14.鍛錬あるのみ
昇段試験の課題――空文字の習得に苦戦しているのは、何も真白だけではない。
五年、十年とかかる者も珍しくなく、それは空文字の難易度の高さを物語ると同時に、神の領域とされる里外への外出が、いかに危険を伴うかを示している。
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空文字の習得が困難とされる最大の理由は、まず“念”の消費量にある。
念とは、書術を扱ううえで最低限必要とされる力。
“気”はすべての生き物に宿るが、それがある種の変異を経て“念”として顕れる者がいる。
朱雀の里に生きる者たちは、その念を“熱”として感じることが多い。
念を滑らせて発動する通常の書文字に比べ、空文字は、念で道を“切り拓く”術であるがゆえに、消費量は倍以上に及ぶ。
それは単なる燃費の問題ではない。
突破するための勢い――すなわち“火力”も求められるのだ。
念の精度・量・勢いは、鍛錬によってある程度までは高められる。
だが、そこには明確な限界がある。
つまり、念にも“才能”という壁が存在する。
その壁を超えていなければ、空文字の習得は叶わない。
だが、自分の念がその一線を越えているか否かを知る手段は、鍛錬を重ね、感覚で掴むしかない。
真白に、その“才”が備わっているのか――
それを知るためには、ただひたすら鍛錬を積むしかない。
だからこそ、今日もまた、真白は外部鍛錬場に立つ。
今はただ、鍛錬あるのみだ。
「真白! 今日も早いね」
「おはようございます」
師である茶々も、もちろん鍛錬に付き合ってくれる。
真白が一級を取得し、段位取得に挑み始めてから、初めて“壁”に突き当たったのは――
およそ一月前のこと。
それ以来、二人は朝餉前の早朝鍛錬を欠かすことなく続けてきた。
しかし、進展はごくわずか。突破の糸口すら見えない。
師として、どんな言葉をかけるべきか。
茶々は、迷っていた。
そもそも、茶々自身――書術に関して“迷った”ことが一度もなかったのだ。
ある日、突然火夜に連れられて学院にやってきた。
そのまま“準師範”という役目を与えられ、
「これをやってみろ」「あれもやってみろ」と命じられるままに、ただ実行した。
そして――できてしまった。
すべてが“たまたま、できた”だけの話。
できることについてなら、多少の理屈も語れる。
だが、茶々は“できない”という感覚を知らない。
だからこそ“できない者”にどう寄り添えばいいのかが、まったく分からないのだ。
今、茶々にできるのは、こうして共に鍛錬に臨むことだけ。
それしかできない自分が――たまらなく、不甲斐なかった。
真白は黙々と、右の人差し指に炎を纏わせ、空中に文字を描いていく。
その筆致は流麗で、まるで炎が空を舞うかのようだった。
だが、しばらくすると動きは徐々に鈍り、書く速度も明らかに落ちていく。
右手首を左手で掴み、無理やり押し出すように動かしても――炎は途切れた。
真白の額には、大量の脂汗が滲んでいた。