36.深紅の秘密
「……内緒だよ。僕には大事な友達がいるんだ。」
雪に覆われた静かな昼、真白にだけ打ち明けられた秘密。
茶々にとって特別な秘密を分けてもらえた喜びと、得体の知れない独占欲。
二つの思いがせめぎ合い、真白は眠れぬ夜を迎えていた。
学院生は皆帰省し、この宿舎に残るのは真白ひとり。
静かすぎる夜に慣れてきたはずなのに、今夜はやけに落ち着かない。
消灯時間は過ぎていたが、監督生も不在。
見つける人も怒る人もいない夜。
「今夜だけ」と自分に言い訳しながら、真白はそっと部屋を抜け出した。
夜更けと雪の冷えで、廊下の空気は昼間とは比べものにならないほど澄みきっている。
ちゃんちゃんこを二枚重ねた不格好な姿のまま歩き出したが、この寒さでは見た目など気にしていられなかった。
けれど、月明かりに照らされた銀世界を歩くうちに、身体は熱を帯び、額に汗が滲む。
(なんて美しい世界……独り占めなんてもったいない)
優越感と、共有できない寂しさ。
茶々の唇から零れた「内緒だよ」が、幾度も胸の奥で反響する。
それは喜びであり、同時に胸を掻き毟るような独占欲でもあった。
そのとき、視界に赤が差し込む。
――花。
見たこともない赤い花だった。
丸みを帯びた深紅の花弁に、黄色い中心。
艶やかな緑の葉の上で、雪を背景にいっそう映える。
何度も通ったはずの道で、初めて気づいた鮮烈な存在。
さらに低木の間に、人ひとり通れるほどの細道が続いている。
雪かきがされ、両脇に赤い花がずらりと並んでいた。
白、緑、赤――吸い込まれるように真白は足を踏み入れる。
花の数が増すほどに道は奥深く、やがて古びた屋敷が姿を現した。
学院の建物とはまるで違う造り。
長い年月を経ながらも、手入れは行き届き、不思議な威厳を漂わせていた。
「……動くな。」
刹那、喉に冷たい感触。
背後から腕を封じられ、冷たい感触の正体が刃だと理解すると全身が凍りついた。
鋼の感触が皮膚を裂かんとする錯覚に、理屈ではなく、本能が死を告げる。
首と胴が離れ血に染まる自分の姿が、鮮明に脳裏に浮かんだ。
静寂の中で、心臓の鼓動だけが響く。
「……お前……!」
突然拘束が解け、真白は崩れ落ちた。
腰が抜け、呼吸は荒く、冷や汗が背を伝う。
見上げたその先に――火夜がいた。
冷徹な殺意の残滓を消すように、彼女は一瞬考え込み、それからやわらかに微笑む。
「……怖い思いをさせてしまったな。」
返事もできぬ真白を、火夜は軽々と抱き上げる。
震えの残る身体をお姫様抱っこのまま屋敷へ運んでいく。
雪を踏む音が、やがて木の床の軋みに変わる。
座布団に降ろされるころには、緊張もようやく解け始めていた。
火夜が差し出した湯気立つ茶を口に含むと、冷え切った体に温もりが戻っていく。
「……ありがとうございます。」
「いや、こちらこそ。ここはわたしの大切な場所なんだ。――他言は無用で頼む。」
その声音は、茶の湯気のあたたかさとは裏腹に、雪よりも冷たく鋭かった。
短い言葉だったが、火夜の声音には確かな重みがあった。
それはこの場所の存在を、だろうか。
それとも美しい景色のことだろうか。
おそらく全てにおいて秘密なのだ。
真白はうなずきながら、胸に奇妙な共鳴を覚えていた。
銀世界を独り占めする優越感と、共有できぬ寂しさ――
その感情を、火夜もまたこの赤い花の景色に重ねてきたのかもしれない。
建物の中から望む花園は、外で見た以上に鮮烈で美しかった。
その美しさは、ただ花の色にあるのではない。
隣に座す尊き人と分かち合うからこそ、銀世界は鮮烈に輝いて見えた。
やはり独り占めよりも――分かち合うことで、世界はなお深く光を宿すのかもしれない。
だが、真白にはまだ分からない。
火夜がひとつひとつ手をかけ、誰も触れられぬよう守るその花は、ただ美しいだけのものではないことを。
今、真白の目に映るのは、雪に映える鮮烈な赤――その色だけだった。
その美しさの奥に隠された意味は、まだ誰も教えてはくれない。