まずそうだよね。
宣告と同時にその場を離れる。
この状態を維持することは簡単だが長時間対象を観察し続けるとどうしてもクセで自分の立ち位置を捨てる工程に移ってしまう。
故に今回取りうる方法は相手を観察、分析、この段階で保持することだ。
そしてリアルタイムで『俺』をぶつけての反応の確認、行動の決定を行う。
普段の方法ならばここからさらに精度を上げる手段がある、完全に罠に嵌めるだけならばそうしてしまうのが手っ取り早いわけなのだが、そこまで行くとイリアスからストップが掛かりかねない。
紫の魔王の寝首を掻くだけならば今までの方法で十分、しかし今回は完全な形での勝利が必要となる。
――いや、今までの方法ではダメなのだろう。
そんなことをすれば紫の魔王がどれ程本気なのかを完全に理解してしまう。
理解すれど共有しないからこそ戻ってこれるこの技だがもしもその思いを共有すればそこまでだ。
紫の魔王の自己に『俺』の自我は潰されてしまうだろう。
エクドイクの元に移動する。
「以前の約束通り、『鼻』の大悪魔との一騎打ちだ」
「感謝する、これで魔界に於ける父の名誉を挽回する最後の機会を得たことになる」
「恐らくは今までの大悪魔よりもデュヴレオリに近い強さを与えられているはずだ、勝算はあるのか?」
もしも苦戦し、命が失われる危機になるようならば戦闘を止めるぞと言う意味だ。
エクドイクは少し思案顔をした後に答えた。
「俺が今生きている目的は俺を育てた父ベグラギュドの名誉を守ることだ。今回はその最後の戦いとなる、命を捨てることに躊躇いはない」
「ラクラのことはどうなる、もう良いのか」
「普段の生活を見るだけなら名残惜しさは残るだろう、だがラクラ=サルフは全ての大悪魔の前で自分はベグラギュドを倒しうる実力を持っていると証明した。その時点で十分だ」
最初に出会った時と比べ、今のエクドイクにはどこか達観している様子が見受けられる。
ベグラギュドの名誉、自分の生きてきた価値を守るために戦ってきたエクドイクだが今その大半の目標を達成しようとしている。
いや、ベグラギュドの名誉を守る為だけならもう既に達成しているのだ。
大悪魔を二体倒したラクラへの評価は人間、悪魔、どちらからも上がっている。
その相手に倒されたベグラギュドへの評価は『不甲斐無い』から『運が悪かった』まで変わっているだろう。
後は侮辱した大悪魔を自らの手で粛清するだけ、だがこの成否はさしたる問題ではないのだ。
エクドイクは一歩前に出る、広場の中央には既に新たな大悪魔が姿を現している。
「ラーハイトに誘われた時、俺はラクラ=サルフへの復讐ができると喜びお前の殺害に協力した。だがそれが成功した所で怒りや怨嗟に固執したままの俺は他の大悪魔と戦い死んでいただろう。これだけの成果を得られたのは他でもない、同胞のおかげだ。実の親も、育ての親も、敵味方問わずに俺の為にここまで尽力してくれた者はお前だけだ。それに応えなくして俺に生きる意味などない」
「死ぬために戦うのならば止めるからな」
「デュヴレオリ相手ならばそれも考えたがな、生憎父を侮辱した相手に花を持たせるつもりは無い。勝算はある、鎖が軋む限り俺は戦える」
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『人間は矮小で臆病で弱い。だがそんなものが我等が魔王を倒した。今もなお抵抗を続け、世界を取り戻そうとしている。その眼を人間に向けよ、奴等は何かを持っている。それを掴めば我等の地位は安泰となろう』
父は人間を下に見ながらも、いずれは敵となりうる存在として人間を敵視していた。
魔王を倒したユグラだけではない、多くのユニークを倒す歴戦の英雄とて生み出しているのだ。
それ故に父は人間を観察し、その特性を学んでいた。
悪魔として歪んだ好奇心により多くの人間を弄び、殺し、喰った。
そんな父は遊び心からか俺を村から攫い、育てることにした。
逆らえば痛めつけられ、役に立てぬのならば殺すと脅されて生きてきた。
技を教えこまれ、戦う術を叩き込まれ、兵器として育て続けられた。
実力を身につければ父の機嫌は良くなる、その間は苦痛なく過ごすことができた。
だから俺は死に物狂いで己の技を磨き続けた。
『エクドイク、貴様は我が余興で育てた存在。だが面白いほどに成長した、上級悪魔をも凌駕するとは実に面白い。我は良い物を拾ったものだ』
実戦として上級悪魔を初めて殺めた日、父は初めて俺を褒めた。
嬉しいとまでは思わなかったが、評価されると言うことは悪いことではないと知った。
気づけば俺は大悪魔ベグラギュドの側近にまで上り詰めた。
『悪魔の技を身に付けた人間がここまで育つか……エクドイクよ、貴様には我が所有物としての象徴、我が眼を与えよう』
『盲ふ眼』を与えられ、俺の強さはまもなく父に並ぶであろうとさえ思っていた。
しかし悪魔の眼は肉体に適応するのに時間が掛かった、視力は辛うじて残ったが満足に使えるまでしばらくの時期を要した。
『ああ、楽しみだ。数年後、完成した貴様が人間とどのように向き合うのか、実に見物だ』
その数ヵ月後、父はラクラ=サルフによって滅ぼされた。
あれ程の父が、容易く、あっけなく、何も感じることも無く。
生き残った配下の悪魔達は皆、他の大悪魔の軍門に下った。
主を失った領土に現れた大悪魔達が奪っていったのだ。
父を罵倒し、侮辱し、名誉を傷つけ、その価値を奪っていきながら。
その時、最も高らかに演説をしていた大悪魔が、この目の前にいる男、ラミュグレスカだ。
「少し話そうか」
目前にいる男、『嗅ぎ取る鼻』ラミュグレスカ。
その姿は人の姿をしている、デュヴレオリと同じく執事服を着用している。
ただ窮屈な服装を嫌っているのか乱雑に着崩している。
大悪魔達の中でも大まかな格付けは存在している。
その中でも上位であったのが『眼』『舌』『耳』『鼻』の四体。
デュヴレオリは自らの領土に固執をしてなかった、それ故に大魔界の大半は残りの三体が支配しており、残った土地を他の大悪魔が陣取っていた。
「ベグラギュドとは何時の日か決着を付けようとさえ思っていたが、まさか奴の育てた人間と戦うことになろうとはな。名前は何と言う?」
「……エクドだ」
「奴は人間を好んでいた、無論友好的と言う意味ではなく支配する意味としてだがな。その一環とは言えお前の様な奴を育て上げるとは大したものだ。だが結局は人間の傍に居過ぎたせいで人間に狩られるという醜態を晒したのだがな」
「知っているぞラミュグレスカ、貴様は嘗て人間に滅ぼされた大悪魔の部下だった。そして人間を恐れメジス魔界の奥深くを陣取るようになったのだとな」
「勘違いしてもらっては困る、確かに私がひ弱な頃に仕えていた大悪魔は人間に滅ぼされ私はその場を離れた。だがそれは人間を恐れてではない、人間と戦うのが割に合わなかっただけに過ぎん。強くなる為には永く生き、魔界の魔素に触れ、魔素を含む魔物を捕食していれば十分だ。人間と戦う必要性がどこにある? 現にベグラギュドは大悪魔にまで上り詰めてなお人間に関わった為に滅ぼされた」
確かに父は人間界に面した陣地を好んで支配した。
他の大悪魔達は逆に好まなかった。
それ故にメジス魔界の支配領域は大悪魔の中でも最大規模と言えただろう。
「むしろ私達と争うことを避け、人間を標的にしたベグラギュドこそ臆病者だとは思わないのか?」
「思わん、人間を敵と見なすのは魔物の性だと聞いている」
「そうだ、私達魔物と人間は相容れぬ。住める世界が違うのだ、嫌悪しあうのは当然のことだろう。だが奴は人間を知ろうとした、理解しようとした。私から言わせれば悪魔として欠陥品とも言える行いだ」
「――そうか、やはりお前とは相容れぬようだ」
「そのようだな」
互いに構える、それを感じ取りデュヴレオリが開始の合図を投げる。
『盲ふ眼』を開く、我が父ベグラギュドの残した力でこの者に勝たねば気がすまない。
「それを使うか、まあ使うだろうな。だがそんな物、私に通用すると思ったか?」
「それはやってみなければ――ッ!?」
ラミュグレスカは躊躇することなく両腕の親指を眼球へと突き立てる。
血が零れる、まるで涙を流しているかのように。
「そら、私の眼は何も見えなくなった。惑わす幻影を見せ付けるその眼は何の意味も成さん。所詮その程度の力と言うことだ」
「正気か貴様、目が見えぬのならば――!」
鎖を展開しラミュグレスカへと伸ばす、しかしラミュグレスカは全ての鎖を紙一重で回避、さらに一足でこちらの懐まで飛び込んでくる。
その速度は今までのどの大悪魔よりも速い。
メジス聖騎士団団長であるヨクスを倒した際のデュヴレオリと同等――いやそれ以上。
「私の力、『嗅ぎ取る鼻』はあらゆる物を嗅ぎとれる。物の匂いだけではない、攻撃の隙間、反撃の機会、そして勝機さえも、あらゆる事象をも嗅ぎ分けられる!」
胸部に衝撃、体が吹き飛ぶ。
一瞬で見えたのは奴の拳がこちらの胸を鎖の防御ごと打ち抜いた光景。
地面に数度、そして壁に叩きつけられる感触。
「よって視力なぞ不要、主様の手入れによりさらに私の力は性能を増している。この人間の姿のままで無ければ最大限に使用できないと言うのは不満があるがな。尤も力も十分で小回りが利くのだから贅沢は言わんが」
ググゲグデレスタフの左腕の一撃以上、人の姿を維持してこの威力か。
服の下に仕込んでいた障壁を張り巡らした鎖も一撃で砕けている。
骨も数本、内臓へのダメージもあちこちに見られる。
動きが鈍くなっている、まずは最低限の治療措置を行わねばならない。
不可視の状態にした鎖を周囲に張り巡らし浄化魔法を仕込んだ罠を張る。
手前に砕けやすい鎖、奥に強化した鎖。
攻撃すれば砕けた鎖が刺さり、同時に防御も可能だ。
完全に封じられずとも少しの時間も稼げれば――
「そんな鉄錆の臭いを張り巡らせた、程度の低い浄化魔法で私を止められるとでも?」
ラミュグレスカの足刀蹴りが鎖を一撃で吹き飛ばす、その衝撃が再び俺の体を壁に叩きつける。
衝撃波だけにしても今度のはほぼ無防備で受けてしまった、全身の内臓が圧迫され血が喉から吹き出る。
「ガッ――!」
少しの硬直の後、重力に引かれ地面に落ちる。
ラミュグレスカは無傷、ググゲグデレスタフの腕に刺さった欠片さえ奴の防御を貫けていない。
今までのこちらの勝ち筋は相手の慢心に漬け込み、先手を取っての封殺。
しかし今回はその先手を封じられ、攻撃に反撃を重ねられてしまった。
これが人間と大悪魔との純粋な性能差――。
「小細工が通じねばこんな物か、主様もあのような人間を何ゆえ欲しがるのか、理解に苦しむな」
「――そう、か、理解できんか」
体に鎖を巻きつけ補強し鎖の操作で体を起こす。
今の衝撃で全身へのダメージが酷い、意識で肉体を動かすことは不可能ではないが真っ当な反射ではどの道足手まといだ。
「器用に動くものだ。ああ理解できんとも、私が今からその気になれば数秒で殺せるような命を何ゆえここまでお膳立てして賭けるのか」
「よくもまあ、そんな言い草でそれだけの力を与えられたものだな」
「主様のことは認めているとも、上級悪魔程度に私が遅れを取ったのだ。ああ、この方に従えば私はいくらでも強くなれるのだとな。その判断を最初からできていればデュヴレオリなんぞに大きな顔はさせなかったのだがな」
「ふん、同胞の価値を理解できぬお前なんぞに施してやれる力などその程度が関の山よ」
「その程度に殺される者はどの程度なのだろうな?」
再びラミュグレスカが飛び込んでくる。
回避行動――攻撃の種類を見てからでは遅い、迷うことなく自分の体を鎖を使って投げる。
強引に放り投げたために負傷した全身への負荷が大きい、受身も満足に取れずに地面を転がる。
その場に残った鎖を粉砕しながらも奴の蹴りは速度を落すことなく振りぬかれた。
もしもその場での回避を選んでいたならば今頃胴体が引きちぎられていただろう。
「これは驚いた、自分を物のように投げて逃げるとは。滑稽だな」
「……なりふり、構っていられないのでな」
無様な回避方法だがこれで奴との距離が開いた、とは言えこの程度の距離は一足二足で届く距離でしかない。
「……」
位置が変わったことで遠くの視界に同胞が見えた。
同胞は不安な顔を浮かべている。
しかし以前俺を見つめていた時と同じ眼をずっと維持したままだ。
戦闘力など皆無、出会った時など捕虜にするつもりがうっかり絞め殺す寸前だった。
あれ程弱い人間を何故ラーハイトは警戒したのかと不思議に思っていた。
だが今ならわかる、俺が奴だとしても同胞は最も恐ろしい相手だと認められる。
俺の様子を心配していながらも、紫の魔王との戦いを忘れずに勝利へと詰め寄っている。
あれ程のひ弱な男が魔王に勝つ為に戦っている。
だと言うのに、彼より遥かに強い俺が、魔王を前に膝をつく者に殺されると言うのか。
――ここで俺が死んだとしても同胞はきっと勝って見せるのだろう。
同胞の凄さ、価値は良く分かっている。
それでも比較してしまうと自分の無様さに口元が歪む。
「どうした、笑える余裕があるとは驚きだな」
「ちょっとばかり自分の価値について考えていてな」
俺は父の名誉を取り戻した、それは自らの価値を証明するためにだ。
尽力してくれた同胞は俺を認めている、価値を認めてくれている。
なるほど、最近の満足感はそういうことなのだろう。
今まで生きてきた価値は示した、認めて貰いたい者からも認められている。
ならばもう死んでも良いのかもしれない。
十分に満足はできている、しかし――
「負けて死ぬだけの者に何の価値がある?」
「俺の価値を決めるのは貴様ではない」
「貴様の従う主が決めるとでも?」
欲が出てしまった、冷水の様な心が煮え滾る憎悪に変わった時とは違う。
何も残っていない筈の心にまだ熱がある、想いがある。
今までの価値は十分だ、だがこれからの価値はまだまだ生み出せる。
俺が生きている限り、戦う限り、何かをする限り、それは生まれるのだ。
エクドイクと言う男はここで終わって良い存在なのか?
ここで死ねば、同胞どころか……あ、ダメだそれは。
熱が一気に跳ね上がった。
「俺の価値を決めるのは俺自身だ、俺はまだ俺の価値に満足していない。ましてやラクラ=サルフに後れをとったまま死ねるものか!」
「えっ、そこ私ですか!?」
遠くで負けたくない奴の叫び声が聞こえた。
ああそうだ、奴の立場を向上させるのは良い。
我が父の名誉回復には必要なこと、父の立場が奴より下なのは変えようの無い事実なのだから。
しかし俺はどうだ、父に育てられ、その価値を証明したところでアレより下なのだ。
大悪魔との一騎打ちの戦果は互いに一勝、ここで俺が死に奴が勝利すれば俺の負けだ。
そもそもラクラとの戦いには完敗しているのだ。
このままでは完全に俺は奴以下のままで生涯を終えてしまう。
そんな不条理があってたまるか、冷静に考えてアレ以下に見られるのは死んでもゴメンだ。
父よ、貴方から頂いた眼では貴方の雪辱は晴らせなかった、そのことに関しては謝罪させていただく。
だが今は貴方を倒した相手に負けないことの方が大事なのです。
ここからは俺の力を使って勝ちに行く!
「我が名はエクドイク! ラミュグレスカ、貴様に真の『盲ふ眼』を味わわせてやろう!」