第3舌
「馬鹿! チビ! クソ! ゴミ! さっさと廃棄されちまえ」
昼休みの屋上。暖かい日差しが降り注ぐ中で、メリルが聞くに堪えない暴言を史明にぶつけていた。
「うっ……、そこまで言わなくてもいいのに」
史明はショックを受けてぐらつき、貯水タンクにもたれかかった。
「ここまで言われて腹は立たないのかよ? ライブの時みたいに、この野郎って怒りは湧いてこないの?!」
「はい。なんでだろう。ただただ悲しいです。事実だからしょうがないですけど」
「言い方が弱いのかよ? 今度はもっときつく、さら詳しく責めてみるのよ」
「やめて下さい! もう十分です」
史明の制止を無視して、メリルが暴言のライフルを乱射してくる。
「まだらハゲ! ぐちょぐちょ水虫! くさくさワキガ! 冬でもオイリー肌! 生涯童貞確立九割越え!」
「全部捏造じゃないですか! 僕はハゲでも水虫でもワキガでもありませんし、オイリー肌ってそんなに悪いことなんですか?」
「生涯童貞確立九割越えは認めるんだな」
「認めるわけないでしょう! まだ十五歳なんですから」
「ん~、駄目か。強度でないとしたら方向性が間違っているのかもしれないのよ。史明はどんな悪口に一番腹が立つ?」
「一番……ですか?」
腕を組んで考える。しかし。
「わかりません。悪口を言われるのはもちろん嫌なんですけど、腹が立つかと聞かれると……」
「ではどうすればいい? なにをされれば史明は激怒するんだ?」
「わかりません。あんなに怒ったのは、ライブハウスのときが初めてだったので」
「なんなのよそれ。期待が外れたわ」
メリルが唇を尖らせた。そのとき
ギィ~~~。
耳障りな音を立てて屋上につながる鉄扉が開かれた。
二人はとっさに貯水タンクの裏に隠れる。
タバコを吸うために屋上へ上がって来ていた不良たちは、メリルに強制帰宅させられて以来、気味悪がって屋上に寄りつかなくなっている。
――いったい誰だろう?
多少のわくわくを覚えながら、史明がタンクの側面から頭を出した。
「えっ? あああ……」
闖入者の顔を見て仰け反る。
「わざわざこんなところまで来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。あんな良い状態のサックスを借していただいて、本当にありがとうございます」
弥生っ! そして向い合っているイケメンの男子。あいつが例の井家村先輩か!
「あのカップルも帰らせよう」
メリルがバックエンフォースを取り出して回し出す。その手首をつかんで。
「あれはカップルじゃありません。もう少し様子を見ましょう」
有無を言わせない口調で押しとどめる。思わぬ抵抗に目を白黒させながら、メリルがうなずいた。
「いいのいいの。気にしないで。かわいい後輩のためならこれぐらい。まあ、実際は弥生ちゃんだから借したんだけどね」
井家村がのたまった。
「えっ? それはどういう――」
「弥生ちゃんが入部したときから、ずっといいなって思ってた。この件があってから弥生ちゃんといっぱい話しただろう。それで確信したんだ。俺は弥生ちゃんが好きなんだって」
「そんなこと急に言われても……」
「返事はすぐにくれなくてもいい。何時までも待ってるから」
困った表情を浮かべる弥生の肩に井家村が手を載せた。弥生の頬が赤く染まってゆく。
「ふっ、ふふふざけるなあああよおおう!」
震え声で史明がつぶやく。こんなふざけた展開は絶対に許さない!
史明の脊椎に軽い電流が走った。
「ぬおおおおう。『疾風拳!』」
無意識の行動だった。井家村に向かって、拳を回転させながら正拳突きを繰り出す。史明の拳からテニスボール大(硬式)の竜巻が発生し、井家村をとらえてぶっ飛ばす。
「ぐわっ……」
宙を舞った井家村が、フェンスに背中を打ちつけて、苦悶の声を上げた。
もう一発食らわせてフェンスごと突き落としてやる――と拳を引いたところで、弥生が井家村に駆け寄った。
ぬううう! いま疾風拳を出せば弥生にも被害を及んでしまう……。畜生めっ!
「大丈夫ですかっ!? 早く保健室に行きましょう」
「いてててェ。つむじ風かな? つむじ風はなんの前触れもなく突然発生するんだ」
こんな危難に面してまで、雑学豊かなイケメンを気取るのか!
燃え盛る怒りが体内を巡り、破裂寸前まで血管が膨張する。
「しっかりしてください。先輩がいなくなったらうちのブラバンは回っていかないんですから」
「ああ。そうだね。ありがとう」
弥生が井家村の体を支えて起こす。井家村は弥生の肩に腕をかけ、密着状態で屋上から去っていった。
「13250か……。今日は魔力がいまいちなのよ」
黄色いレンズ越しに弥生が言った。いつスカウターをかけたのだろう……。
メリルを見たら急激に怒りがしぼんでいった。自分はまた、とんでもないことをしでかしてしまった。井家村先輩はなにも悪いことをしてないのに……。
「8750……2500……750……。みるみる魔力がなくなっていくのよ!」
「は、はぁ……」
「0! こないだは一時間くらい持ってたのに、今日はまだ五分も経っていないのよ。どうやら怒りの強さによって覚醒時間も変わるみたいだね」
「か、覚醒ですか……」
「覚醒でしょ。しょぼくれたなんの取り柄もない高校生から怪物級の魔術者に変身するんだから!」
「そこまではっきり言わなくても……もういいです!」
ズタボロに傷ついた胸を押さえながら、メリルに背を向けて走り出す。
鉄扉を開けて階段を駆け下り、教室から鞄を取り、誰とも目を合わさずに学校から逃亡する。
生まれて初めて授業をさぼろうと思った。どうせ五時限目は現国だし。
白髪頭のうらぶれた国語教師を思い浮かべながら、史明は校門前の坂道を駆け下りていった。




