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「ううむ……」
酷い頭痛に目を覚まし、俺は頭を押えながらのたうち回っていた。
妙な夢を見ていたせいか、寝起きの寝ぼけた頭で昔のことを思い出していた。
あれは俺がまだ小学生だった頃。俺の父親、東雲団十郎はギャンブルに嵌って多額の借金を作り、蒸発した。
親父には複数の顔があった。気の弱い優男かと思えばヤクザと喧嘩して殴り倒していたり、キレのある営業マンかと思えば酒に溺れるろくでなしだった。
借金を押しつけられた母親は働きながら、女手一つで俺を育てることになった。そんな母親の負担を少しでも軽くするために、俺は奨学金で学費が免除される茨城の名門高校に通うことにした。
入学式当日に、コサージュを胸に刺し、賞状筒を手に持つ男がいた。入学早々卒業しようとしていたその男に好奇の視線を向けながらも、所詮は赤の他人、誰も話しかけようとはしない。そんな中、俺は先陣を切って彼に話しかけた。もとい、突っ込んだ。彼の名前は根岸政秋。
それ以来、俺らはお互いに一番の気の置けない友人になった。
高校を卒業した今でも、その関係は変わらずに続いている。
「おーい、狂奈、起きたか?」
いつの間にか政秋の部屋のこたつで寝てた俺は、家主に声をかけられていた。
「ああ、俺いつから寝てた?」
「お前、昼飯のハチミツパスタ食ってからすぐに寝てたぞ」
壁に立て掛けてある時計を見ると短い針が下の方を指している。ほんの数分程度の仮眠のつもりが、ガッツリ長時間睡眠となっていた。
政秋はバタバタと慌しく部屋中を駆け回っている。しばらく会っていなかったこいつの家のこたつの中で、なぜ俺が寝ているのかと言えば、こいつが急に「久しぶりに会って飯でも食おうぜ」なんて柄にもないことを言い出して、何の嫌がらせかと思ったのだが。こいつが俺を呼び出す理由は限られていた。
俺は大きく伸びをすると、その辺に落ちていた雑誌を取って適当にページを開いた。
”深刻な凶悪犯罪の低年齢化。その実態とは…………”
いつのものだかわからない古いゴシップ誌をしばらく読んでみたが、すぐに飽きて雑誌を閉る。ポイっと雑誌を投げると、くるくる縦回転した後ゴミ箱に入った。
政秋の部屋は乱雑に物が落ちていて、探せば色々な物が発掘できた。俺がこたつから出なくても近場なところに楽しい物がたくさん落ちてるのだ。
俺が部屋の探索を続けていると、政秋がそわそわと鏡の前で身だしなみを整えていた。
やがて何かに納得した政秋は、高価そうな腕時計を確認しながら口を開く。
「よし、そろそろ行こうぜ」
「あ? どこへ?」
返事をしてみたものの、既に俺は凡その検討がついている。
「今日、がってんだ寿司太郎に行くってお前が言ったんだろ、忘れたのか?」
「そうだったな……。ところで霧羅村は来るのか?」
「いや、何か、お母さんがダメだってさ」
「そか……あいつもう二十二なのにな……」
「霧羅村の場合はしょうがないだろ」
「まぁな……。で、後は何人呼んだんだ?」
「女の子が二人来る。一人はお前も知ってる、皆大好きこまっちゃん、もう一人はそのお友達だ。お前は手を出すなよ」
「ほざけ、じゃあ行こうぜ、俺のコートはどこだ」
政秋の戯言を無視して、俺は脱ぎ捨てておいたロングコートを乱暴に探る当てると、返事も待たずに部屋を出た。
要するにこいつは、俺をダシにして女の子と遊びたいわけだ。
つくば学園都市。政秋の住んでいる学生寮はそこにあった。つくば学園都市には学生のための居住エリアが用意されていて手頃な値段の割りに良い部屋を借りることができる。俺もそんなつくば学園居住区に二年前まで住んでいたが、今は隣町の稲敷に住んでる。稲敷駅前にがってんだ寿司太郎がオープンしたのが一ヶ月前のこと。くるくる回るお寿司を勝手に取って食べるお店だ。
稲敷駅の改札を出ると、かつてクラスメイトだった者と、その友人らしき女性がいた。
「やほー、おひさー」
「よお日和田、相変わらず世の中なめくさってるか?」
「あんたほどじゃないわねー」
高校を卒業して以来、音沙汰なしだった友人は、少し髪が伸びてセミロングになっていた。中肉中背の小生意気な女、日和田小町。こいつも政秋と同じく、高校からの旧知の仲。政秋を含めどんな悶着を起しても関係が崩れないほど、三人の信頼は厚い。
今思えば、お互いがお互い相手に気を使っていったら、今ほどの関係ではなかっただろう。親友だからこそ、あえて必要以上に気を使ったりはしない。俺ら三人ともそういう人種だった。
「とりあえず中に入ろうぜ」
政秋が仕切って先陣を切り、全員がそれに続く。
店の中は閑散としていた。客は疎らで、椅子に沿った回転テーブルの上に流れている皿も心なしか少ないように見える。がってんだ寿司太郎は回転寿司業界では弱小で、その安っぽい店内の造りからエンドコンテンツ具合が見て取れた。
「私、回転寿司って初めてー、なんだかワクワクしちゃうねっ、小町ちゃん」
日和田の友人らしき女性が嬉々として声をあげた。
そう言えば、政秋や日和田は顔見知りのようだが、俺からして見れば初対面だ。挨拶ぐらいした方がいいかな。
「そう? 私は初めて来た時、ネタに虫が止まってないか不安で仕方なかったよ」
日和田が食欲を削ぐようなことを言う。
俺達は安っぽい四人掛けのシートに座り、
「ところで紹介がまだだったな」
政秋が俺と日和田の友人らしき女性の間を取り持つ。
こういうことには気が利く奴なんだよなぁ。
「彼女がまさしく大学ナンバーワンの美女、今年のミス茨城、杜若マリアさんだ」
何だろう、ミス茨城って、ミスコンか何かだろうか。
「皆が勝手に言ってるだけだよーっ」
政秋の言葉に慌てて、マリアが手をパタパタさせる。日和田はというと、そんなのお構いなしで、自分勝手のにビールなんか注文していた。
「で、こっちが狂奈、高校時代からの友人で、結構面白い奴なんだよ」
今度は政秋が俺を紹介する。
仕方ない、そういう紹介のされ方をされたら、ちょっとエンターテイメント性に富んだ自己紹介をしなければいけなくなるだろうが。
俺は立ち上がり、店内に響き渡るように声のトーンを上げた。
「ええ、只今ご紹介に預かりました、東雲狂奈です。今年の春、つくば早脱がせ大会に参加していたので、ご存知の方も居るかと思いますが、その時の異名はめくりのクルナ、そっちの政秋は下ろしのマサで通っていました。得意技は女泣かせ、苦手な女は暴力的な女。童心を忘れないがモットーの無手勝流です、以後お見知りおきを」
「? ごめんなさい、良くわかんなかったけど、何かすごそーだねっ、あははっ」
笑ったのはマリアだけだった。
「無手勝流って何?」
日和田が政秋に聞いたが、政秋は無言で呆れたように両手を広げている。
「東雲くんもマーくん達と一緒に大学に来ればよかったのに」
「高校に入ってからすぐにバイト始めて、バイト中心の生活になってからは、学力は下がる一方だったよな。それでも高校は問題なく卒業できたみたいだけど、進学は諦めてフリーターってわけ」
マーくんと呼ばれた男が、お節介にもぺらぺらと他人の個人情報を漏らす。ちなみに政秋は知っている。俺がバイトで稼いだ金をある程度、親の借金返済に当ててることを、だがそのことは言わないように口止めしている。俺個人、親の借金に対してさほど責任感を持っていたわけでもなく、高校へ入ることを許してくれた親への、せめてもの義理立てのつもりだった。金は普通に自分のためにも使っているし、至って普通の事をしているつもりなのに、いらぬ気遣いを受けるのが面白くなかった。
「自己紹介終わった? んじゃあ、かんぱーい」
日和田が音頭を取ろうとしている。何にだよ、と思ったが、このノリが懐かしくて、俺は突っ込み役を放棄して素直に日和田のノリに合わせていた。心の中で再会に祝杯を上げた後、俺は回ってきた皿を手に取る。回転寿司では、それぞれが好きなネタを手にとって食べる。
「たまにはこういう安っぽい店もいいよな。回転寿司はこいつのアイディアなんだぜ」
そう、政秋が言った通り、がってんだ寿司太郎を提案してのは俺だ。
「お寿司、美味しいからいいと思うよ」
なんでも肯定的に受け入れるマリアの溶溶たる性格も人気の理由の一つなのだろう。
「っていうか、割り勘だよね」
ふわふわした感じのマリアとは裏腹に、日和田は現実的な問題を確認する。割り勘で良いんじゃない? と政秋が続き、俺を含め全員がうんうん、と同意する。
割り勘、つまり一番高い物を食った者が一番得をするということだ。俺は女が相手でも情け容赦なく高級食材に手を出す。政秋が女連中を口説いている間にも食べまくる。最初に取った玉子をカモフラージュにして、なるべく気づかれないように冷静に、かつ大胆に大トロに手をかける。が、ほどなくして何かに気づいた対角線に座る女が腰を浮かせた。
「ちょっあんた! ちょっとは遠慮ってものを知らないの!?」
ん、何が? と言おうとしたが口に物が詰まっていて言葉にならなかった。
「お前、食い過ぎだぞ……」
政秋が呟いて、俺は何とか誤魔化そうとしたが、日和田が指差す先にある積み上げられた金色の皿が動かぬ証拠だった。
俺はお茶を一口飲んで落ち着くと冷静に対処する。
「悪かったな、実は十年前に亡くなった妹の好物が大トロでな、寿司を食べに来るとつい妹の分まで食べようとしてしまうんだ」
俺はあえて目は合わせず、黄昏るように流れるプリンを見送る。
「ま、まあいいじゃない、空気悪くなっちゃうしさっ、これから気をつけてくれればいいよね?」
日和田はなお疑惑の視線を向けてきていたが、マリアのフォローでその場は納まったようだった。
ふう、危なかった、割り勘中止だけは何としても避けたい。まあ十分元は取れただろう、後はタイムアップをゆっくり待つとするか。
俺はお茶を片手に、流れてくるネタを眺めていた。
「マリ、それ取って」
「はーい」
マリアが取った皿が日和田に送られる。
「あ、それも取って」
次々と送られてる。金色の皿が。
「おい、それ一皿五百円だぞ」
「だから?」
こいつ……俺と張り合う気か。良い度胸だ、この俺が黙って見ていると思ってるのか?
「その位置じゃ取りにくいだろ、取ってやるよ、ほら食べろ」
百円の皿を取って一枚渡す。レーン側を制している俺は流れをコントロールすることができる。間髪入れずに流れてくる皿を取り日和田に渡してやる。
「何だ、そんなに腹が減ってたのか、だったらマグロがいいぞ、DHAが豊富に含まれてるから頭が良くなるぞ」
「いらないわよ、そんな安物、戻してよ」
「一度取った物を戻して良いわけないだろ」
「うーん、手を付けたわけじゃないし、良いのかな?」
口論を仲裁しようと割って入るマリア。
「ダメだ、取った物は責任を持って食べなさい」
「取ったのはあんただろ!」
むきーっとなる日和田。
「まあまあ、落ち着いて、このマグロは俺が持つからさ」
「そうだよ、小町ちゃん、大人になろ?」
政秋とマリアに宥められて、うぬぬ……ってなってる日和田に引導を渡してやる。
「あんまり食いすぎると太るぞ? 素直に負けを認めなさい」
「絶対、嫌」
往生際悪く、生意気にも反撃してくる。
「うりゃあー」
上半身を乗り出して、レーン側に手を伸ばす日和田。
「はい、わざわざ私が取ってあげたのだから、絶対に食べなさいよ」
皿になみなみと盛られた謎の食べ物。回転寿司屋にサービスで置かれてるガリと呼ばれる物体。
「いらんわ、こんな得体の知れない物、戻せよ」
「ダメです、一度手に取った物は責任持って食べなさい」
「……お前にはまだマグロが足りないようだな。さて、後何皿持つかな」
俺は流れてくる皿を一つ残らず拾い、日和田に送る。
「もうーやめなよー。小町ちゃんこれ以上太ったらやばいよー」
「うるさい、お前はこれでも食ってろ」
「わーっ、私プリン好きー」
ヒートアップして行く空気の中、政秋だけが冷静だった。
「お前ら……絶対残すなよ……」
……その後は悲惨だった。
手当たり次第に手に取った皿が、気付いたらテーブルの上に並べられていた。ディナーを残してはいけないという反骨精神はあれど、既に臨界点を突破しかけていた胃袋に入れるということも困難だった。友人の力を借りてなんとか完食するが、いざ清算の時に俺だけ金が足りず、借金もそれぞれに割り勘することになった。
「やるじゃないか、これでまた女の子を誘う口実にできるな」
嫌味なことを言うし……。