35.白銀の秘密
本格的に寒さが厳しくなり、朱雀の里にはめったにない積雪が訪れた。
だがその量は予想をはるかに上回り、門は雪に埋もれ、子ども達は腰まで沈むほど。
誰もが初めて目にする光景に、里は大騒ぎとなった。
そんな雪も年越しの頃には弱まり、帰省を予定していた学院生たちは急いで里へと降りていった。
――ただし、茶々と真白を除いて。
「申し訳ありません。茶々さん。僕のせいでご実家に帰れなかったんですよね。」
「違うよ。火様もいらっしゃるから、準師範は護衛として二人は残らなきゃいけない決まりなんだ。
いつもオイラと橘さんが残ってる。」
「火様もご実家に帰らないんですか。」
「ううん。火様のお家は書術学院の中にあるんだ。だから帰るも何もないよ。」
「えっ……。」
真白は息を呑む。
火様の邸宅が学院内にあるなど初耳だった。
「火様、本当にすごいお方だけど、大好物はいちご大福っていうかわいいところもあるんだよね。」
独り言のように茶々が呟く。
その言葉に真白は師走に起きた“おやつ係事件”を思い出す。
(普通の人は一度に三十個も食べないと思うけど……)
珍しくツッコミを入れかけて、ぐっと飲み込んだ。
「オイラ、最終的には火様みたいに強くなってお側でお支えしたい。
そのためにはまず陽斗様に追いつかなくちゃいけない。
だから今、準師範みんなで切磋琢磨できてるのがたまらなく楽しいんだ。」
茶々の自室の火鉢にあたりながら話す二人。
赤々とした炎の明かりに照らされた彼女の頬と耳が、熱のせいだけでなく紅潮していることを真白は見逃さなかった。
「僕も、強くなれるようにがんばります。」
「うん。一緒にがんばろうね。」
とはいえ、しばらく鍛錬は休まざるを得なかった。
原因は、真白のふくらはぎ近くまで積もった雪。
道具や人形を書術で生成して雪かきはできても、鍛錬は禁止令が出されていた。
術の種類にもよるが、ほとんどが炎を纏う。
雪を溶かしてしまうと、溶け出した水を制御できないためである。
雪が解け、春が来れば真白には青龍の里での修行が待っている。
束の間の休息――前向きに考えれば、今必要なのは鍛錬よりも語り合う時間なのかもしれなかった。
茶々は窓の外の銀世界に目を輝かせる。
「オイラ、こんなに積もった雪って初めて見たよ。
まっしろで、光を反射してキラキラしてて、眩しいくらい。
……真白はいい名前をもらったね。」
銀世界に照らされながら、真白は照れくさくも否定できず、ただまっすぐ見返すしかなかった。
茶々は真白の髪に目を移し、続ける。
「髪も珍しい真っ白。いいなあ。
火様はオイラの栗色の毛を見て“茶々”ってつけてくださったんだ。」
不満げに言いながらも、声にはどこか嬉しさがにじんでいる。
名づけ親が火夜であることも、真白には初耳だった。
「銀夜様も紫織様もそうだよ。準師範になったお祝いでいただくんだ。
オイラの友達もいただいたんだから。」
「友達?」
真白が思わず聞き返すと、茶々は見たことのないほど慌てた。
しばし口ごもったのち、火鉢の灰を指先でいじりながら小さく言った。
「……内緒だよ。僕には大事な友達がいるんだ。」
その声音には、冗談めいた軽さは一片もなかった。
火様に固く口止めされ、姉の紫織にすら語らなかった秘密。
それを茶々は――雪に覆われた静かな昼、真白にだけほんの少し打ち明けたのである。
真白はそれ以上を問わなかった。
ただ、その「友達」という言葉に宿る重みと、茶々の表情から伝わる大切さは、痛いほどに感じられた。
けれど胸の奥に、じんわりと冷たい影が広がる。
茶々にとって「大事な存在」と呼べる誰かが、自分ではない場所にいる。
その事実が、師弟としての立場を揺さぶり――自分でも説明できない小さな苛立ちを呼び起こした。
茶々に特別な秘密を分けてもらえた喜びと、得体の知れない独占欲。
二つの思いがせめぎ合い、真白はただ黙って窓の外を見つめ続ける。
――銀世界に射す陽光の眩さとは裏腹に、胸の奥の影は消えずに残っていた。