恋故に暴走
「まさかこんなに遅くなるとは――」
月の昇った夜空の下をレイラは早足で歩いていた。騎士団に所属していれば訓練や業務で帰りが遅くなることもあるのだが、帰路につくのがここまで遅くなることは希だった。
(どうしたものだろう)
更に問題なのがレイラの所在地。屋敷までの距離は直線距離なら短いのだが、他家の庭先を何カ所か突っ切らねばならず、無断進入しているところを見つかったなら騒ぎになる。
「背に腹は代えられないか」
悩み、躊躇したものの最終的にレイラは時間を重視して垣根に空いた穴を子供のように身をかがめてくぐり、明かりのついた館の方にも目を配りつつ足早に駆け抜ける――ただし、足音は立てずに。
(うん、やっぱりこの辺りにある家だけ有って敷地が広い)
公爵家の嫡男という肩書きのレイラの方が屋敷の庭は広いのだが、自身のことは棚に上げ、塀を乗り越えて路地に降り立つ。
「さぁ、この調子であと三け……ん?」
それは、呟きつつ目撃されていないかと左右に視線をやった時だった。
(あんなところに屋敷があったんだ……)
遠目に見えた建物からは明かりが漏れ、影になる位置に設けられたバルコニーで何かが動いたように見えた。
「泥棒なんてことはないだろうが……近所に住んでいて誰の館か知らないというのもな」
今まで明かりの点っていたことも無かったことから、レイラはその館を空き家だと判断していたが違ったようなのだ。
(アンナには怒られるだろう、だとしても)
好奇心が勝って、レイラは明かりを目指して歩き始める。
「しかし、寂しいところだな。それに」
レイラが目指した建物は思ったより遠かった。まるで人目を避けるようひっそりと佇む館には塔が生えており、レイラが見た明かりは塔のバルコニーへ出るための入り口から漏れていたものらしい。
(他の部屋も無人ではなさそうだが……)
まるで住人の存在を隠すかの様にある窓は鎧戸に閉ざされ、ある窓は分厚いカーテンで塞がれていた。気がつけばレイラの見た明かりも消えていて、おそらく内か外から戸かカーテンを閉めたのだろう。
(住人を隠す? いったい何のた)
訝しむレイラの思考を遮ったのは、女性の歌声だった。
「月の照らす、時にだけと夜空を仰ぐ。許された時、僅かな時に胸の想い秘めて」
(っ!)
月明かりに浮かび上がる華奢な少女が、バルコニーに立ち歌を口ずさむ。切なげな表情と悲しそうな瞳がレイラの目を奪い。
「あっ」
少女は小さく声を上げると自分の口を手で塞いだ。無意識に口ずさんでいた事に気がついたのだろう。
(歌うことを禁じられている? それとも人目につくのを恐れているのだろうか?)
周囲を見回し、塔の中へと戻って行く少女の背を眺めながらレイラは疑問に思い。
(それよりも、どうしたって言うんだ……私は)
胸中に沸き上がる思いに困惑する。歌を口ずさんでいた少女の表情がまぶたの奥に焼き付いて消えず。
(何故――こんなにも惹きつけられるッ)
気づかぬ間にレイラは拳を強く握りしめ、立ちつくしていた。まだこの時、レイラは知らない。その少女が王女であることなど。
「そうか……私も籠の鳥だから」
ただ、理解したのは惹かれた理由。兄の身代わりとしてしか生きることを許されていないレイラ、存在を隠されなければいけない少女、近しい境遇にあったのだ。もちろん、性別を偽ってまで影武者を強要されているところまではレイラも気づいていない。
「あの女の笑顔が見たいな」
それでも充分だった。自分には許されない女性らしい笑顔。笑う少女を見てみたいと、レイラは思ったのだ。
「私は貴女に恋しました」
初めての恋を。驚き止まった女性達の中、騎士はただ王女だけを見て語る。
「貴女が王族であることも存じております。私が身の程をわきまえずこのようなことを語るのは無礼であり迷惑以外のなにものでもないでしょうが……」
知っていて頂きたかった、とレイルは言葉を続ける。まっすぐな思い故の暴走。
当人が言うところの『恋は全力突撃、当たって砕けろ』を実行した形だが、アンナがこの場にいたらツッコんだことだろう。
「最初はストーキングするんじゃなかったんですか!」
と。
「何してんですかァッ!」
実際のところ、城につくなり告白の一件を知らされたアンナはやはりツッコんできた訳だが、当然だろう。
「いや、私の乙女心に歯止めがかからなくてな……つい」
「都合の良い時だけ乙女にならないで下さいッ! どうするんですか、一応公爵家を継げば結ばれる可能性は0じゃありませんけれど」
それもレイラが男であればの話だ。
「奇跡的に事が上手く運んだとしてもレイル様のことはどこかで必ずバれますッ! そのとき『実は女の子でした、ごめんねー?』じゃ済まないんですよ?」
額に手を当てつつアンナが睨むがレイルの笑みは揺るがない。
「大丈夫だ、夢は願い続けていれば必ずかな」
「かないませんよッ!」
「男の子になる」
「どうやってですかっ!」
「そこは気合いで」
「気合いでなれるぐらいならもっと前からなってて下さいよ!」
ツッコミの嵐だった。
「逆転の発想で、王女が男だったというのは」
「いい加減にして下さいッ、そんなわけないでしょうが!」
主人の戯言の群れをツッコミではじき散らしつつ憤るアンナだが、後日最後にはじき飛ばした戯言を思いだし愕然とすることになる。
「まぁ、冗談はこのぐらいにするとしてだ」
ただし、レイラの方は自身が述べたとおり冗談のつもりだったらしいのだが。
「先日の無礼がなかったとしても、私は――私達の欺瞞に満ちた日常は破綻すると見ている」
「破綻?」
「嘘をつけば無理が出る、事はいつか露見して――露見する前に私が処分されるかもしれないが、ともかく終わりを迎えると思うんだ」
こんな事は長く続くはずがない、とレイルことレイラは言う。
「だから、事を起こした」
「まさか、告白はおじいさまの裏をかいて攪乱するのが狙いだったと?」
騒ぎを起こし、自身を縛る者達を動揺させ何かをしようと言うのか。
「それもある。だけどな、姫様を私が好きなのも、お前が大切なのも本当だ」
「まさか、姫様と私をかっさらって出奔でもするおつもりですか?」
思いついた恐ろしい考えを口にしつつアンナが主人の目を覗き込めば、レイラは微笑を浮かべつつ首を横に振る。
「可能ならそれでも良いが、難しいだろうな。それなりの勝算がなければ私も冒険はしない。ただね……」
人払いを頼み二人きりの部屋の中、レイラはソファから立ち上がった。
「前にお前と二人で馬車に乗って父上の館まで行ったことがあったな。馬車から見える景色の中に年頃の娘達が楽しそうにおしゃべりしている姿があって」
レイラが目を閉じたのは情景を脳裏に描いているのだろう。
「あんな風に笑ってみたいと思ったことがあるんだ」
ギャグじゃないぞ、と付け加えたレイラは告白する。
「けど、私には無理みたいだから……アンナ、お前に笑っていて欲しい」
「レイラ様……」
「本当は姫君にも同じ笑顔を浮かべていて欲しいんだが、女の私ではな」
ポツリとこぼした主人の顔が寂しそうで、アンナも立ち上がる。
「そんなことありませんよ、レイラ様の気持ちは――」
「ありがとう。けどな、アンナ……それ以上いうとお前で実験するぞ?」
「へ?」
「うん、女の私でも男の代わりが務まるかという実験だ。ミゲルには悪いが」
「なっ、何でそこでミゲル様が?」
一瞬絶句したアンナだが、誤魔化しようがないほど赤い顔が話題の人物への気持ちを雄弁に語っている。
「それはそれとして」
「レ」
レイラはわかりやすく顔色を変えた侍女をからかうような目で見ていたが、アンナが抗議しようとした瞬間、表情は力のない笑みへと変わった。
「もし私の――本当の私のことを姫が知ったら、どんな顔をなさるかな?」
やはり驚かれるか、そして謀ったと憤慨するか、軽蔑するか。
「躊躇わないつもりで居たのに、怖いんだ」
アンナは何も言わず主人の後方に回り、小さく嘆息すると。
「アンナ?」
「この意気地なしがァァッ!」
振り上げた手でレイラの頭をはたき落とした。
いやー、じつはこの第六話は三話予定だったタイトルが話しごと六話まで繰りあがったものだったりします。
レイラとアンナ側のみで書く予定だったからなんですが、アンナさんツッコミすぎです。主人がアレだから仕方ないかもしれないですけどね。
そんなわけで続きます。