姫君の事情
「姫様……」
かすれた声に王女は振り返る。声に若干の違和感を感じたのは、気のせいだろうか。
「貴方は……」
初めて会う護衛の騎士。名前は確かレイルと名乗って――そこまで思い出した王女の思考を妨げたのは、小さなアクシデント。
「あっ」
ぎこちなくこちらに踏み出そうとした騎士の足が何もないはずの場所で引っかかる。ただ、転んだだけなら初めて自分と対面するあまり緊張してのこと、と余裕を持って見守れたことだろう。
「……っ」
だが、空を泳ぐように滑稽なしぐさで近寄ってきた騎士が自分の胸に触れた瞬間、王女は固まった。
(む……ね?)
事態を理解した王女の顔を占めたのは恥じらいでも嫌悪でもなく、恐怖の色。
「あ、……あ、あ」
「姫……」
騎士の顔など見られなかった。
「まさか……いや、しかし」
驚きを乗せた騎士の呟きに、手の平から嫌な汗が滲み出る。
「貴方は姫様ではありませんね?」
「な、何故そのようなことを? いきなり無礼ではありませんか」
思わず声は強ばり、問うてきた騎士と目が合わせられない。
「しかし、貴方は男性ではないですか」
「――っ」
声にならない絶叫は王女――少年にとって死刑宣告に等しいもの。
そう、王女もまた少年だったのだから。
「なんて夢だ……」
思わずベッドから跳ね起きた少年は、額の汗を腕でぬぐった。漏れ出た声が年相応の少年らしい声でなく、鈴を転がすような可愛らしい声であったことが何ともミスマッチだったが、少年はこの声とのつきあいが長い。
「姫様、お言葉を謹んで下さい」
「わかってる――人に聞かれたらよろしくないのでしょう?」
「勿論です。事情は存じておりますが」
魔法で自分の声を奪われ、偽りの姫になることを承諾した少年は、監視役でもあるこの侍女に従わざるをえないのだ。
「では洗顔の用意をして参ります」
もっとも、そんな事情をこの侍女が口に出す筈もない。聞かれたら不都合が生じるから、ということで徹底しているのだろう。湯浴みでほぼ毎日少年の裸を見ているが、この侍女は眉一つ動かさない。
(慣れたと言えば慣れたけど……)
異性として認識していないのか、仕事だと割り切って居るのかさえ掴ませない態度が少年を時々不安にさせる。
「いつまで続くの?」
こんな生活が、訊ねたところでこの侍女は答えてなどくれないだろう。
(本当の王女様が見つかるか、僕が偽物として役に立たなくなるまで、かな)
少年にも思いつく終わりはこの二つ。ただ、前者にしろ後者にしろ生活の終わりは人生の終わりであるのかもしれない。
(生かしておく筈がないからなぁ。漏れれば醜聞沙汰だし、体面を気にするなら念のために――)
結末が見えているのに偽りの姫君を演じ続けているのは、覚悟と言うより諦めに近い。そもそも身代わりなどという話を持ちかけられた時点で拒否権はほぼなかったのだ。
「今日死ぬか明日死ぬかなら、明日を選ぶ」
単にそれだけのことであり、
「強制されてやらされるか報酬を積まれて引き受けるなら、後者を選ぶ」
ということでもあった。
「わかりました、ただし――」
少年は断れば始末されると見て、条件付きで偽物役を引き受けた。
「しかるべき方が後見人に立ち、弟の家督相続を認めて下さいますよう」
少年の肉親はこの時もはや弟だけだったが、兄として出来ることと言えば他になかったのだ。
(しかし、なぁ)
だからこそ、昨日の出来事に少年は寿命が縮むかと思った。胸に詰め物をいれた上、触感を誤魔化す魔法を宮廷魔導士にかけて貰ってはいるが、あそこでレイルという騎士に触れられていたらどうなっていたことか。
「いやぁぁっ」
「姫様!」
「姫様、どうかなさいましたか!」
「ご、ごめんなさい。ちょっと足を取られて転んでしまっただけです」
とっさに身をかがめて悲鳴を上げた後、駆けつけてきた他の護衛騎士や侍女達に椅子から落ちてへたり込んだ状態で取り繕ったが、少年は件の騎士の顔が見られなかった。
「姫様?」
「な、なんでもないのよ……そう」
気づかれたのではと恐ろしくて。騎士の事を伝えなかったのも、発覚が怖くて触れなかっただけ。
(あの騎士はあれからどうしたんだろう?)
結果的に庇った事になったからお咎めは受けていない筈だが、少年にはやけに気にかかった。
(何でこんなに気になるんだろう?)
恋、などという選択肢を少年は当然のように除外する。もはや恋愛などすることもなくなっただろうが、少なくとも件の騎士は男性だと聞いている。少年に同性愛嗜好はない。
(偽物だってばれそうになったから意識してるんだろうか……)
だとすれば、気づいているのか全く気づかなかったのか。もう一度あって探りを入れてみるべきかもしれない。少年にとってそれは妥当な確認でもあり、同時に危険な冒険でもあった。
もちろん、先方と会う機会があればだが。不幸な事故とはいえ、無礼を働きかけ一歩間違えばお咎めを受けていたところである。
(思いっきり悲鳴をあげちゃったしなぁ)
しかも、会ったなら会ったで気まずいことこの上ない。
「姫様、よろしいですか?」
だから、少年は意外に思ったのだ。
「えっ、あの方が?」
「はい」
二日もおかずかの騎士が登城してきたという事態に。
一話より短めですが、二話をお送りしました。
今回は姫君側のお話となっております。
さて、二人の行く末はどうなるのか。
尚、騎士の出番が回想のみなのでコメディ成分は次回に持ち越しの予定です。




