知りたがりギャルとぼっち秀才
「あんさ」
「何ですか?」
「もう一杯飲んでいい?」
「飲んでいいですよ」
「ほんとに?」
「ドリンクバーに遠慮は無用です」
「容赦ないね」
「次で15杯目にさしかかろうという鬼畜ドリンカーが何を」
「キッチンドリンカー?」
「早く行きなさい」
「あい。あ、芽衣は?」
「いりません」
「ケチだねぇ」
「……何が?」
私の疑問をスルーして愛理は空のグラスをもって15杯目のりんごジュースを注いで戻ってきた。別々の高校なのにたまたま出会った私達は今日も今日とてサイベリアに入り浸っている。ちなみに1杯目からずっとりんごジュース。こんなにもドリンクバーを持て余す人間も珍しい。
「ところでさ」
「はい」
「芽衣って頭いいじゃん」
「はい」
「うわ、ゼロ謙虚」
「謙虚は時にただの嫌味にしかなりませんから」
「清々しいねぇ。気に入った!」
「ありがとうございます。で、なんですか?」
「あ、そだそだ。あのさ、あれ教えてよ、あれ」
「あれとは?」
「あれあれ。えーっとあれじゃん。ビーフン責任みたいな」
「ビーフンにどんな責任を背負わせるんですか」
「軽やかな口当たり?」
「それは義務ですね」
「義務あるんだビーフンって」
「もしかして微分積分の事ですか?」
「あ、それそれ! ビーブンセキブン。それ教えてよ。なんか言葉は聞くけどなんなんそれって思ってたんだよね」
また始まった。こうやって愛理は知りたがるのだ。
知的好奇心、知的欲求を持つという事はそこはかとなく素晴らしい事だ。だが彼女の中に私のこれまでの説明がどれだけ蓄積され、消えずに保存されているかは分からないしおそらく考えない方がいい。
「微分積分ねぇ……」
さぁどうしたものか。とはいえ知りたがっている人間にはちゃんと教えたくなるのが私の性分。それに数少ない友人を無下にするつもりもない。私はいつも通り生徒に教えるように説明を試みる。
「まず微分積分って一つの単語と思っているかもしれませんが、正確には微分と積分です」
「え、別居状態って事?」
「付き合ってすらないですよ。友達かどうかすら怪しいです」
「そんな……」
「どうしてそんなに悲しめるんですかね」
早速話題が逸れつつあるがこれもいつもの事。
「なので分けて説明が必要です。という事でまずは微分から」
「微分」
「微分というのは、ある関数の瞬間の変化率を求める方法の事です」
「日本語でお願いします」
「日本語でお伝えしています」
「そんな馬鹿な」
「私のセリフですよ」
「あたしが理解できないの分かっててわざと難しい説明してない?」
「ぎっ、そんな事ないです」
「何よ今のぎ。ぎくっのぎじゃん絶対」
「ぎっ、違いますよ」
「ほぼ確じゃん。ってかぎくって口に出すタイプなの可愛い」
「ぶっ殺しますよ」
「こんな唐突に人生って終わるのマジ儚い」
ダメだ。脱線どころの騒ぎではない。こいつは本当に微分積分を知りたいのかと疑わしくなってくるが私はめげない。
「とりあえずあなたを殺すのは微分積分の説明の後にするとして」
「一生分かんないフリしてやろうかしら」
「ぶち殺しますよ」
「詰んだんだが」
「とにかく微分ですね。さっきの説明を少し言い方を変えると、微分とはある瞬間の変化の速さを調べる方法とも呼べます」
「ある瞬間の変化の速さ? なんか、絶妙に分かりそうで分からない言い回しだね」
「確かに。なのでいくつか例を出します」
「ちょ、何で急に霊召喚すんのよふざけんなよ!」
「おちおち例えもさせてくれんのかこのギャルは」
「あ、例えの方ね。ごめんごめん」
「例えば速度。時速100kmって表現がありますよね」
「ダメだよそんな飛ばしちゃ」
「高速の場合はむしろ適性ですよ。例えば速さを知りたいのに夜の10時に100km走っていた、なんてだけ言われてもどれぐらいの速度で走ってたのかは分からないですよね」
「なんかイヤな事でもあったかそいつが走り屋かもって事ぐらいしか分からんね」
「でも、1時間で100km進んだって聞けば?」
「時速100km?」
「って答えられますよね。1時間で80km進んだか100km進んだか。どれぐらい変化していってるかっていう変化の度合を調べる方法が微分っていうものなんです」
「あ、それって今日の体重が50kgで、明日になったら100kgになってたけどなぜって知りたいのも微分って事?」
「明日力士になれって言われたのかぐらいの爆増レベルですけど、まあそんな所です」
「へぇ。じゃあ結構日常的なんだビーフンって」
「毎日ビーフンは勘弁ですけど」
「ふーん、ちょっとだけ分かったかも。いや気がするだけなのかも。いや分かんないかも」
「まさに微分が必要な気持ちの変化率ですね」
「めっちゃ微分っしょ?」
「ほんとムカつきますねそのドヤ顔」
「ほんと口が悪いね秀才クソ眼鏡」
そしてしばしの睨み合い。
「もう一杯りんごジュース飲んでいい?」
「さすがに店に怒られろ」
「いくらでも怒るがよいわ」
離席してまもなくなみなみと注いだりんごジュースと共に着席。
「で、次は節分だっけ?」
「豆をまくにはまだ暑すぎますね」
「ってか思うけど鬼に豆は弱すぎじゃね?」
「それは本当にそうなんですけど」
「でもって鬼は金棒だぜ? 馬鹿なの昔の人」
「その話はまた別にしましょう。節分じゃなくて積分ね」
「積分ね」
「その前に」
「何?」
「私も飲み物」
「いってら」
メロンソーダを注ぎ席に戻るやいなやぐびぐび喉を鳴らす。
「ぷはっ」
「華金サラリーマンか」
「そういうのは知ってるんですね」
「ってかメロンソーダばっかで飽きない?」
「マジでどの口が言ってんですか」
「これだ」
「あー憎たらしい口。では再開。積分は微分に比べると直感的で分かりやすいと思います」
「へーそうなんだ」
「微分とは逆の考え方になるんですが、積分とは小さな変化を足し合わせて全体を求める方法の事を言います」
「……どこが逆なの?」
「まあそうなると思ってたんで逆のくだりは忘れて下さい」
「小さな違和感を足したものの合計……浮気?」
「まさかなんですけどそういう事です」
「うわ積分マスターじゃんあたし」
「積分なめるな」
「なめ方は知らんけど」
「でもそういう事。もっとシンプルなので言うと歩数と消費カロリーとか。一歩のエネルギーを積み重ねると一日の消費カロリーが割り出せるといった感じです」
「誰がデブだこら」
「何も言ってませんよ」
「あ、このプリンティラミス食べたい」
「このデブギャルが」
「誰がデブだこら!」
と言っている間に愛理の注文は済んでいる。正直これぐらいのデザートではびくともしない抜群のプロポーションが羨ましいとは絶対に口には出さないが。
「積分は簡単でしょ?」
「うん。チリツモヤマナルって事ね」
「努力は裏切りませんからね」
そしてしばらくして注文したプリンティラミスがやってくる。目の前にするとなかなかなボリュームだ。お互いメインのパスタは食べ終え、愛理に関してはたらふくりんごジュースを飲んでいる。よくこんなに食べられるものだと思う。
「プリティラうっま」
満足そうな顔でプリティラを嗜む愛理。その顔を見てほっこりする気持ちと、微分積分の事なんて綺麗さっぱり吹き飛んでるんじゃないかという心配が心の中に立ち込める。
それでもいい。ここで愛理と過ごした時間は確かにあるのだから。
「はい、残りは芽衣の分」
そう言って半分ずつになったプリンとティラミスの皿をこちらに向ける。
「欲しいとは言ってないです」
「欲しそうな目はしてたです」
ぷっと思わず笑いが漏れる。何も考えてないようで私の事を見てくれている事が素直に嬉しい。口には決して出さないが。
「ありがとうございます」
私達の関係性を微分積分で表す言葉を紡ぎかけていたが、甘みが脳と身体に浸透していくと安っぽい言葉達は溶けて消えていった。
「あたしの方こそありがとね。よく分かったよ、ビビンバ石鹸」
「時間返せこのバカギャル」
※作者はごりごりの文系の為、微分積分の理解を大いに間違えている可能性が高いですがご容赦ください