史的な夜話 其の十五
今回は珍しく日時順の表みたいな物を用意してみました。大して役には立たないと思いますが、参考までに。
よ:あのぉ。
戸:はいはい。
よ:前回、秀吉の子供について語って頂きましたが、他になんか無いですか?
戸:要するに、来年の大河ドラマに向けて、なんか語れと言うことですね。
よ:まぁ、そう言う事ですね。
戸:そうですねぇ、色々と語れる場面はありますが、中国大返しなんて言うのは、どうでしょうか。
よ:聞いたことが有るけど、なんでしたっけ?
戸:あれですよ。本能寺の変が起きて、秀吉が慌てて引き返す場面ですよ。
よ:有名なところでしたね。
戸:覚えといてな。
よ:へぇ~い。
戸:ドラマなんかですと、秀吉が信長へ援軍要請して、本能寺の変が起きて、慌てて秀吉が引き返すって感じやし、次の大河ドラマが主人公秀長やったら、秀長が毛利側に追い掛けないで欲しいとか、頼み込む場面があるんでしょうね。
よ:そう言えば、黒田官兵衛が主人公の時は、官兵衛が頼んでいたような、記憶が。
戸:観とったんですね。
よ:土曜日の再放送を見たような記憶がありますね。
戸:受信料払とるから、観な損かもしれへんけど、大して面白くも無かろうに。
よ:そない言わんと、たまには公共放送を観てあげましょうよ。
戸:はいはい。
よ:それで、中国大返しの話はどこか面白いんでしょうか。
戸:まず、大河ドラマで観るほどにバタバタしてないって言う処かな。
よ:そうなんや。
戸:まず、秀吉が信長へ応援の要請をするんが、五月十五日かその辺で、その連絡を受け取って光秀に出陣を命じるんが五月十七日、家康の接待しとった光秀は坂本城へ戻るわけですな。
よ:料理がまずいとか、そないな因縁吹っかけられて、料理を投げ飛ばされたとか、そないな話や無かったですか?
戸:それは俗説であって、今は信じない方がいいというか、気にしない方がええですよ。
よ:そないでっか。
戸:本能寺の変自体、今も原因が不明のままやし、それが災いして、色んな理由を考える人が出て、情報が錯綜しとる状態やから、大河ドラマとかを真に受けん方がええですよ。
よ:そないするよ。
戸:光秀が坂本城へ戻って、五月二十六日には亀山城へ戻って、二十八日には有名な愛宕百韻連歌会へと出席するんですね。
よ:こないだ、連歌って習ったような気ぃするんやけど、なんでしたっけ。
戸:説明するんが面倒やし、後で調べて下さい。
よ:そないするよ。
戸:京都市の近くに愛宕山ってありまして、そこの神社で明智光秀主催で連歌会を開くんですよ。参加者は他に八人やったかな。その場で詠んだ歌の中に、謀叛の意思を示す句が有ったとか無かったとか、そないな話が残ってるんやな。
よ:それも、要検討みたいな、感じなんやな。
戸:後世の人が手を加えたとか、そこで言うてもうたら、信長に伝える人も居るやろうに、とか、この話もあんたが言うように要検討、で、今は無視しておこう。
よ:それで。
戸:それで光秀が亀山城を出発するんが、六月一日なんですね。兵を集めて準備するんも含めて、色々あったんでしょうが、秀吉の使者が来てから約半月の時間を要しているわけですよ。
よ:今の軍隊やったら翌日とか、翌々日には現場に着いてなあかんのや無かったですか。
戸:それは知らんよ。
よ:アメリカ軍のどこやったか忘れましたけど、有事の際、七十二時間以内に現地へ駆け付けるって言う話、有ったやないですか。
戸:昔習ったような気ぃしますけど、あれから二十年以上経ってるんですぜ、覚えとりゃぁせんですよ。
よ:二十年以上経ちましたか。
戸:この中国大返しと本能寺の変って言うのが、天正十年の出来事なんですね。西暦で言うと一五八二年なんですよ。一五六九年やから十三年前になるんかな、永禄十二年に本圀寺の変って言うのがあるんですよ。
よ:またわからん話が増えるで。
戸:この本圀寺って言うお寺に将軍の足利義昭が居ったんですよ。
よ:あとで信長に追い出される将軍さんですね。
戸:荘なんやけど、この時はまだ仲良かったんですよ。この本圀寺にさ、一月五日、三好三人衆って言う三人が攻めてくるわけですよ。
よ:アニメや漫画に出てくる悪玉トリオみたいな三人ですね。
戸:お寺の中には義昭の家臣らも詰めとったし、門を堅く閉じて応戦するわけですよ。
よ:ここで将軍様に死なれたら困るやん。
戸:京都周辺に居た幕臣、細川さん、池田さん、伊丹さん、和田さん、茨木さん、それに三好さんが軍を率いて駆け付けて、三好三人衆を追い払うわけですね。
よ:味方にも三好さんが居たんやな。
戸:ややこしいけどそうなんよ。それでこの時、岐阜城にいた信長の下へ連絡がついたんが遅れて一月十日で、その日の内に信長は京都目指して出発、大雪の中を突っ走って行ったんやな。この時、お供の者は十人かそこら、信長が着いた時には悪玉トリオや無うて三好三人衆は本拠地の四国へ戻ってたから間に合わんかったけど、信長が急ぐってなると、雪だろうがなんだろうが暴走するわけよ。
よ:だから、信長が安土城からすぐ秀吉の所へ行かなかったから、急いでなかった、と。でも、十人やそこらで出かけても仕方無いやろうに。
戸:心配せんかて、後から家臣団が慌てて追い掛けてますがな。
よ:追い掛けるもんの立場になったら大変やろうな。
戸:それで、話を戻すけど、秀吉も信長に援軍は要請したやろうけど、そこまで急いでなかったという事やな。
よ:ほな、ドラマなんかは随分と縮めてはるんやな。
戸:そないなりますよねぇ。ただ、言うたらドラマにするほどの見せ場が無いという方が、正しいやもしれへんね。
よ:でも、ドラマしか観んやったら、その点を誤解してまうよな。秀吉が援軍を頼んで、信長が急いで出かけたように見えるやん。
戸:その方が視聴率が稼げるんやないか。
よ:そうやろか。こないして話を聞いてると、もうちょい細こうせんと、誤解したまま信じてまう人、多いんちゃうけ。
戸:大河ドラマ好きな人やったら、その時の流行りで図書館にでも行って、ちょっと本でも読んでくれたら嬉しいけど、その手に取った本が、歴史を面白おかしく書いてさ、検討せなあかんことをあれが正しい、これが間違っているみたいなことを書いて、また新たな誤解が生じてまう可能性もあるし、なかなか難しいよ、歴史を伝えるって。
よ:でも、それを楽しんではるんやろ、あんたは。
戸:なんて言うんやろ、推理小説とか、そういうのは作者が居って犯人は決まってるやん。
よ:まぁ、そうですね。推理小説の結末が迷宮入りやったら、読者困りますもんね。
戸:例えば昭和とか平成とかにも未解決事件が有って、うちらみたいな素人があれこれ推理することは自由かもしれへんけど、やっぱし関係者がご存命やったり、無責任なことを言えないやろうし、個人的にもあんまし興味が持てないし、好きになれん部分があるんよね。でも、四百年前の事件とか戦争の原因の解明やったら間違とったって、誰にも怒られへんやろうし、時間に追われるわけでも無いやん。あんまり無責任なことはでけへんやろうけど、少しくらいやったら無責任でも許して貰えるやろうし、自説を曲げるのも簡単やし、図書館があれば延々と続けられる趣味やな。
よ:そない言うけど、結構本も買うてはるやん。
戸:パソコンも必要やし、意外とカネのかかる趣味でもあるよね。
よ:まぁ、しゃぁないか。
戸:それで、話を戻しまして、六月一日の夜、二日の未明に本能寺の変が起きまして、その知らせが、六月三日には秀吉の下へと届いたと言われてるんやな。結構早いとは思うんやけど、Google Mapで確かめたら、京都市内から備中高松城まで徒歩でも四十時間以内でたどり着けるそうなんや。馬を使うと半分の二十時間以内になるかもしれへんよね。
よ:でも、馬かて疲れるやろうに。仮に二十時間も走らされたら。
戸:そこはあんたが心配せんかて大丈夫やん。それこそ摂津国も播磨国も秀吉の管轄なんやから、京都で事件が起きまして、秀吉への緊急の使者ですって言うたら、どこでも馬ぐらい交換して貰えるやろうし、それぐらいの融通は利くやろう。
よ:なるほど。
戸:それで六月三日には情報を得た秀吉が早速、備中高松城の清水宗治に開城と切腹を申し込むんやな。
よ:開城はわかるけど、切腹は必要け?
戸:誰かが責任を負わなあかんって言う、そう言う世界観なんよね、この時代は。それで同じ死であっても、切腹って言うんはまだ名誉な方で、磔にされるとか、縄でグルグル巻きにされて首切られるとか、そういうのは武士として非常に不名誉やったんやな。だから、浅野内匠頭が切腹できたって言うんは、まだ良かった方なんやな。
よ:いきなり忠臣蔵の話が出てきたし。
戸:そない言い無いや。備中高松城と赤穂城って、結構近いやん。
よ:そこ、関係有るんか?
戸:今は関係無い話ですね。それで、高松城内に居た五千人とも言われる兵士全員の命を助けて、秀吉は城を受け取るのですが、一方で毛利側とは引き続き交渉して、今まで備中、備後、美作、伯耆、出雲の五か国を信長に引き渡せとか言うとったんを、備中、美作、伯耆で応じますとか言うて、毛利側にお得感を出してやな、毛利側も諦めて応じてまうんやな。
よ:それで、大返しになるんですね。
戸:ここで大事なんは、当初、五か国の割譲と備中高松城の引き渡しはセットやってんけど、それを分けるんですよ。高松城の清水宗治には貴方が責任者として切腹したら城内にいる皆の命は助けますよ。毛利側には高松城は開城したし、条件も緩和しますから手打ちにしませんかって。
よ:それでも本能寺の変が起きたことは黙っとったんやろ。ドラマやと秀長が追わないでって、頼むんでしょうね。
戸:さっきもそれ、言うてなかったか?
よ:身に覚えがございません。
戸:なんで毛利が追い掛けなかったか、その話やけど、まず一つに毛利家って九州の大友家とも関門海峡を挟んで戦ってたから、秀吉追い掛けてどこまでも進んだら、真後ろががら空きになってまうんよね。そこは考えたと思うんですよ。
よ:それが一つ目の理由なんですね。
戸:次が秀吉自身による備えですよね。
よ:備えと言いますと。
戸:備中高松城を受け取ったやないですか。
よ:受け取ってましたよね。
戸:その受け取った高松城に杉原家次という人が三千人やったかな、兵を率いて高松城に入って守るんですね。だから、毛利側が秀吉を追うと決めても、まず、高松城を奪い返すところから始めないと、仮に追っても後ろから襲われる可能性は残りますやん。
よ:そうなんや。その杉原さんは本能寺の変を知っとったんやろうか。何も知らんと残されとったら、ある意味、不幸やないか。
戸:この杉原家次って言う人は、秀吉にとっては親族で家老に当たる人でも有るから、知った上で残った可能性はあるよ。
よ:そうなんや、家老も大変やなぁ。
戸:あと、岡山城には宇喜多秀家率いる一万の軍勢が居るから、毛利家は岡山城の宇喜多家を倒さない限り、秀吉を追えないという事なんですよ。
よ:ほな、秀吉に頭下げられて追わんかったって言うんは、ほんまに創作なんですね。
戸:秀吉も毛利側が撤退を開始するまで動かなかったと言われてますし、岡山城の東側に沼城って言うお城があって、まずそこに秀吉らは入って、半日以上休んでるんですよ。
よ:それは知らなかったよ。
戸:休みつつ、情報を集めたり、京都方面へ使者を送ったり、何らかの動きはしていたと思うんですけど、当然、毛利家の動きも気にしていたと思うんですね。
よ:それから京都を目指すんですね。
戸:姫路城までの約七十キロを走って、また一日ぐらいを休むんですよ。
よ:偉い暢気ですなぁ。
戸:ここで秀吉は情報操作を行うんですね。京都方面に居る武将達に手当たり次第に手紙を書いて送って、信長、信忠は生きているから自分に味方してくれ、みたいな内容の手紙を送って、受けとった人は真に受けて、光秀から離れたり、光秀と縁を切ったり、こうして光秀を不利な状況にしつつ、姫路を出発した秀吉らは六月九日には明石に入り、翌十日明石を出発、その日の内に兵庫へ到着、そこで一泊、六月十一日にようやく尼崎城へ入ったんですね。
よ:姫路城から尼崎城まで結構時間かけてはるんですね。
戸:明石城から尼崎城まで行く間で、淡路島にある洲本城を攻めてるんですよ。攻めるというか、洲本城を菅って言う武将が奪運ですね。この菅が毛利側やったから、ここに居たら迷惑や言うて攻めて、その日の内に洲本城を奪い返してるんですよ。
よ:なんか忙しいなぁ。
戸:六月十二日に秀吉は摂津富田、今JRと阪急の駅がありますけど、その近くにまで行きまして、翌日の十三日に光秀と合戦するわけですよ。
よ:有名な山崎の合戦ですね。
戸:途中で休みながらとは言え、備中高松城から秀吉に付き従ってきた兵は、結構お疲れやったとか、そないな話も残っていますが、それでも数が多かったことと士気が違ったようで秀吉側が勝ったわけですね。
よ:長い話やったなぁ。
戸:幾つか補足説明があるんですよ。
よ:まだ続くんかいな。
戸:前回、秀勝の話が出たやないですか。
よ:三人居ましたよね。
戸:於次秀勝の初陣が三月十七日、児島の近くにある常山城やったんですね。JRでも常山駅って最寄り駅がありますんで、わかりやすいと思いますよ。
よ:秀勝ってそこで初陣やったんやぁ。
戸:あと、黒田長政の初陣が三月二十日の冠山城攻撃なんですね。
よ:初陣ラッシュやん。
戸:ここでわかると思うんやけど、前哨戦って言うか、三月から戦いは始まっとるんですね。
よ:意外と長いんやね、前哨戦が。
戸:この年の四月やったか、来島通総を秀吉が勧誘して味方にしてるんですよ。
よ:誰やねん、さっぱりわからへん。
戸:元々は村上通総さんやってんけど、どこかで村上さんから来島さんへと苗字変えはったんやな。
よ:それで?
戸:瀬戸内海に村上水軍って言うんが居りましてね、それが能島、因島、来島って三つに分かれとったんですよ。
よ:その三つが喧嘩したとか?
戸:さっき言うたように来島の村上通総さんを秀吉が口説いて、毛利から引き離したんですね。
よ:あっ、来島さんって毛利側の人やったんですか。
戸:今頃気付いたんかいな。まぁ、ええけど。
よ:それが中国大返しと関係が有るんですか?
戸:村上水軍って、毛利家にとっては水運を担ってる面もあって、居ないと困る存在なんですよ。能島と因島の村上さんが残ってるとは言っても、能島の村上さんは過去に裏切ってはって、小早川隆景はまた裏切るんや無いかって、気が気でなく、二十一回も手紙を出して引き留めたとかなんとか、そないな話も残ってるんやな。
よ:一人の人に二十一回も手紙出しとったら、相手から逆に飽きられて、逃げ出されそうな気ぃもするよ。
戸:もう一つありまして、日幡城って言うお城が高松城の近くにあったんですよ。
よ:話が長すぎて、ついて行くんが面倒やし。
戸:どうせ最初の方は覚えてへんねやろ。気にせんと黙って聞いときぃな。
よ:へぇ~い。
戸:四月十六日にこの城を攻めようと秀吉が迫りまして、中に居る上原元祐と言う武将に降服を勧めるんですよ。
よ:それでどうなったん。
戸:この元祐さん、実は毛利元就の娘婿でもあってんけど、あっさり裏切って、城主の日幡景教を殺して城を明け渡したんですよ。
よ:ありゃまぁ……
戸:わかると思うけど、毛利元就の娘婿って言うことは、吉川元春、小早川隆景から見れば妹婿で、そう言う親族衆から裏切り者を出しとるから、もうズタズタやったんよね。備中高松城を攻められとる時の毛利家って。
よ:ほな、あれやな、秀吉が居らんようなってホッとしとったんやな、毛利家の皆さんは。
戸:その可能性は大やと思てるよ。それで、これ以上語ったら、あんた、嫌やろ。
よ:さすがに寝るよぉ~
戸:ほな、諦めて今夜はこの辺で締めるとするか。
よ:お休み。
戸:はいはい、お休みなさい。
語り出すと止まらないというか、語り尽くせていませんのでいずれ続きがあるかと思います。
いつになるかは知らんけど……
今回の主な参考図書
「備中高松城主 清水宗治の戦略」多田士喜夫