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心暖まる友人達と別れた後、あたりはすっかり暗くなっていた。
十二月の凍りつくような空気が、一人になると急に全身に突き刺さるように感じる。そんな帰りの道すがら、家のすぐ前にある公園のベンチに女の子が一人座っていた。というのも、ベンチに座り俯いているので、顔はよく見えなかったが、スラリと伸びた長い髪と可愛らしいスカートで女子と判断できたのだ。お洒落なセーターを着ていて、肩には猫が乗っている。携帯電話の液晶を覗くと、時刻は戌の刻を指していた。明らかに小学生がうろつく時間じゃない。
迷子かな? 仕方ない、困った人を助けるのって、当たり前のことだよな。
という自己正当化をして、俺は女の子に話しかけた。
「やあ、君いくつ? この辺の子?」
「…………」
少女はまだあどけなさの残る顔をあげてこちらを見るが、返事はない。俺は彼女の警戒心を解くため言葉を続ける。
「お家はどこかな? お兄さんが送ってあげようか?」
「お兄さんナンパの人?」
余裕のある表情だった。透明感のある澄んだ声は不安や恐怖という色を感じさせなかった。
「違うぞ、君のことが心配だったから話しかけたんだよ。困った人を助けるのは人として当然だろ?」
「じゃあ、私を誘拐してくれる?」
誘拐、他人を騙して誘い出して連れ去ること。
「うーん、誘拐は難しいかな、お家がわからないのかな? じゃあ御巡りさんのところ行こっか」
「……それはちょっと」
良く見ると、女の子の服が土埃で汚れている
。
なにやら只ならぬ雰囲気だ。
「もしかして、お腹空いてたりする?」
「いえ、そういうのではないのですよ」
俗にいう神様待ちの子ではないのか、ますますわからない、もしかしたら関わらない方が良いのかも知れない。
あー、ノリで声をかけたわけだが、なんだか面倒になってきた。寒いし早く帰りたい。でも話しかけてしまった以上、放っておくわけにもいかないからなぁ。
「じゃあさ、とりあえず俺んち来ない? すぐそこなんだけど、エアコン効いてるし、暖まるよ」
っていうか俺が早く暖まりたかった。女児を保護し、同時に自分の体まで保護できる一石二鳥の思し召し。
「はい、じゃあ……お邪魔します」
聞くや否や、即時行動に移る。女の子の手を引いて足早に自分の住むマンションに帰る姿は他人が見たら確実に不審人物だったかもしれないが、動機が親切心だったためその時は何の疑問も持たなかった。
高校を出てからは、稲敷にあるワンルームマンションの一室を借りている。高校時代からの仕事を続ける関係上都合が良かった。
部屋に着くとまずテレビの電源を入れて、エアコンを起動させる。この部屋に客人が訪れることは滅多にない。なので珍しい客人は手厚く持て成すと決めているのだ。
「キレイな部屋ですね」
というか、何もない。俺の部屋にはテレビとソファーベッドとその間にテーブルがあるくらいで、他には生活に必要な最低限の物しかない。邪魔な物は全部、政秋の家に置いて必要な時に持って帰って来ている。大抵のことは政秋の家で済ませてしまうので、必要になることがほとんどないのだが。
少女の肩に乗っている猫は、良く見るとマフラーだった。両端がそれぞれ、頭と前足、尻尾と後ろ足になっている。まるで生きているかのような猫の眼を見ていると、何か吸い込まれそうな気分になる。
「とりあえず座れよ」
俺は少女をソファーに座らせて言う。
「何か食べる?」
「いえ、おかまひなく」
……と、言われても構わないわけにもいかない。何か飲み物くらいは出しておくか。
俺は台所に出向き、冷蔵庫を物色するが、見事に何もない……。
確かインスタントコーヒーなら常備してあるはずだ。俺自体はコーヒー派だが、相手が子供だからな、もっと気の利いた物があれば良いのだが。
何気なく冷凍室を覗いてみると、三ヶ月前に買った業務用のバニラアイスクリームが残っていた。
すっかり忘れていたが、丁度いい、子供ならこっちのが喜ぶかな。一応聞いてみよう。
「なあ、アイスとコーヒー、どっちがいい?」
「え?」
一瞬の静寂から、少女が答える。
「あ、アイスコーヒーで」
はて? 両方ということか? 見かけによらず傲慢だな、気に入った。
俺は熱々のコーヒーをマグカップに注ぎ、ボール状のバニラアイスを浮かべてテーブルまで持って行った。
テーブルに辿り着く頃には、アイスは既に半分以上溶けていた。
「で、なーんで家出なんてしたの」
ソファーベッドに腰掛けて聞いた。少女はコーヒーを一口だけ飲んで、そっとテーブルに戻していた。
「家出なんてしてませんよ?」
「じゃあなぜ、こんな時間に、あんな所に?」
「私も今時の若い娘ですから、夜遊びぐらいしちゃうんですよ」
「答えになってない」
「いいじゃないですか、女子はミステリーがある方がカッコイイんです。話の蓋は取らぬが良いのです」
どうやら話す気はないらしい。それならそれで構わないが。
「まあいいさ、俺これからバイトだからさ。何もないけど、この部屋好きに使っていいぞ。朝になったら勝手に出て行け」
テレビのリモコンを投げ渡す。
「いいんですか?」
「何か事情があって困ってるんだろ? ここで信用できないからって外に放り出す方が非人徳的だろ」
まだ子供だし、変なことを考えているようには見えなかった。
今時、家出少女なんて珍しいことでもなかったので、一晩家を貸す程度なら何も問題ないだろう。
その時の俺は、なぜか彼女を全面的に信用していたのだ。そもそも取られて困る物はあんまりなかったのだけれど。
「お兄さん、優しいんですね」
「売れる恩は売っておけ、子供の頃からそう教えられて育ったからな」
「へぇー、とても素晴らしい教育方針だと思います、良い親御さんなんですね」
……それは世のため人のためとか、そんなステキな理由ではなく、ただただ打算的な、エゴイスティックな意味合いだったのだろうけど。
「まぁな」
だが俺は敢えてそのことには触れずに、家を後にした。