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グロ魔術師は凄惨する  作者: 薫筒晋平
田上次郎は三度の飯より鏡が大好き
3/22

第2根

 鍵を差し入れてゆっくりと鍵を解除。音を立てないようにドアノブを回し、足を忍ばせて玄関に入る。

「ただいまぁ」

 帰宅の挨拶をささやいた史明は、ゆっくりとローファーを脱いで家に上がった。

 2LDKの市営住宅。史明と母親、二人で暮らす分には十分な大きさだが部屋同士の壁がとても薄くて、ちょっとした音でも筒抜けになってしまう。

 玄関から入ってすぐ左にある和室では、食品工場の夜勤を終えた母親が眠っている。なので史明は泥棒のようにつま先を立てて歩いた。

 

 自分のために身を粉にして働いてくれている母親の貴重な睡眠をさまたげたくない。

 

 物音に細心の注意を払って居間の奥にある自室へ入る。

 学習机に鞄を置き、倒れ込むように体をベッドに投げ出す。

 

 ――今日は刺激的な一日だった。まさか、ジロー君にバンドのライブに誘われるなんて……。信じられない!

 

 史明はジローとのやり取りを思い出してニヤニヤした。初めてのライブに思いをはせて心を躍らせる。

 

 史明にとってのライブ――それはミュージックステーションやHEYHEYHEYHEY!などのテレビ番組の出来事であり、完全な非日常だった。

 

 一体どんな感じなんだろう。番組ではみんな、うちわやピカピカと光る棒を持って振っていた。あれは会場で貰えるんだろうか? 買うとしたらいくらぐらいするんだろう。

 

 お金のことを考えた途端、喜びを打ち消すほどの不安が襲ってきた。

 お金が足りなくて光る棒を買えなかったらどうしよう。一人だけ持ってなかったら、悪目立ちすることは間違いない。というかそもそものチケット代だって払えるのか――

 

 不安に駆られてマジックテープ式の財布を開く。お札は一枚もない。小銭入れをひっくり返して出てきた硬貨を数える。

 三百六十四円……。全然足りない。

 預金口座はない。あるのは小学校のころからちょこちょこ貯めてきた豚の貯金箱だけ。


 机の一番下の引き出しを開けて豚の貯金箱を取り出す。これは史明が母の日になにかプレゼントしようと思い母親に希望をたずねたおりに「自分で欲しいものが出来たときのために貯めておきなさい」と母親が逆にプレゼントしてくれたものだった。

 陶器製の豚には取り出し口がついていないので、中のお金を取り出すためには破壊しなければならない。


 貯金箱にまつわる情景が頭をよぎった。

 一時期は貯金にはまり、ことあるごとに豚の体重を増やしていたものだった。

 自動販売機のお釣りポケットに手を入れてゲットした百円。ペットボトルのふたを集めて換金した五十円。遠足のお菓子にと渡された三百円を二百五十円で抑え、残りを貯金したこともあったっけ。


 本当に壊していいんだろうか? 豚を上から見下ろしていると、豚が泣いているように見えてきた。あ~、どうしよう?

 激しい逡巡。その中でジローの爽やかな微笑みが浮かんできた。


『一緒にKENTAROのギタープレイを堪能しようぜ!』


「行く。僕はライブに行くんだ!」大声で宣言する。

 

 豚を頭の上まで持ち上げて学習机の角に叩きつける。ガラスの砕ける音がまるで悲鳴のようで胸が痛んだ。


 豚さんごめんなさい。

 

 豚の腹部に開いた歪な穴から硬貨たちが飛び出し、床の上に散らばった。その上で英世がひらりと舞う。


 お札まであるなんて! 予想外な光景に歓喜し、熱のある鼻息を排出しながらお金を数えてゆく。

 千円札が二枚。百円玉が八枚。五十円玉が五枚。五円玉が五十八枚。一円玉が二十枚。

 総計、三千三百六十円。財布のお金を足しても三千七百二十四円……。

 足りなくはないが、チケットを買ったらほとんどがなくなってしまう。光る棒が千円以上したらもうきつい。


「なにが欲しくなったの?」

「えっ!」

 後ろから不意に声を掛けられ、動揺して手に持っていた一円玉を落としてしまう。


「なにが欲しいの。言ってごらん」

 史明の母親である愚呂歩乃香ぐろほのかが、一円玉を拾い集めながら史明にきいた。

「お母さん、起こしてごめんなさい。今日も仕事なんでしょ?」

「帰ってきてすぐに寝たからもうだいじょぶだよ。それよりもなにを買いたいのか素直に言いなさい」

 歩乃香がまっすぐな瞳で問いかけてきた。

 この瞳に史明は弱い。心の中を透視されているような気がしていたたまれなくなってくるのだ。

「ライブのチケットが欲しくて……。友達に誘われたんだ。田上次郎くんていう、バンドをやってる子」

「あら、めずらしい。音楽なんて興味なかったのに」

「うん。バンドのことはよくわからないんだけど、田上くんと仲良くなりたいんだ」

「そっか。友達が出来てよかったね」

 母親がそう言うなり部屋を出て行って、またすぐに戻ってきた。

「これで遊んできなさい」

 母親が史明に向かって伸ばした人差し指と中指の間に、顔を歪めた樋口一葉が挟まれていた。

「お母さん、ダメだって。こんなに貰えないよ!」

「いいのよこれぐらい。二週間ぐらいお昼ご飯を抜かせばいいんだから。ちょうどダイエットしようと思ってたし」 

「そんな……」

「遠慮する子供はかわいくないぞ!」

「お母さん……ありがとう」

 お礼の言葉と一緒に涙がぼろぼろと落ちてきた。

「男の子が簡単に泣くんじゃないの。優しいのは素晴らしいことだけど、ちょっと史明は繊細過ぎる。男は優しいだけじゃ駄目。強くなくちゃ大事な人も守れないのよ」

「ご、ごごごめんばざい……」

 

 泣き顔を見られまいと後ろを向いた史明の頭を、歩乃香が優しくポゥンッと叩いた。

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