第5話
物憂げに溜息をもらす私を見て、アークハルトお兄様は飲みかけのお茶を噴き出しそうになった。そして、端正な口元を押さえ、今も笑い続けている。
「なに? どうしたの、お兄様。なんで笑うの?」
「いや、だって、お前が『本当の愛』だなんて、思春期の女の子みたいなこと言うから」
「な、なによ。私が『本当の愛』を語ったら、おかしいって言うの?」
「違うよ。ふふ、気を悪くしたなら謝る。ふふ……本当の愛……ふふふっ」
「まだ笑ってる。もういいわよ、お兄様なんか知らないから」
「すまんすまん、悪かった。僕が全面的に悪い、謝るよ。……なあ、ローラリア。愛に『本当』も『嘘』も、あると思うか?」
「えっ?」
「もちろん、結婚詐欺師が相手を騙そうとして語る愛は、真っ赤な嘘であり、偽物だと思うが、人が人を想う愛情――純粋な好意には、本当も嘘もないと、僕は思うね」
「…………」
「穏やかに続く愛もあれば、激しく燃え上がり、いずれは消えてしまう愛もある。そして、消えたかと思えば、再び輝きだす愛もある。それらは決して、どれかが本当で、どれかが嘘と言うことはない。どれも、『本当の愛』なんだよ。たとえ最終的には破滅を迎えた愛だとしても、一時でも誰かを愛おしく思えたという気持ちは、本物なんだから」
「それは……そうかもしれないけど……じゃあ、なんで『本当の愛』だなんて言葉があるの?」
「ただの言葉遊びさ。『本当の愛』『真実の愛』『究極の愛』……みんな、そういう聞こえの良い言葉が好きだからね。でも、さっきも言ったけど、思春期の子供ならともかく、だいの大人が、いつまでもそんな『幻想の言葉』に惑わされて、思い悩み、素敵な異性との恋や出会いを純粋に楽しめないようじゃ、どうかと僕は思うけどね」
「『幻想の言葉』に惑わされる、思春期の子供みたいな、情けない大人で悪かったですね」
「おいおい、情けないとまで言ってないよ」
「でも、馬鹿にしてる」
「まあね。馬鹿にされたくなきゃ、もう少し大人になりなよ」
「もうっ、いつまでも私を子ども扱いするんだからっ」
「そんなことないさ。お前も、近頃グッと綺麗になったし、もう大人の女だと、僕は思っているよ」
「嘘ばっかり」
「本当さ」
「じゃあ、嘘じゃないって、証明してよ」
「ん~……証明か……どうやって、証明するかな……よし」
アークハルトお兄様は、何かを思いついたような顔になると、私との距離を詰め、頬に突然口づけをした。驚きと恥じらいで、自分の顔が赤くなるのが、鏡を見なくても、よく分かった。
「これでどうだい? 子供の頬に口づけするほど、僕の女性の趣味が幼くないことは知っているだろう?」
「こ、こ、こ、こんなの、それこそ子供だましじゃないっ。こんなのじゃ、私、誤魔化されないわ」
「そうか、じゃあ今度は……」
アークハルトお兄様は、私の顎を親指と人差し指でつまみ、クイと持ち上げる。お兄様の、男性にしては美しすぎる顔が眼前に迫り、私の心臓が、早鐘を打つ。……お兄様が何をしようとしているか分かったが、私は、抵抗しなかった。
そして、私とアークハルトお兄様の唇が、触れ合う。
まるで、白昼夢のようなキスだったが、かすかに、先程まで飲んでいた紅茶の香りがして、これがまぎれもない現実であると自覚し、私は自らも、アークハルトお兄様の唇を求めた。
長い口づけの後、私たちは距離を取り、お互いに見つめ合う。
先に口を開いたのは、アークハルトお兄様だった。
「お前のこと、子供扱いしてないって、これで信じてもらえたかな?」
私は、照れ隠しのように、少しだけ怒った様子で言葉を返す。
「こんな、いきなりキスなんて……ほんと、チャラ男貴族なんだから」
「だからその『チャラ男貴族』って呼ぶの、やめてくれよ、ちょっと傷つく」
「そう呼ばれるのが嫌だったら、もうちょっと誠実な態度を見せてよね」
「うーん……そうか。じゃあ、ちゃんとした貴族らしく、片膝をついて……っと」
アークハルトお兄様は、美しい所作で私の前に片膝をつくと、私の手を取り、その甲に口づけをした。それから、真剣な瞳で私を見て、言葉を紡いでいく。
「ローラリア、僕と一緒に、『本当の愛』とやらを探してみるか? 恋愛経験豊富な僕なら、少なくとも、凡百の男よりは、お前に愛を教えられると思うけどね」
「自信過剰」
「よく言われる」
でも私は、ほとんど悩まずに、アークハルトお兄様の愛を受け入れた。
……別に、『本当の愛』を探したかったからじゃない。アークハルトお兄様ほど気安く話せる人はいないし、子供の頃から、ずっとお兄様のことが好きだったからだ。
正直言って、先程のアークハルトお兄様との話で、『本当の愛』を探すことが、急に幼稚で、無意味なことに思えてきた。だって、目の前に、こんなに素敵な人がいるんだもの。彼の私に対する気持ち、そして、私の彼に対する気持ちが、『本当の愛』かどうかなんて、そんなことを考えて、何の意味があるの?
若く、瑞々しい心が、異性への愛情を求めるがままに、恋をし、人を好きになる。……きっと、それだけで充分なのだ。よく考えたら、愛に『本当』だの『嘘』だの、格付けのようなものを求めること自体が、間違ってる。
これから、アークハルトお兄様と愛を育む中で、その愛は、大輪の花を咲かせるかもしれないし、思いもよらない形で、花は散ってしまうかもしれない。
でも、今。
私がアークハルトお兄様を想う気持ちは、本物だ。
それで充分。これ以上、何も望まない。
なんだか、ずっと心の中に立ち込めていた霧が、晴れていくような気分だった。
次回は、ブライアンの視点で物語が進んでいきます。
幻のような『本当の愛』を探すことをやめ、幸せになったローラリアとは対照的に、ブライアンは『本当の愛』を求め続け、決して満たされることのない、苦しい日々を送っているのでした。




