とりあえず人に会いたい。
はい、そんなわけで異世界に来ました。
本来ならば日常生活からどのようにして異世界に来たのか、回想シーンなどを使って振り返るのが異世界転生系のセオリーなのだとは思うのだけれども。人に話すと恥ずかしい話なので割愛させていただきます。
自分が地球出身の日本人男性という情報は提示するが、それ以上はプライバシーの問題上——、
「いや、そんなプロローグを流している場合じゃない」
現在の自分の状況説明。異世界の森の中。以上。
気がついたら森の中なんです。いやひょっとすると木々の生い茂った勾配の弱い山の中かもしれない。ちなみに何故異世界って分かるんだよって言うと、目の前にある木々が原因なんですよ。
反対側の景色がうっすら覗ける透明な幹。そしてほのかに発光している葉なんて幻想的なものが、視界一面に存在する森が地球に存在するのだろうか。
あ、存在するのなら場所教えてください。老後に旅行しに行きたいと思います。
「ちなみに呆けて大体二十分経過している」
こんなに素敵な景色を見て感動するのが五分。冷静になってここどこだって考え始めるのが五分。地球じゃないよな、ひょっとして異世界かここと思考し始めること五分。とりあえず木々を見直して、心のリラクゼーションタイムで五分。
そろそろ行動を始めよう。まずは自分の状態の確認だ。
「身体に怪我なし。異形化、紋章出現などのファンタジー兆候見られず。湧き上がる魔力などの感知なし。所持品……何もなし」
へへっ、省略してたけど家の外にゴミ出しに行ってた途中だったから何も持ってないや。スマホとか地球産の硬貨や紙幣の詰まった財布もない。いや紙幣は一枚程度だったけどさ。
とりあえずいきなりこんな場所に飛ばされただけで他に影響は皆無な模様。異世界転生ボーナスなんて無かった。
いや、冷静に考えて死んでないから、転生じゃなくて異世界転移かこれ。
時間帯はどうやら夜。木々の上は真っ暗。
また日本で見る月より数倍大きい星が見える。
満ち欠けが見られるので月と同じ衛星であり、衛星が見えるということは、この星も地球と同じく太陽系のような形と考えるのが自然だろう。
地球が存在している確率は天文学的な確率である。その確率を満たした別の世界に移動するだけでこれ以上ないご都合主義だよなぁ。
「——夜の森って歩いちゃ不味くなかったか」
夜に方角を知る方法として天体を見ることがあげられるが、異世界なので星の並びも違う。オリオン座や北斗七星くらいなら見つけられるが当然ない。
冷静に考えると方角が分かったところで、土地を知らないからどっちに進めばいいかも分からない。
なら進んでも良かろうて。幸いにもこの辺の草木は発光してるので、地球の森を夜に歩くより安全そうだ。
「スリッパじゃなくスニーカーでゴミ出しに行った事は褒めるべきだな」
適当に一時間程進んだ結果分かった事実。どうやらここは森ではなく山。
進む都度段差に出くわし、振り返ると徐々に山の形が見えるようになっている。
予想の一つの通り、ここは勾配の弱い山であり、スタート地点は山の頂上付近だったようだ。
ひとまずの指針は山を下りること。次に川を見つけることだ。
歩きながら考えついたのは当然ながら生命維持の方法である。食料は木の実、水分は夜露あたりで凌ぐつもりではあるが、生粋のサバイバーでない以上限界は来る。
正直生水を飲むのは怖い所だが、それは最終手段。川を見つける理由は水分補給以上に進路の目的を定めるためだ。
この星が人類未踏の惑星ならどうしようもないが、もしも文明が存在していて人類がいるのならば川はその基盤となりうる。
古代の有名な文明も、栄養豊富な土壌を運んでくれる川を中心に耕作を行い、栄えたのだ。この法則は他の世界でも共通だと信じたい。
「だが、ここに来て問題が発生」
そう呟く声は非常に小さい。そりゃあそうだ。
遠めに見えますが、その、はい。熊です。めちゃくちゃでかい熊です。
動物園で見た熊さんは全長二メートルなかったんですが、この熊さん四メートルくらいあります。
君夜行性だっけ? ああ、この森明るいからね。問題ないよね。
前方二十メートル程だがばっちり見えた。いやぁ明るい分はっきり見えるなー、こっち見てるなー、捕捉されちゃってるよなー。
背筋が凍るという貴重な体験をしつつ考え中。
死んだフリ? 餌が転がるだけだ。逃げる? 熊は下り側、逆方向に逃げようものなら熊さん大得意の上り坂チェイス。
戦う? ははっ猟銃あってもやだ。
そんな間にも熊さんこちらに唸りながらのそりのそり。
考えるんだ。考えて、早く答えを出すんだ。そうだこの手が!
「な、ないすとぅーみーとぅー?」
熊が咆哮する。どうやら西洋かぶれは許されないようだ。
一目散に駆け出す、なんて事はできない。足が震えて動けない。
そして熊はこちらを食べやすい餌と認識したのか駆け——ることはなかった。
突如熊が降り注ぐ緑黄色の液体に飲まれる。
四メートル級の巨大な熊の全身を容易に飲み込んだ液体は高い粘性を持っているのか、地面に広がることなく球体状になろうとしている。
熊の悲痛な叫び声と共に怖気の走るような音が液体の中から発せられ、液体の内部は徐々に黒く染まっていく。
血だ。熊の血が液体に混ざって黒く見えている。異常な速度で熊の毛皮、皮膚、肉を溶かしている。液体は意思を持って熊を捕食しているのだ。
「……スライムだ」
ファンタジー系のロールプレイングゲームをやった者なら、知らない者はほとんどいないだろう。
目の前にいるのはソレだ。某有名ゲームのように可愛らしい目や口なんてないし、明らかに経験値一桁の雑魚モンスターではないが。
必死にスライムの中から逃げ出そうとする熊の、悲痛な断末魔が森に響く。
だがその音はスライムが口の中に浸入する事で、間も無く静かになった。
「うっ……くっ、げほっごほっ!」
感情など無く淡々と行われる凄惨な食事光景を目にし、吐き気がこみ上げる。
食事の後ならばそのまま吐いていただろうが、胃液が喉を焼く痛みだけですんだ。
だがここまで来て、ようやく自分の犯した致命的ミスを自覚する。
こちらの咳に反応したのか、スライムがこちらに向かって動き出したのだ。
熊が襲われている間に足早に逃げるべきであった。それをのんびり眺め、あまつさえ音を出す愚行を後悔する。
だが動きは熊が歩む速度よりも遅い。これなら逃げればあるいはと後ずさりをする。
「——っ!?」
思考よりも先に恐怖から体が横に飛んだ。
先ほどまでいた場所がスライムに飲み込まれた。
その速度は破裂した水風船や放水車の放水を想起させる。
スライムは捕食に失敗したことに何の反応も示さず、再びこちらの方へ動き始める。
その動きは再びゆっくりだ。感情を感じないのに弄ばれているかのように錯覚する。
体の震えが止まらない。先ほどまで脅威だった巨熊はすでに骨すら残っていない。
それが自分の数分後の結末なのだと、認め始めている自分がいる。
「あ……ああ……」
恐怖に飲まれまったく声が出ない。闇雲に掴んだ石を投擲する。
だが冷静さを欠いた投擲はスライムに当たることなく宙を舞い、奥に飛んでいきその先にある木の幹に当り心地の良い音を響かせる。
そしてスライムが爆ぜる。
「……?」
スライムが飛びついたのは後方の木だった。
圧倒的物量により木が倒壊する。
そして奇妙な光景を目にした。
「木を食ってる……?」
ここに来て察する。このスライムは音に反応しているのだ。
聴覚があるというより振動を感じ取っているのだろう。
咆哮した熊を襲い、咳き込んだこちらに反応し、後ずさった音で攻撃を行った。
そして今は大きな音と共に、倒れた木に攻撃を仕掛けている。
周囲を見回し手ごろな石を拾い集め、立ち上がる。
スライムは飛び掛った先に獲物がいないことに気づいてか、こちらの再び立ち上がる音に反応を示し、動き出す。
拾った石をなるべく音を立てずに離れた木に投げ、命中させる。
その音にスライムは反応し飛び掛り、再び木が倒れる。
それと同時に走り出し、逃げ出した。
「はあっ、はあっ、はあっ」
道中何度も振り返り、追っ手が無いか確認し、いるかもしれないという恐怖から、近くの木に石を投げては走った。
どれだけ走ったのかは分からない。
疲労困憊になり木にもたれ、肩で息をしていた。
空は明るみを帯び、気づけば幻想的だった森は、一般的な茶色と緑の木々に囲まれた普通の森へと変わっていた。
生きてるって素晴らしい。
素晴らしいのだがどうしてこんな目に遭っているんだ。
なんでこんな世界に飛ばされたのか。
読み物として読んだ異世界への移動として、ポピュラーなものは何らかの理由があってこの世界に召喚されるという展開だ。
当然ながらこの身に特異体質なんて物はないし、勇者の血筋というわけではない。
こちらに理由が無いなら、相手側の理由による事故などが考えられる。
神様の気まぐれや不手際、この世界の召喚術の失敗などなど。
この際不手際や失敗でもいいから、目の前に驚いた顔の召喚者がいて欲しかった。山に放置はあんまりだ。
「勇者になって魔王を倒すとか、亜人系の美少女に囲まれるハーレムとか、
そういうの良いから無難に生きさせてくれ……」
いない者に文句を言っても始まらない。一息ついたら進むとしよう。
冷静になるまで気づかなかったが、今いる普通の森は生き物の気配がところどころに感じられる。
囀る鳥の声、木々の隙間に巣を張る蜘蛛、透明の木々の場所では無かったものだ。
恐らくあのスライムが生息しているせいで、まっとうな生き物はいないのではないだろうか。あの熊は偶然迷い込んだとかそんな感じで。
とはいえスライムという食物連鎖の上位がいる場所に、ほいほいと行くものかね?
「なんにせよ……疲れた」
呟くのと同時に意識を夢の中に預けることにした。
ターイズ王国にある城にて会議が行われていた。
揃う面々は銀色に輝く鎧を纏った騎士隊長達。そしてターイズ王に仕える重鎮達。
そしてターイズ国王である、マリト゠ターイズその本人である。
マリトは齢二十五にして、現役であった先王から王の座を受け継いだ程の傑物である。
王となって二年、国内の様々な問題を解決し民にも絶大な支持を得ている。
だが厄介な問題が発生し今の会議に至る。
「また護衛なしの商人が襲われたか」
「はい。一刻前に我らが護衛をつけていた馬車は素通りでしたが、その後に続いた者達が襲われ死体だけが残されていたようです」
「費用をケチった自業自得とは言え、うちの国を潤す商人達が襲われては示しがつかんな」
近隣のガーネ王国が数年前に新王へと変わり、その手腕の影響で見事ガーネ国周囲での犯罪率は激減した。
だがその結果、山賊を初めとする悪漢達がこちらに流れ着いてきたのだ。
平野が広がるガーネと違い、山や森を多く含むこの地では野営地に困らない為、山賊達の多くは未開の場所へと姿を潜ませ、隙を見ては旅人を襲っていた。
城下町や周囲の村などはマリトの判断で騎士を常駐させ、被害を出さずに済ませているがその道中となると難しい。
国から護衛の騎士を派遣することはできるが、当然費用や人員の手間はかかる。無償で提供しようにも人員が足りないのだ。
そうなると商人や旅人達は冒険者などを雇うことになるのだが、ターイズ王国は騎士の影響力が強いことで冒険者ギルドの規模が小さく人員は少ない。
他の国ならギルドの規模もあり、人員は足りるかもしれないが、他の国に護衛の派遣を強制することもできない。
結果護衛なしで横断しようとする者達が発生し、そこを山賊に襲われているのだ。
「山賊如き、襲ってくれば我が剣で粛清するものを……」
と騎士隊長の一人が呻くがマリトはため息をつく。
確かにターイズ王国に籍を置く騎士達の実力は頗る高い。数名でも百人以上の山賊を相手にできるだろう。
だが山賊とてそれは承知のこと。騎士達が護衛する時には姿を一切現さないのだ。
正々堂々と戦えば勝てるはずの無い戦いだ。当然と言えば当然である。
「山賊を斬るためにも、奴らの居場所を捉える必要がある。打開案があるものはいるか?」
そういうものの、騎士達は口を出さない。以前は様々な案を出し、採用させ任せたがどれも空振りに終わっている。
誇り高い騎士達の行動範囲では、悪賢い山賊はすり抜けてしまうのだ。
「山狩りも三度成果がない。もう少し見当がつけば効果も得られるだろうが……とりあえず今日は目に見えて深刻化している山賊への対処の任を与える人物を選定したい。候補者、推薦したい者はあるか?」
これが他の任ならば、この騎士達は率先して立候補している。だが既に何名もの実力ある騎士隊長が失敗をしている為、この問題の厄介さを理解しているのだろう。
そんな中手を上げたのは、騎士隊長の中でも最も高齢のラグドー卿であった。
「王よ、推薦したい者がおります」
「ラグドー卿か、ここにいる誰を推薦するつもりだ?」
「いえ、この場にいるものではありません。ですが実力があることは皆が知っています。我が隊のイリアスを推薦したいと思います」
その名を出すことで騎士隊長達の顔が僅かに難しくなる。
「それはイリアス゠ラッツェルの事か、良いのか?」
マリトはイリアスのことを良く知っている。
イリアスの実力、剣の腕だけならば騎士隊長にも負けぬ実力者であり、国への忠誠心も申し分ない。
だが評価は伸びない。その理由は——
「『彼女』ならば、違う目線から妙案を出すやも知れません」
「良いだろう、期間として一ヶ月を与える。任せたぞ」
その実力の高さを認めたくない自尊心もあるのだろう。女性であるイリアスを快く思う騎士は少ない。ラグドー卿は数少ない彼女を高く評価する者だが、少数派のため彼女の地位を確固たるものにできないでいる。
もしもイリアスが山賊討伐を成功させれば彼女への評価も一変するかもしれないが、失敗すれば目に付くものとしてより下に見られる可能性が高い。
マリトもイリアスを評価しているが、彼女は真っ当な騎士だ。今回の悪知恵働く山賊に通用するか、多少の心配もある。
何か彼女に光明が差せば良いのだが、とマリトは内心彼女の今後の気苦労を案ずるのであった。