48.その力、赦されず
「まだ生きておったか。」
火夜へ投げつけられた女の言葉を思い出しながら、火夜は白々しいと思う。
そして同時に、火夜自身も白装束の女へ、同じ言葉を抱いていた。
「……まさか、まだ生きていたとはな。」
赤黒い壁の向こうを見据える火夜の瞳には、深い憎悪と迷いが混じっている。
誰に聞かせるでもなく洩れたその呟きは、仲間たちの耳には届かず、川のせせらぎに溶けて消えていった。
――その中で、確かに一縷の喜びを感じてしまった自分がいる。
それが誤りだと分かっていながら、その想いを捨てきれない自分も、そこにいた。
〝……まだまだ未熟者だな、私も〟
周囲に結界を張り巡らせながら、後悔にも似た感情が、静かに心を縛っていく。
※※※※※
白装束の女と魔獣が去り、荒かった息もようやく落ち着いた準師範たちに、重い沈黙がのしかかる。
圧倒的な力の差。
負傷者が出なかったことは、不幸中の幸いと言えるだろう。
互いに傷の有無を確認し、身なりを整え終えた頃。
結界を張り終えた火夜が戻り、ようやく沈黙が破られた。
「……火夜様。あの者は、一体……」
口を開いたのは流香だった。
神々の領域――
そこに存在する魔獣については、ある程度知られている。
だが、白装束の女。
その存在は、この場にいる誰にとっても想定外だった。
――火夜を除いて。
魔獣が跋扈する神々の領域で、人が生きていくことは極めて難しい。
ましてや書術を扱う白装束の女など、聞いたことがない。
この国の人間は基本的に黒衣を纏い、衿に所属する里の色を宿す。
四神の加護を尊び、それを示すためだ。
しかし、あの女の書術は、四神のいずれの里のものとも判別できなかった。
三本の炎の矢をその身に受け、なお苦悶の色ひとつ浮かべず立ち続けた姿。
説明のつかない、異質な存在。
その正体を知っている――
その事実が、場の緊張をさらに高めていた。
準師範であっても、神々の領域には未だ多くの秘密がある。
重苦しい空気の中、火夜は静かに口を開いた。
「……お主たちは、“禁忌”について知っているか。」
突然の問いに困惑が走る中、答えたのは波流だった。
「墨を……混ぜてはならぬ、というものですか。」
「そうだ。墨は、混ぜてはならぬ。
禁忌ゆえ詳細は伏せるが、それを犯し、里を追われた者が、神々の領域には存在する。
禁忌を犯せば、強大な力を得ることができる。
だが同時に、多くのものを失う。」
強大な力。
それが、先ほど目の当たりにした、説明のつかない書術なのだろう。
「禁忌を犯した者は、処されねばならない。それが掟だ。
そして――先ほどの者は、元来、朱雀の里の者。
我に、責がある。」
先ほど感じた、あのすさまじい殺気。
その正体は、私情ではなく“掟”だったのだと、一同は理解する。
そして、別の思いが胸を突いた。
なぜ、この神々の領域で、この顔ぶれならば安全だと、思い込んでしまったのか。
青龍と朱雀が手を取り合い、新たな書術と出会い、魔獣との戦闘も順調だった。
希望に満ち、この地を制したかのような錯覚。
神々の領域という名に、驕っていた。
――なんと、おこがましいことか。
羞恥と、未知という名の恐怖が、火夜を除く全員を、再び静かに飲み込んでいった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
更新を再開させていただきますが、不定期です。
お付き合いいただけると幸いです。
2026.01.13




