白山を後にして
山を登頂した後の帰り道は、案外と退屈だったりします。登ろうという高揚感がなくなり、結果が決まった消化試合のようにテクテクと足を運ぶだけだからです。ところが、今回の白山登山では、この帰り道を楽しむことが出来ました。何故なら、登りはナイトハイクだったので、全く景色を見ていません。山頂周辺は、僕がこれまでに見たことが無かった世界が広がっていたからです。
白山山頂は、標高2,702mの御前峰を筆頭にして、標高2,677mの剣ヶ峰、標高2,684mの大汝峰の三峰で構成されている活火山になります。最後の噴火は西暦1659年だそうで、現在は休眠しています。周辺には大小六つほどの池があり、それらの池を巡る登山道がありました。山頂で日の出を拝む登山客は思いのほか沢山いましたが、ほとんどの方はそのまま引き返して下山されます。でも、折角ここまで登ってきたのなら、色々と見て回りたい。僕は、お池巡りをすることにしました。
山頂付近は高山植物が生えておらず、ゴツゴツとした岩が剥き出しになっています。足元はザレ場といって、小石が敷き詰められたようになっていました。山頂までの登山道は登山客の為に整備されていましたが、ここから先は自然そのまま。斜面はとても滑りやすくなっていました。歩くのに注意が必要です。
斜面をジグザグに歩きながら100mほど高度を下げると、最初の池に到着しました。ただ、池なんですが、半月が合わさったように丁度半分に分かれています。片一方は青い水を湛えていますが、もう片一方は雪が固まってそのまま残っていたのです。興味が湧いたので、近づいてみました。固まった雪の表面は均一ではなく、緩やかに凸凹としています。盛り上がった縁が黒く汚れており、鉛筆で書いた線のようになっていました。その様子は、白いキャンパスに描かれたハニカム構造の蜂の巣みたいです。元の登山道に戻ろうと踵を返したとき、雪の塊の下に空洞があることを発見しました。腰を屈めて、覗いてみます。
――あっ!
雪の塊を天井にして、底に小さな泉が出来ていました。規模は小さいですが、まるで地下の洞窟のようです。天井の一部が丸く穴が開いていて、暗い湖面に太陽の白い光が差し込んでいました。面白いので写真をパチリ。その後も、色々な池を見学し、夏でも残っている雪渓を見上げて、周辺の高山植物を見学しました。高原を敷き詰めた緑の絨毯に、赤色、白色、黄色、青色といった小さな花がそこかしこで咲いていて、とても可愛いらしい。原色の世界でした。
お池巡りも中盤に差し掛かったころ、天候が変わり始めました。日の出の時は晴れていた白山山頂が霧で覆われていくのです。とうとう周りが見えなくなりました。とても明るいのに、何も見えません。白い霧の中、足元の登山道を確認しつつ歩みを進めました。異世界に迷い込んだような、いや死後の世界を彷徨っている様な不思議な感覚でした。古代の人は、このような情景から死後の世界をイメージしたのかもしれません。
お池巡りが終わり、山小屋がある室堂に到着します。先ほどまで一人っきりだったのに、ここには沢山の人がいました。というか、これ以降の下山は数えきれないほどの登山客とすれ違うことになります。細い登山道では道を譲りつつ、「こんにちは」とあいさつをするのですが、人が途切れない。次から次へと登山客が登ってきます。ナイトハイクでは誰もいなかったのに、日中はこんなにも多くの方が白山頂上を目指していることに驚きました。別当出合の登山口駐車場まで帰ってきました。相棒のスーパーカブに出会うと、ホッとします。
――ひとりにしてゴメンよ。
相棒の隣には、ハンターカブが停まっていました。スーパーカブを更に進化させたカブのお仲間。僕と同じようにカブに跨って登山するなんて親近感が湧きます。でもそれ以上の猛者がいました。自転車です。僕も昔は自転車小僧でしたが、この山奥に自転車でやってきて更に登山まで……これは敵いません。凄い奴がいたもんです。
相棒に跨り、これからテントを張ったままの市ノ瀬野営場に戻るのですが、その道すがら大量の縦列駐車に驚きました。登山口駐車場が満車なので車が停められないのです。正確ではありませんが、登山口から2km近くは伸びていたと思います。更には、市ノ瀬ビジターセンターから歩いてきたと思われる登山客が何人もいました。市ノ瀬野営場で出会った方に話を聞くと、登山客がこれほどまでに多いのは過去になかったそうです。対応が後手後手になってしまい、ビジターセンターの人は大変そうでした。
テントを手早くパッキングして、野営場を後にします。実は少し心残りがありました。市ノ瀬ビジターセンターの向かいには白山温泉があるのですが、昨晩はなぜか休館日。長旅の疲れを温泉で癒したかったのですが、温泉に入ることが出来ませんでした。下山した時に営業しているのを確認したのですが、酷使した足は温めるよりもアイシングの方が重要です。今から温泉に入るのは抵抗がありました。
雄大な山々に囲まれた大自然の中、白山公園線の横には雪解け水を含んだ手取川が流れています。空気が爽やかでした。後ろを振り返ると、白山の山頂は厚い雲で覆われています。日の出のタイミングで晴れてくれたなんて、本当にラッキーでした。
アクセルを回します。非力なスーパーカブですが、グイグイと走ります。疾走しながら、今後の予定を思い浮かべました。今晩の野営地は、越前海岸にある鮎川園地キャンプ場の予定です。ただ、昨日の様子から考えるに今日も大混雑でしょう。市ノ瀬野営場が素晴らしいキャンプ場だっただけに、人が多いキャンプ場は出来れば避けたいという思いが沸き上がりました。野宿でも構わないのですが、それよりも汗を流したい。今晩の温泉は、国民宿舎「鷹巣荘」で、日帰り温泉を楽しむつもりです。これは揺るぎません。汗を流した後は、ビールが飲みたい。ビールを飲むのなら、
――肉が喰いたい!
本能でそう思いました。登山疲れの影響も相まって、無性に肉が喰いたい。途中、福井市内のスーパーに立ち寄り物色しました。豚や鶏は安いですが、牛はやはり高い。ふと視線をズラスと「白ホルモン味付」という商品を見かけました。大量に並んでいます。価格も案外と安い。大阪では見かけない商品です。福井県の郷土料理かもしれません。個人的にホルモンは大好き。味付なので焼き肉のたれを用意する必要も無さそうです。これに決めました。ビールも購入して、氷でギンギン冷やして、レッツゴー!
福井市内を東から西へと横断して、越前海岸までやってきました。海岸が見たくて三里浜に立ち寄ります。周辺には民家が無く、防風林があるだけ。海岸には誰もいません。ザザ~ン、ザザ~ンと押し寄せる波。柔らかな砂浜。だだっ広い大海原。
――ここで野宿をしようかな?
絶好のロケーションでした。管理された海水浴場ではないので、人がいません。本気でそう思いました。僕にとっては理想の環境です。食材はあります。飲料水も用意できています。ただ、その前に温泉に入る必要がありました。国民宿舎「鷹巣荘」は、すぐ近所です。スーパーカブを飛ばしました。
温泉はとても気持ちが良かった。露天風呂もあり、大海原を眺めながら時間を掛けて湯につかります。疲れが癒えました。ただそれ以上に気持ちが良かったのが、入浴後に体験した足裏マッサージマシンです。料金はたったの100円。登山の疲れが、本当に癒えました。国民宿舎「鷹巣荘」を出た後、念のために鮎川園地キャンプ場に電話をしてみます。
「あのー、宿泊を考えているのですが、泊まれそうですか?」
「ええ、今日は空いていますよ。夜の7時まで受付をしています」
「そうですか。ありがとうございます」
電話を切りました。キャンプ場は空いているそうです。先ほど立ち寄った三里浜に心が傾いていたのですが、その場合は野宿になります。ただ、白山の市ノ瀬野営場で宿泊をしたとき、使用料800円を支払ったことによる安心感を得ることが出来ました。高額なキャンプ場が多い中、鮎川園地キャンプ場も800円でとても安い。
――どちらにしようかな?
思案しつつスーパーカブを走らせました。国道と交わる交差点で一時停止した後、右に曲がりました。この先に鮎川園地キャンプ場があります。ロケーションよりも、安心感を取りました。