40.出立を前に
流香が嘆願し、火夜がそれを受け入れた翌日、一行へは青龍の里への出立が知らされた。
当初は弥生の頃の予定だったが、急きょ来る七日へと繰り上げられたのである。
そのため真白は慌ただしく衣服や書術の道具を風呂敷にまとめていた。
墨、筆、半紙、墨壺、筆入れ――。
荷を整えながら、昨日の会議の光景が脳裏に浮かぶ。
※※※※※
「一月? そんなにはかかりませんわ。
この人数であれば、帰路は昇りとはいえ、二週の後には青龍の里に着きます。」
学院長室に集った火夜、銀夜、橘、真白は、流香の言葉に思わず目を見合わせた。
朱雀の里での結論は「一月」。
誰もが疑わぬ常識を、流香はあっさりと覆したのだ。
「……私の経験から一月と申したが、二週というのは想像がつかないな。」
火夜の問いに、昨日の涙が嘘のように、流香は静かに答えた。
「先日、朱雀の里へは私と波流で参りました。行きは降り道でしたので十日。
帰りは登りゆえ十日では足りませんが、十四日見ていただければ充分です。」
「……その上りとか下りとは、どういう意味だ。」
銀夜の問いに、流香は小首を傾げる。
「? 道のことですが。」
当然のごとく返したその答えは、かえって皆の理解を遠ざけた。
重い沈黙が流れ、銀夜も言葉を失う。
その沈黙を破ったのは橘である。
「流香殿がそうおっしゃるなら、とりあえず十四日に三日余裕を見て十七日の備えといたしましょう。
では次に、魔獣に遭遇した際の想定についてですが……」
いつもは軽口ばかりの橘が、司会進行役の蒼真不在を補うように、珍しく場をまとめていた。
(……勘弁してくれよぉ)
曲者揃いを采配する普段の蒼真の手腕に、あらためて感謝せずにはいられない。
会議はそれから二刻半(五時間)にも及んだ。
※※※※※
橘の困り顔を思い出し、真白は思わずくすりと笑った。
一つ年上の橘は、真白にとって兄のような存在で、何かと気にかけてくれる。
同い年の師・茶々とはまた違う、不思議な上下の関係が、自然と築かれていた。
今回の青龍行きの一行に橘がいたことで、真白は胸をなでおろしていた。
そう――師である茶々は、今回の旅には加わらない。
来る七日には、しばし茶々と別れることになるのだ。
「失礼します。茶々です――真白、ちょっといいかな。」
戸の向こうから声がして、「はい」と返すと、茶々が風呂敷を抱えて入ってきた。
「あの……これ。旅になるから、いろいろと持ってきたんだ。」
広げられた風呂敷には、旅に必要な大小の道具が並ぶ。
一つ一つ丁寧に説明を始める茶々の姿は、師というより母のようで、真白は思わず笑ってしまった。
「……大事なことだよっ!」
赤面して抗議する、同い年の「母」の姿がさらにおかしくて、笑いをこらえきれない。
――気づけば、もう茶々に姉の姿を重ねることは少なくなっていた。
朱雀の里での日々は充実し、色濃く心を染めてゆく。
寂しさが消えたわけではない。
姉を探し出すという決意もまた、支えを得て強さを増していた。
けれど皮肉にも、探そうとすればするほど日々は重みを増し、姉の面影は静かに、記憶の片隅へと押しやられていくのだった。