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ナイトハイク

 目が覚めました。目の前は真っ暗。昨日のお酒が少し残っています。いま白山の山の中にいることを思い出しました。手を伸ばしてスマホを探します。時刻は23時07分。目覚ましを掛けていないのに、丁度良い時間に起きることが出来ました。上体を起こしてテントのジッパーを開けます。外の空気が涼しい。靴を履き外に出ました。


 暗い野営場の中、両手を振り上げて大きく伸びをしました。空を見ると、星が見えません。どうやら曇っているようです。山頂で日の出を見れるのか心配になりました。この野営場で目を覚ましているのは僕だけ。音をたてないように注意しながら、トイレで用を済ませ、顔を洗いました。


 テントに戻ると、朝食の用意を始めます。いつものマルタイラーメン。ガスバーナーで湯を沸かします。僕が使っているガスバーナーは34年も使い続けてきた骨董品ですが、まだまだ現役。かなり愛着があります。マルタイラーメンは棒ラーメンなので、そのままではコッヘルに入りません。なので、半分に折ります。


 ――ボキ!


 折角の長い麺が半分になりますが、食べれば一緒です。ただ、ラーメンは出来上がりましたが、正直なところ食欲がありません。ありませんが、登山でかなりのエネルギーを消費するので、食べないと登れません。以前、北アルプスの白馬岳では、いつもの朝ラーメンを食べなかった所為でエネルギー切れを起こしました。無理矢理に食べます。塩分補給の為に、汁まで全て平らげました。


 さて、出発ですが、テントを含めた荷物はそのまま置いていきます。登山に必要な、水、携行食、雨具、着替え、タオル、ストック、ヘッドライト等をリュックに入れて背負いました。隣に停めている相棒に跨り、キックレバーを踏みます。


 ――ブロロ~ン!


 エンジンの調子が良い。一発で掛かりました。騒がしいので、ギアを入れて直ぐに走り出し、野営場を後にしました。市ノ瀬野営場から別当出合登山口まで、6kmほどの道のりになります。真っ暗な山の中なので、ゆっくりと安全運転で走りました。


 別当出合に到着しました。ここには登山客のための広い駐車場があるのですが、既に満車でした。白山の中腹には、室堂と南竜山荘という大きな山小屋があります。ほとんどの方は昨日にうちに登山して、それらの山小屋で就寝しているはずです。中には、テント泊の方もいるでしょう。ただ、僕のようなナイトハイクは少ない。僕と同じタイミングで、車が一台やってきました。ただ、駐車場所がなくてウロウロしています。


 スーパーカブは小さいので駐車場の隅っこに停めました。折りたたみのストックを伸ばします。帽子をかぶりヘッドライトを頭にセットしました。虫よけスプレーを、体中に振りかけます。タオルを首に巻きました。時刻を確認します。0時13分。ほぼ予定通り。


 白山頭頂のルートを解説します。標高1,200m付近にある別当出合からスタートして、白山の最高峰である標高2,702mの御前峰の登頂を目指します。距離は5.7km。高度差は1,500m。予定では、登頂に5時間近くは掛かるだろうと予想しています。歩き出したらずっと登りっぱなし。40代の頃に毎年フルマラソンに参加していたのですが、その頃の最高タイムは4時間1分。平均は4時間半くらいでした。単純に比較は出来ませんが、フルマラソンに挑戦するくらいの意気込みで、登山を開始しました。


 別当出合を後にすると、直ぐに吊り橋が現れました。立派な吊り橋で、高さもかなりあるようです。ストックを突きながら歩き始めると、左手から水が岩を叩きつけるような轟音が聞こえてきました。たぶん滝でしょう。でも、真っ暗で何も見えません。吊り橋の上から川底を見ようとしました。ヘッドライトの光が届きません。真っ黒。かなりの高さがあると思います。慎重に歩みを進めました。


 吊り橋を渡り切りました。これから歩む山道は、砂防新道と呼ばれていて別当谷と甚之助谷に挟まれた尾根を登っていきます。左右から清流の爆音が聞こえてきました。せせらぎではなくて爆音です。この感覚は、三重県の大杉谷から大台ケ原に登ったときの様子と一緒でした。あの登山道は至る所に滝が存在していていたので、渓谷の中は爆音で満ちていました。何も見えませんけど、同じ感覚です。


 ナイトハイクにおいて、最大の頼りはヘッドライトになります。前方に照らされた光を頼りにして歩みを進めました。階段を登りながら、白山の登山道がかなり整備されていることに気が付きます。奈良や三重の登山道も整備はされていましたが、それも過去のことで、延々と雨に晒されたせいで土が流れ階段が崩れていました。定期的な管理は感じられません。


 ところがここ白山は、登山道に石が敷き詰められていてとても歩きやすい。そりゃ、場所によっては歩き難いところはありますが、総じて人間の手で丁寧に管理されています。歩きながら霊峰白山は、金沢県の観光資源として大切にされていることを感じました。


 砂防新道は、深い森になります。階段を登りながら、汗が尽きることなく流れました。汗だけでなく、体中からサウナのように汗が蒸気になって立ち上るのです。ヘッドライトに照らされて、僕の汗が白い煙のように見えました。それだけなら良いんですけど、その蒸発した汗が、僕のメガネを曇らすのです。メガネが曇れば前が見えません。首にタオルを巻いているんですが、両端の片方は汗拭き用に、もう一方はメガネ拭きようにして、何度も足を止めてメガネの曇りを拭いました。その作業が、とても面倒。


 2時間ほど登り続けて甚之助避難小屋に到着しました。想像よりも大きな小屋です。奈良の山にある避難小屋とちがって、立派な施設でした。トイレも常備されています。この避難小屋で宿泊している方がいました。これから登山を開始するのか、準備をしています。この場所でゆっくり休憩を取ろうと考えていたのですが、他人がいるとなんだか居心地が悪い。水分の補給と携行食を食べるなり、すぐに出発しました。


 登山道は変化に飛んでいました。甚之助避難小屋周辺までは尾根を登ってきました。鬱蒼と生い茂る森の中で、時々木の枝に頭をぶつけます。ところが小屋を越えた辺りで、森がなくなりました。標高は2,000mを超えています。森林限界でした。僕の身体にも変化が現れます。これ以降、汗をかかなくなりました。気温がかなり下がっているのです。


 登山道は尾根を外れて、山の斜面をトラバースする危険な道に変わりました。左手は崖です。落ちたら大変。更には、登山道の一部が崩落している箇所もありました。ヘッドライトの光を頼りにして、慎重に歩みを進めます。


 更に歩くと、登山道が水で濡れていました。山の斜面から水が湧き出ています。足を滑らせては行けないので、ここも慎重に歩みを進めます。ところが、登山道がずっと濡れているのです。というか、濡れているレベルではありません。流れていました。登山道そのものが川になっていました。昨日の嵐で、一時的に登山道が川になっているのか分かりませんが、ずっと川なのです。登山靴は防水なので足が濡れる心配はありませんが、足が滑りやすいのは困りました。


 登山開始からこれまで、水分の補給は定期的に行っていますが、休憩らしい休憩は取っていません。息を切らさないようにペース配分に注意しながら、一歩一歩、歩みを進めてきました。まるでマラソンのようです。とても集中していました。情報では、甚之助小屋から黒ボコ岩まで急登が続きます。階段を登りながら、大台ケ原で出会った登山家の言葉が蘇ります。


「急登は足を置くだけで良い。急がなくても……」


 呪文を唱えるようにして「足を置くだけ、足を置くだけ」と呟きました。真っ暗な中、繰り返し繰り返し足を運びます。まるで機械のように同じことを繰り返しました。


 登山開始から3時間が経った頃、黒ボコ岩に到着しました。大きな岩が見えますが、暗くてよく分かりません。ここから先は弥陀ヶ原という広大な高原が広がっていました。木は生えていません。草原だと思うのですが、もしかすると湿地帯かもしれません。月明かりだけでは判断のしようがないのです。ただ、印象的だったのが草原の中央に木製の橋がずっと先の方まで真っ直ぐに伸びていました。正面には白山の頂きがあります。見上げると雲はなく、数え切れないほどの星が瞬いていました。


 ――おー。


 感嘆の声を漏らしてしまいました。陳腐ですが、幻想的な景色でした。だだっ広い草原を分かつ木製の橋を、ひとりで渡りました。正面の山の中腹には山小屋の室堂があります。その辺りからチラチラと光が見えました。この時点で標高は2,300mを越えたくらい。まだ残り400mも高度を上げないといけません。それでも、頭頂まで後一息です。そう思うと、疲れが吹き飛びました。

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