26.整えられた朝餉
朝餉の刻が近づき、そろそろ解散という流れになったとき、蒼真が口を開いた。
「烈火はこの有様ですが……準師範全員が揃うのも珍しいことです。
よければ、皆で朝餉を共にいたしませんか。」
橘はにっこり笑い、茶々の肩に手を置いた。
「さっきの茶々の“影”?の書術も気になるしさ。頼むよ、な?」
断る理由などなく、銀夜と紫織は目を合わせ、やがてうなずいた。
一行が向かったのは蒼真の自室。
“真白の今後の鍛錬方針を準師範で話し合う”という名目のため、真白は席を外していた。
隣室に烈火を寝かせると、下女たちが脚付膳を運び始める。
コの字に並べられた膳には、名札まで添えられていた。
突発の食事にしては整いすぎており、妙な違和感を覚えたその時――。
「おはようございます。」
朱宮陽斗の登場に、紫織と銀夜は即座に悟った。
この場の仕掛け人は蒼真ではなく、朱宮陽斗だ。
空いた上座、贅を尽くした膳――すべてが彼を迎えるための布石だった。
まんまと策に乗せられたと知り、二人の胸に悔しさが広がる。
同時に、これは単なる「食卓」ではなく、「場を制する戦」であると、覚悟を決めた。
「突然にもかかわらず、こうして朝餉を共にできること、感謝いたします。」
涼やかに告げる陽斗。
本来、誰も知らされていなかったはずの参加を、感謝の形で押し付ける。
師範の言葉に拒否権はない。
紫織と銀夜の胸には、白々しいという嫌悪がこみ上げる。
だが茶々は、豪華な膳に目を輝かせ、下手に出た言葉にも有難みさえ感じていた。
学院において、男女の交流は稀だ。
上位有段者の外出任務以外では、顔を合わせるのは食堂程度。
九段者ともなれば、下女が仕え、食堂に足を運ぶこともない(茶々を除く)。
だから、この場は貴重な交流の機会でもあった。
実際、鍛錬の合間に交わした言葉は有意義で、もっと語らいたいと銀夜も紫織も思っていた。
だが――朱宮陽斗が絡むとなれば、それは単なる語らいでは終わらない。
「蒼真、今日の報告を。」
「は。あいにく真白の空文字習得には進展ございません。
本日は準師範全員で、初歩から実践まで手本を示しました。」
烈火による一方的な攻撃を「実践の手本」とすり替え、報告を先に制す。
陽斗もまた、すでに承知のうえで確認したに違いない。
互いに抜け目のない男たち――。
――青炎 蒼真。
御三家のひとつ、青炎家本家の長子。
分家の銀夜とはいとこにあたる。
紫織は入学前から家同士の交わりで顔を合わせてきた。
柔和な物腰に似合わぬ、芯の強さを備えた聡明な人物と記憶している。
学院に入ってからも悪評は聞いたことがない。
だが、その清らかさは過剰に思える。
優れた者には、妬みと噂が常につきまとう。
それでも昇段には支障とならぬのが常だ。
にもかかわらず、彼には一片の濁りもない。
――なぜ清らかであり続けられるのか。
その理由の見えぬ清廉さこそ、不気味でならない。
ゆえに蒼真と同じく、清らかさをまとった朱宮陽斗も、紫織にとっては信用ならぬ存在だった。
それでも――つい先ほどの情報交換は有意義であり、書術への理解を深められた喜びに心を許しかけたほどに、蒼真へ好意を抱いていた。
だが今や、その感情は裏切られたかのように色を変える。
紫織は恨めしさを胸に、皮肉を滲ませた笑みを蒼真へ向けた。
蒼真もまた、それを知りながら柔らかく笑みを返す。
その清廉さが、いっそう紫織の神経を逆撫でするのだった。