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ランキング入りとか恐れ多すぎて……!(ガタガタ)
経理班でのわたしの仕事は基本的にレイアン班長のお手伝いだ。レイアン班長の厳しい視線に耐えながら、上がってくる書類の計算ミスを探すだけの簡単なお仕事。……だと思ったら大間違いなんだよバカ野郎! どの書類もちょくちょくミスしやがって! 今までどうしてたんだ!
たしかにわたしはあっちの世界では理系だった。駄菓子菓子! 理系は理系でも社会科目をやりたくなくて理系を選んだ理系なので数学が好きとかそんなことは一切ない。どちらかと言えば嫌いだ。というか、勉強が嫌いだ。それに、いくら数学が好きな人でも足し算、掛け算、時々引き算と一日中にらめっこしていれば嫌になると思うんだよね。一日中だよ、一日中。
勇者でもなければ、聖女でもなかったわたしは異世界に来て、やりたかったお仕事がやらなければならないお仕事に変わっていくんだなあ、という悲しい現実を知った。残念ながら未だ愛と勇気と絆と正義、みたいな熱い展開にはなっていない。
「イチノセ」
と、どうでもいいことを考えながら赤インク(万年筆みたいな形のペンをインクに浸して使う)で修正を入れるわたしに、熱視線ならぬ冷視線を浴びせていたレイアン班長のお呼びがかかる。それにわたしは視線を上げずに返事をした。上司に対する態度としてはどうなんだとわたしも思うけど、この数字の羅列から一回でも目を離してみろ、最初からやり直しという恐ろしい罰が待っているんだぞ……! そんなわけで他の班は知らないけど経理班では基本的に仕事中視線を上げて会話をする人はいない。
「はーい」
「はいは伸ばさない」
「へーい」
あ、ここ計算違う。もうお願いだから足し算の繰り上がりくらいできてよ! 脊髄反射で返事をしながら赤ペンでそこから先の計算を全てやり直していく。
「へいなら伸ばしてもいいという意味ではありません」
「ほーい」
「…………」
「……はい、なんでしょうかレイアン班長」
絶対零度の視線がわたしを襲ってきたので仕方なく視線を上げて姿勢を正した。やったとこまで印を入れといたから問題ない、はず。
「最初からそう返事をすればいいでしょう」
「そーですねー」
「……もういいです」
なんだよー、ちょっとふざけただけじゃんかよー。頭堅いなー。そういう男は女の子にモテな……くないのが現実の悲しいところだよね。全てはただしイケメンに限るんだよね。世の中不公平だ。
「昼食にしてもいい、と言おうかと思ったのですがどうやらイチノセには必要ないようですね? 遅刻してきたことですし、もう少し溜まった仕事を消化しましょうか」
いやいやいや、レイアン班長ってばイイ笑顔で何を言ってくれちゃっているんですか。そんな心の奥底が真っ黒な笑顔は『罵られ隊』の皆様方に見せておけばいいから。わたしには「昼休みにしていいですよ」の一言でいいから。プライスレスでも笑顔はいらないから。
「班長! わたしはお昼を食べて気持ちをリセットした方がいいと思います!」
「……あなたの場合、何が変わるとも思えませんが」
失礼な!
「まあいいです、昼休みにしてきなさい。どうせこうなっては集中などしないでしょうし」
「いやっほーい! レイアン班長、今この時だけものすごく尊敬してます! 神さま! 天使さま! いつもはただの嫌味な上司だけど!」
「一言余計です。……ライル!」
「はい!」
レイアン班長の呼びかけにデスクに向かっていた茶髪がぴょんと立ち上がる。……あれ、どうしてそんな簡単に視線を上げられるの。
「イチノセと昼休みにしなさい。食事が終わり次第、きちんとここへ連れて帰って来るように」
「了解ッス!」
まるで監視のように同僚一名を付けられたけどそんなことは些細な問題だ。なにせわたし一人じゃ政治部の食堂までたどり着けないからな。たとえ茶髪わんこくん……じゃなかった、ライルを監視役兼連行役に付けられてもただの道案内にしかならないよ! というか、わたし仕事を逃げ出すほど非常識な人間じゃないぞ。つくづく失礼な上司だな!
まだ半日終わったばかりだというのに心底疲れた顔をしたレイアン班長に見送られ、ライルと二人食堂へと歩く。
ライル・なんちゃらかんちゃら。例によってファミリーネームは忘れたけど、平均年齢の高い政治部の中で(なにせ官僚になるための試験とやらの難易度が高くて一度で受かるなんていう天才は百年に一度くらいしかいないらしい。あの神の子レイアン班長だって二度目の試験で合格したと聞いた)比較的わたしと歳が近いであろう同僚だ。正確な年齢は知らないけど、見た目的にはわたしとさほど変わらないように見える。
ライルは受付班のお姉さんたちに「なんか弟みたいなのよねぇ」と言われるくらい人懐っこいわんこタイプで、試験免除という変則技で経理班入りしたわたしの面倒をみるようにレイアン班長に任命されてしまった哀れな被害者でもある。……いやね、わたしにだって経理班一の問題児である自覚くらいあるのよ?
「イチノセはすごいよなー」
思いっきり理系で運動はからっきしのくせに爽やか体育会系の話し方をする(それも先輩に可愛がられるタイプ)ライルの言葉に首を傾げる。
「なにが? あ、ライルもようやくわたしの素晴らしさに気付いたの?」
「いや、まさか。それだけは絶対にない」
「……即答しなくてもいいじゃんよー」
そんな真顔で首振ることないじゃん。わたしだって傷つく心くらい持ってるんだよ? せめて間を開けてから否定しよう? それくらいの気遣いはしよう?
「そうじゃなくて、レイアン班長がさ」
「レイアン班長? あの冷血漢がどうかしたの?」
「冷血漢って……。班長に聞かれたらまた怒られるぞ?」
「平気、平気。ああやってストレス発散してるんだよあの人は。神経質そうだもん、絶対ストレス溜まってるよ。あ、そう考えると、むしろわたし感謝されるべきじゃない?」
「…………そいうところがすごいって言うんだ。イチノセ、そっちに食堂はないからな」
……やっぱり食堂までの道のりに矢印付けといてくれないかな。というか、どうして経理班室と食堂はこんなに離れているんだ。
「イチノセは毎朝遅刻してくるじゃん?」
「別に遅刻したくてしてるわけじゃないよ」
「当たり前だ」
こつりと頭を小突かれる。地味に痛い。
「でも懲りずに遅刻して、レイアン班長に怒られてるだろ?」
「いつかあの人の脳の血管切れたらわたしのせいだよね」
「……自覚あったのか」
「一応ね」
今度牛乳でも送っとこうか。イライラいくない。原因わたしだけど。というより、そもそも牛乳を飲むという文化がこの国にはないみたいだけど。牛らしき生き物はいるけど牛はいないし。
「レイアン班長に怒られるとか羨ましいよなー」
「…………え?」
嘘、ライルってばもしかして『罵られ隊』の隊員だった? あそこの隊、やってることはアレだけど性別、貴賎関係なく門が開かれたアットホームな隊(自称)だから誰が隊員でもおかしくないけど。ライルにはそんな素振り見えないからてっきりノーマルだとばっかり……。
「あ、別に変な意味じゃないぞ? でもレイアン班長ってあんまり怒らない人だから」
「怒らない? 毎日あんなに怒ってるのに?」
君たち感覚変なんじゃないの? 綺麗な顔からは想像できないくらい怒鳴ってるよ。もっとクールタイプかと思ってたのに、全然そんなことない。
「レイアン班長が怒るのは自分が目をかけてる人に対してだけだ。そりゃもちろん仕事のミスは誰だって怒られるけど。イチノセは仕事でミスってあまりしないだろ?」
「おお、そう聞くとわたしものすごく優秀っぽいね! で、どっちに曲がるの?」
「右。そろそろ覚えろよ。……イチノセが優秀かどうかは置いといて、少なくともレイアン班長はそう考えてるってこと。数時間の遅刻程度じゃ怒られないぞ普通。まあ、イチノセは連絡もしてこないことが問題っていうのはあるけど」
「……いやいやいや」
遅刻ってダメじゃね? いや、わたしが言うのもなんだけどさ、一分でも一秒でも遅刻はダメじゃね? ……ハッ、これがかの有名な日本人の感覚ってヤツか……! それともこの国の国民性のせい?
「だいたいレイアン班長が自ら推薦して人を入れるってこと自体がすごいことだからな」
「そうなの?」
「そうなの。ほんとは推薦された人もある程度の試験を受けなきゃ政治部には入れないんだよ。だから全て免除って聞いたときは驚いた。それもこれもレイアン班長の推薦だからって上が判断したとかしないとか」
「レイアン班長の推薦だと免除されるの?」
「あの人は庶民の出だからお家柄で推薦ってことはまずないし。それにあの人は自分のスペックを普通だと思ってる節があるからな。周りにもそれを求めるから、そんな人の推薦ともなればそれくらいの特別措置は取るだろ」
……うわー、それ一番嫌なタイプだよ。あの人レベルで他の人が物事をこなせたら、この世界天才だらけで大変なことになるよ。天才は一人だけいるから天才なんだよ。
「そんなレイアン班長が勤め始めて十数年、初めて推薦者を連れてきたんだぞ? そりゃ期待もされる、」
「ちょっと待った!」
「うお、なんだよ?」
え、え、え。聞き間違いじゃなければ、レイアン班長が政治部に勤め始めて十数年って聞こえたんですけど。あの人、見た目的にはまだ二十代だよね? せめて二十代半ばだよね? あの若さで班長とかすげーなーって思ったもんね。
ええっと、入部試験が受けられるのは十八歳からでしょー。でも一回試験に落ちてるって聞いたからー、政治部に入ったのは十九歳? ……え、レイアン班長ってあれで三十路なの? なにそのアンチエイジング。怖い。
班長の正確な年齢は次話で!
セノンディウス王国では三時間くらいまでの遅刻は遅刻と見なされません。たぶんのほほんとした国民性のせいです。深く考えちゃいけません。