【第六話】
今日は渡されたチケットに記された舞台の日。曇った女の子の役柄って言ってたから脇役なのかな。僕は劇場がある駅の珈琲店で三木谷ちゃんと待ち合わせをしていた。
「よっ!」
そう言って背中を叩かれてビックリして後ろを見たら、そこには樋口さんが居た。
「あれ?良いんですか?こんな所にいて。舞台、あるんですよね?」
「それなんだけどね……。急遽台本が変わってしまって」
「まさか役が飛んだとか?」
「そのまさか。はぁー……。頑張ってたんだけどなぁ……。って、あれ?」
その目には涙が溢れ出ていた。僕はハンカチを取り出して樋口さんに手渡して席に座るように促した。僕はなんと声をかけてあげれば良いのか分からずにいたら、樋口さんが口を開いた
「なんか馬鹿みたいよね」
「そんな事ないですよ。あんなに役作り頑張ってたじゃないですか」
「でも出番なくなっちゃった。あのおみくじ、嘘ばっかり」
吉のおみくじはその時点が頂上、あとは転げ落ちるだけ。そんなことを言っていた事を思い出す。樋口さんはそう言ってポロポロと涙をこぼし始めた。
「あのー……。大丈夫です?私」
三木谷ちゃんがやってきた。これは僕から事情を話すべきだろう。自分の口から二度も同じことを言うのは辛いはずだ。僕は席を立って三木谷ちゃんに事の次第を話した。
「そう言う事ですか。その演出家の家ってどこにあるんですかね」
「物騒なこと考えるなよ……」
「だっておかしいじゃないですか。こんな舞台の直前になんて。私だったら暴れそう」
確かに三木谷ちゃんなら暴れそう。じゃなくて。この状況をどうするのか。なんて声を掛ければ良いのか。元気出せよ?次があるじゃないか?そんなのは無責任だし。
「明日のお天気お姉さんってどうするんだ?」
疑問に思ったことをそのまま口に出してしまった。この気分で早朝からテンション上げていけるのだろうか。
「……」
ですよね。困りますよね。そんなこと今言われても。
「やるわよ。だって唯一のお仕事だもの」
プロ根性というかなんというか。大きく息を吸って、吐いて。自分を落ち着ける様にしてからそう言った。
「はい!この話はお終い!ごめんね。今日の舞台。折角だから見ていく?」
「うーん……」
「ふふ。優しいのね。それじゃ、これから私を慰める会でもしましょう!」
「それ自分で言うんですか」
なんかこの方が樋口さんらしい気がして笑ってしまった。一行は舞台を無視してカラオケに向かった。そして部屋に入るなり樋口さんは開口一番
「クソ谷口のバカヤローッ‼︎」
「うわ。ビックリした。その谷口っていう人が演出家なんです?」
「そ。なにかにつけて舞台女優に声を掛けてくるの。私も声を掛けられたんだけど、そういうので大役を貰うのって違うじゃない?」
「で、断った結果がこれ、みたいな?」
「多分ね。ほんっとムカつく。あのクソオヤジ」
「でもなんか元気出たみたいで安心しましたよ。それじゃ、ガンガンいきましょうか!」
その日は夕方から三時間は歌っていただろうか。お酒も入って最後の方はグダグダになってしまった。
「二人とも二十歳になったからってお酒なんて……って、誕生日いつです?」
「八月!」
「七月!」
「未成年飲酒!二人ともちょっと!」
「みーのーがーしーてー。ね?三木谷ちゃーん」
完全に僕よりも酔っ払ってる。お酒には弱いみたいで。これ、一人で帰れるのか?
「で。鍵は掛けて下さいね」
結局、僕は樋口さんを自宅まで送り届ける事になった。連絡先は知らないのに自宅の場所を先に知るとは。
「あ、そうだ。明日は何時に起きるんですか?」
「二時!んで三時にスタジオ入り!そうだ起こして!起きる自信がない。ねぇ、お願いー」
「起こすって電話でも掛ければ良いんですか?それじゃ、電話番号教えて貰えますか?」
僕がスマホを取り出すと正面から両方に手を置かれてググッと下に力を入れられた。座れってことか?僕は素直に床にあったクッションの上に座った。
「電話なんかで起きれないって。起こして」
「どうやって?」
「ビンタでもなんでも良いから起こして」
「え?それはつまり……」
「そ。泊まってけ!」
んー。それは不味い様な。いくら駆け出しとはいえ女優を目指してる人が男の人を家に泊めるのは流石に……。
「まいったな。三木谷ちゃん連れてこれば良かったな」
「私は洋介くんに起こしてもらいたいの!これは決定事項!分かったら……」
と言い残してトイレに籠ってしまった。仕方ない。水やらなにやら買ってこよう。二日酔いにならないようにするやつもあったな確か。それも買ってこよう。
「それじゃ、ちょっと出かけてきますからね。あ、ちゃんと戻ってきますからね。鍵、借りますよー」
トイレに向かって言ったけども返事が来ない。代わりに女の子が発しても良いのかという声を聴く事になってしまった。
「ったく」
僕は玄関に鍵をかけてドラッグストアをスマホで探した。
「良かった。意外と近くにある。っと」
三木谷ちゃんにこの事を一応報告しておくか。とメッセージを送ったら速攻で電話がかかってきた。
「なに言ってるんですか!正気ですか⁉︎」
「なにって本人がそうしろって聞かないんだから仕方ないだろ。それじゃ代わってくれるか?」
「それは……」
「あ!なんか面倒臭いって感じが見てとれるぞ!」
「あの酔っ払いの相手するんですよね?やっぱり洋介先輩、頑張って下さい!それじゃ!」
「あんだよ、まったく」
でもまぁ、女の子の家に泊まるってなればそれは、アレでコレで。流石に今回は間違いは起きないにしても色々考えるものはある。僕はドラッグストアで必要なものを買い揃えて樋口さんの家に戻った。
「樋口さーん。樋口さーん。起きてますかー。ってか生きてますかー」
ワンルームの部屋を見ても樋口さんの姿はない。ってことはあのままトイレに居るってことだ。僕はトイレのドアをノックして呼び掛けてみるけども返事はない。
「開けますよー。いいですかー」
僕は恐る恐るトイレのドアのぶを回す。
カチャリ……。
「うっわ……」
そこにはゲロまみれの樋口さんの姿があった。
「どうするんだこれ。流石に……」
服を脱がすのはアレだし、僕は三木谷ちゃんに再び連絡してみたけども今日はラストまで入る予定とかで来れないと。これは覚悟を決めた方が良いか?
「樋口さーん。上着、脱がしますよー。良いですねー」
これは介抱。そう言い聞かせて上着を一枚脱がす。すぐ下が下着だったらどうしようかと思っていたらTシャツを着ていて助かった。
「あ。このシャツって……」
今日参加するはずだった舞台のシャツだ。楽しみにしていたんだろうな。それがこんなことになってしまって。っと。こんな所に放置は出来ないからベッドに移動させないと。
「樋口さーん、抱え上げますよー。いいですねー」
返事はないと思いつつも一応の確認をする。じゃないとなんだか自分に下心があるように思われたら困るし。結局、返事はなく、というよりも既に寝ていてベッドに運ぶのに正直苦労した。脱力した人間を運ぶのは非常に辛い。学んだ。
「えっと。午前二時に起きるんだっけ?これ本当に起きるのかな。ビンタしても良いって言われてるけどもさ」
重量物を持った腕は気だるく手首をブンブン振りながら呟く。さて。今は夜の十時。夜中の二時まで四時間ある。お酒を飲んだ僕も正直眠いけど、寝たら起きれる自信はない。かと言って眠らないという自信もない。
結局僕はコンビニで立ち読みをしたり深夜の街を散策したりととにかく動いて眠るのを我慢した。そして午前二時。最高に眠い。
「樋口さーん。二時、二時ですよー」
耳元で手を当てて呼びかけるも、残念ながらすやすやと寝ている。
「くっそ。起きる気配がないな……」
こうなれば実力行使。ビンタしてもいいって言われるし。僕は樋口さんの頬を軽くピタピタしてみた。柔らかい。じゃなくて。もっと強くピタピタしてみたけども起きる気配がない。どうやったら起きるんだ。大声出したら近所迷惑だし、僕は思案した結果、頭にチョップを入れた。結構強めに。
「ったーい……」
「あ。起きた」
「んん?」
完全に寝ぼけてるな。なんか嫌な予感がするけど、ここは冷静に。
「樋口さん、昨日のこと覚えてる?」
「……」
「樋口さん?」
「な、なんで洋介くん⁉︎ここでなにをしてるの⁉︎ってか、私なんでこんな格好なの⁉︎」
樋口さんは上半身を起こして胸元に両手を抱えながら後退りした。
「あー。やっぱり覚えてないんですね。説明しますから大声とか出さないで下さいよ?」
と。事の詳細を話したら「ごめんなさい」と謝罪を受けたわけだけど。
「それより三時にスタジオ入りするんでしょ?間に合うの?」
なかなか起きなかったこともあり、もう二時二十分になっている。スタジオがここからどのくらい離れているのか分からないけど、シャワーを浴びて化粧をしたら三十分は必要だろうに。
僕の問いかけにベッドサイドの時計を手に取り、それをすぐに放り出して服を脱ぎ始めたもんだから、僕は大急ぎでトイレに逃げた。
「いきなり脱がないで下さいよ!」
「だって間に合わない!ちょっと悪いけど、準備が終わるまでそこにいて!」
というわけでトイレの住人になったわけだけど。その間にローカル局の住所を調べてみたらタクシーを使えば十五分くらいで到着できそうな場所だったので、先持ってタクシーを呼んでおいた。と、ここまでやったところでトイレの扉が勢いよく開いてお礼を言われたと思ったら玄関を飛び出して行った。タクシーのドアが閉まる音がしたから無事に乗って行ったようだ。
「ふー。さて。これからどうしよう」
トイレから出たら床に下着が散乱してるし。こういう時は鍵を閉めて郵便ポストに、と行きたい所だけど、郵便ポストはロックがないタイプだし、ドアのポストに入れたら予備の鍵でもない限り中に入れないし。ってか、なんで鍵持って行かないの。僕は机に置かれたキーケースを眺めながら途方に暮れてしまった。