52.運命
【時系列】
朱夜三六七年 八月 七日:真白がはじめて書術を発動/ep.01-06
朱夜三六七年 十月 七日:龍麗と流香が朱雀の里への訪問時、龍麗と火夜の会話/ep.07-12
朱夜三六七年十二月:真白が空文字を習得
朱夜三六八年 一月 七日:流香と波流訪問
朱夜三六八年 一月 十五日:青龍の里へ出発(火夜、銀夜、橘、真白、流香、波流)
朱夜三六八年 一月二十五日:青龍の里へ到着
――そう、あの日はまだ神無月(十月)に入ったばかりで、秋晴れのする暖かな日だった。
時を遡ること、青龍の里へ到着するおよそ四か月前――。
朱雀の里を包む空気は澄み、空は高く、どこまでも青かった。
書術学院境内に差し込む陽の光はやわらかく、石畳に落ちる影さえも穏やかに揺れている。
あの日、龍麗が朱雀を訪れると聞かされ、火夜は話の内容をすでに察していた。
――年の頃を考えれば、そろそろだ。
龍麗との別れは。
言われずとも、我はそうやって幾度となく彼女たちを見送ってきた。
悲しみと、憧れを抱いていたのは、いつの頃までだったか。
今はもう、感情を持たぬ方が楽だと知ってしまった。
楽なのではない。
心が壊れてしまうことへの恐れから、目を逸らすための唯一の道だったのかもしれない。
あるいは――心など、とうの昔に壊れてしまっていたのか。
※※※※※
「断固として、断られてしまいました。」
残念がるように言いながらも、その声にかすかな喜びが含まれていることは、火夜にもわかっていた。
だが、その喜びを表に出すことは、龍麗にも、もちろん火夜にも許されない。
それが、二人が巫女である所以だった。
「皐月を迎え、とうとう私も二十歳になってしまいました。
掟に則り、遂行を部下に指示いたしましたが……断固として断られてしまいまして。
命に逆らうなど、まったく……何を考えているのでしょう……」
そう言いながら、龍麗の声は次第に消え入り、そっと視線を伏せる。
部下たちは、龍麗に死んでほしくないと願ったからこそ、命に逆らったのだ。
それほどまでに、龍麗は愛されている。
そして龍麗もまた、部下たちを深く愛している。
だからこそ、拒むことができない。
張り裂けそうな想いを胸に、それでも「命に従え」と告げることしかできない。
――だが、巫女である龍麗だけは、掟を守り、実行しなければならない。
なんとしても、完全な龍化を阻止しなければならないのだ。
不意に龍麗は火夜へと向き直り、ためらいもなく額を床に伏せた。
「青龍の巫女として、大変恥ずかしいお願いでございますが……
友人として、わたくしの願いを聞き入れてはもらえないでしょうか……!」
その願いが何であるかなど、言われずともわかっていた。
「あいわかった。
心苦しいが……友人として、その願いを受け入れよう。」
その言葉に、龍麗は顔を上げた。
頬を伝う大粒の涙が、滝のようにあふれ落ちる。
「うああっ……ああっ……あああ……!」
童子のように、龍麗は火夜の胸へと飛び込み、声を上げて泣きじゃくった。
――死が、怖い。
愛されているからこそ、生きたいと願ってしまう。
この掟は、青龍の里に生まれ、物心ついた頃から知っていた。
巫女として、師範として選ばれた時から、己の死期など理解していたはずだった。
それでも――。
泣きじゃくる龍麗を、今は強く抱きしめること。
それが正しい選択だと、火夜は頭で判断する。
心のどこかで、本当はうらやましいと感じている自分がいることに気づきながら。
龍麗と会う前は、悲しみと憧れを抱いていたのはいつの頃までだったかなどと思っていた。
それが今になって、これほど鮮明に胸を刺すとは――皮肉なものだと、火夜は自身を嘲る。
幾度となく湧き上がるこの感情。
そして同時に、そんな自分を卑怯だと知り、考えるのをやめるために感情へとふたをする。
涙に濡れ、いっそうきらめく龍麗の、青いビー玉のような瞳を思い出しながら。
強く、強く。
ふたをするように、火夜は龍麗を抱きしめる腕に力を込めた。
こんな気持ちをわかってくれるのは、きっと彼女|しかいない。
そんな考えが、ふと胸をよぎった。
最近、彼女のことを考えることが増えた――
その事実を、火夜自身も自覚していた。
理由は単純だ。
真白のせいだ。
真白の姿を見るたびに、彼女を思い出している。
その自覚は、確かにあった。
だが、この場に真白はいない。
――それが、何を意味するのか。
火夜は、そのことにも、静かに蓋をした。
※※※※※
その後、火夜は流麗に、友好関係を結びたい旨を申し入れた。
その経緯として、真白のことをすべて語った。
「ならば……差し出がましい提案ではございますが、
その真白殿を一年間、人質として青龍の里へ修行に出すのはいかがでしょうか。
姉の行方の手がかりも得られるやもしれませぬし、
なにより、それほどの対価を示さねば、我が一族は納得しないでしょう。」
「同感だ。
ただし、真白の正体については伏せておいてほしい。」
「もちろんです。
葉月(八月)の頃に感じた、あの強大な力に幼子が関わっているとは……正直、驚きました。
巫女はもちろん、準師範以上であれば、すでに気づいていることでしょう。
我が一族も、あの力を欲し、あの日から躍起になっております。」
――何のためかは、言わずともわかった。
「わたくしの我がままを聞いていただくこと、心より感謝いたします。
近頃、側近たちは死期が近づいているがゆえ、皆、神経を尖らせております。
真白殿を人質とするほどでなければ、納得しないでしょう。
朱雀の里の皆さまには……どうか、わたくしを悪者としてお伝えください。」
「そうだな。
ただし、真白を引き渡すのは空文字を習得してからだ。
……一年以内に、必ず空文字を習得させる。」
それは、龍化までの間、龍麗が愛しい者たちと過ごすことを許された期限だった。
龍麗は、火夜に悪者を肯定されたことに、鈴の音のように小さく笑う。
「悪者を、いかに成敗してくださるのか……楽しみにしております。」
こうして、真白が空文字を習得した朱夜三六七年霜月の末を経て、
龍麗との話し合いの末、春の終わりをもって火夜の掟の遂行、そして真白の修行が始まることが約束された。
春が終わり、夏が訪れるとき。
それは、春を司る青龍の力が弱まり、夏を司る朱雀の力が高まる時。
――しかし、その時を迎える前に、事態は動き出してしまった。
春の訪れとともに、龍麗の龍化は急速に進行し、朱雀の里へ、青龍からの使者が訪れることとなる。




