第7根
「おっす! 今日も相変わらず元気がないねえ」
いつもの通学路。弥生が朝の挨拶を兼ねて史明の背中をぶっ叩いた。親愛の情を示してくれたのだろうが、史明は叩かれた拍子に、朝の生きたうどんを戻しそうになる。
「口おさえてどうしたの?」
「なんでもないよ……」
喉元に力を入れて吐瀉物を押し返す。
あんなゲテモノをお腹いっぱいに食べさせられたら誰だってこうなる。
魔力増進を大義名分に、完食を強制してきたメリルを恨んだ。
「いつも以上に背中が曲がって、いつも以上にナメクジみたいになってますけど」
「ナメクジって言うな! うっ……」
「ちょっと、本当に大丈夫?」
弥生が背中をさすってくれた。とても優しいタッチで、その気持ちよさに思わず、まぶたが下がって口が開く。
「そのスーパー銭湯でマッサージ機に座ってるおじいちゃんみたいな顔はなに?」
すぐさま弥生のツッコミが入った。
「いや、なんでもない。なんでもないんだよ。ただ気持ちよくてつい……」
口に出してから過ちに気がつく。これって相当気持ち悪いんじゃないだろうか……?
「ご、ごめんなさい。変な意味じゃないんだ。本当に――」
史明が弁明する。すると、にわかに弥生が顔を近づけてきた。
「頬が腫れてる。誰に殴られたの?」
「えっ! いや、殴られてなんてないよ。ただ階段から落ちただけだから」
「史明の家一階じゃん」
「いえ、その、回覧板を届けに二階に上がった帰りに、つまずいて転げ落ちたんだ」
「あの急な階段から落ちてこんな程度で済むわけないでしょ! まあ、あえて聞かないけど、誰かにいじめられたらあたしに言いなさいよ」
真顔の弥生がとても頼もしい。
「は、はい……」
うなずくしかない自分が、情けなくて悲しかった。
これまで弥生には、数え切れないほどの回数を助けられている。
一番古い記憶は小学校一年生のときだ。教室でうんこを漏らした史明を、弥生がこっそりと先生に耳打ちして、公になる前に保健室に避難させてくれたのだ。
あの時は本当に助かった。あのとき弥生が近くにいなければ、きっと今ごろはニートの十年選手になっていたところだろう。
逆に一番最近助けられたのは中三の冬休みで、コンビニでジャンプを買った帰り道、明らかに年下のチビッコギャングにかつあげされたところを、弥生が割って入って救出してくれたのだ。
ありがたいと思ってる。感謝もしているし、弥生が純粋な好意で助けてくれているのも分かってる。
でも……、だからこそ、このままじゃあ駄目なんだ。
助けられるだけじゃなくて、自分だって弥生を助けたい。助けられるはずだ。だって自分はグロ魔術師の血を引いた承継者なのだから!
「や、弥生も困ったことがあったら僕に言いなよ」
「はぁぁぁっ!?」
弥生が眉根を寄せて鼻頭を歪ませた。
「ぼ、僕、魔術師になったんだ。だから、ちょっとしたトラブルぐらいだったら僕の力で――」
「はぁっはっはっはっは!」
弥生の笑い声が被ってきた。
「そのギャグ最高! 魔術って、アニメかっつうの!」
お腹を押さえて大笑いする弥生。
史明の顔が熱くなってゆく。言い返したい。だけど自分が魔術師だと証明する方法はない……。
「面白かった? ウケてよかった」
はは、はははと笑って流す。
いつかグロ魔術を会得して弥生を見返してやる。いや、振り向かせてやる!――史明は引きつった笑みの内側で強い決意を固めた。
★★★★★
弥生と別れた史明が教室に足を踏み入れるやいなや、ジローがすごい勢いで駆け寄ってきた。
「おまえなんで学校来てんだよ!?」
声が怒っていた。
「なんでって、僕、高校生、だから……」
「そうじゃねえよ! チケットはどうしたんだっつってんの!」
「チケット……? あっ!!」
すっかり忘れていた。確か今日の九時に発売されるという話だった。
「ご、ごめんなさい。忘れていました」
「ごめんで済んだら警察いらねえだろうがっ! ああん!?」
ジローが史明の襟首をつかんで持ち上げた。史明は恐怖に体を縛られ、出来損ないのマネキンのように、不細工な姿勢と顔で固まってしまう。
「どうした。喧嘩か?」
ジローの後ろから巨大な男が現われた。平均的な体格のジローより頭一つ分は背が高く、横幅も1、5倍はある。
「権堂さん、喧嘩じゃないっすよ。こいつが約束破ったから教育してるだけなんです」
権堂悠宇太。一年生の不良を取り仕切り、二年後には鬼百合ヶ丘高校の番長を確実視されている男だ。
「本当か?」
目をギョロつかせて権堂がきいてきた。
「ほ、本当です。悪いのは僕なんです」
「ふんっ。だったらいいや。勝手にしな」
大きな足音を立てて権堂が教室から出て行く。
「おまえのせいで権堂さんに目つけられるところだったじゃねえか。どうしてくれるんだよ!」
「チ、チケットを買ってきます。自転車で走ればまだなんとか……」
ジローが壁掛け時計を確認する。
「ギリで間に合うか。よしっ、今すぐ行ってこい。『エッヂ』の場所分かるか?」
首を横に振ると、ジローがノートを破って簡単な地図を書いてくれた。
「学校に戻ってこなくていいから、なんとしてでもチケットをゲットしてこいよ。開場十五分前、七時四十分に『エッヂ』の前で待ち合わせだ。遅れるなよ!」
何度もうなずき返した史明は、「行けっ!」というジローの合図で、教室から勢い良く飛び出していった。