きっかけ
突然口を開いた風音に、千波は目を丸くした。
「いかがなさいましたか、いきなり」
壁に手をつき飛び起きた風音は、隣に千波の姿を認めて、ほっとしたのも束の間、紺碧に問い詰められて、頭の中の間隙を、手探りで繕うはめになった。
「そんなことより、分かるのか、提輪託」
一瞬口ごもってから、千波は、努めて屈託なく白状した。
「私は、生まれてすぐ、祖父に引き取られてしまいましたから」
何かにつけて「婆羅門の娘」とは言われても、それらしい教育など受けていない、どこにでもいる成金の娘なのだと、そんな高貴な父親のことなど、醜聞でしかしらないのだと。
気がつくと、昔話が始まっている。深い瞳はどれだけ話しても、一向に満たされる気配がなく、やめるにやめられなくなってしまった。年の離れた兄がいたこと、とても優秀で、優しかったこと、いつの間にか、家庭がうまくいかなくなったこと、突然出奔した兄の代わりに、騎士になろうと決めたこと、亜邦に乗り始めて、たった2年で学校に入ったこと……風音は話しつづけたが、最初に言おうとしたことだけは、うまく言葉にならなかった。
「時間です。私たちも行かなくては」
台の上には、厩舎の錠前ほどもある、黒光りする果実が用意され、広場の隅では出席者の確認も始まっていた。歩き出した千波の肩を捕まえて、囁きかける。
「『魅唾』だ。『魅唾』と言ってやればいい」
千波は振り向かずに、ありがとう、とだけ応え、また歩き出した。笑っている――風音の不敵な笑みが、きっと見えたに違いない。これでいい――手を放して、自分も歩き出す。
昼下がり、熱気のこもった会場は、まだかと主役を待っていた。




