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坂上さんだけは知っている  作者: 平木明日香
第一章:おかしいのは俺か、世界か。
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第3話 空っぽの世界




「と、とりあえず、一回顔洗ってくる!」


テンパったときの鉄則、それは水。水に限る。

脳みそをクールダウンさせるには、冷水しかない!


俺はソファから立ち上がって、洗面所に向かおうとする。

が――その背中に、低く静かな声が飛んできた。


「……外には出ない方がいいよ」


ぴた、と足が止まった。


振り返ると、美涼先輩は立ったまま、さっきと変わらない無表情で俺を見ていた。

でも、その声だけは――妙に切実だった。


「……え? え、いや、洗面所って、外じゃなくて、アパートの中ですよ?」


「うん。でも……玄関のドアは、開けない方がいい」


……え、ちょっと待って?


「いやいやいやいや、なんで? …っていうか、なんで玄関の話になるの?」


「あ、違うの? てっきり、外に出るのかと」


「出ません! 出ませんよ! 顔洗うだけです! 歯も磨く! できれば口内炎もチェックしたい!」


……なんか、ずっとズレてる。話が噛み合わない。


「……あの、本当に、なんで“外に出るな”なんて?」


「……そういう決まりだから」


「誰の!? 誰が決めたの!?」


「わたし」


「えぇ!?」


「そんなに驚かなくても」


「いや、驚くでしょ!…冗談ですよね?」


「冗談に聞こえる?」


「…えっと、その」


そんな真顔で言われても…


“外に出るな”って、…なんだその世界ルール!?


「出るな」ってつまり、そのままの意味だよね?


……いやいやいや、どういうことだよ…



俺は頭を抱えながら洗面所に向かう。が、ドアノブに手をかけた瞬間――


「本当に……気をつけてね」


またもや背中越しの声。

今度は、まるで――“外には何かいる”みたいな、重たい響きだった。


(……え?)


一瞬、鳥肌が立つ。


……なにこの感じ。

ギャグのテンポに乗ってたはずなのに、急に世界が凍ったような……


気のせいだ。きっと、気のせい。


そう思いながらも、俺はなぜか、洗面所の窓のカーテンを開ける勇気が出なかった。



洗面所で顔を洗い、鏡を見て、歯を磨いて、うがいをした。

一連の“俺は正常である”儀式を終えて、気を取り直してリビングへ戻る。


——そこには、あいかわらず“とんでもない先輩”がいた。


坂上美涼先輩、ソファでくつろぎ中。

テレビもついてない。スマホも見てない。

ただ、肘掛けに体を預けて、ゆったりとした呼吸で、こっちを見ていた。


「……戻った?」


「戻りました」


「おかえり」


「ただいまです……」


なんなんだこの“同棲五年目のカップル感”。


「……あの、今日って、平日ですよね?」


「そうかもね」


「学校……あるんじゃないですかね、俺たち」


「かもね」


「“かも”多いな今日!!」


「だって、ほんとにそうかどうか、わたしも知らないから」


「知らない!? なんで!? 学生でしょ!? なんでそんな脱税疑惑みたいな態度!?」


先輩は軽く肩をすくめて、視線を外す。


その動きで、シャツの裾がひらりと揺れた。

当然ながら――視界に飛び込んでくる。


ボーダー柄の下着。


「あ、あの、やっぱりその……!」


「ん?」


「えっと、その、パンツ……っていうか、その、服装……!」


「部屋着だけど?」


「え、いやまあ、そうですけど!? でも、その、見えてるっていうか!」


「見てるんでしょ?」


「違……いや、それはちょっと……でも……!」


口が回らん! 心も回らん!


「じゃあ、脱いだ方が落ち着く?」


「やめてえええええええええええ!!!」


そうじゃない! そうじゃないんです!!

これは俺の倫理観の問題であって、目の保養ではあっても、心の平穏とは真逆の存在なんです!!


先輩はくすっと小さく笑っただけで、なにも言わずに再びソファに体を預けた。


その様子はやっぱり――“当たり前の日常”のように見えた。


でも、その“当たり前”に、俺だけが置いてけぼりにされてる。


「……学校、ほんとに行かなくていいのかな」


もう一度、つぶやいてみる。

でも先輩はそれに応えず、静かに天井を見上げていた。


“空っぽの世界”のように。



パンツの存在感と格闘していた俺の脳に、次なる追い打ちが来たのは――まったくの不意打ちだった。


ソファの上、肘をついた姿勢のまま、大神先輩がふっとつぶやく。


「……私たちが付き合った日のこと、覚えてる?」


「………………は?」


さすがに、変な音が口から出た。


“は”じゃ足りない。“は???”くらいのインパクトだった。


いやいやいやいや、ちょっと待て。今、なんて言った?

“付き合った”? 誰と誰が? どこの異世界の話? 番組間違えてない??


「え? つ、付き合った日って……誰と誰が?」


「私と、葛城くんだよ」


「俺だよね!? 俺との話だよね!?」


そんなバカな話が…


“付き合った”って、そんな非日常的なワードを先輩の口から聞ける日が来るとは…


っていうかッ


身に覚えもないし、そんな超常現象クラスのイベントに遭うような出来事は、これまでの人生で一度もない。


掠ったことさえない。


もう一度言うが、俺は先輩と話すのはこれで“三回目”だ。


俺が知らない間にその部分の記憶だけ別売りになってんの!?


本能的にツッコみたくなる。全力でツッコミたい。

だけど、ここで叫んだら多分――俺が負けだ。


「……あの、美涼先輩」


「なに?」


「……これって、“夢”ですか?」


俺はなるべく冷静な声を作って聞いてみた。

口の中が乾く。心臓がドクンドクンうるさい。


すると先輩は、少しだけ目を伏せて――静かに笑った。


「うん、そう思っておいたほうが楽かもね」


「…………それ、つまり“夢じゃない”ってことじゃ……?」


「さあ」


あくまで“曖昧”。核心は語らない。


だけど、言葉の隙間から滲み出る、“何かを知っている感”。


この人は、俺がどこにいて、何を見てるのかを知ってる。


でも、教える気はない。


その優しさなのか、意地悪なのかも、わからない。


「……あのさ、先輩。俺、本当に記憶があやふやで。昨日、何してたのかも、思い出せないんだよ」


「うん。そういうものだから」


「“そういうもの”って……」


「ここでは、みんなそうだった」


“ここでは”。


まただ。その言い回し。


まるで、この部屋、この空間が――“普通の世界”じゃないって、暗に認めているみたいな。


「……ねえ、先輩。本当に俺たち、付き合ってたの?」


「記憶がないなら、初めての気持ちにしておけばいいじゃない」


そう言って、彼女はまた、俺の知らない笑い方をした。


“あたたかいけど、どこか遠くを見てる笑顔”。


その顔を見て、俺はますます――この“現実”が怖くなっていった。


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