろうか。
しかし、だが、でも――
「紫の魔王の顔色を伺う必要は無いだろう、今はお前個人に話を持ちかけているんだ」
「……私の守るべき方は主様以外に考えられない。それが主様の命じられたことであってもだ」
「別にお前の一番になりたいわけじゃないさ、俺にはついでで従ってくれるって約束してくれりゃ良い」
「それを私が守ると?」
「どちらに転んでも約束を守らなきゃお前は全てを賭けた紫の魔王の覚悟を侮辱することになるからな。口約束で十分だろう、お前の忠誠心が偽りでないならな」
「……良いだろう、その所業を達成して見せたのならば私は主様の次にお前を優先すると誓おう」
デュヴレオリは少しだけ葛藤する様子を見せたが、はっきりと彼との取引に応じて見せた。
悪魔、いや魔物達は本能的に人間を敵視する生き物だ。
その粋たる大悪魔のデュヴレオリが人間に仕えるという約束をした。
違う、そうなるように仕向けたのだ。
「良い従者を持ったもんだな」
「――このことに意味はあるのかしら?」
「デュヴレオリは以前の勝負でお前の所有物としての立場から解放されているからな。お前には従うにしても『俺』からすればおっかない奴であることには変わらない。臆病者故の保険とでも思ってくれ」
「それで貴方は自分自身を失う機会を六度も増やしたことになるのよ?」
「問題ない、もうお前との読みあいで負ける要素は無くなった」
彼は静かに私を見る、目を合わせるのが怖い。
あの目は本気だ、彼は今から私の駒の配置を連続で当てるつもりなのだ。
そんなことが、そんなことを許していいのか。
彼は常に敗北条件を晒している、なのに、なのになのに。
そうだ、このテーブルの中に悪魔を仕込めば――
「先に言っておくがお前の考えを理解した上で駒の配置が読めるんだ、イカサマの有無はすぐに嗅ぎつけられる。やろうという兆候もな」
「――ッ!」
「さ、駒を置いてもらおうか」
ダメだ、彼にはあらゆる挙動を読まれている。
日和って楽な道に逃げようものなら彼は確実に私に敗北を突きつけて見せるだろう。
考えなければ、彼の裏をかけば良いのだ。
「――あ」
駒の配置が出揃い、駒が向き合う。
なし、『舌』、『私』、なし、『左脚』。
なし、『騎士』、なし、『彼』、『聖職者』。
彼の宣言通り、デュヴレオリと彼の仲間の駒が向き合った。
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紫の魔王の表情が再び曇る、とは言えバラグウェリンが倒される前程度には回復しているようだ。
これで良い、まだ自暴自棄になられては困る。
最後の一手を打つ前にデュヴレオリはなんとしても攻略しておかねばならない。
あえて先にエクドイクとラミュグレスカをぶつけたのも、ラクラとウルフェをバラグウェリンにぶつけた理由も全てはこの時のための布石だ。
最初の狙いは生存術に長けているエクドイクに特殊な強化を得た大悪魔の力を引き出させることだ。
次に速度に優れたウルフェに時間を稼いでもらいラクラにその強さを実戦を通して感覚を掴んでもらう。
そして最後にイリアスとラクラの二人をデュヴレオリにぶつける。
これが本来のプランだった。
紫の魔王にとって最大の戦力は間違いなくデュヴレオリ、彼女との本気の勝負に明確に勝つためにはデュヴレオリとの決着は避けては通れない。
可能ならば道中金の魔王に任せてラミュグレスカ辺りをどうにかしてもらう予定ではあったが嬉しい誤算が続いてしまった。
エクドイクが勝利、さらにはウルフェが強くなり過ぎていた。
ラクラの学習期間が短いが、まあ何とかなるだろう。
ここまで強くなったのであればイリアスとウルフェと言う組み合わせも考えたのだが『俺』の感覚がウルフェよりもラクラを優先した。
パーシュロと戦った時、二人はそれなりに連携を取れていたがそれはあくまでイリアスが合わせていただけに過ぎない。
今のウルフェでは強くなった力を維持したまま高い連携が取れるとは思わない。
下手をすれば満足な動きができずに弱体化する可能性まである。
なので目下の所最大戦力候補であるイリアス、補佐に最適なラクラをチョイスした。
「さてと、それじゃあ少し作戦タイムと行くか」
テーブルを離れイリアス達の元へ向かう。
イリアスは非常に嬉しそうな顔で意気揚々としている。
対するラクラは微妙に嫌そうな顔だ。
ラクラにはバラグウェリンとの戦闘の前の作戦タイムの際に別に指示をもう一つ出していた。
それは『この後のデュヴレオリとの戦闘に備えておけ』と言うものだ。
「本当に尚書様の言った通りになりましたね。私ではなくウルフェちゃんにすれば良かったのに」
「イリアスとウルフェじゃ同時に攻めるのが難しいからな、ウルフェを入れるとなればイリアスを外す選択肢になる。どの道お前は参加予定だったぞ」
「それは何よりだ、このまま活躍の機会なくては陛下にどんな叱責を受けるか分かったものではないからな」
「イリアス、がんばれ!」
「もちろんだとも」
「不利そうになったらさっさと投了するからな、そんときゃウルフェと金の魔王を出す」
「必要ない、私で決着をつけてみせよう」
イリアスは自信満々だ。
同格であった筈のヨクスが完敗したと言うのに、どれだけの自信があるのやら。
ウルフェの例もあるので何とも言えない。
「それで、今から戦いに行く私に激励の言葉は無いのか?」
「無いな」
「……」
「不満そうな顔するなよ」
「他の者には色々言ったくせに」
「イリアスならわざわざ言わなくたって伝わってるだろうに」
「――ふむ、悪くない言葉だ。だがな、敢えて言葉にして欲しい時もあるのだぞ」
「今日だけで恥ずかしい台詞何度繰り返してると思ってんだよ」
これだから体育会系な騎士ってのは……。
しかしまあ士気を高めるのもブレインの役割だ、どう言った言葉を掛けるべきか。
騎士がやる気になりそうな言葉ねぇ……、あまり思いつかないが取り敢えず――
「『俺』の剣が簡単に折れてくれるなよ」
「……悪くないな、よし! では行って来る」
どうやら十分に効果はあったようだ、何よりです。
その様子を見てラクラも何やら物欲しそうな顔をしている。
「あのー尚書様、私も何か言って欲しいですー」
「『俺』の……なんなんだろうな、お前」
「酷くありませんっ!?」
「そりゃ恋人同士とかなら抱擁でもしてやるんだがな、流石に恥ずかしいだろ」
「それはまあ……、そうですが」
「希望の言葉がありゃ掛けるけどな」
「ええとでは……、ゴニョゴニョ」
そんなんで良いのか、しかし普段やる気の無いラクラがそれでやる気になるならやぶさかではない。
こほんと咳払いしつつ、ラクラの肩に手を置く。
「思う存分、好きにやって来いラクラ!」
「うーん、何か違うような」
「こいつ」
「いえいえ、でも言ってくれたのは嬉しいですから。では行ってきます」
イリアスとラクラはそれぞれが中央へと向かう。
その場には既に最後の大悪魔である『駆ける左脚』テネスアスパリグン、そして紫の魔王が誇る最強の大悪魔『頤使す舌』デュヴレオリが控えている。
テネスアスパリグンは既に魔物の姿に変身しているがデュヴレオリは執事服のままだ。
魔物の姿の場合、筋力の増加は確かだが速度や小回りが落ちる。
またエクドイクの分析によれば魔力強化の質が悪いとのこと。
人の姿は人の姿で一つの完成された形態なのだろう。
どこまで視界で追えるかはわからないが超人眼鏡を装備、いつでも棄権救出できるようにウルフェとミクスを傍に控えさせる。
「開始の合図は――この金貨が地面に落ちた時を合図とする。用意は良いか」
「ああ、もちろんだ」
イリアスの返答を確認したデュヴレオリが金貨を真上に弾く。
高々と上がった金貨に視線を向けている者は遠くから見ている者達だけだ。
戦いを始める者達は既に臨戦態勢、剣を抜き、相手を見据え構える。
そして金貨が地面へと落ちた音が広場に響く。
それぞれが動きを見せる、そこでこの超人眼鏡の強化された動体視力の限界を超えた。
次の瞬間に目撃したのは眩い光の奔流だった。