第3根
泣き疲れた史明は、母親が出勤した後ですぐに寝入ってしまった。
『ガンガンガンガンガンガンガンガン!』
なにかを叩くような音がやかましい音が、史明を眠りの世界から引きずり出した。
「うるさいな~。もう朝なの~」
寝ぼけまなこでベッドのヘッドボードにあるクレヨンしんちゃん目覚まし時計に手を伸ばす。
照明ボタンを押して時刻を確かめると、ちょうど夜中の二時だった。
こんな時間になんの音だろうと首をかしげたところで、また殴打音が室内に響いた。
『ガンガンガンガン! あー、うざい。なんなんのよこれぇ!』
殴打音の後に肉声らしきものが聞こえた。
泥棒!? それとも強盗!? うちなんかにきても盗るものなんてないのに……。
最近空き巣犯罪が増えているとニュースになっていたのを思いだす。
海外から密入国してきた窃盗団は常に刃物を携帯し、住人に出くわすと、なんの躊躇いもなく切りつけるらしい。
出刃包丁片手に、家の中を徘徊する泥棒を想像したら、恐怖で体が震えてきた。布団を頭から被って姿を隠す。
『なんか臭いと思ったら、なによこの腐ったコッペパンは。ったく、どんな教育受けてきたのよ。愚呂史明はっ!』
また声が聞こえた。しかも史明の名前を呼んでいた!
なぜだ? ただの泥棒じゃないのか? だとしたら、もっとたちの悪いもの……そうだ、こいつは殺し屋だ!! 僕の命を狙って侵入してきたにちがいない!
悪い方向に想像が飛躍し、史明はさらにガタガタと震えた。
『ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンッ!! もうなんなのよぉ~。キィィィ!!』
殴打音が次第に大きくなり、なにか引っ掻くような音まで加わってきた。
「んっ!?」 史明は気づいた。音の発生地点が妙だ。どこかおかしい。
殺し屋が家に侵入してくるとすれば、玄関もしくは窓やベランダからだろう。だけど乱暴な音たちは、窓の向かい側――学習机のある辺りから聞こえてくるのだ。
布団からそろっと顔を出して耳を澄ます。
間違いない。音は机の近くから聞こえてくる。
『強くなくちゃ男じゃない』母親の言葉を思い出した。勇気を振り絞って掛け布団を蹴り上げ、息を止めて机に近づく。
『ゴォンゴォンゴォンゴォンゴォンゴォンゴン! さっさと開けるのよこの野郎!』
音は学習机の最上段引き出し(鍵付き)の中から響いていた。
想像もしていなかった事態に頭を抱える。
これは悪夢で、現実ではない。きっとライブの件で興奮し過ぎたせいなんだ。そうに違いない。もう一度眠り直そう。そうすれば違うもっとファンシーな夢の世界へゆけるはずだ。
フラフラとベッドに戻る。その背後で砂をつめた風船を割ったような爆発音が起こった。
反射的に振り向く。モクモクと立ち上る煙の中で、
「ったく、引き出しに鍵なんてかけるんじゃないのよ」
朱色の髪の毛をたなびかせた美少女が心底嫌そうに口を尖らせていた。
「あああっ……」
切れ長の美しい瞳に筋の通った綺麗な鼻。映画から出てきたような美少女に史明は言葉を失い、混乱する頭を整理してなんとか一つの結論を導きだした。
これは夢だ。それ以外考えられない。
夢に出てくるのはすべて自分の脳にインプットされているものでしかない。この娘もきっと、なにかの映画やアニメで見た登場人物なんだろう。
「腐ったパンを机に放置するなんてなにを考えてるのよ!? 馬鹿なの? あの引き出しでカビを育てようとでも思ったの?」
なかなかの強いツッコミを美少女が繰り出した。
普段であればたじろいで謝っているところだけど、しょせんは自分の中から出てきた非生命体だ。一歩前に出て、美少女の肉体を凝視してやる。
「なんなのよ。人のことジィーと見て。気持ち悪い!」
史明は素晴らしい発見をした。全体的に細身の美少女だが膨らむべきところはしっかりと膨らんでいる
ゴクッ。
生唾を飲み込む。これはただの夢。目を覚ませばそのアウトラインすら忘れてしまう、脳が作り出した幻に過ぎない。だったら……。
史明の内奥から邪な欲望が湧いてきた。
「聞いてるのかよ? すっとぼけた顔して。こんなのがグロ魔術師の承継者だなんて、ちょっと信じられないのよ」
愚痴を吐く美少女との間合いを一瞬でつめ、豊満な胸に顔から飛び込む。
「いただきまーーす!」
ムギュウ!
薔薇のような甘い匂いが鼻腔に広がる。胸は思っていたよりもずっと固かった。女性の胸はお豆腐のように柔らかいと思っていたのに……。
なんだか騙されたような気がして、両手で美少女の胸を揉みしだく。そして気がついた。
「胸が固いんじゃない。固いのはブラジャーだったんだ! ブラジャーを外せばきっとぶべらっ!」
美少女の拳が史明の左頬を打ち抜いた。ダイビングキャッチを試みる内野手のように史明の体が宙を舞う。
「ゆ、夢なのに結構痛い。なんてリアルな夢なんだろう……」
「夢ではないのよ! わたしはメリル。あなたのために魔法術保安省から派遣されてきた魔術管理官なのよ」
「うへっ。どこかで聞いたことのある設定だぞ。なんのアニメだろう。思い出せない……だけどかまわない!」
カエルのごとき跳躍でメリルの胸に飛びかかる。
しかしメリルも警戒していたのか、スッと後ろに下がってカウンターの飛び膝を食らわせてきた。
鼻から頭頂に突き抜ける鋭い痛み。鼻血が噴き出してパジャマを赤く染めた。
「痛いし、苦しい……。これは本当に夢なの~」
「夢ではないのよ! わたしはあなたを一人前のグロ魔術師にするために派遣された、魔術管理官なのよ!」
「グロ魔術師ってなんのアニメですか? もしかして僕のオリジナル? 僕にもこんな想像力があったなんて驚きだ。この才能を上手く育てればラノベ作家になれるかもしれない!」
淡い希望が胸に広がってなんとも心地よい。起きたらさっぱりと忘れてるんだろうけど。
「も~う、なんて言ったらわかってもらえるの」
眉尻を下げて困った表情を浮かべるメリルに、史明は清廉な高校球児のようにお辞儀する。
「ふざけたことしてすいません。メリルさんのおっしゃることは理解しました。ご無礼をお許し下さい」
頭を下げたままでピッと手を出す。
「ああ、そう……。あたしはわかってくれればそれでいいのよ」
メリルが握手しようと手を伸ばしてきた。
チャンス! どうせ自分の脳味噌が作り出した幻影なんだから遠慮はいらない。
史明はその手を勢いよく払いのけ、ガラ空きになった胸を再び揉みしだいた。
同じ過ちは二度と犯さない。今度の舞台はブラジャーの内側だ!
「はあああッ! なんて柔らかい。まるでゼリー、またはプリンのようなうげえっ!!」
見えない角度からメリルの肘が伸びてきて、史明の首筋に深くめりこんだ。
「あっ、やりすぎたかも」
メリルが反省の弁を口にする。
――かもじゃないだろ!!
史明は強く思った。薄れてゆく意識の中で…………。