殻の割れる音
白い湯気の向こうに、現実感のない皿が並んでいた。
ステーキは黒光りする鎧みたいに皿の中央に鎮座し、パイは黄金色の丘のように膨らみ、赤い殻のロブスターは祝祭の王だ。カニの脚は関節を曲げたまま、命令を待つ兵士の列みたいに整列している。
「最後の晩餐ってやつか」
誰かが言ったが、誰も笑わなかった。
ナイフを持つ手が震えていた。寒さじゃない。骨の奥で、名前のない感情がかすかに鳴っている。
隣の若い兵士がロブスターの脚を折った。ぱきり、と乾いた音。妙に大きく響いた。
「これ、うまいっすよ」
彼はそう言って笑った。少年みたいな笑い方だった。
俺はうなずき、ステーキを切った。刃が沈み、赤い肉汁がにじむ。血の色に似ている、と思ってから、違う違うと頭の中で打ち消した。
彼は殻から白い身を引き抜き、しばらく見つめていた。
「ねえ」
声を落として言う。
「もしさ。俺が明日死んだら」
冗談みたいな言い方だった。だから余計に、冗談じゃなかった。
「この味って、どうなると思います?」
俺は少し考えた。正しい答えなんてない質問だと分かっていた。
「消えるんじゃないか。持っていけないだろ」
「そっか」
彼は素直にうなずいた。それからロブスターを口に入れ、ゆっくり噛んだ。味を覚え込むみたいに。
「じゃあ頼みがあるんすけど」
「何だ」
「もし俺が戻らなかったら、今日のこと思い出してください。この音とか」
そう言って、もう一本の脚を折る。
ぱきり。
「俺がこれ食って、うまいって言ったこと」
皿の上の湯気が、ふっと揺れた。
「分かった」
俺は言った。
それは約束というより、決まってしまった未来だった。
彼は安心した顔で笑った。「よかった。じゃあ半分くらいは残れるな」
そこで彼は、ふと思い出したみたいにポケットを探った。小さな紙切れを取り出す。手のひらで一度伸ばしてから、ペンで何かを書き始めた。文字は驚くほど丁寧だった。戦場にいる人間の字には見えなかった。
「これ」
書き終えた紙を俺の前に置く。名前と電話番号が並んでいる。
「もし俺が死んだら、ここに連絡してもらえませんか」
俺は紙を見たまま、顔を上げた。
「母さんです」
彼は少し照れたように言った。
「最後にご馳走食べて、すげえ喜んでたって伝えてください。俺んち、貧しくて。兵役行けば学費出る制度あったから、それで大学行けたんす。だから母さん、ずっと心配してて」
言葉は軽かった。けれど軽く言うために、何度も練習した声音だった。
「心配すんなって言って出てきたんですけどね」
彼は笑った。
それから、ほんの少しだけ声を落とした。
「たぶん、俺が帰らなかったら、ずっと待っちゃうと思うんで」
俺は紙を受け取った。折りたたみ、胸ポケットに入れた。そこがいちばん安全な場所だと分かっていた。
「分かった」
また同じ言葉を言った。
今度は約束だった。
遠くで発電機が低く唸っている。風がテントを撫で、布がかすかに鳴った。世界は何事もない夜のふりをしていた。
食事が終わるころ、皿の上には殻と骨だけが残った。さっきまでの豪華さは、もう形を失っていた。
翌朝。
彼の席は空いていた。
誰も何も言わなかった。
そこには皿も椅子もあるのに、ただ“いない”という事実だけが置かれていた。
俺は配給の缶コーヒーを飲み、味を確かめた。苦かった。塩気はない。
それでも耳の奥では、まだあの音が鳴っている。
ぱきり。
ロブスターの殻が割れる音。
胸ポケットの中の紙の感触。
海を見たことのない兵士の笑い声。
そして、確かにそこにいたはずの誰かの分まで、生きてしまっている自分の呼吸。




