45.炎と水の共鳴
水流蓮家の次男として、流香の次、兄弟では三番目に生まれた俺は、常に「当たり前」の中で生きてきた。
術を使って褒められたことなど記憶にない。
名門水流蓮家の恥にだけはならぬよう、書術学院に入ってからは、ただ姉上の助けになることだけを努めてきた。
それが当たり前だった。
※※※※※
「戻りました……」
低く息をつきながら、着替え終えた真白が濡れた衣服を手に告げた。
橘がちらりと横目で見て、ふっと口角を緩める。
「さっさと火に当たれよ」
波流も無言で頷き、小さく視線を送る。
真白は濡れた衣服を縄に掛け、二人のもとへ駆け寄った。
橘は炎にあたる真白をじっと見て、短い沈黙ののちに「大丈夫そうだな」と告げる。
川のせせらぎ、揺れる炎、湿った森の匂い。
炎と水のあいだに、一行の静かな安堵が揺れていた。
「……あの、すごかったですね、波流さん」
真白が少し照れくさそうに口にする。
波流は一瞬だけ真白を見て、無言で頷く。
瞳には、わずかに柔らかさが宿っていた。
「……たいしたことない」
言葉はそっけなくても、胸の奥に残るものは違う。
橘は炎のそばで笑みを浮かべ、二人を見守る。
水と火――相反する二つの力の間に、仲間たちの確かな絆が芽生えつつあった。
そう、あれくらいたいしたことではない。
水流蓮の家であれば当然。
青龍の里で浴びた賞賛も、「さすが水流蓮家」と家名に向けられたものに過ぎなかった。
だが橘の言葉は違った。
「すげえな! なるほど、川の水を利用するのか!」
純粋に僕自身を見て、誰とも比べずに褒めてくれた。
――炎馬に同乗しているときも、口下手な僕を責めることなく、黙って沈黙を共有してくれた。
それが居心地よかった。
そして、書術を心から楽しんでいる橘の姿。
うらやましいと思った。だが嫉妬はない。
ただ――友達になりたい。
はじめて、そんな感情を胸にした。
その時。
森の奥から甲高い鳥の声が響いた。
凄まじい風が吹き抜ける。
すかさず橘が前へ出る。
「魔獣の姿を確認! 数は一!」
振り返ると、波流はすでに真白を背後へ庇っていた。
橘は赤煙を放ち、遭遇の合図を送る。
『炎鳥』
宙に書いた文字が赤く光り、炎は孔雀の姿となって飛び立つ。
魔獣の嘴が炎鳥を襲う。
橘が左手を振りかぶる。
炎鳥が翻り、間合いを取った。
『煙炎漲天!』
烈火が迸り、魔獣を焼き尽くす。
だが――。
森の奥からさらに声が重なり、小さな群れが飛び出した。
橘が右手を上げ、次の文字を刻もうとしたその瞬間、
すでに宙へ書かれていた波流の文字が青い光を放つ。
『水竜』
弾けるように生まれた小さな竜が、群れをまとめて薙ぎ払った。
無駄はなかった。
互いの動きが重ならず、隙もない。
まるで最初から決めていたかのように――二人の術は鮮烈に噛み合った。
戦いが終わり、静寂が戻る。
真白が「お見事です!」と目を輝かせる。
その声に、波流は少しくすぐったさを覚えた。
(消耗した俺を案じ、後方を任せてくれた)
(攻撃に特化した俺が前に出ることを読んで……)
((――やりやすい))
その実感に、二人の胸の奥が熱を帯びる。
「大事ないか!」
駆けつけた銀夜に、三人が首を振る。
「お怪我は……きゃあっ! 服を着てください!」
流香がふんどしに羽織だけの橘と波流に声を上げる。
二人は面倒くさそうに衣を身につける。
その中で、ふと視線が合った。
互いに小さく笑みをこぼす。
――言葉はいらなかった。
その笑みこそ、鮮烈な連携の証だった。