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日の出と女神

 広い広い弥陀ヶ原を渡り切ると、また登り坂がはじまりました。平地の歩行が楽だっただけに、登り坂を見上げて少し立ち止まってしまいます。


 ――フー。


 大きく息を吐きました。登山開始からここまで、かなり順調に登ってきました。予定よりも30分以上は早い。今回の登山の為に練習を重ねてきた成果なのですが、このままのペースだと頂上にかなり早くに到着してしまいます。日の出を見るタイミングを計って、少しペースを落とした方が良いかも……。でもそうは思いつつも、登り始めると黙々と足を動かしてしまいました。


 100mほど高度を上げると、室堂という大きな山小屋に到着します。山小屋の周辺で、思ったよりも多くの方がウロウロと歩き回っていました。僕と同じように、山頂で日の出を見るつもりなんでしょう。時間に余裕があるので、僕も休憩することにしました。トイレをお借りします。使用後は、寄付として100円をポストに入れました。


 山小屋の隅っこにある段差に腰かけて、目を瞑ります。少し体を休めて……と思ったのですが、これが休めない。なぜなら、寒かったからです。登っている間は、この寒さが分かりませんでした。この時の僕の服装は、長袖のシャツ一枚だけ。登山は終わっていないので上着はまだいりません。ただ、手先がとても冷たい。あまりの寒さに指が強張っています。リュックから軍手を取り出して装着しました。あんまり寒いので、じっとしていられない。休憩を切り上げて腰を上げました。この時の時刻は3時50分ごろ。日の出は5時10分。出発にはかなり早すぎますが、歩き出しました。


 室堂の北側に、白山比咩神社はくさんひめじんじゃがありました。その背後に標高2,702mの御前峰がそびえているのですが、この山頂に奥宮があります。つまり、御前峰そのものが神社なのです。ネットによればこの奥宮の創建は西暦718年となっていました。これは泰澄たいちょうがこの白山で修験道を開いた翌年になります。この頃から、修験道の影響から霊峰白山の登山が本格化していったようです。


 ところで、今回の旅で理解したことがありました。山岳信仰といっても一様ではなく、大きく二つの信仰パターンがあったのです。一つは山そのものを遠くから崇める信仰で、遥拝ようはいと言います。もう一つは、山を登る修行によって宗教的な境地を獲得しようとする修験道で、これを登拝とはいと言いました。白山における修験道の始まりは西暦717年からになります。対して、遥拝信仰はこれ以前からありました。僕の考えでは、縄文時代にまで遡るだろうと考えています。


 以前に縄文的な思想について、ご紹介したことがあります。縄文人は海洋民族として、沖縄から北海道まで広く交易を行っていました。その証拠として、沖縄の貝、長野の黒曜石、糸魚川の翡翠が貴重な交易品として日本各地で見つかっています。この縄文にルーツを持つ古い民話が、日本の沿岸に残されていました。物語の構成はパタ―ン化されていて、おおよそ次のような内容になっています。


 ――海洋民である男神が、愛しい女神に会いたいために山を登りました。ところが、男神は女神に追い返されてしまいます。なぜなら、山の上は死後の世界で、女神は既に死んでいたからです。生きている男神の入山を、女神は拒んだのでした。


 僕は、この古い民話が山岳信仰のルーツだと考えています。白山比咩神社にしても、「比咩ひめ=姫」の言葉が残されていることがとても面白い。女性が子供を生むという現象を、古代の人々は神秘的な事柄と捉えていました。同じように、川や森や獣を生み出す山も神秘的な場所だと考えていたようです。山は死して赴く場所であり、同時に新たに生命が誕生する場所でもあったのです。このような認識から、古代において山の神は女神だと信じられていました。


 実はこの古い民話に似たようなモチーフが、古事記にも記されています。亡くなったイザナミに会いたいがために、イザナギが黄泉の国に赴きました。ところが、醜い姿になってしまったイザナミを見て、イザナギはその場から逃げ出してしまうのです。


 縄文的な古い民話と比べると、愛しい妻に会いに行くまでは同じ構図になります。違うのは、黄泉の国が山の上ではなく地下にあることと、それから拒むのが女神ではなく男神だということです。なぜこのような違いが生まれたのでしょうか?


 女性を穢れたものと考える概念の源流は、インドやネパールにまで遡ると考えます。専門ではないので予測になりますが、これはバラモン的な思想が背景になっているのでしょう。女性の月の物を特に嫌い、血を穢れと見なしたのです。ではこの穢れの概念は、どのようにして日本にまでやってきたのでしょうか?


 日本では、米のことを「ウルチ」と言いますが、これはサンスクリット語で米のことを指します。水田稲作や麹といった文化はインドが源流で、これが中国大陸の揚子江流域を経て日本にまで伝えられたようです。この流れに沿って、女性の穢れの概念も日本にやってきたのではないでしょうか。また、この揚子江流域の民族が、ヤマト王権の系譜だと考えています。


 因みに、米の文化は初めは弥生時代に列島に伝わりました。最近のDNA研究だと、弥生人は黄河流域の北朝の人々だったようです。対して、古墳時代は揚子江流域の南朝の人々によっても米の文化がもたらされたみたいです。つまり、水田稲作という文化は大きく二度に分けて日本に伝えられたと考えています。


 古墳時代の特徴は、水田稲作と一緒にインド由来の麹文化や稲作に関する祭祀が制度化されていました。また象徴的な前方後円墳から出土される三角縁神獣鏡は道教の世界観がモチーフになっており、埴輪等は死後の世界観を表していました。詳しい説明は省きますが、前方後円墳とは現代で言うところの仮想現実みたいなもので、大王のために死後の世界を用意したようです。


 時代を追ってまとめると、山岳信仰をベースとする縄文時代的な世界観が弥生時代まで続いていました。当時は、山の上には女神が住んでいると考えられていたのです。ここに揚子江流域の人々が日本列島にやってきました。ヤマト王権の始祖は、思想的にはインドや道教の影響を受けています。女性は穢れたものだと認識していました。この穢れの概念は、日本古来の女神信仰を曲げてしまうほどに影響力があったのではないでしょうか。先ほどの古い民話と古事記の違いは、このような時代背景が影響していたと考えます。話が脱線しすぎました。閑話休題。


 白山比咩神社から伸びる登山道に足を掛けました。ここからまた急な登り坂になります。石でできた階段を一段一段登っていくのですが、静寂の闇の夜中、突然に和太鼓の音が鳴り響きました。


 ――ドンドン、ドンドン、ドンドン……。


 急に何事かと思いました。太鼓の音は足下にある神社から鳴っています。スマホを取り出して時刻を確認すると、4時ピッタシでした。変わった風習だな~と思いつつ、再び登り始めます。タイミング的には、日の出の1時間ほど前でした。この太鼓で目覚めてから登り始めれば、白山頂上で日の出を拝むことが出来ます。多分、その為の太鼓なんだろうな~と推測しました。


 暫くすると、下の方から登山客を追い越しながら白い衣装の男の人が登ってきました。僕も決して遅い足ではないのですが、その男の人に張り合うほどには元気はありません。道を譲ります。その男の人は、神社の神官でした。


 やっと頂上に到着しました。周辺は高山植物が生えていません。大きな岩がゴツゴツと張り出していて、手を使って登らないと越せない箇所もありました。その一角に、白山比咩神社の奥宮が鎮座しています。その横に先程の足の早い神官が立っていました。


「おはようございます」


「おはようございます」


「登るのが早いですね。毎朝、登っているんですか?」


「いえいえ、今朝のように、天気が良い日は登ります。雨の日は登りません」


「雲がなくなりましたね」


「ええ、良い朝になりました。5時10分頃に日の出を拝むことが出来ますよ」


「嬉しいです。とても楽しみです」


 神官と挨拶を交わした後、岩の上に立ちました。時刻は4時35分。天上は深い藍色ですが、東の地平線の彼方がオレンジ色に光っていました。北の方角は、日本海を見下ろすことが出来ます。南の方角と福井市がある西の方角は雲海で見えまえん。その雲海がはるかに下方で漂っているのです。山頂からの眺めは、まるで宇宙から地球を見下ろしているようでした。あまりに壮大な光景に声が出ません。息を飲みました。


 リュックから上着を取り出します。岩と岩の間にある窪地に腰を下ろしました。かなり寒い。日の出までまだ30分もあります。ブルブルと震えながら、日の出を待ちました。長い長い30分間でした。


 ――5時10分。


 地平線を染めるオレンジ色の帯の中央が、一際明るくなりました。太陽が昇り始めます。大地を照らし始める太陽を見て、僕は泣きました。手で口を抑えてむせび泣きました。登山で泣いたのは、これが初めてでした。

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