【第九話】
「よっと。ちょっと荷物多くないですか」
「そう?女の子ってこんなものだと思うけども。でも私はちょっと衣装もちなのかも」
「まさか、お天気お姉さんの衣装って自前だったりしたんですか?」
「そ。同じ格好ってあまり出来ないから衣装増えちゃって。でももうそう言うのはしなくても良いから、ちょっと処分しちゃおうかなぁ」
「なんでです?折角持ってるなら着れば良いじゃないですか。好きですよ?あんな格好の樋口さんも」
「ありがと。でもね、なんか思い出しちゃってダメかな」
口では軽く言ってるけども、やっぱり降板になったことを気にしているのかな。なんだかんだ言っても中身はまだ十九歳の女の子だもんな。
「こんなもんですかね。ところでこの箱って何が入ってるんです?片付けなくても良いんですか?」
「ああ。それ。持ってきちゃったんだけども捨てようかと思ってて。あ、中身は見ても良いわよ。別に減るもんじゃないし」
そう言われて僕はなかを見てみたら卒業アルバムやら高校時代の制服やらが出てきた。
「良いんですか?制服はまぁ分かりますけど、卒業アルバムとか捨てちゃうんです?」
「……私には必要ないから。あ!そうだ!捨てる前にその制服、着てあげようか。高校生な私の姿、見てみたくない?」
正直見たい。が、良いのかこれは。コスプレというかなんというか。エロさが漂うのは僕の気持ちが汚れているのか?で、結局のとろ欲望には勝てずに着て貰った訳だけども。
「なに?生唾なんて飲んじゃって。興奮した?」
白のセーラー服に赤いスカーフ、紺色のスカートに白い靴下。スカートの長さは膝頭と少しだけ太ももが見えるくらいの絶妙な長さ。正直なところ、どストライクだった。
「あ、いや。似合ってるなって。そんな姿が写ってる卒業アルバム、捨てるのは勿体無いんじゃないですか?」
「洋介くんは過去の私にこだわる?今からの私じゃダメ?」
「過去へのこだわりがないと言えば嘘になりますけども。ちょっと知りたいですかね」
「そう。じゃあ、ちょっとだけ。私ね、高校時代に彼氏がいたんだけどもあまり良い思い出がなくて。あの人、些細なことで機嫌が悪くなるし、私との約束はよく破るし。はは……なんであんな人と付き合ってたのかな。っとごめん!なんか変な話して。うん。そう!だから昔の私は蹴っ飛ばして今からの私を見てて欲しいかな。ダメかな」
首を傾げてポニーテールを揺らす。真冬なのに着た制服が夏服で身体のラインが透けて見える。
「ダメじゃないかな。これからは僕が全部……」
「全部、なに?」
僕は黙って樋口さんの肩を掴んで胸元に引き寄せた。少し面食らった顔をしていたかもしれない。でも樋口さんは僕の背中にゆっくりと腕を回してきた。
「僕は樋口さんの全部が欲しい」
「じゃあ、これも?」
そう言って樋口さんは上を向いてきた。僕の顎あたりに樋口さんの額が来ている。そして樋口さんはゆっくりと背伸びをしてきて目を閉じた。僕はそれに応えるように樋口さんの唇に自分のそれをそっと合わせた。何秒くらいそうしていただろうか。僕にはその時間がとても長く感じたけども実際は一分も満たない位だっただろう。
「ふー。疲れた。少しは屈んでよ。ずっと背伸びしてるの疲れた。気が利かないわね」
そうだ。これが樋口さんだ。無駄口を叩くその姿がとても愛おしい。僕はそのまま樋口さんを抱き上げてベッドに押し倒した。流石の樋口さんもそれには驚いていたけどもすぐにそっぽを向いて唇の前に指でバッテン印を作られてしまった。
「まぁだ。そういうのはもうちょっとしてから。ね?」
そう言うと少し捲れ上がったスカートを直しながら樋口さんはベッドに座り直した。僕もそれに倣って横に座った。
「ごめんね。そう言うのも含めてちょっと良い思い出がなくて……」
僕には初めてのことだったが、樋口さんは初めてじゃないのか。などと自分勝手なことを考えてしまって自己嫌悪に陥る。それを見逃さなかったのかすぐに「私もまだよ」と言いながらベットから腰を上げてお尻を払ってバスルームに向かっていった。
「僕は何を焦っていてるのかな。そんなことをしなくても樋口さんは逃げないのに」
僕は悩んでいた。捨てようとしているアルバム。これを見ても良いものなのだろうか。高校時代の樋口さんはどんな顔をしていたのだろうか。見ても良いと言われてはいるけども、なんだか禁断の領域に踏み込む感じがしてページをめくれない。
「見ないの?」
耳元で後ろから樋口さんにそう囁かれてビクッとなってしまった。
「おどかさないで下さいよ」
「だって私の高校アルバム持って固まってるんだもん。見れば、って言ったのに」
「良いんですか?」
「だからいいって。ほら」
そう言って樋口さんは僕の右手を持って表紙を開いた。でもページをめくってもめくっても樋口さんの姿はない。最後の集合写真と個人写真のところだけ樋口さんは居たけども、その他には見つけることが出来なかった。
「ね?持ってても仕方がないでしょ?」
「聞いて良いのかな?」
「いーよー」
「なんで写ってないんですか?まさか幽霊だとかないですよね?」
「何言ってるのよ。幽霊だったら集合写真でワイプになってるでしょ。私、写真部だったから。このアルバムの写真は全部私が撮影したものだから。だから私は写ってないの。当たり前でしょ?」
そうは言っても一枚くらいはあっても良いものだが。と思っていたら編集も私がやったと言っていて、本当に高校時代の自分は無かったものにしたかったのかなと感じてしまった。
「中学のやつもそうなんですか?」
「中学校、私行ってないから。ほら」
そう言って最終ページを開くとそこにはワイプに写る樋口さんの姿があった。
「これも聞いて良いんですか?」
「いーよー。私ね。中学校時代は親が芸能界に私を入れたくて堪らなかったみたいでことある毎にオーディションに受けさせられてね。子役の事務所にも入っててほとんど学校に行ってなかったの。滑稽よね。それで手に入れたお天気お姉さんの職も失うなんて。私の人生なんだったのかな……」
「そんなことないです。昔の樋口さんがいたから、ここに今の樋口さんがいるんです。人生なんてこれから何十年も続くじゃないですか。だから過去は過去、今は今、ですよ」
一番無責任な言葉であるのは分かっていたけども。それを汲んでか樋口さんは小さく「ありがと」と返事をしてくれた
「さて。あとは小物だからもう大丈夫かな。もうこんな時間だし」
時刻は午後の十一時。いつもならもう寝ている時間だ。
「そうですね。樋口さんもあまり遅くならないようにしてね。お肌に悪いから」
僕はおどけて見せたけど、樋口さんは「そうね」と真面目に返事をしてきた。
「ねぇ、その樋口さんっていうのやめない?凛、で良いわよ。なんかこそばゆいのよね。それ」
「じゃあ。凛……ちゃん?」
「ちゃん付も要らないかな。凛でいいわよ。その代わり私も洋介って呼ぶから。それじゃ、洋介、おやすみ」
「ああ。おやすみ凛」
そう言って僕は玄関から二階の踊り場に出た。部屋に戻ってからもさっきの卒業アルバムの事が気になって仕方がなかった。僕もお世辞にも人気者ではなかったし、どちらかというと影が薄い方だったけども卒業アルバムには数枚の写真はあった。中学はほとんど行っていないとの事だったけども、受験はその為のものだったのかな。彼氏がいたって言ってたけども、それは成人式の時に一緒に行くはずだった人なのだろうか。でも高校時代に彼氏が「いた」と過去形で言ってたから別人なのかな。なんにしても僕は凛の三人目の彼氏、になるのだろうか。そんな考えなくてもよいことを考えてしまって部屋に戻ってからもしばらくは寝ることが出来なかった。
「ホント、何を考えてるのかな」
翌朝は凛がドアを叩く音で目が覚めた。呼び鈴を鳴らしたけども起きてこなかった、だそうで。昨日は夜遅くまで寝れなかったからなぁ……。
「すまん。眠りこけてた」
「でしょうね。頭ボサボサだもん」
僕は自分の髪を手櫛で整えるようにしてみたが、後頭部の寝癖はドライヤーでもないと直りそうにない。
「で?どうしたの?」
「どうもこうも。連絡先」
「連絡先?」
「交換してないでしょ?今日だって知っていれば電話で済まそうと思ってたのに」
そういえばそうだ。僕達はまだ連絡先の交換すらしてなかった。一度部屋に戻ってスマホを持って玄関に向かったら、凛は既にキッチンのところまで家の中に入って来ていた。
「へぇー。もっと散らかってると思ってた」
「人をなんだと思ってるんだ。一応整理整頓はしてるつもりだよ」
「そうみたいね」
そう言って冷蔵庫を開けて食材を確認している。
「ね。お昼まだでしょ?っていうか朝ごはんも食べてないでしょ?寝てたんだから」
「ん?もうそんな時間なのか?」
と、時計を見たら針は十三時を指していた。
「何時まで起きてたのよ。うん。この材料ならオムライス作れそう。台所借りるわね」
「料理とかするんだ」
「なに?意外?私、ほとんど自炊だよ。なんなら作り置きの小分け冷凍とかもしてる。ほら、私、お金ないから」
養成所の月謝が結構高いらしい。いくらかは聞かなかったけども。
「バイトとかしてないんですか?」
「その敬語もなんか気になるなぁ。でもいいや。私の方が一ヶ月お姉さんみたいだから。で?バイトだっけ?どうしようかなぁ。昼間は養成所に行ってるから夜か朝のバイト探さないとなぁ。ね、なんか効率の良いバイトってないかな」
夜の仕事なんていうものだから、キャバクラとか考えてしまった自分は汚れてるな。そう考えている間も凛はテキパキと料理を作っていた。手慣れた様子を見るに本当に自炊しているようだ。
「はい。オムライス」
「あれ?」
「なに?」
「ケチャップご飯じゃないの?」
「そう。私の作るオムライスはバターライスです。珍しいでしょ」
「でもうまいなこれ」
「ありがとうございます」
凛はそう言って自分も食べ始めた。
「さっきのバイトの話なんだけど、さっき調べてたら面白そうなのがあった」
「なになに?儲かるの?」
「時給はかなり良い。で、事務所がしっかりしてそう」
「事務所?なんの仕事??」
「なんか、顧客の要望に合わせて付き合うだけの仕事」
「なにそれ。出会い系?」
「違うみたいよ。例えば一人でテーマパークに行くのが気が引けるっていう人に付き合ったり。基本的には付き合うだけで何もしない。恋人役にもならない」
「うーん。なんだかよく分からないわね。どのサイト?」
「これ」
僕はその事務所のホームページを開いて凛に見せた。
「ふーん。何もしなくても良いのかぁ。でもそんなのなんで募集してるんだろう。結構お給料良いみたいだしすぐに応募埋まりそうだけども」
「もしかしたら埋まってるかも知れないけど、話を聞いてみるだけ聞いてみれば?」
「でもいいの?自分の彼女が知らない男と一緒に何処かに出かけるなんて」
「いや、これ、選べるみたい。同性のみしか対応しないとか」
「ふむ……」
スプーンをお皿に置いて僕のスマホを手に取って画面をスワイプしている。
「本当だ。でも本当に何にもしない人なのね。面白そうだから連絡してみる。ってか、洋介もここでバイトしなよ。一緒にやってたら安心じゃない?」
それもそうだな。と思ってお昼ご飯を食べ終わった後に早速電話をしてみたらまだ募集中とのことで事務所に向かうことになった。
「やあ、いらっしゃい。もしかしてカップルさんかな?」
「はい。そういうのはお断りですか?」
「いや?そういう決まりはないよ。彼氏からしたら心配かな?」
僕の方を見て聞いてくる。
「ああ、すまない。私は相澤と申します。はい、これ名刺」
「ありがとうございます。僕は新田洋介、こちらが樋口凛と申します。今日はお時間を頂きありがとうございます」
「そう堅苦しくする必要ないよ。で、早速だけど仕事の説明するけどいいかな?」
相澤さんはホームページに書かれていた内容を一通り話してから僕達に聞いてきた。
「カップルさんだから同性のみの受託で良いのかな?」
「いいえ。異性も大丈夫です」
僕が「はい」と答えようとしてたら凛がそう言った。
「あれ?いいの?彼氏さんもそれでいいの?まぁ、別にデートクラブじゃないから手を繋ぐとかそういうのは全部禁止事項だけども。でも会話はするよ流石に」
「ええと……」
「なんか役作りに良いかなって」
凛は僕に向かってそう言った。役作りか。何もしないのに役作りもなにもあるのだろうか。
「あれ?もしかして女優さん志望?同じような人、いるよ。ほら、この子なんんだけども」
そうして見せられた写真は女優を目指すだけあって美人系の顔をしていた。
「凛?」
「あの。この仕事って事務所ですれ違ったりするんですか?」
「ん?基本的にはないかな。仕事が入ったらこっちからシフトを確認して指名するから。ほら、さっき説明した通り、顧客からの指名は受けないから。あくまでもその予定に入れるメンバーに僕から連絡が行くだけかな」
「そうですか。それは助かります」
「それじゃ、こちらはシフトの選択肢が増えるだけ嬉しいから大歓迎なんだけどもどうします?」
凛のさっきの反応が気になったけども、僕は凛の意見を尊重して仕事を受けることにした。
「なぁ、凛。さっきの人って知り合いなのか?」
「養成所の先輩」
「え」
「だから顔を合わせると気まずいかなって。でも会うことも無さそうだから良いかなって」
「なるほどな。しかし、指名もされないとか良いかも知れないな。ストーカーみたいな人に何度も指名されたらどうしようかと思った」
「心配してくれるんだ」
「そりゃそうでしょ」
凛は優しく微笑みながら手を繋いできた。そしてブンブン振り回された。
「なになに」
「手を繋いだのは良いんだけど、恥ずかしくなったから!」
「なんだそれ」
つい笑ってしまったが、僕もそのブンブンに付き合って繋いだ手を振り回した。