第5舌
駅前にあるデパート『セティ』の中を、史明は当てもなくふらついていた。
なにを買うでもなにを食べるでもない。家に帰って一人でいたら落ち込んでしまいそうで、とにかく人の気配を感じていたかった。
三階の本屋さんで漫画誌を立ち読みし、地下の食品売り場に行ってお漬け物を試食。また本屋さんに戻って自己啓発本を立ち読みして、飽きたら試食するため地下に降りる。
そんなことを何度か繰り返していたら、本屋の店員がはたきを持って史明の周囲を叩き始めた。
最初は『そんなに埃がたまっているのかなあ、仕事熱心だなあ』と感心していた史明も、だんだんとはたきを振る手が激しくなるのを見るにつけ、自分が疎まれているだと気がついた。
あからさまな悪意に史明は弱い。
震える手で『イケメンに負けない心と体を作る本』を棚に戻し、背中を丸めてはたきから逃げる。
――みんな僕をしょうもないと思っているんだ。しょうもない高校生には立ち読みする権利も認められていないんだ……。
あふれてきた涙のせいで、ろくに前が見えなくなった。人目を避けるために一番近くにあったお店に入る。
「うぐ……うぐうぐうぐ…………」
お店の端に行って涙を拭う――と、明瞭になった視界にキラキラ輝くサックスが飛び込んできた。
サックスを吹く弥生の生き生きとした表情が頭に浮かんでくる。
僕にこれを買える経済力があれば……。
マジックテープの財布を出して中身を確認する。ライブで使わなかった分がほとんど財布の中に残っていた。
三千円と小銭が少し。常識に疎い史明も、さすがにこの金額でサックスが買えると思うほど愚物ではない。
サックス本体が買えなくても、サックスの関連グッズであれば買えるんじゃないだろうか……。
そう考えた史明は、楽器店の店員を探しておずおずと声をかけた。
「あ、あああの。サックスの、グッズは、ありますか!」
「はいっ。なんですか?」
眼鏡を掛けた神経質そうな店員が、史明に聞き返してきた。
この手の上から見下ろしてくるタイプは苦手だ。一気に緊張が高まる。
「サ、サックスのグッズを、さ、さ、三千円分!」
「はぁっ!? 落ち着いて喋ってもらえます」
「さ、三千円でサックスのグッズを!」
「だからなんて言ってるかわかんねえって。はっきり発音しろっつうの!」
ボキッ!
邪険に対応されて心が折れた。
「ご、ごめんなさい。もう、いいです……」
敗者の気分で、店の万引き防止ゲートをくぐりかけたが、立ち止まる。
今の僕を弥生が見たらどう思うだろう……。もし井家村先輩が僕の立場だったら……。
居丈高な店員に対して、あくまでも弁舌さわやかに対応する井家村が簡単に想像出来た。
僕だって頑張るなきゃ……弥生のために頑張るんだ!
自分を奮い立たせた史明は、歯を食いしばって方向を転換し、もう一度眼鏡の店員に歩み寄って質問した。
「サックスの、サックスのグッズを下さい!」
「だから、サックスのグッズってなんなんですか? サックスの用品だっていろいろあるんだから、なにが欲しいか具体的に言ってくれないとどうにも答えようがないよ」
「三千円、三千円で買えるサックスのグッズだったらなんでもいいんです。三千円で買えるサックスのグッズを下さい!」
「もう……。わかりましたよ。その代わり、後でクレームつけて返品とかなしだからね」
あきれたように鼻で笑った店員が、店の奥に引っ込んでなにかを持ってきた。顔の前にかざして左右に振る。
「これでどう? 税込みで三百五十円」
それはサックスを模して作られた携帯ストラップだった。本物のサックスと同じ輝きを放ち、本物と同じようにたくさんのボタンがついている。
マジックテープを開き、払えるのを確認してから深くうなずく。
「これ、もらいます。プレゼント用に包んでください!」
「チッ。注文が多いなあ」
文句を言いながらも、店員が手慣れた手付きで包装してくれた。
「ありがとうございます!」
光沢のある紙で綺麗にラッピングされた商品を受け取り、胸ポケットにしまう。
待ってろよ弥生! 驚くなよ弥生!!
意気揚々と、鼻息高らかに楽器店を後にする。




