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書術道  作者:
ー朱雀編ー
48/53

42.炎馬に揺られて




うつむいていた彼女が、一瞬何かを感じ取ったように眉をひそめた。

薄暗い花の檻の中で、彼女はそっと両の手を合わせている。

それが何を意味するのか。

祈りか、感謝か。


あるいは――。




※※※※※


『『炎馬』』


火夜、銀夜、橘が声を重ねると、それぞれの書から烈々(れつれつ)たる炎が立ち昇り、瞬く間に馬の姿を形づくった。

銀夜の馬は深き蒼炎、火夜の馬は燃え盛る朱炎、橘の馬は揺らめく橙炎――三頭それぞれが異なる色を宿している。

やがて銀夜は流香を、火夜は真白を、橘は波流をその背に乗せ、炎に象られた馬たちは静かに蹄を踏みしめながら進み始めた。


「先ほども思ったのですが……熱くないのですね。」


銀夜の腕の中にすっぽりと収まりながら、流香が疑問をもらす。

炎の道、そして今の炎馬――どちらにも熱がない。


「自然界の炎には確かに熱がある。

 だが書術の炎は似て非なるものだ。

 我らの力が朱雀様の加護によって“炎”の形をとり、目に見えているだけのこと。

 固定観念に囚われぬ発想こそ、書術を飛躍させる鍵ではないか。」


「なるほど……。柔軟な発想は青龍の里でも特に重んじられますわ。賛同いたします。」


柔らかく答える流香に安堵を覚えた銀夜は、胸の奥に抱えていた言葉をようやく口にする。


「あの……大変遅くなってしまったが、以前こちらに来られた折、貴殿に失礼を働いた。

 あの時は確かに私が悪かった。本当に申し訳ない。」


炎馬の蹄が刻む音と、木々を渡る風だけが二人を包む。

銀夜の視線からは流香の表情が見えず、その沈黙がかえって恐ろしく思えた。


やがて流香が、低く囁くように言った。


「……面と向かって謝る、ということをご存じないのですか?」


はっと息を呑む。

落ち着いた機会に、と考えていた言い訳は胸の奥でほどけ、言葉を失った。


「こんな状態では頭を下げようにも下げられないでしょう。

 本来なら、騎乗する前に詫びるべきことではなくて?」


氷の刃のように鋭い正論。

銀夜の胸に深く突き刺さり、言葉が喉に詰まる。


「……おっしゃる通りだ。下りたら、改めて謝罪させてほしい。」

「必要ありませんわ。」


その瞬間、銀夜の胸を掴むような痛みが走る。

まるで言葉ごと突き放されたかのように、心の奥が冷たく凍りついていく。


だが流香がふいに振り返り、その大きな瞳をまっすぐに向けてきた。


「こうすれば、お顔は拝見できます。

 それに――わたくし、もう許しておりますの。

 あなたのようなお方、嫌いではありませんわ。」


突き放した冷たさは、試すような仮面だったのかもしれない。

微笑とともに注がれた言葉は、氷を溶かす春の陽のように胸へ沁みてゆく。


「あ、ありがとう……。」


突然の許しに銀夜は戸惑いながらも、胸をなでおろす。

流香の声色は柔らかく、まるで長く抱えていた氷が音を立てて解けるようだった。

その響きに、銀夜は胸の重荷がすっと軽くなるのを覚える。

朱炎の揺らめきが木々を照らし、その光の中で彼女の微笑が確かに見えた気がした。

それだけで、前へ進む力が湧いてくるようだった。




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