第2舌
朝七時三十分。愚呂宅の食卓に、極彩色の料理がところ狭しと並んでいた。
「魔力増進食材ばかりだから、全部食べないとダメなのよ」
満面の笑みを浮かべてメリルが言った。
前衛美術のような眺めに、低血圧の史明は頭がクラクラしてきた。
「朝っぱらからこの量は無理ですよ」
「無理なことでも、実行すれば無理じゃなくなるのよ」
「ワ○ミみたいなこと言わないでください! 無理なものは無理です」
「いいから食べるのよ。せっかく魔力があるってわかったんだから!」
「えっ……?」
硬直する史明。まさかあのライブハウスの惨劇を見られていたのか……?
「なに変な顔してるのよ?」
「……み、見てたんですか? ライブハウスのあれを?」
「当たり前じゃない。それがあたしの仕事なんだから。『毛髪死活性』良い魔術でした」
「茶道の先生みたいなこと言わないでください。あの時は頭がおかしかったんです。僕であって僕じゃないというか……。もうあんな風になるのは嫌なんです」
「だったらなおさらこの料理たちを食べなきゃ駄目なのよ。平常時の魔力を高めれば、おかしくなってもコントロールが利くようになるでしょ」
「そういうものなんですか?」
「そうよ。常識でしょ」
そんな風に言われたら、食べないわけにはいかない。
「いただきます」
手始めに紫色をした肉団子のようなものに箸をつける。
「…………ぐぅ」
「どう?」
「ま、まずいです」
噛んだ瞬間に生臭い汁が口中に広がった。
「まずいものほど体に良いってよく言うでしょ。頑張って食べるのよ」
まずいなんてもんじゃない……。だけどあの姿にならずに済むんだったらと考え、泣く泣くゲテモノ料理たちを完食する。
「もう、食べられない……」
お腹がパンパンに張っている。胃の辺りから悲鳴に似た音が鳴っていた。
気持ちが悪くなってきて床に寝そべる。
「いつもの時間を遅らせてまでよく頑張ったのよ。褒めてあげる」
「はぁ……って、ええっ!?」
メリルの言葉に焦る。時計を見ると八時十五分。いつもより五分も遅れている。
「急がなきゃ!」
「今日も昼休みに屋上で特訓するから、忘れないでね」
立ち上った史明にメリルが声を掛けた。
「わかりました。それじゃあ、行ってきます」
鞄を持って家から走り出る。
弥生は歩くのが速いので、追いつくためには本気で走らないといけない。
以前にも同じような状況になったことがあり、早歩きで追いかけた結果、弥生に合流出来たのは校門の前だった。
同じ轍は踏まないぞっ! と大きく足を踏み出したところで、弥生の後ろ姿が目に入った。予想していたよりもよりもずっと早い。
「お、おはようっ、ございます……」
弥生から挨拶されるのには慣れているが、自分から挨拶するのはどこか気恥ずかしい。
「…………おはよう」
えっ、なにこのローテンション。いつもの弥生との落差に驚く。
「おはよう……ございます」
思わずもう一度挨拶を返してしまう。
「……おはようございます」
心ここにあらずといった様子で、弥生も同じ挨拶を返してきた。
おかしい。明らかに尋常じゃない。こんな弥生は初めてで、史明は心配になってきた。きっとなにかあったんだろう。勇気を出して尋ねてみる。
「あ、あの、なんというか、なんかその、あれがあったの? 嫌な事とか。別にあれだったら言わなくてもいいんだけど、ちょっと普通じゃないというか、なんか妙な雰囲気だったから……」
「うん。ちょっとね……」
弥生が目線を斜め下にかたむけて言った。
「ああ……………………」
見慣れない弱った弥生の姿に、史明はどう対応していいかわからない。
しばしの間が空いた後に、
「なにがあったの? とか聞いてこないわけ?」
弥生が下を向いたまま聞いてきた。
「い、いや……、なんか踏み込んじゃいけないのかと思って。ごめんなさい」
頭を下げて謝罪する。
「ふふ。なんで史明が謝るわけ? おかしいじゃん」
顔を上げて弥生が笑った。
「いえ、その、ご、ごめんなさい」
「だから謝らなくていいって。そんな大したことじゃないから。先週の金曜日にさ、学校に泥棒が入ったらしくて、あたしのサックスが壊されちゃったんだ」
「えっ、えっ、えぇぇぇぇぇえ!」
学校に泥棒が入るなんて信じられない! しかもよりによって弥生のサックスを狙うなんて……。
高校の入学祝いにサックスを買ってもらったとはしゃぐ弥生を思い出す。
北海道にいる叔父さんが元サックスプレーヤーで、わざわざ選んで送ってもらったのだと嬉しそうに話してくれた。
「許せない……」
犯人への怒りで体が熱くなる。噛みしめた歯がキイキイと軋んだ。
「ちょっと、そんなに怒らないでもいいよ。気持ちは嬉しいけど、直らないわけじゃないし。修理が済むまでは、井家村先輩が昔使ってたサックスを借してくれるって言ってたし」
「い、井家村先輩っ!?」
いきなり聞きたくない名前が出てきて、史明は過敏に反応してしまう。
井家村という名の先輩は、弥生と同じ吹奏楽部に所属する三年生で、弥生いわく『サックスがほんとに上手くて、演奏に熱中している横顔がすっごいカッコイイ!』らしい。
また別種の、不安の入り交じった怒りが頭をもたげてきた。
「そそそそそそそそ、そうなんだ。よかったね」
「うん。井家村先輩は後輩思いで優しいんだよ。発表会が近いから本当に助かるわ」
「いいいいいいぃぃぃいいい、良い先輩を持って、よよよよ、良かったねぇ~。ははははは」
感情を撲殺し、弥生の僥倖に共感する友人を装う。
「うん。今度史明にも紹介してあげるよ」
「ほんとうに? 嬉しいなあ。お願いします」
いらないぃぃぃ! ぜってえにいらないぃぃぃぃぃぃ!!
史明は心の中で絶叫した。




