第11根
エッヂに向けて足を踏み出す。
店の前で立っている黒服が史明に気づいてにらんできた。
「お客さん、チケットは?」
「ああん?」
史明もにらみ返す。瞳孔全開のガチメンチ切り。
異様な雰囲気に圧倒されたのか、相手が悪いと判断したのか、黒服は後ろにのけぞって史明から目を逸らした。
「入っていいのか?」
黒服に尋ねる。
「ええ。どうぞ。お好きにしてください」
「なぜだ? 俺は一円も払ってないんだぞ」
「……勘弁して下さい。自分、ただの学生バイトなんで」
黒服にゆっくりと顔を寄せた史明は、その引きつった黒服の鼻に自分の鼻をくっつけてくっちゃべった。
「俺のことが好きか?」
黒服にきく。
「…………勘弁して下さい」
「俺は素直な奴が好きだ。俺のことが好きか?」
「……嫌いです。てか、こんなことされて好きなわけないだろ!」
「ふっ。俺はおべっかを使う奴が嫌いだが、俺のことを嫌う奴はもっと嫌いだ!」
黒服の頭を巨大な手でクレーンゲームのようにつかみ上げる。
「やめて! 俺アルバイトォォォォォ!!」
黒服の嘆願を無視して思い切り壁に叩きつける。
「あがぁ……あ、あ、あ……」
撃たれた刑事のようにずり落ちる黒服を尻目に、史明は『エッヂ』の入り口扉を蹴り開けて中に入る。
「みんな盛り上がってるかっ!? まだライブは始まったばかりだぜ。次はなにが聞きたい?」
こぢんまりとしたステージの上で、ボーカルらしき男が客に問いかけていた。
『PONEY!』
『鳥葬!』
『FootRacer's High!』
様々な曲名が飛び交う。歓声はヒステリックなまでに過熱していた。
「グロ猫のタンゴォォォォォォ!!」
熱狂を引き裂くように、史明が誰よりも図太い大声でシャウトした。
地獄を連想させる、地中から響いてくるようなデスシャウトだった。
あまりに異様な叫びにライブハウスが静まり返る。
ボーカリストも想定外に事態になす術なく硬直している。
「そんな曲うちのバンドにあらへん。勘弁してほしいわ」
ギターのKENTAROがおどけた口調で沈黙を破った。場内に笑いが起こり、それをきっかけに熱気が戻りかける。
「グロすぎてェェェェ!!」
そこへ再度デスシャウトが割り込んでゆく。
「なんのこっちゃ。うちらはエアーバンドちゃうで」
「刑事グロンボのテーマぁぁぁぁぁ!」
「うちらと一ミリの関係もないし、そもそも歌詞あるんかい!」
「グローリーデイズぅぅぅぅ!」
「それはGLAYさんの名曲や。どういうことやねんっ!」
「うるせえぇぇぇぇ! いちいち否定すんじゃねえ!」
高く垂直跳びした史明が、ギャルたちの肩や頭を踏み台にしてステージへ走った。
「なんや! なにが目的やねん!? あひぃっ」
顔を突き出してきたKENTAROの頬を両手で挟み、そのまま客席に向かってぶん投げる。歓喜と戦慄の入り交じった叫びが観客から上がった。
「キ、キ○ガイだ……」
「うわあああああ」
ベースとドラムがステージ袖に逃げた。ボーカルは腰が抜けたのか、乳幼児のように這いつくばって逃げている。
「逃がすかぁぁぁぁ!」
その足首を両脇でロックした史明が右周りにグルグルと回り出した。いわゆるジャイアントスイングである。
「いくぞ、おらぁぁぁぁっ!」
「あでぱァァァ…………」
もの凄い速さで回る輪の中から、カカトが十センチ近くあるブーツが飛んできた。
「まだまだまだまだぁぁぁぁ!」
史明がさらに回転を速めると、今度は輪の中から茶色いおかゆ状の物体が客席に飛散した。そのままボーカリストを投げつける。
歓喜1対嫌悪9の悲鳴が客席から上がった。
「ふっふっふっふっふっ」
ゆがんだ笑みを浮かべた史明がステージ上から客席を睥睨して。
「見つけたぁぁぁぁ!」
出口に殺到する客の中にジローの後ろ姿を発見する。
ステージに上ったときと同様に観客の肩を蹴ってジローの元へ駆ける。
地中に埋まった大根のようにジローを引っこ抜き、ステージに向かって放り投げた。
「おまえ誰だ!? 俺にこんなことしてただで済むと思ってんのか!? 俺の兄貴は、ストレンジ・コンドル創立メンバーの親友なんだぞ!」
ステージに戻った史明に、ジローが無意味な威喝を繰り返す。
「掘内高校で番張ってる高峯くん、俺んちの三軒隣りに住んでるんだからな。子供のころよく遊んでもらってて、今でも顔を合わせればジロッちゃんって呼んでくれるし、うちの左隣りに住んでる町内会長は、むかし県会議員に立候補したことがあるんだぞ! すげえだろ! あと俺、極真で黒帯取りかけたことだってあるんだかんな! 極真、知ってるだろ。フルコンタクトの空手だよ!」
鼻で笑いながら歩み寄る史明に対し、ジローは短い悲鳴を上げて尻餅をつき、悪霊の取り憑いた少女のように後ずさった。
「極真をつくった大山先生は素手で熊に勝ったことあるんだぞ。素手だぞ素手。軍手もつけてな――ひぃぃぃ!」
親指と人差し指でジローの頬を挟む。ニヤリと笑いかけ、宙をあおいでグロ魔術の前口上を唱える。
「地の底でお眠りになられる魔神さま。願わくは我の魔術を成就させ、ここにいる下衆の魂を苦痛で浄化させたまえ」
人差し指を伸ばし、宙に逆五芒星を描く。
「くらえっ!『毛髪死滅性』はあっ!」
史明の口から黒霧が吐き出され、ジローの頭を包みこんでとぐろを巻いた。
「うわぁ。なんだよこれ!? やだあ。かゆい。かゆいよお!!」
ジローが頭を掻きむしる。しかし黒霧は消えることなく、約一分間、ジローの頭回りをうねうねと蛇のように動いていた。
パチンっと史明が指を鳴らした。すると黒霧が空気と同化するように消え、中から全ての毛根を失ったつるっつるの頭皮が現われた。
「痛い痛い痛い痛い! 痛いよ。頭が焼けるように痛い!」
頭を押さえてジローが泣きわめく。
「存分に苦しむがいい。本当に痛いのはこれからだ。なんせ、おまえの毛根はすべて死滅してしまったのだからなぁぁぁ! うひゃっひゃっひゃ」
大口を開けて高らかに笑う史明。その顔は、悪魔を思い起こさせるほどの禍々しい異相だった。
❤❤❤❤❤
「38500……すごい魔力なのよ。魔力を発現させるには怒りが必要だったのね」
バンドギャルに変装したメリルがつぶやく。異様な大きさのスカウターも、一種のコスプレに見えてさほど違和感はない。
魔術者の平均魔力は20000前後。史明はその倍近くの魔力を有していることになり、この数値は化け物と呼んでも過言ではない。
観客にふんしてライブに潜入したのは正解だった。ステルス化して近くで見ていたらどんなとばっちりを食らったかわからない。それほどに史明の魔力は強大だった。
「魔王様に一刻も早く報告するのよ!」
興奮を抑えてライブハウスを出たメリルは、すぐにシークレット・ポンチョを装着し、黒翼を羽ばたかせて夜空へ消えていった。




