思いがけない幸運なモトサヤに恵まれました
結婚式後の寝室でおよそ相応しくない話題であると理解しながらも、僕はそれを口にした。
「モトサヤ、というらしい」
「……モトサヤ?」
結婚したばかりの同い年の妻が何の話を始めるのかと怪訝そうに首を傾げる。当たり前の反応だろう。ここは夫婦の寝室で、我々はまだソファに座っているが後ろには大きなベッドが置かれている。彼女は見慣れない薄手の衣服――寝間着を着て僕も似たような格好をしていて、つまりそういうことだったから。
けれど彼女の声色は軽やかで楽しそうで、これから始まる僕のおかしな話に興味を持ってくれていることがよく分かった。彼女のこういったところは、きっと昔から変わっていない。
「ああ。剣の鞘はその剣に合わせて作られているから、新しい鞘が欲しいからと別のものを作ったとしても結局合わなくて元の鞘に戻すこと、らしい」
「それは……。合うものを作り直せばいいのでは?」
「僕もそう思うが、難しいそうだ。ひとつひとつが職人技だから。それにこれは、どこか遠い東の国の言葉なんだ。あちらでは剣のことはカタナというそうで、厳密には剣とは違うものだという人もいた。僕は現物を見たことがないが、芸術品のように美しく、切れ味もすごいと」
途中からカタナの説明になっていたことに気づき、はっとして一つ咳ばらいをした。脱線して長く時間を取るような内容でもない。
「まあだから、それが転じて、一度別れた男女が再び縁を結ぶことをモトサヤというらしい」
「あら、わたくしたちのことですね」
「……そう、言われている」
僕はそっと笑ってしまった。無意識に眉間に力がこもっている気がするが、まあいいだろう。妻になってくれた人は、僕のこの下手な笑顔にも慣れている。
「別れも再会も我々の意志ではなかったけれど」
「ふふ」
僕たちは、生まれる前から祖父同士の約束で結婚が決められていた。祖父たちは昔からの親友で、本当は子どもを結婚させる筈だったのが両者とも男児しか生まれずその約束は孫である僕たちに引き継がれた。貴族にしてはよくある話だ。我々の家はどちらとも伯爵家で、友情を抜きにしたとしてもこの婚姻にはそこそこの利益が見込めた。
けれど五年前、僕たちの婚約は一旦白紙になった。王命だった。理由は多くあったが、一番のそれはある侯爵令嬢を他国に渡さない為だ。その令嬢は国王の姪で、他国の貴族と婚約が決まりかけていたのを王が待ったをかけた。姪を溺愛していた国王は、令嬢が他国に行くことを嫌がったのだ。しかし令嬢と家格と年の合う目ぼしい貴公子は我が国にはおらず、年上で探したとて既に結婚済みで、唯一まだ正式に結婚していなかった僕が選ばれた。婚約を解消させられてまで。
だから五年前、僕たちの婚約は一旦白紙になったのだが人生何があるか分からないもので、今はモトサヤという状態になっている。そして今日、祖父たちの約束のままに結婚をしたのだ。
「あれから五年間、貴方はどう過ごしていました?」
「普通だよ。勉強をしてそこそこ鍛えて、仕事して。貴女は?」
「わたくしも似たようなものです」
「僕と違って、婚約者とはちゃんと社交に出ていたようだけどね」
言ってしまってから、またはっとして口を閉じる。そんな僕を、彼女は面白そうに見ていた。ああ、本当に変わらない。男女では成長速度が違うだの情緒の発達に違いがあるだのと聞くが、彼女は昔から僕より大人だった。正直に言えば子ども扱いされているようで彼女のそんなところを苦々しく思ったこともあったが、嫌いでもなかった。
「……いや、その。違うんだ。むしろそれが普通だから、僕のほうがおかしかったというだけで」
僕との婚約を王命で解消した彼女には、すぐに新しい婚約者が宛がわれた。明確な王命ではなかったけれど似たようなもので、国王自らの紹介であったから彼女も彼女の婚約者だった子爵家の貴公子も断れるものではなかった。
そして、彼女が当時の婚約者であった子爵令息の彼と二人でパーティーに出るのは普通のことだ。僕はかの令嬢と出たことなど一度としてなかったが、そちらが異常でなのである。
「そうですね。普通に、当時の婚約者といくつかのパーティーに出ました。貴方はほとんどのパーティーで不参加でしたが」
「はは、実は完全な不参加でもなかったんだ」
「え?」
「いくつかのパーティーで身分を偽って、騎士として警備に出ていた」
「まあ」
「だから、貴女のことも見たよ」
「……そう」
王姪の侯爵令嬢の婚約者として、一人でパーティーに出ることはできなかった。けれど令嬢は僕と一緒に出ることを拒否していたので、どうすることもできない。かといって社交を完全に断っていると今後の生活にかかわる。仕方なく考えた案が、騎士として参加する、だった。裏方を知るは勉強になったし、貴族たちの普段は隠している顔を覗き見ることもできた。しかし勿論それだけでは足りないので同年代の知り合いとは別途交流を続け、そこ繋がりで社交は広げている。しかし、何事もまずやってみることの重要性を感じた五年間だった。
ただ僕以外にエスコートされる彼女を見るのは、どうしても嬉しいものではなかった。仕方がないと何度言い聞かせても、胸の中の淀みは切れるどころか増えていくからもう苦笑すらもできなかったのをよく覚えている。
「貴女は、その……」
「はい」
「彼と結婚できなかったことに対して、どう思っている?」
「……先に貴方がどうなのか、教えてくれたら、わたくしも話しますわ」
珍しく質問をはぐらかす彼女に、それもそうかと僕は今度こそ苦笑した。
「……実は、ご令嬢には初対面で願い下げだと言われてしまって。それで焦ったご令嬢のご家族がこちらでどうにか説得をするからと家に帰されてから、あの五年間で実際にご令嬢と会った回数はそれを含めても三回程だったかな」
僕の妻になったばかりの薄着の彼女は、静かに頷いた。けれどそれだけだった。ただ、話の続きを待ってくれた。
「だから、ご令嬢が元々婚約を結ぶ予定だった人と改めて結婚することになったと聞いた時は、むしろ清々しくて拍手をしてしまったくらいだったよ。執念の勝利だなって」
「そう」
僕たちがモトサヤになったのは、王姪の侯爵令嬢が国王を説得し初めの計画通りに他国へ嫁いでいったからだ。知らせを聞いた僕は、本当に立ち上がって拍手してしまった。
「……それで、貴女は?」
「わたくしは、そうね。いろいろと複雑な気分でした。悲しむべきか怒るべきか、それとも喜ぶべきか」
「迷った?」
「かなり」
困ったように、彼女は笑う。それは、五年前にはあまり見なかった表情だった。
僕とは違い、彼女は五年間、子爵家の婚約者と上手くやっていた。社交には毎回二人で参加し、ファーストダンスを踊り談笑し、お互いがお互いを婚約者として認め尊重している姿をきちんと見せていた。見せているだけ、と揶揄されていようともそういう事実を積み重ねるだけのことはしていた。
「五年前の僕らは、まさにただの子どもで」
「そうでしたね」
「親や国の言う通りにするしかなくて」
「ええ」
「……それがとても、辛かった。そんなことを考えてはいけないと知っていたのに」
貴族の婚姻に情はいらない。そんなこと分かっている。だから従った。祖父たちの約束だからと引き合わされた時もそういうものだと思っていた。王命で婚約解消した時も権力とはそういうものだと納得をしたつもりだった。ただ結婚相手が変わり、さらに国王に借りが作れる。そう喜ぶべきだった。でも、本当は何一つできていなかった。
子どもだった。心というものを、制御したつもりで何も分かっていなかった。歴史上の先人たちが何故、誰の目から見ても明らかな愚行に走ったのか、それを理解しようともしていなかった。今なら、少しは分かるだろう。
「だからご令嬢が、執念で大国の王女様を味方につけた時には世界がひっくり返った気分だった」
「わたくしもです」
「しかも、ついでと言わんばかりに僕たちの婚約まで戻してしまって」
「ふふ」
侯爵令嬢のやり方はめちゃくちゃだった。一歩間違えば、口に出すのも恐ろしい事態を招いたかもしれない。けれど令嬢は賭けに勝ち、大国の王女を利用して望む相手に嫁いだのだ。王女は真実の愛というものに関心があったらしく、初めて会った時から令嬢に同情的だったらしい。王女を利用したと言えばそれまでだが、そもそも王女と交流を持てたのも令嬢の努力あってこそだ。令嬢は僕と違い、元の婚約者と結婚する為にずっと手を尽くしていた。ついでだからと僕と彼女の婚約まで戻してしまったのには驚いたが、感謝こそすれ恨みの感情など一つもない。
「彼には少し、悪いなと思った。でも、ざまあみろとも思った」
「恋多き人でしたから誤解されやすい方でしたが、悪い人でもないのですよ」
「それでも、だよ。嫌だった。貴女の相手が彼だったのが。そんなこと言う資格なんてないのに」
「……あの方はそういう目を向けられることには慣れていましたから、気にしないでしょう。婚約者の席が空けばまた奪い合いでしょうから、わたくしのことなんてすぐに忘れてしまいますわ」
「はは、それも気にくわないな。でも、ありがたい」
五年間、彼女の婚約者であった子爵令息は女遊びの派手な人だった。パーティーで彼女を放り出すようなことはしなかったし節度のない姿を大衆に見せはしなかったけれど、若くして複数の愛人を持つ人だった。貴族社会ではどの年代にも一定数いる類いの人で、我々の世代の遊び人が彼であったというだけだ。しかし要領がよく決定的な間違いはしないから、理解ある妻を持てれば一生を楽しく過ごしていく。そんな人だった。
だから彼女の言う通り、婚約者が代ったところで気にも留めないのだろう。そうであってほしい。今更欲しがられたところで、返すつもりはない。元々、彼女の隣は僕のものだ。
「……五年前の僕は、貴女のことを多分あまり真剣に考えていなかった。ただ、自動的に妻になる人なんだと、それくらいで」
「わたくしもそうでした。昔からずっと一緒で、きっと死ぬまで一緒なんだろうと」
「うん、でも、その当然の未来は一瞬で消えてしまった」
権力の名の下に、あんなにも簡単に関係は断たれた。そして子どもだった僕には、抗議などする術も権利も与えられていなかった。
「当時の僕たちは子どもで、けれど生まれた時から貴族だった。王からの命に逆らうことなど考えてはいけなかった」
「ええ」
「……でも、僕は不服だった」
「……」
「ずっと気づかないふりをしていたのを、ご令嬢に叱りつけられたよ」
「まあ、ふふ。しそうですね、彼女なら」
「笑いごとでもないんだよ。本当に怖かったんだから」
最後に会った時、侯爵令嬢は「貴方は貴方で大事な人がいるんでしょうに! どうして何の行動もしないでいられたの!? あたくしたちは貴族だけれど、物言わぬ道具ではないのよ!」と烈火のごとく怒っていた。本当に気性の激しい人だった。あまりにも勝手なことを言うから驚いて何も言い返せないでいると「もう話は終わったわ」とまた追い返された。
怒りは湧いてこなかった。勝手だなと呆れたが、憧れにも似た感情を抱いたのも事実だ。ああなりたいと、ほんの僅かだけれど思ってしまった。
「ご令嬢の行動力には驚かされるばかりで、何もしなかった自分がただただ情けなかった」
「あら、先日、スタンピードを三つも潰した騎士様が何を言っているのでしょうね」
「ううーん。でも、僕、本業は騎士じゃなくて貴族だからなあ……」
「ふふ」
彼女は笑っているが、実際笑いごとでもない。大手を振って社交ができず、そのせいでいろいろな制限があったからと勉学や仕事と並行して騎士業をやっていたら何となく功績が上がってしまっただけなのだ。けれどそれだって僕に英雄のような力量がある訳でもなく、ただの偶然と幸運が重なっただけだ。とてもじゃないが本職たちには敵わない。それなのに名前ばかりが売れてしまって、僕のことをすごい騎士なのだと勘違いしている人が多くて困っている。
「……ええと、話を戻すけど」
「はい」
「僕は貴女と結婚ができて、嬉しい」
「モトサヤが?」
「うん、モトサヤが。……でも、貴女がどう感じているのかを、知りたい」
これが、この会話の終着点だ。この質問の答えが聞きたかった。
正式に僕の妻になってくれたその人は、背筋を伸ばして微笑んだ。
「わたくしも、嬉しいわ。貴方とモトサヤになれて。……慌ただしすぎて、いろいろな準備がままならなかったのは不満ですが」
「それは……。ごめん」
「ふふふ、いいですよ」
よかった、と思う間もなく僕は謝った。婚約が戻されたと同時にすぐにでも結婚をしたかった僕がなりふり構わず準備を進めた結果、準備期間は三ヶ月という異例の速さで過ぎていったのだ。本来、伯爵家同士の結婚式なら短くても一年近くはかかるものだが、そんな慣例知ったことかと突っ切った。
でも、彼女が笑ってくれるから、僕も笑ってしまった。ああ、昔の通りだ。
「……もう、さ」
「はい」
「もう二度と、貴女を手放したくないんだ」
「……できることなら、わたくしもそうしたいです」
「するよ!」
思わず手を握ってしまうと彼女は珍しく目を丸くしたけれど、すぐに握り返してくれたから嫌がられてはいないみたいだ。
「絶対に、五年前みたいなことはさせない。絶対だ」
「……でも、この五年でわたくしは変わったかもしれませんよ。貴方の嫌いな女になったかも」
「どうして?」
「だって、もう五年も馬に乗っていないわ。釣りだってしていません。刺繍の腕は上がったでしょうが、そのくらいで」
「それはまた、誘ってもいいのかな。それとも、もう誘ってはいけない?」
「……誘ってくださるなら、一緒に行きますけど」
僕たちは顔を見合わせて暫らく二人して黙って、そして同時に笑った。懐かしい。前もこうやって笑い合ったことがあった。
「きっと貴女は変わったし、僕も変わったよ。でも、僕は貴女を嫌いにならない」
「どうして?」
「さあ、どうしてだろう。理由が必要?」
「……いいえ、きっと必要ないのでしょう」
彼女はそっと微笑んで、そのまま僕の頬にキスをくれた。昔にだってこのくらいはしたのに、胸が煩くて困る。
「……僕、これでもちょっとは意見を通せるようになったんだよ。副業のおかげで」
「あら」
「だから今後、僕から貴女を奪おうとする奴は、全員どうにかしてしまおうと思うんだ」
「……あら」
「でももし、貴女が僕を、嫌になってしまったら」
「それは、あり得ませんわ」
「……」
「貴方は昔から妙なところでうじうじとなさいますし、変に繊細なところがありますが」
「うん、悪口だね」
「でも、そこが好きです」
そう言い切られてしまっては、僕はぐっと唇を噛むことしかできない。分かっているのだ、彼女は。こういうふうに言えば、僕が何も言い返せなくなると。
「……うーん、この」
「わたくしの顔が好きで、わたくしに甘いところも好きです」
「ああ、バレていたか……」
「逆にどうしてバレていないと?」
小首を傾げる彼女は、とても可愛かった。この五年で美しく大人の女性になった彼女は、けれどやはり妖精のように愛らしい。惚れた弱みだと笑われたこともあるが、それでもいいと本心からそう思う。
「まあその、せっかくモトサヤになれたのだから、末永くよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
今度は僕からキスをした。結婚式での誓いのそれより、どこか神聖なものに感じた。
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