【第三十二話】
翌日は講義も休んで一日中寝てしまっていた。カーテンを引いた部屋は薄暗く、今の時間が昼なのか夜なのか分からない。カーテンを開けたら夕陽が見えたので夕方まで寝てしまったようだ。
『カラン』
玄関のポストに金属が落ちたような音がした。何だろう?僕は寝ぼけ目で玄関に向かってポストを開けた。
「鍵?」
凛が勝手に作った合鍵は昨日、オムライスと一緒に置かれていた。だとしたらこの鍵は何の鍵だ?徐々に目が覚めて頭が回り始めて嫌な予感が脳裏を過ぎる。
「まさか……」
僕は寝ていた格好そのままでアパートの階段を降りて凛の部屋のインターホンを鳴らす。返事はない。と言うよりも人気がない。僕は手に持った鍵を鍵穴に差し込んで回してみた。
『カチャリ』
開くな、と念じながら回した鍵は呆気なく回り僕に現実を突き付けてきた。ドアを開くとそこにはまるで誰もいなかったかのように夕陽が部屋を照らしていた。僕は靴を脱いで部屋の中に入っていった。唯一残された小さな床に置かれたテーブル。そこには一枚の便箋が置かれていた。
『洋介へ。まずは急にこんなことをしてごめんなさい。でもこれ以上、洋介の厄介になるのは何か違う気がして。なんていうか、ダラダラと続いていってしまうような気がして。だから、私は出て行きます。大学では会うかもしれないけど、その時は無視しないでよね。それじゃ』
なにがそれじゃ、だよ。こんなのありかよ。昨日、凛に好きだと伝えなければこんな事にはならなかった。でもいつまでもあんな関係を続けて行くわけにはいかないのも分かっていた。それでも僕はたまらず凛に電話をかけてしまった。しかし流れてきたのは機械的な音声。凛は僕との関係を完全に絶ってしまった。大学であっても無視しないでよ?本当に会う気があるのか?最初に出会った時のように僕を避けて過ごすのではないか?僕の脳裏には今までの凛との生活がフラッシュバックしてゆく。もう取り戻せないことのように。
「どうしたんです?なんか死んだような目をして」
「凛が出て行った」
「え、洋介先輩、樋口先輩になにをしたんですか。まさかいやらしいことをしたとかですか?」
「そんなことするわけないだろ。昨日、凛に僕は凛のことが好きだって言葉に出して伝えたんだよ。そしたらこれだ。嫌われたのかなぁ」
凛にとって僕は安い家賃で住処を提供してくれたり食費の半額を持ってくれたりするだけの存在だったのか、とまで考えてしまって自分に嫌気がさす。
「そんなことはないと思いますよ。今までの樋口先輩の行動を見てみればわかりますよ。同性の私が言うんですから確かです。でも、面と向かって気持ちを伝えられて自分もはっきりさせたいって思ったんじゃないですか?ズルズルと今までの関係を続けていたら本当に好きなのかどうか分からなくなる、みたいな」
「だと良いんだけどなぁ」
「ま、そのまま樋口先輩に振られる未来も捨てきれませんけどね。その時は慰めてあげます」
「そうならないように願ってるよ。本当に」
翌日、大学に行って凛も受けているはずの講義に、凛の姿はなかった。カフェテリアに行っても中庭に行っても凛が今までにいた場所は全部回ったけどもその姿を見ることはなかった。本当に僕から離れてしまったのかな。寂しさと共に恐怖が心を支配する。そして呆然とする僕を青山先輩が見つけたらしくて声を掛けてきた。
「あれ?今日は樋口さんは一緒じゃないのかい?」
これは説明した方が良いのだろうか。いっそ荘弾に乗ってもらった方が良いのだろうか。桜井さんの件もある。青山先輩には一度きっちりと話をしておいた方が良いかもしれない。
「出て行っちゃったんですよ。凛のやつ」
「出て行ったって同棲でもしてたのかい?」
「いや、僕の親戚が持ってる同じアパートに住んでたんですけど、昨日突然出て行ってしまって、今日の大学でも姿が見えないんですよね」
「なにかしたのかい?」
「何かというか……。言葉に出して告白したことが無かったので、好きだって伝えたんですよ。そうしたらこんなことに」
「なるほど。それは本気で考えてくれているんだと思うよ。本気じゃなかったら、その場で断られると思うよ。でも断られなかったんだろう?」
「告白した時は友達以上、恋人未満ってはっきり言われましたけどね」
「でも友達以上、なんだろ?周りの人からしたら一歩進んでるわけじゃないか。それとももう一人そういう人でもいるのかい?」
「よくは分からないんですけど、桜井さんのことが興味があるとか言ってまして……」
「なるほど。それで」
そう。桜井さんというライバルが出来た以上、僕は凛を惹きつける何かを考えなくてはならない。凛の興味を惹きつける何かを。青山先輩には桜井さんから何か聞いたら教えて欲しいと伝えて別れた。
そして数日が経った。
講義が休講になったので、今後の予定が張り出されているかと思って教務課の掲示板を見に行ったら見慣れた名前が書かれていた。
『二年 樋口凛 教務課に来るように』
なんだ?凛が教務課に呼び出しを?何をしたんだあいつは。僕は教務課の事務員に貼り出された内容について聞いてみた。関係を聞かれて友人です、と答えたら逆に連絡を取って教務課に来て欲しいって伝えるように言われてしまった。
そこから凛が大学を退学したと知ったのは五日後だった。
「もうダメだ」
「まさか本当に慰めてあげることになるとはねー。仕方ないなぁ。洋介先輩のことは私が面倒を見ますので」
「それはまだ待ってくれ」
「でも、もうだめだと思いますよ?連絡手段が何もないじゃないですか」
「まだある。葉さんに連絡を入れてみる」
「ああ、樋口先輩のお母様でしたっけ」
そう言って僕は葉さんに電話を入れたら、ここでも逆に居場所を教えて欲しいと言われてしまった。
「はぁ。もうダメだ……。本気で嫌われたのかも知れない」
「ね、洋介先輩。またおみくじ引きに行きましょうよ」
「おみくじ?」
「そです。おみくじです。待ち人ぉ、さて。どうなるでしょう。善は急げです。今から行きましょう!」
「大凶だな」
「ですね。初めて見ました。待ち人ってなんて書いてあるんです?」
「来ず」
「恋愛は?」
「成就しないでしょう」
「じゃ、じゃあ……あー……」
他に何かあるのかと一通り目を通したおみくじを三木谷ちゃんに渡したのだが。書かれている内容は全て否定されている内容で、一縷の救いすらなかった。
「そんなこともありますって。これはただのおみくじですし!ダメなやつは神社に結んでいけば厄払いできるって聞きますし!」
「そうだな。そうなればいいな……」
帰りの電車では三木谷ちゃんも僕も終始無言でいつもの珈琲店最寄駅に到着した。
「あ!」
「なになにどうしたの。急に」
「保証人!」
「保証人?なんの?」
「ほら。出て行ったんですよね?ってことは新しい家に住んでるってことじゃないですか。だとしたら保証人が必要ですよね?誰か思い当たる節、ないですか?」
葉さん、は分からないって言ってたし。他に誰か……。
「あ……」
「誰か居るんですか?」
「谷口さん」
「誰です?それ」
「凛の父親。今は病院に居るはず」
「そうなら今すぐ行きましょう!」
「面会時間はもう終わってるから明日にしよう。すまないが一緒に行ってくれないか?」
三木谷ちゃんが僕のことを好きなのは分かってる。その上でこんなお願いをするのは卑怯だと思う。でも一人で行くのは怖かったんだ。




