27.整える者の真意
隠しきれていない怒りを笑顔によって投げつける紫織を、蒼真は内心「かわいい」と思った。
自分のことを心底嫌っているという自覚はある。
自分が現れるたびに笑顔を浮かべながらも、空気はピリピリと変わるのだ。
気づかぬ方が無理というもの。
準師範として未熟だと感じる反面、”自分にだけ特別な態度を見せている”という事実に、奇妙な喜びを覚えてしまう。
いつか本当の笑顔を見せてくれるだろうか――。
嫌われすぎてしまわないように、まるで野良猫を手なずけるように、その距離感を何年も楽しんでいる自分がいた。
「フフッ」
思わず漏れた笑みに、紫織の怒りがさらに増す。
せいぜい馬鹿にされたとでも感じているのだろう。
聡明で冷静、そして深い優しさを持つ彼女の、そんな子供っぽい一面が、たまらなく愛らしい。
そんな蒼真を横目に、発起人がついに本題に入る。
「単刀直入に問おう。――真白、彼をどう思う。」
全体に向けられた抽象的な問いに、女性準師範たちは言葉を失った。
冷静さを取り戻した蒼真が、先に口を開く。
「素直な良い少年です。それ以上の感想が浮かびません。
考えようとすると靄がかかり、それ以上を思考できなくなるのです。
口にしようとした瞬間、舌の奥が痺れ、言葉が砂のように崩れ落ちる――そんな感覚。
陽斗様がおられると軽減され、話すことができています。」
「俺も同じく。
火様に連れられ、最初は書術すら使えなかった人間が、驚く速さで一級まで上り詰めた。
なのに周りは妙に静かだ。誰も注目しない。
俺もそう思うのに、普段は真白のことを考えられない。違和感しか残らない。」
蒼真と橘の言葉に、銀夜・紫織・茶々は驚いたように顔を見合わせた。
そして最初に口を開いたのは茶々だった。
「オイラも最初は同じことを感じていました。
でも考えた瞬間、“それを口にしてはならない”とも思ったんです。
最近はそれすら思わなくなっていて……今言われてやっと思い出しました。」
「同じく。良いとか悪いとかを考えること自体が、はばかられる。」
「わたくしも同感ですわ。」
準師範が同じ違和感を持っている――。
それを確認して陽斗が続けた。
「準師範でさえ違和感を覚える程度だ。
他の者はその違和感すら抱いておらんだろう。
おそらく、相当な術……あるいは呪がかけられている可能性がある。
真白の姉の件も然り。及び真白に関しては、今後は慎重に対処せねばならぬ。
こんなことができるのは――相当な手練れだと覚悟しておけ。」
師範が告げる「相当な手練れ」。それは敵か、味方か。
つまり実力は師範以上と思って差し支えない、ということだ。
言い換えれば――「真白に気をつけろ」ということ。
(だが、何をどう気をつけろというのか……)
困惑しながらも、真白に空文字を習得させるためには関わり続けねばならない。
「ま、考えても答えは出ん。だから接し方は今まで通りでよい。……だが、気だけは抜くな。」
皆の胸の内を見透かすように、陽斗が言葉を投げかける。
瞬時に蒼真と橘が応えた。
「――有段者の実技を、戦闘を想定したものへ変更いたします。」
「有級者には、災害を想定した避難訓練を実施いたします。」
銀夜はそこで気づいた。
(そうか……これは“その時”に備えるための――)
「真白の姉の失踪、そして真白自身の不可解。
犯人は師範以上の実力者かもしれん。」
言葉が落ちるたびに、部屋の空気が重く沈んでいく。
「場合によっては、里全体を巻き込むことになる。」
「だからこそ――火様は青龍と友好を結ばねばならないのですね。」
火様から真白を修行に出すと告げられた時、猛反対していた茶々が納得したように発言し、その姿に全員が安堵する。
「そうだ。その初歩として、真白を修行にやる。」
朱雀と青龍で友好を結び、いざという時には里ごと避難できるようにする。
それこそが火様の真意。
だが、この場でその意図を理解していたのは、ただ一人――朱宮陽斗だけだった。
火様の意を正確に汲み取れる唯一の人間。
我らが「神の言葉をすべて理解することは不可能」と諦めている中、彼だけは諦めない。
――だからこそ腹立たしい。嫉妬する。
「火様は言葉が足りない。ゆえに、私が補う。
だからこそ――今後もこうして意見を交わしたい。
皆にも、ぜひ力を貸していただきたい。」
そう言って、陽斗は深々と頭を下げた。
その仕草に場が静まり返る。
神に等しい火様とちがい、陽斗は我々人に近い。
――だからこそ言葉が届く。だからこそ、心が揺さぶられる。
茶々は安堵を覚え、銀夜はその論理の冷たさに薄ら寒さを感じ、紫織は火様ではなく陽斗に導かれている現実に小さな苛立ちを覚えた。
それでも三人は同じ結論に至る。
彼こそが、我らの一番の理解者である――と。